第31話 急変する政情

 西方騎士団からの使いだという早馬の伝令が到着したのは、次の日の朝早く、既に出立の準備に取り掛かっている頃だった。

 「旦那様! 騎士団の方がお見えです。大至急、謁見をと」

館の門を破らんばかりの勢いで駆けつけた騎乗の騎士は、赤い房飾りのついた剣を提げている。

 「一体、何事ですかな。」

知らせを受けて広間まで降りてきたクラヴィスは、眉をひそめながら騎士を出迎えた。レオンが、アルヴィスが書いた西方騎士団の団長宛の書簡をたずさえて発ったのは、昨日の午後遅い時間になってからのことだった。とても騎士団の本部までたどり着けはしないだろう。だとすれば、この騎士は入れ違いに別の知らせを運んで来たに違いない。

 夜通し馬を走らせて来たという伝令の騎士は、早口に申し立てた。

 「サーレ領主殿に、騎士団本部より伝令です。レミスタとハガルの町付近で戦闘がありました。街道沿いの宿場が賊に襲われたとのことです。賊は逃走中、どうぞご領地内でも警戒されますよう」

 「…レミスタは、交通の要所だ」

後ろで聞いていたアルヴィスが小さく呟く。

 「北の街道だな。コーヘン領か」

 「はい。それから南の街道沿いではユルヴァ付近の牧場とシカルのいちが。ほぼ同時です。街道は一時的に封鎖されています」

 「鳩の拠点だ…」

アルヴィスが呟く。

 「それって、王都へ連絡するための伝書鳩の小屋か?」

 「そうだ。襲われた順番が気になる」

 「ちょっと待ってろ」

イヴァンは、使者と対面しているクラヴィスの側に言って囁く。

 「親父、アルが襲われた順番を知りたがってる。聞いてくれ」

 「ふむ。――騎士殿、今の四箇所、順番はどうなっている」

 「は、…ええと、北からです。今申し上げた順番のとおり、二日かけて襲われました」

 「それなら次は東南のヤルンか、北のデラスだな」

館の主にも、アルヴィスが気にしていた内容が分かったようだ。

 「ユルヴァとシカルがほぼ同時なら、距離的に同一の集団では有り得んな。だとすれば、賊は三つの集団に分かれているだろう。北の街道沿い、大街道、南の街道。道に沿って拠点を襲っていることになる。――他に情報は?」

 「ありません。」

 「街道が封鎖されたと言ったな。それはいつなのだ」

 「二日前、最初の襲撃があってからです」

クラヴィスは、眉を寄せた。

 「二日前か――。つまり、その間、王都や北からの情報は入って来ていないのだな。旅人の往来も無いのか?」

 「ええ、一時的に。何か気になる点でも?」

 「いや。そなたに申し伝えることは何もない。ただ、当家からの伝令が昨夜、騎士団の本部に向かって発っておる。詳しくは、その内容を見ていただきたい」

 「は」

騎士は頭を下げ、来た時同様に、大急ぎで立ち去っていく。


 クラヴィスはひとつため息をつき、隣の部屋から様子を伺っていたアルヴィスたちのほうに向き直る。

 「陽動、でしょうな。賊で撹乱し、一時的に情報網を断っている。となれば、マイレやヴェニエルが動き出したと見るべきでしょう。どうなさいます」

 「騎士団への連絡は、既に昨日のうちに送っているんですよね? それが届けば、団長も状況は分かるはず。僕らは、予定通り王都に向けて発ちます」

 「成程。…では、どうかお気をつけて。」

 「はい。」

まだ朝食も済んでいないというのに、忙しない出立だ。


 広間をから裏口の厩に向かうと、ラスが既に馬を準備して待っていた。アデールは、朝食のパンや果物、チーズなどをたっぷり詰め込んだバスケットを手にして立っている。

 「イヴァン様、これ、馬に乗りながらでも食べて下さい」

 「助かるよ。」

ラスから手綱を受け取ると、彼は馬の首を軽く叩いて馬に話しかけた。

 「頼むぞ。出来るだけ距離を詰めたい」

馬は、軽く嘶いて返事する。

 「どうぞお気をつけて。」

使用人たちに見送られ、三頭の馬は、朝の草原へと走り出す。

 緑の香りを含む気持ちのよい風が体を包み、東から射す光が草のうねりを輝かせている。

 「大街道でいいんだよな?」

と、イヴァン。

 「最短距離でいい。鳩が使えないなら、自分たちの足で出来る限り早く辿り着くまでだ」

 「了解。じゃあこっちだ!」

馬の速度を上げる。ユラニアの森が遠ざかってゆく。森に立ち寄って行けないのは心残りだったが、それは、いずれまた、ゆっくり帰って来た時にとっておこう。

 走り去ってゆく馬の背にある息子を、クラヴィスは、館の窓からじっと見つめていた。




 伝令の騎士の言っていた襲われた宿場は、街道沿いにすぐに見つかった。町と町の中間にある宿の集まっているような場所で、火をかけられたのか、無残に焼け焦げてほとんどの宿が休業している。それを知らずに訪れた旅人たちは、どうしたものかと顔を突き合わせ、町の入り口にある水場にたむろしている。水場と、家畜のための塩場だけが辛うじて開かれているのだ。

 「噂じゃ盗賊団だって」

 「こんなとこにかい? 騎士団だっているだろうに」

 「それが、他のところも同時に襲われて、騎士団が出払ってる隙を突かれたとか…」

旅人たちの噂話は、否が応にも耳に入ってくる。

 馬たちに水を飲ませる傍ら、アルヴィスは町の端にそびえる黒こげになった塔を見上げていた。

 「あれが、鳩小屋だったのか」

 「多分そうだろうね。鳩はみんな逃げてしまったみたいだな…」

死者が出なかったのが不幸中の幸いだったが、鳩小屋にかけられた火は無関係な宿まで使い物にならなくしている。稼ぎの種を失った宿の経営者たちは、いまごろ頭を抱えていることだろう。

 「鳩小屋を狙ったのは、僕らが戻ってくる前に連絡網を断つためだろう」

と、アルヴィス。

 「敵の情報網は侮れないな。この先も、どこかで待ち構えているかもしれない。旨く、すり抜けられるといいんだけど」

反国王の貴族たちがスヴェインを即位させるには、”クローナ大公”の権威が必要なのだ。彼らからしてみれば、アルヴィスの身柄は、何としても押さえたいと思っているはずだった。

 「ま、流石に街道沿いでコトを起こすなんてことは無いだろ。西方騎士団だって警戒してるんだし」

アデールの持たせてくれたバスケットからパンを取り出して齧りなから、イヴァンは、そこら中をうろついている赤い房飾りの騎士たちを見やった。

 「下手に回り道をするよりは、真っ直ぐに街道を突き抜けたほうが良さそうですね」

と、ティアーナ。

 「ただ、街道は途中で封鎖されています。そこから先は情報がありません。――どうしますか」

 「どう、ったって、真っ直ぐ行くしか無いだろ。封鎖してんのが西方騎士団なら、お前かアルの権限で何とか通してもらうことくらい出来るんだろ」

 「それは、そうですが…。もし、街道の宿場町を襲ったのがタチの悪い傭兵だったりしたら、どうするんです。例えば、ミグリア人とか…」

 「確かに、この辺りには奴らもいるけど、違うと思うぞ。親父が現役だった頃は、仕事にあぶれて盗賊なんかやってた連中も多かったって話だけど、最近じゃ、あんまり傭兵稼業はしてないはずだ。」

言いながら、イヴァンは、人ごみの中に、それとなく消えていく後姿が気になっていた。玄人風の足取り。それに、先ほどまで、それとなくこちらの様子を伺っている気配があった。気のせいだと良いのだが。

 「いずれにしても、急いだほうが良さそうだな。飛ばせるだけ飛ばそうぜ」

 「そうだね」

休息の時間は終わりだ。

 三人は再び馬上の人となり、街道を軽快に飛ばしていく。大街道の人の流れは、以前より少なく感じられる。街道が途中で封鎖されているのに加え、立て続けに不穏な事件があったせいだろう。

 王都で何が起きているのかが判明したのは、封鎖された箇所を越えて、かなり進んでからのことだった。




 見覚えのある、こんもりとした緑の丘が行く手に姿を現す。王都リーデンハイゼルだ。

 馬を乗り継ぎ、町から町へと辿り着いた王国の中心。だが、そこで三人は、予想だにしなかったものを目にしていた。王都に通じる道が、全て封鎖されているのだ。

 街道は中央騎士団によって閉鎖され、検問まで設けられていた。町の住人か、緊急の用件でなければ引き返すよう勧められている。物々しい雰囲気だ。

 「…何ですか、これは」

ティアーナは呟くと、馬を降りて検問に近づき、そこに立っていた一人の騎士に話しかける。

 「私は王宮づきの騎士、ティアーナ・レスロンドです。一体何があったのですか?」

 「レスロンド…、あっ、任務ご苦労様です」

慌てて、騎士は彼女に敬礼する。騎士団には女性が少ないこともあり、ティアーナはよく知られた有名人なのだ。

 「それが…、”下の町”が占拠されておりまして…。」

 「占拠? 一体誰に」

 「ヴェニエル家の家臣ほか、いくつかの貴族家の雇った兵たちのようです。王国議会の開催までまだ数ヶ月ありますし、会議のためにしても人数が多すぎて目的がはっきりしません。退去させることも出来ず…国王陛下のご判断により、やむを得ず人員を退避させているところなのです」

 「ということは、集まっている兵たちは何か悪さをしそうなの? 町を封鎖するなんて、ただごとでは無いでしょう」

 「…分かりません。自分は、上からの命令としか。」

振り返って、ティアーナは二人の連れのほうにむかって困った顔をする。

 「これでは、埒があきませんね。もう少し状況が判るといいのですけれど」

 「彼らも詳しく聞かされていないってことなんだろう」

と、アルヴィス。

 「誰か知り合いはいないのかな」

 「そうですね…」

辺りを見回していたティアーナは、兵士たちに指示を出しながら歩いている騎士に目を留めた。

 「シーザ!」

声をかけられて、騎士が振り返る。イヴァンにも見覚えのある顔だ。白いマントを翻して、騎士が小走りに駆け寄ってくる。

 「ティアーナ嬢。それに…アルヴィス様」

慌てて、アルヴィスに軽く頭を下げる。

 「何があったの?」

アルヴィスは、馬上のままで尋ねる。

 「それが…どうやら、スヴェイン殿下が突然、貴族たちを引き連れて戻ってこられて、王都の真ん前を陣取ってしまったんです」

 「兄さんが?」

 「ええ。宴会をすると、突然下の町の宿をぜんぶ借り上げてしまわれたんです。それでも足りずに、町の周囲に天幕を張り巡らせているんですよ。兵士まで引き連れて、まるで戦争でもはじめるみたいな騒ぎです。」

 「本当に戦争を始めるのかも」

ティアーナがぽつりと呟く。

 「陛下は何と仰ってるんです?」

 「捨て置けとのことでした。そのうち飽きるだろうと、あまりにも目に余るようなら強制排除も検討すると…。ですが、既に目に余る状況です。」

シーザは困惑した表情だ。

 「それに、上の町まで封鎖しろとは尋常ではありません」

 「…父さんに、直接聞いてみるしかないな」

アルヴィスは、リーデンハイゼルのほうを見上げた。

 「僕らは通してくれるんだよね?」

 「それは勿論。ご案内しましょう。馬を取ってきます」

彼は、ちらとイヴァンのほうに視線を向けてから走り去っていく。

 「どういうことでしょうか」

 「たぶん、スヴェイン兄さんたちは王宮に何か要求を出しているはずだ。予想が正しければ、父さんに退位を迫っているか、何か交渉を持ちかけているんだろう。ただ、その情報は、まだ王宮の外には漏らされていない」

 「で、要求を呑まない場合は集まってる兵を使って暴れる、って話か…。」

イヴァンは、検問の向こうに見えている天幕の先に揺れる、どこかの領地の旗印に目をやった。

 「ここから見えてるだけでも、そこそこの人数はいそうだぜ。中央騎士団が何人いるのか知らねぇが、いい勝負になったりするんじゃねぇか」

 「もしそうなら、他の騎士団にも連絡は出しているはずです」

 「…届いていれば、だけどね」

アルヴィスは僅かに表情を曇らせる。

 「僕らが西へ行く前に飛ばした鳩くらいは、届いているといいんだけどな…。」

街道沿いの鳩小屋は、ほとんどが潰されていたのだ。伝令を走らせるにしても、この広い国中に連絡を回すには時間がかかる。兵を集めるのが間に合うかどうか。時間の問題だ。


 向こうから、シーザが馬に乗って戻って来た。

 「お待たせしました。参りましょうか」

先導するシーザの後ろを、三頭の馬が通り抜けていく。王都に近づくにつれ、街道が封鎖された理由も分かってきた。二つの町の間にはびっしりと天幕が張り巡らされ、見張りのためか篝火を焚く台も作られ、武装した兵がこれみよがしに歩き回っている。あまりの惨状に、アルヴィスも眉を寄せた。

 「明確な敵対行為です。威嚇としか思えませんよ」

ティアーナは、憤慨した様子で呟く。そして、表情を曇らせた。

 「これを率いているのがスヴェイン様だとしたら…。それがたとえ名目上のものであっても、罪に問われることは免れません…。」

 「……。」

アルヴィスも、押し黙ったままだ。

 シーザの後ろについて馬を進めながら、イヴァンは、ひらめいている旗の中に見覚えのある印を見つけていた。サーレの隣、マイレ伯爵領の紋章。

 (あいつらも来てんのか)

ネス港ですれ違った、派手な衣装の騎士たち。その中でも、海上まで追ってきた先頭の騎士のことは強く記憶に残っていた。あの時は戦わなかったが、もしここに来ているのなら、今回は戦うことになるかもしれない。


 上の町へと続く綴れ折りの道を登りきり、町の入り口の門をくぐろうとしたところで、イヴァンは驚いて思わず声を上げた。

 「…何してるんだ? これは」

町の入り口には、土嚢が積み上げられていた。広場には様々な物資が山積みにされ、まだ患者はいないものの、野戦病院のようなものまで設置されている。設置作業をしているのは、騎士学校の制服に身を包んだ生徒たちだ。

 そして、その中に良く見知った顔があった。

 「イヴァン?!」

驚いたように声を上げ、アステルとエデルが駆け寄ってくる。

 「戻ってきたのか? どこ行ってたんだよ。実家に帰るなんて嘘ついて」

 「そうだよ。それに、えっと…その人たちは?」

二人も、混乱している様子だ。それはイヴァンのほうも同じだった。

 「シーザ、どういうことなんだよ、これは」

 「ああ、いえ…訓練の一環として、ヘイミル校長からの申し出をありがたく受けているだけですよ。」

 「そうじゃなくて。こんなことするってことは、市街戦を想定してるってことだろ!」

イヴァンは食って掛かる。

 「最初から戦闘する気だったのか? あんた、そう言わなかったぞ」

 「私たちだって知らないんですよ。団長からは、”念のため”としか聞いていません」

むっとした様子で、騎士は言い返す。

 「これから王宮へ向かわれるのなら、あなた方のほうが詳しく聞けるんじゃないですか」

 「イヴァン。多分、父さんは最悪の事態を想定しているだけだと思う」

横からアルヴィスが口を挟む。

 「生徒たちまで駆り出しているのは、騎士団だけじゃ手が回らないからだと思う。戦線構築だけなら、危険も少ない。ヘイミル校長がついているなら大丈夫だよ」

 「なら、…いいんだけどな」

むすっとしながら、イヴァンは、学友たちのほうに視線をやった。

 「お前ら、危ないことはするんじゃねーぞ。なんかあったらすぐ逃げろ。いいな!」

ぶっきらぼうにそれだけ言って、彼は、ぽかんとしている仲間たちを後にした。

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