第30話 雄牛の帰郷

 イヴァンの前触れもない帰郷は、館では大騒ぎによって迎えられた。

 厩番のラスをはじめ、台所から飛び出してきた料理番のアデールに召使いたち、小間使いの少女たち、巡廻の兵士たち、館にいるありとあらゆる人々が駆けつけて、突然現われた一行を取り囲んでいる。

 「イヴァン様?! 一体、なぜここに…何処から…」

知らせを受けて駆けつけたレオンまで、唖然とした顔でイヴァンを見つめている。

 「何だよ、その顔は。まさか俺の顔、忘れちまったわけじゃないだろうな」

 「いえ、まさか…その」

彼は、泥だらけのイヴァンの姿と、引き連れている二人の客人とを見比べている。

 「親父は? 執務室か」

 「ええ…ですが、その格好では…」

 「急ぎの用事があるんだ。王都から送った手紙は、見てるよな?」

はっとして、レオンは表情を取り繕った。

 手紙には、ユラニアの森の件の調査に関わることになった、友人とともにクローナへ向かう、と書いておいた。同時に、騎士学校の校長ヘイミルからの、実家に帰ることにして休校扱いしている、口裏を合わせて置いて欲しい、という旨の連絡も届いているはずなのだ。

 その意味が分かっていれば、同行の二人の素性もある程度は予想がつくはずだ。

 「ご案内します。こちらへ」

レオンは、素早く踵を返し、館の二階へ続く階段を登り始める。心配ない、というように顔なじみの使用人たちに笑顔で手を振ったあと、イヴァンも後に続いた。


 執務室に前に立ち、レオンが扉を叩く。

 「失礼します、旦那様。イヴァン様がお戻りに」

 「――入れ。」

扉を押し開くと、領主クラヴィスは既に立ち上がって、窓辺に立っていた。

 「下の騒ぎは聞こえていた。イヴァン、よく戻ったな」

 「おう、ただいま。」

館の主はいかめしい眉をぴくりと跳ね上げて、上から下までイヴァンの姿を確かめる。

 「無事なのは結構だが、ひどい格好だな。どこを回ってきた」

 「あーまぁ。国境の西側を」

 「西?」

 「リンドガルト。獣人の住んでる地域だ。まぁ、その話しだすと長いんだけどさ。着替えと風呂の準備してくれねぇか? こっちの二人を少し休ませてやりたくて。これから王都まで行かなくちゃならねぇんだ。あ、こいつらは――」

 「”こいつら”?」

クラヴィスは、じろりと息子を睨んだあと、小さくため息を付いた。

 「まったく、お前と来たら。学校まで入っても、言葉遣いは少しも直っておらんな」

 「う…今はいいだろ、そういう細かいこと」

 「まぁ、今は、な。」

それから、片手を胸にやり、アルヴィスのほうに向き直って丁寧に頭を下げる。

 「ようこそ、我が館へ。お目にかかれて光栄です、アルヴィス殿下」

 「へ?」

 「…ご存知だったんですね」

アルヴィスが苦笑する。

 「こちらも、お見苦しい格好の上、連絡も無しの来訪で、申し訳ございません。ご子息には大変、力になっていただいております」

 「それは何よりです。とはいえ、何かお急ぎのご様子。堅苦しい挨拶は抜きにしましょう」

 「ええ。それから、僕はもうクローナ家の人間ですから、”殿下”は止めにして下さい」

 「承知いたしました。」

レオンは、音もなく、いつの間にか姿を消している。来客を迎える準備をするためだろう。

 「それから、こちらは護衛役のティアーナ。以前こちらにお伺いした、ベオルフ・レスロンドの妹です。」

 「お初にお目にかかります。」

 「こちらこそ。ようこそお越しくださいました」

クラヴィスとティアーナは、軽く騎士流の会釈を交わす。

 「それで、今回の旅の内容ですが――ユラニアの森の件についての調査、と伺っています。」

館の主は、ちらりとイヴァンのほうに視線をやった。

 「私は断片的な情報しか存じておりません。建国祭で国王陛下の暗殺未遂があった、とか。使用されたのは、十年前のあの事件と同じ、クロン鉱石――という認識で、よろしかったですかな」

 「ええ。…今回は、その鉱石の出処を突き止めるための任務でした」

 「そして、それは果たされた、と?」

アルヴィスは、小さく頷いた。

 「関わっていた有力貴族の確証も取れました。証拠品も確保しています。あとは国王陛下に報告して判断を仰ぐだけなのですが…」

彼はそこで、言葉を切った。

 「…関わっている有力貴族は、一家だけではなさそうです。場合によっては、サーレにも影響が及ぶ」

 「察するに、隣のマイレ領も入っている、ということでしょう」

クラヴィスの言葉に、イヴァンは、思わず父の顔をまじまじと見つめた。

 「親父、知ってたのかよ」

 「知ってはいない。ただ、察してはいた。十年前、あの事件が起きた後にそれとなく調べさせたのだ。森に怪しい荷物を持ちこんだ商人はマイレから来ていた――しかし当時は、誰かに命じられたともはっきりせず、疑惑のまま確証を掴むには至らなかった。」

言いながら、領主は窓のほうを振り返る。

 「マイレの港には、沢山の船が着く。西側とのやりとりも盛んだが、税収はさほどでもない。税収官吏たちが疑いを抱いては探りを入れていたが、今まで巧くいかなかったと聞く」

 「よくご存知ですね」

 「なぁに、年寄りの噂好きです。近隣の領地の噂ですよ」

再び部屋の中に視線を戻して、彼は、アルヴィスのほうを見つめた。

 「証拠が掴めたということは、これから一掃に入る――ということでしょう。が、察するに、関わっているのは有力貴族たちの連合のようなものだ。言ってみれば、この国の貴族たちが『国王派』と『反国王派』に二分されかねない、といったところでしょう。」

 「ご明察の通りです。僕のことも、ご子息のことも、出発前にはマイレの騎士たちに知られていました。この先、ことが起きるとすれば、このサーレ領は『国王派』と見做されるでしょう」

 「ふむ。」

クラヴィスは、僅かに考え込む素振りを見せた。ただそれは、悩んでいるというよりは、今後どうすべきかの具体案を考えているようでもあった。

 「…実は少し前、当家の取引している武器商人から、”掘り出し物の武器一式が出たのでまとめて購入しないか”という打診があったのです」

 「もしかして、カレッサリアのマリッド商会?」

と、アルヴィス。

 「そうです。マイレ領主が武器の買い入れを打診しているが、もしサーレ領が必要ならば、お得意様だから安く売ってもよい、と。暗に、そうすれば口実をつけてマイレ領には売らなくて済むというような言い方でした。」

 「買ったのか? 親父」

クラヴィスは、息子のほうに向かって「うむ」と答えた。

 「まぁ、そこまで具体的に匂わされてはな。マイレがうちに攻撃を仕掛けてくるとは思っていなかったが、今となれば意味も判る。当家としても、いざという時のために軍備は整えておこう。何、わしのことは心配いらん。心配なのは、お前たちのほうだな。それと――」

扉をノックする音がした。

 「お話中、失礼します」

レオンの声だ。

 「着替えと、湯浴みの準備が整いました。」

 「――先に、身繕いを整えられたほうが良さそうだな。」

そう言って、クラヴィスはアルヴィスとティアーナに笑みを見せた。

 「続きは、また後ほど。夕食も準備させます。大したもてなしは出来ませんが、今夜くらいはゆっくりしていって下され」

一瞬、ティアーナの表情が明るくなったのをイヴァンは見逃さなかった。

 森の中で野宿しつつの行軍もようやく終わり、彼女にとっては、苦いなものだらけの生活からようやく解放されるのだ。たとえ辺境の館でも、深い森の中よりはずっと好ましいに違いなかった。




 ゆっくりと湯船で汚れを落とし、着替えを終えて出てきてみると、どこかから女性たちの騒がしい声が響いてくる。

 「ほんとにー?! いいなあ、王都って行ったことないのー。行ってみたいなぁ」

 「あ、でもいいことばっかりじゃないのよ。人は多いし…」

ティアーナの声だ。それに屋敷の小間使いの少女たち。

 そっと廊下の奥の客間をのぞいてみると、ティアーナを囲んで少女たちがはしゃいでいた。

 「えーっ、すごーい。王宮で働いてるんだ! ね、ね、そしたら、王子様とか会ったことあるの?」

 「ありますよ、三人とも」

 「へえー! いいなぁ~」

どうやら、年の近い女性同士、雑談に花が咲いているようだった。

 「ね、うちの若様とはどういう関係なの?」

 「うーん、強いて言えば友達…なのかしら。」

 「ほんとに? …そっかー、せっかく綺麗な人と一緒にいるのに、だめねぇ」

 「何がだよ」

 「きゃあっ」

突然柱の影から現われたイヴァンに、少女たちは口元を抑え、あるいは悲鳴を上げて飛び上がり、それと同時に笑い出す。全く忙しない。苦笑しながら、彼は部屋の中に入って行った。

 「見た目で騙されるなよ、こいつめちゃくちゃ強いんだからな。俺なんていっつもボコボコにされてんだ」

 「えーっ、ほんとですかぁ」

 「イヴァン様、女の子に負けちゃったの? やだあ」

 「うっせえ! これから強くなるんだよ! お喋りしてると、またレオンに怒られるぞ。後にしろ」

 「あ、イヴァン様、いつまで家にいらっしゃるんです?」

 「明日までだ。」

 「えー、明日までなんだー、残念ー」

 「忙しいんだっつの。ほら、早く行けってば」

 「はーい。」

きゃっきゃっとかまびすしく笑いながら、少女たちは駆け去っていく。

 「ったく、あいつら…。って、何だその格好」

 「仕方ないでしょう、貸してくれたのがこれなんです」

ぶっきらぼうに言って、ティアーナはスカートの裾をつまんだ。

 「こんな服、家でも着ないです」

 「ふーん。でもまぁ、似合ってるんじゃねえか。その格好なら、あんまりおっかない感じはしないしな。」

 「どういう意味ですか」

 「怒るなよ。」

にやにやしながら、イヴァンは部屋の隅をぐるりと回って反対側まで歩いていった。距離を取っているのは、ティアーナに殴りかかられないように、だ。

 「アルは?」

 「もうそろそろ出てくる頃かしら…あ、来た」

イヴァン同様に身体を洗ってさっぱりした顔のアルヴィスが、タオルを片手にやって来る。

 「少しは疲れ、取れたか?」

 「うん。助かったよ。それにしても、ここは賑やかだね」

アルヴィスは、廊下でこちらをちらちら見ながら、楽しげに噂話に花を咲かせている召使いたちのほうを見やる。館の中は常に活気に溢れていて、王宮のような静けさやとは縁がない。

 「うちの連中、みんな元気だからなー。あ、ちなみにここで働いてる男は一応、みんな剣か弓くらいは使えるんだぜ。なんかあったら防衛もするからな。この館、あっちこっちに侵入防止の仕掛けとかあるんだ。まぁ、だから安心しといてくれ。もしマイレの連中が攻めてきても、そう簡単には落ちねぇから」

 「心配はしていないよ。”サーレの雄牛”、クラヴィス殿もおられるわけだしね。問題は、…クローナのほうだな」

アルヴィスの表情が、僅かに曇った。

 「先生のことだから、既にヴェニエルが動いた時のことを考えて準備はしてると思うけど。」

 「それと王都もです。もし王に揺さぶりをかけて退位を迫るつもりなら、王都を包囲するくらいはやりかねませんよ」

ティアーナはドレス姿のまま、傍らの剣を握り締めている。

 「王都への連絡は、急いだほうがいいと思います。明日、ここを発ったらまずは、一番近い連絡網の鳩小屋へ」

 「そうだな。それと、僕の名前で西方騎士団の団長に書簡を届けて貰おう。…誰か一人、借りられるかな? イヴァン」

 「おう、任せとけ。親父に話しとくよ」

夕食まではまだ、時間がある。

 イヴァンは、父と話すために執務室に戻っていく。アルヴィスは、紙とペンを広げて書簡の作成に取り掛かった。限られた時間で、出来ることは少ない。今夜一晩はゆっくりしていくのだとしても、実際は気が休まる時間など無かった。




 夕食の後、イヴァンは、久しぶりに館を見て回っていた。

 半年ぶりの我が家だ。何も変わってはいないが、逆にそれが新鮮にも思えた。イヴァンの姿を見かけた顔見知りの使用人たちが、笑顔で声をかけてくる。ただ、戻ってきてから、ルナールの姿は一度も見ていない。

 久し振りに会って、話がしたかった。

 (森の方にいるのかな? それとも…)

厩を覗いてみると、ちょうど厩番のラスとルナールが、何か話しながら馬の手入れをしているところだった。

 「おっ、いたいた」

イヴァンが近づいていくと、二人はすぐに気づいて振り返った。

 「イヴァン!」

 「ルナール、久しぶりだな。会えないかと思ってた。何してるんだ?」

そう尋ねたのは、二人が、こんな時間だというのに馬具を磨いて準備していたからだった。

 「レオン兄さんが伝令で出かけるって言ってるから、その準備」

 「ああ、…あの件か」

西方騎士団の団長に書簡を送る、という件だ。クラヴィスは、その件をレオンに任せると言っていた。彼の方は、書簡が出来上がり次第、今夜にも発つはずだった。

 「イヴァンたちも、明日発つって、本当?」

 「本当だ。急ぎの用事でな。」

 「そう」

ルナールは、少し表情を曇らせた。

 「大切な役目だって聞いてる。気をつけて」

 「心配すんなって。学校が休みになるときには一度帰るつもりだし、また手紙は書くよ」

 「あ、そうだ、あの葉書」

厩番のラスが、明るい声を上げた。

 「レオンさんに見せてもらったんです! 雪の積もってる絵のついてる…」

 「おー、クローナから送ったやつだな。あれ、ちゃんと届いたんだ」

 「ええ。北のほうなんですよね? あんな沢山の雪の積もってる絵なんて見たこと無いから、みんな大喜びで。」

 「……。」

何か言いかけて、ルナールは止めた。ややあって、再び口を開く。

 「イヴァン、おれ、正式に森番に就くことになった。これから家を建てるんだ」

 「家――森に?」

 「元の村のあったとこから、ちょっと手前かな。旦那様にはもう許可を貰った。だから、次に戻ってくる時には森のほうに住んでると思う。ここじゃなく」

少し驚いたものの、イヴァンは、すぐに頬を緩めた。ルナールの考えていることが判ったからだ。

 「――そっか。森に帰るんだな」

 「うん。イヴァンが帰ってくるときまで森を守る。だから、…」

 「分かってるよ」

ぽんと少年の肩を叩いて、イヴァンは笑った。

 「必ず戻ってくるから。お前はずっと、俺の親友だ」

 ルナールは何も言わず、顔を伏せた。

 以前なら、お互いのことは何でも知っていたし、何でも忌憚なく話せた。けれど今は、それが出来ない。重要な役目を帯びて国中を飛び回るイヴァンにとは、ある意味で、住む世界が違うようになってしまった。完全に歩調を合わせて、隣を歩くことは叶わなくなってしまった。


 お互いに分かっていた。

 何も知らず、何も負う物のなかった子供時代は過ぎ去りつつあるのだということが。




 じっとしていると身体が疼く。

 以前のように宿題が山積みにされているわけでもなく、特にすることもないので、イヴァンは、久しぶりに中庭の訓練場に出ていた。

 日が暮れた後では、さすがに誰もいないが、ついさっきまで兵士たちが訓練していたような熱気の残り香がある。

 近くのベンチに上着を置くと、イヴァンは大きく伸びをしてから剣を抜いた。建物の間を差し込んでくる光に、右手の剣だけが輝く。左手の、フィーに貰った漆黒の剣は、金属のはずなのに不思議と光を反射せず、まるで煤で塗りつぶしたようだ。

 普通の鋼よりも軽く、それでいて鋼よりも硬い。

 構えを取り、彼は、ゆっくりとした動作で両手の剣を架空の敵の攻撃を受け流すようにひらめかせる。ティアーナはいつも、先回りして鋭い攻撃を次から次へと叩き込んでくる。一本しかない剣で、二本の剣をいとも簡単にあしらう。彼女の強さは機転と、正確な突きにあった。まともに突きを受け流していては攻撃に移ることが出来ない。かといって、避けるにはあまりにも強烈過ぎる。

 (多分、受け流しながら攻撃に移ればいいんだよな)

体に染み付いた攻撃を思いなぞりながら左手を動かす。

 (左手はいつも受け流すばっかりだから…役割は分けないほうがいいのかな?)

立ち回りを考えながら無心に剣を振っていた時、ふと背後に気配を感じて、イヴァンは顔を上げた。そして、意外な人物の姿をそこに見つけた。

 「…親父」

 「戻って来たばかりだというのに訓練か。熱心なことだな」

そう言って、ぽかんとしているイヴァンの顔を見た。

 「どうした。何を、そんなに驚いた顔をしている」

 「あー、いや…親父がここに来るなんて、珍しいなって」

ここで父の姿を見るのは十年ぶりくらい――物心ついてすぐの頃いらいか。

 森の事件があって以降、訓練場にいるところを見たためしはない。兵士たちの訓練でさえ、レオンや他の誰かに任せていたはずなのに。

 「少し相手をしてみたくてな」

驚いたことに、クラヴィスは自分の剣を提げていた。

 「どうだ」

 「そりゃ、いいけど…」

イヴァンは、父が着ているガウンを脱いで剣を抜くのを信じられない気持ちで眺めていた。

 「いくぞ」

互いの剣の先を軽くあわせて、一呼吸。十年もの空白を感じさせない鋭い一閃が繰り出される。

 打ち合わされる鋼の音が心地よい。クラヴィスの眼は、真剣に打ち返してくるイヴァンのほうをじっと見据えている。

 互いに一言も発しなかった。その必要も、また、その隙もなかった。刃の鳴る音が全てを物語っていた。


 どのくらい、そうしていただろう。

 ふいにクラヴィスは剣を引いた。玉のような汗が額を流れ落ちている。

 「強くなったな」

イヴァンのほうも同じだ。汗を拭い、彼は答える。

 「まだまだだよ。――つか、親父に相手してもらったのって初めてだな」

 「そうだったか?」

 「俺が剣持つようになった頃は、もう親父ここに来てなかった。剣術の練習なんてしなくていいって、いつも言ってたし」

 「ああ…そうか。」

クラヴィスは、自分の手元に視線を落とし、それから、再びイヴァンのほうを見た。

 「イヴァン」

 「ん?」

上着を拾いに行こうとしていた彼の目の前に、剣が鞘ごと投げて寄越される。彼は危うく取り落としそうになりながら、すんでのところでそれを受け止めた。

 「わっ、と。何だよ、これ」

 「持って行け。」

それだけ言って、背を向ける。イヴァンは慌てた。

 「いや待てよ、持ってけって、これ…」

 「その昔、先代王に賜ったものでな、わしが若い頃に使っていた」

 「は?! それ、すげぇ大事なもんなんじゃ」

 「大事だとも。だから絶対に無くすんじゃない」

至極真面目な声で言ってから、クラヴィスは、少し声色を緩めた。

 「…今のお前なら、そいつを使っても遜色あるまい」

 鞘から引き出してみると、それは白銀色の刃を持つ、美しい刀身の真っ直ぐな剣だった。通常の剣にしては少し短く、だが刃の厚さはさほどでもない。柄に近い刃の表面には、サーレ伯領の紋章がうっすらと刻み込まれている。長いこと使われていなかったわりには良く手入れされていて、錆も刃毀れも一切ない。 

 「右手用か。」

軽く振って、握りごこちを確かめる。かなりの業物のようだ。今まで使っていたものとは雰囲気が全然違う。

 「それを使って、お前の守りたいものを守れ。いいな」

 顔を上げた時には、クラヴィスはもう、ガウンを拾い上げて去っていこうとしているところだった。

 姿が見えなくなるまで、イヴァンはずっと、その背中を見つめていた。

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