第29話 アストゥールへ

 ぱちぱちと木がはねて、火が揺らめく。

 森を歩き始めて、既に数日が経過していた。追ってくる者はいないが、辛い旅路だ。いずれにせよ、明日には国境となっている渓谷の近くに出るはずだとエギルは言う。

 「灰色の谷。あそこのことを、リンドはそう呼んでいる。…あの向こうに住む人間のことは、知らなかった」

 「俺もこっち側のことは全然知らなかったよ。いやー、まさか、こんな近くに人が住んでたとはなぁ」

 「あまり、近くは…ないと思いますよ」

ティアーナは、ブーツを脱いで豆だらけになった足をさすっている。

 「うまく吊橋が見つかるといいんですけど。はあ…」

 「ま、谷に沿って歩いてりゃ見つかるって。心配すんなよ。あとちょっとだろ」

森に馴れているイヴァンでも、少しは疲れたと思うほどだ。ティアーナやアルヴィスは、ほとんど気力で付いて来ているようなものだ。

 「なぁ、エギル。落ち着いたら、うちに招待するよ。こっち側の問題が片付いたらな」

 「…ああ。」

 それから、するりと立ち上がった。

 「周りを確認してくる。」

長い尻尾を揺らし、彼は暗がりの落ちる森の中へ迷わずに消えていく。夜目が効くというのは、こんな時は便利だ。


 アルヴィスは、焚き火の側で手帳を開いている。

 「日が暮れる前に山が見えた。先生の地図に書かれてる目印の山だとすると、ここから真っ直ぐ東へ向かえば吊り橋のはずだよ」

 「では、エギルの言うとおり明日にはアストゥール側へ渡れるんですね」

 「そのはずだ。」

 「……。」

吊り橋を渡れば、すぐそこが国境のサーレ辺境伯領。イヴァンの慣れ親しんだ土地だ。それが何だか、かえって実感が沸かなかった。

 「わっ、アル! 何をしているんですか」

 「ん?」

視線を戻すと、アルヴィスが荷物の中から包みを取り出して、細長い金属の筒を並べている。黄色い粉の入った包みも一緒だ。

 「あ、危ないですよ…」

 「大丈夫。勝手に爆発したりはしないから。少しでも構造を把握しておきたくてね」

言いながら、彼は器用に筒を分解し、中身を広げている。

 「…うん、思ったとおりだ。これと、あの爆弾の原理はほぼ同じ。」

 「どういうことです?」

 「クロン鉱石を生成したものが、この黄色い粉。これは火に触れると瞬間的に気化して爆発的な威力を発揮する。この筒は、その威力を利用して鉛玉を打ち出すもの。爆弾の方は、導火線に火をつけて放り投げて、導火線が燃え尽きたら爆発するっていう仕組み。たぶんね。イヴァン、この筒に粉を詰めてるところを見たんだよね?」

 「ああ。棒でせっせと詰め込んでたな」

 「そのあとで鉛玉を入れて、着火する。――命中力はそう高くはないし、一発ごとに準備するのも大変だろうな。至近距離での威力はかなりものだが、こっちはあまり重要な武器じゃない。」

 「とすると、問題は爆弾の方――ですか?」

 「うん」

アルヴィスは、真顔で頷いた。

 「そっちの実物は、手に入れられなかった。だけど、おそらく、かつて”竜の牙”と呼ばれていた武器と同等のものだと思う。ヴェニエルたちがどのくらいの数を揃えてきているかによって、戦局が左右されそうだな」

 「どうすんだよ。もし、あんなのが大量にあったら。」

 「仕組みがわかれば、対応策はあるよ」

そう言って、彼は不敵に微笑んだ。

 「クロン鉱石は水に溶けやすい。水をかけてしまえば、粉は液体になってしまって爆発の威力が落ちるはずだ」

 「へ? そんなんでいいのか?」

 「うん。簡単でしょ」

 「さすがです、アル」

筒を下ろした彼の表情は、しかし、語る言葉とは裏腹に厳しい。

 「――ただ、うまく改良して中身が濡れないように作れるようになったら、その時は…量産できるなら、これらは熟練の騎士でも確実に殺せる武器になりうる。…このまま行けば、戦争のあり方が一変する」

 「一変する? それは」

アルヴィスは、ひと呼吸置くと、ゆっくりと口を開いた。

 「端的に言うならば、――いずれ、”騎士”や”剣士”が役に立たない時代が来ると言うことだ。熟練した兵士も必要ない、誰でも簡単に人が殺せてしまう、そんな時代がね」

 「――……。」

イヴァンも、ティアーナも絶句していた。

 アルヴィスの言いたいことの全てが分かっているとは思えない。ただ、「”騎士”や”剣士”が役に立たない時代が来る」という言葉だけは、ずしりと心の中に重たくのしかかった。

 「あ――で、でも、アストゥールに戻って兵を送って、こちらのクロン鉱石の鉱山を閉鎖させれば、もうこの武器は作られなくなるはずですよね」

慌ててティアーナが言う。

 「本来、取引は禁止されているんです。私たちの使命が果たされればもう、心配は無くなるはずでしょう?」

 「…当面はね」

曖昧に言って、アルヴィスは口を閉ざす。火が揺れる。

 彼の卓越した頭脳は、きっと何か、遠い未来のことを考えているのだ。それはまだ、はっきりと言葉にして表現するには至らない、漠然とした予測のようなもの。

 イヴァンはその横顔を、知りたいような、知りたくないような複雑な思いで見つめていた。


 エギルが戻って来た。

 「――お前たち、どうかしたか?」

 「いや。何でもないよ」

元の場所に座って火をかき回し始めた獣人の青年の横顔に、濃い陰影が現われる。色鮮やかな、房飾りのついた帽子の下から、尖った耳が垂れている。

 「エギル。あんたとも、明日で一度お別れだな。寂しくなる」

イヴァンが言うと、エギルは、ちょっと肩をすくめた。

 「また会える。『オーヴェルル』、――風がそう導けば」

 「それは、リンドの言葉?」

 「そう。木々のの友たる風が、えにしを運ぶ。花の種を運ぶように。お前たちが、あのよそ者たちをお前たちの国へ連れ戻してくれるのを待っている」

 「必ずそうする。クロン鉱石の採掘は止めさせる。ただ、森はすぐには元に戻らないかもしれないけど…」

 「問題ない」

彼はそっけなく言った。

 「時間はかかっても、森は必ず元に戻る。火事があっても、土砂崩れがあっても。十年は森の一眠りの間。百年は一週間」

 「……。」

 「そろそろ寝るといい。明日は夜明けとともに出かける」

火がはねて、暗い夜が迫ってくる。枯れた落ち葉の上で、木々の根元に眠るのもこれが最後。

 イヴァンは、木の葉の間から見える星空を見上げた。

 明日には家に、――ほぼ半年ぶりに戻れる。




 最初に見えたのは灰色の岩壁。それから間もなくして、どこからともなく轟くような水の流れる音が耳に届いた。先を歩いていたエギルが振り返って指さす。

 「あれが、灰色の谷。お前たちの国はあっち側だろう?」

 「そう。パレアル渓谷だ」

イヴァンは頷いて、辺りを見回した。「うちの館から見えてた山脈もある。たぶん、そう遠くない。ここからなら道は分かる」

 「では、案内はここまでだな」

言って、エギルはもと来た道のほうへ歩き出す。

 「エギル! ありがとう」

 「本当にありがとう。約束は守るわ」

 「……ああ」

長い尾をゆらりゆらりとくねらせながら去っていく背は、あっというまに森の中へと消えた。

 「さて。ここからか。イヴァン?」

 「ああ。もう少し、川下のほうかな。橋はたぶん、関所のあたりのはずだし――おっ」

目を凝らしていた彼は、小さく声を上げて崖沿いに駆け出した。

 「多分あれだ! ほら」

 「本当だ」

ほんの目と鼻の先のあたりに、切り立った崖の上に張り渡された、ほとんど糸のようにしか見えない橋らしきものが見えている。大きくたわんで、今にも落ちてしまいそうだ。

 「あんなところに…。随分、近かったんだ」

 「でも、あれを渡るんですか? 渡れるんでしょうか…」

 「馬で通過する奴だっているんだぞ」

言いながら、イヴァン自身、それが信じられなかった。国境の砦でつけられている通行の帳簿では、馬車の通過もあると書かれていたが、遠目に見ている限りは、とてもそんな重量を載せられるようには見えないほどだ。それどころか、体格のいい人間が渡るだけでもひどく揺れそうだ。

 (けど、…そうか。国境…、サーレはエギルたちの森と繋がってるんだ)

子供のころから当たり前のように、ずっと眺めていた国境の渓谷と山脈。それが何を意味していたのか、彼は今更のように思い知った。

 国境があるということは、そこを越えれば別の国だということ。

 知らない世界へ続く道は、すぐそこに、常に目の前にあった――ただ、誰もそこを敢えて越えてみようとはしていなかった。まるで世界の果てのように思ってた。


 それが間違いだったことを、今は知っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る