第27話 獣人たちの住む森

 獣人を連れて元の川べりに戻ったとき、真っ先に食って掛かってきたのはティアーナだった。

 「戻りが遅いから、探しに行こうかと思ってたんです。」

言いながら、ちらりとエギルのほうを見る。

 「あまり遠くへ行かないでって言ったのに。…一人で、リンドの村まで行って来たんですか?」

 「いや? こいつは、すぐそこで出会ったんだ。」

 「無事でよかったよ」

心なしか、アルヴィスのほうもほっとした表情になっている。

 「それで――その人は?」

 「ああ。エギルっていうらしい。もう一人ちっさいのがいたけど、そっちはどっか行っちまった」

 「あれは妹、エルルだ」

ぶっきらぼうな口調で、獣人は答える。「先に村に帰らせた」

 「村? あ、じゃあ、この近くに村があるんだね。僕らは、そこに行こうとしていたんだ」

 「よそ者、村には行かせない」

エギルは、むっとした口調だ。

 「おれは、お前たちを森から帰らせるために来た。よそ者にウロつかれたくない」

 「つれないな。ま、こっちも目的が果たせれば帰れるんだ」

イヴァンは、エギルの警戒した態度を気にした様子もなく、そこらの木の葉を集めて積み上げている。

 「…何してる」

 「いや、火を起こそうかと。村には連れてってくれなさそうだし、今夜はここで野宿かなって」

 「……。」

エギルは、何か言いたげな顔をして見下ろしている。

 「話、続けててくれていいぜ。あ、アル、こいつに俺らが探してるもののこと説明してやってくれよ」

 「ああ、そうだね。…エギル、僕らはクロン鉱石というものを探してる。黄色い色をしていて、水をかけると溶ける。火をつけると燃えて、少し嫌な臭いがする。そういうものを掘り出してる人間を見たことは? 僕らと同じような姿の人間が、こっちに来ているはずなんだ」

 「見たことは、ある」

男は、言ってアルヴィスとティアーナを見比べた。口元に伸びた長い髭が、喋るたびに上下にぴくぴくと動く。ヤマネコに似た獣の目は、警戒の色を弱めていない。ただ、少なくとも、明確な敵意らしきものは感じなかった。

 「お前たち、そいつらの敵だという話だ。見つけてどうする? 数は多い。捕まえられると思えない」

 「もちろん、私たちだけで捕まえるわけではありません」

と、ティアーナ。

 「彼らがこちらでどのくらい入り込んでいるのか、どこで活動しているのかを知りたいんです。それを王国に知らせます」

 「王国――谷の向こう側の人間たちの国、か」

 「そうです。私たちは、そこから来ました。」

エギルは、何か考え込んでいる。

 「あいつらを連れて帰ってもらえるなら、うれしい、が…」

 「何か問題が?」 

 「”燃える石”、取引している村がある。…おれたちのところは拒否しているが、他の村は、お前たちを嫌がる、思う」

 「リンドの村は幾つもあるのか」

イヴァンが、顔を上げて尋ねた。

 「この辺りだけでも四つ。そのうちの一つは、完全に”堕落”してしまった」

そう言って、エギルは小さく首を振った。

 「酒のために森を売った。あそこの森はもうだめだ」

 「……。」

 「よっし、火が起きたぞ」

唐突に聞こえた明るい声に、三人は振り返った。イヴァンは地面に腹ばいになって、枯葉の間に息を吹き込んでいる。

 「相変わらず、器用ですね…あなた。どこで覚えたんですか、こんなこと」

 「森の村によく遊びに行ってたから、そこでさ。そこの木の枝取って。そう、それ。」

もくもくと煙が立ち上っている。大きくなった火を前に、イヴァンは荷物の中から鍋と器を取り出す。

 「エギル、あんたも飯食っていくよな?」

 「いや、自分の食料はある…」

 「それは取っとけって。一緒に食ってけよ。その代わり、明日は道案内頼むわ」

半ば強引に約束させて、彼は石で作った即席のかまどで鍋を火にかける。アルヴィスやティアーナはただ見ているだけだ。ほとんど手を出す暇が無い。

 アルヴィスは、困惑している様子のエギルを見上げて微笑んだ。

 「彼はいつもこんな感じだよ、気にするだけ無駄なんだ。こっちへ来て座って。何十年か前、僕の先生がこの辺りに来たことがあるらしいんだよ。メネリク・フォン・クローナ。この手帳に、君たちのことが書かれて、それで探しに来てみたんだよ」

 「メネリク…。」

エギルの尖った耳が、ぴくりと動いた。

 「知っているんですか」

と、ティアーナ。

 「……。そいつ、言葉教えてくれた。人間の言葉」

 「えっ、先生に会ったことがあるの?!」 

エギルは、小さくうなずいた。

 獣人は長生きだと聞いたことはあるが、アジェンロゥだけでなく、他の獣人でもそうなのだ。

 「メネリク、まだ生きてるか」

 「うん、だいぶ歳とっちゃったけどまだまだ元気だよ。そっか…、昔の友達がまだ覚えててくれたって教えたら、先生、きっと喜ぶね。あっ、そうだ。先生は、この辺りでエクルの花の咲いている場所を教えてもらったって言っていたよ。その花、まだあるのかな」

 「……ある」

口調はぶっきらぼうだが、最初の頃の警戒は解けている。

 「花、咲いている場所、”燃える石”掘ってるところ近い。行くなら、案内はする」

 「助かるよ! ありがとう」

 「……。」

 「ほれ、晩飯出来たぞ」

話に割り込むようにして、イヴァンが湯気のたつ鍋を叩く。

 「うわあ、イヴァン、料理も出来るんだね」

 「へっへっ。まあ、大して旨くも不味くもねぇ無難なやつだけどな」

 「………。」

エギルはいつの間にか、この三人のマイペースなやりとりに調子を狂わされたまま、飲み込まれていた。警戒したくとにも、相手がちっとも警戒させてくれないのだ。好意を向けられれば、敵意で返すことは難しくなる。

 「ほれ、あんたの分」

 イヴァンに差し出された皿に載っている、湯で戻した干し肉をくんくんと嗅と、エギルは、それをおそるおそる舌に載せる。

 「…あつい」

 「猫舌か? 適当に冷まして食ってくれ。あと固パンもあるぞ、ほれ」

 「ちょっとイヴァン、そんなに沢山。この先、何日歩くかも判らないのに…」

 「大丈夫だって。イザとなったらそのへんの木の実とか食えばいける。この森、うちの森と生えてるもんが大体同じだから、食えるやつは判る」

エギルは、イヴァンとティアーナを、不思議そうに見比べている。

 「イヴァンは、谷のすぐ向こう側に住んでいるんだよ」

と、アルヴィスが説明する。

 「だから、ご近所さんだね。」

 「…森の民、なのか」

 「まぁ、似たようなもんだな」

そう言って、イヴァンはパンを大きくちぎって口に放り込む。

 「歩き慣れていた。おれたちの罠も躱したし」

 「ふふん。そりゃそうさ。こちとら、森の中を駆け回って育ったからな。何なら、狩人と剣士で勝負してもいいぜ」

 「……。」

 「遊びに来たんじゃないんですよ、イヴァン」

ティアーナがたしなめる。


 日は暮れてゆく。森の中には、深い闇と、薄い霧がたちこめはじめていた。

 食事のあと、三人はめいめい、火を囲んで横になる。深い森の中では、星空も見えない。

 「ひっさしぶりだなー、外で寝んの」

伸び伸びしているのはイヴァンだけだ。

 「これ、寝てる間に…虫が…うう」

 「わあ、落ち葉がふかふかで面白いね、これ。先生の温室よりずっと」

 「…ぐう」

 「うわ、この男、もう寝てますよ。信じられない」

 「あはは。僕らも寝よっか。それじゃおやすみ」

 「…はい。…私は、適当に周囲の見張りでもしています…。」

エギルの姿は、いつの間に消えていた。食事の後、木登りをしていたから、木の上にでも隠れて眠っているのかもしれない。

 リンドガルトでの初日の夜は、こうして過ぎていった。




 翌日、戻ってきたエギルとともに三人は、日が昇るのと同時に歩き始めた。先頭を歩くのは、道案内のエギル。ティアーナとアルヴィスが続き、最後尾がイヴァンだ。

 木々が鬱蒼しているせいで空は見えないが、いい天気のようだ。

 「”燃える石”が掘り出されてる山は、ここから遠い?」

 「遠くは無い。今日中には着く」

先を行く青年の長い尻尾が、ゆらゆらと揺れている。

 「見たければ、見える場所はある」

 「見える場所?」

 「こっちだ」

岩を乗り越えたところで足を止め、エギルは方向を変えた。

 眩しい光が木立の間から差し込んでいる。目の前には切り立った崖があり、向こう側には深く切れ込んだ渓谷がある。上り坂の道だと思っていたが、いつの間にか、こんなに高いところまで登って来ていたのだ。

 「こっちが、おれたちの村のある森。――あっちが、お前たちと同じ人間が掘ってる場所だ」

そう言って彼は、渓谷の向こう側に広がる赤茶けた大地に指を向けた。 

 ひと目見ただけで分かるくらい風景が二分されている。小さな渓谷を境にして、広がる風景は全く異なっているのだ。今いる側は豊かな緑に覆われているのに、向こう側は、ほとんど草木の生えていないむき出しの大地。

 それも、最近になって木々が枯れ果てたように見え、渓谷の水は黄色く濁っている。


 アルヴィスは表情を曇らせた。

 「…水が汚染されている」

手を翳したイヴァンは、鼻をひくつかせる。

 「それに、この臭い」

忘れるはずもない。記憶の中に染み付いた、クロン鉱石の忌まわしい臭いだ。

 「お前たちの探しているものは、この先にありそうだな」

と、エギル。

 「行こう。昔メネリクを案内した、花の咲く場所もすぐ近くにある」


 そこから先の道は下り坂になった。渓谷に向かって降りていこうとしているのか、水の音が近づいてくる。

 それとともに、先頭を行くエギルの足取りは慎重になり、歩みは遅くなっている。彼は何も言わないが、漂う緊張からして、誰かに見つかることを恐れているようだった。それが別の村に住むリンドなのか、アストゥールから来た人間なのかは判らないが、少なくとも彼は、ここでは姿を見られたくないと思っているようだた。

 「…臭いが近づいて来る」

アルヴィスが呟く。

 「この辺りはまだ、人間の歩いた気配はそれほど無い。誰もいないと思うぞ」

最後尾のイヴァンが言った。黄土色に濁った水が流れてくるのは、もっと上流の方からだ。そちらに、鉱石の採掘場があるのだろう。

 アルヴィスは、足元を注意深く見つめながら歩いている。クロン鉱石による汚染土の実体を目の当たりにしたのは、これが初めてなのだ。アストゥールでは、もう長いこと鉱石の採掘も、所持も禁止されている。かつて汚染されていた土地も今はほとんど元通りになっているから、記録に残る内容しか知らなかったのだ。

 だが、まさかこれほどとは。

 川べりの土は黄色く変色し、水辺の草木が立ち枯れ、苔すらも生えていない。記録から想像していたよりずっと悲惨な状況だ。これが何百年も続くのだと思えば、使用が禁止されたのは当然と思われた。

 「…クロン鉱石の汚染。記録でしか見たことが無いけど、予想以上だ。」

彼は、ぽつりと呟いた。

 「こんなこと、早くやめさせないと」

アルヴィスは、足を滑らせないよう慎重に周囲の枝などを掴みながら、谷底の水に視線を向けている。

 「ここの下流はずっとこんな状態なんだろうか。だとしたら、汚染による森の壊死の範囲は――」

半ば独り言のように呟きながら歩いていた彼は、はっとして足を止めた。

 同時に、エギルが立ち止まる。

 「ついた。」

 「エクルの花――」

それは、この風景の中では異質なものだった。アルヴィスが見ている先には、白い花の咲く広場が見えている。他の、全ての植物が立ち枯れているにも関わらず。

 近づいて、アルヴィスは花を調べた。それは確かに、かつて彼がリーデンハイゼルの公園に植えていた、あの花だった。一つの株に白いつぼみが幾つもついて、いい匂いを漂わせている。流石に少し弱っているようには見えたが、この汚染地域の中で生き抜いているのは間違いない。

 「こんなところで咲けるなんて…。不思議ですね」

ティアーナが花を覗き込む。

 「もしかしたら、特別にクロン鉱石の汚染に強いのかも。ほかの木はみんな弱ってるのに」

アルヴィスのほうは、花弁をひっくり返し、葉の形や触り心地を念入りに確かめている。

 「でも、間違いない。僕の知ってるエクルの花と一緒だ。先生が品種改良していたのは、もしかして、このことを知っていから…」

それは小さな発見であると同時に、奇妙な符合でもあった。

 「石を掘ってる場所は、ここの、すぐ上流だ」

と、エギル。

 「静かにしていろ。見つかると、厄介」

ひくひくと鼻を動かし、眉を寄せる。

 「――風向きが変わった。急ぐぞ」

彼の言ったとおり、再び歩き出すと、上流のほうから強烈な臭いが流れてきた。

 「うえ…。なんだこりゃ」

イヴァンは顔をしかめ、急いで口元を袖口で覆った。

 「この匂い、うちの村まで流れてくる。みんな嫌がってるが、こっちの村の奴ら、止めない。おれたち見ると攻撃してくる。良くない連中だ」

そう言ってエギルは弓を取る。いつでも迎撃出来るように、ということだ。同じ獣人でも、村ごとにそれだけ違う、ということなのか。


 辺りには木も草もなく、身を隠す場所に乏しい。四人は、地面に腰をかがめながら、そろそろと歩いていく。

 やがて行く手に、仮ごしらえのような木の柵が見えてきた。薪を燃やすための台が作られ、見張り台のようなものもある。その向こうには、テントのようなものが張られた集落が出来ている。

 「あれが、クロン鉱石の採掘場?」

 「そう」

エギルがうなずいた。

 「…にしても酷い臭いだな。よくこんなところで働ける」

臭いは、石のせいだけとは思えなかった。生ゴミや、排泄物のような臭い。集落の中がどのような状況になっているかは、この臭いだけで想像がつく。あまり近づきたくない場所だ。

 「あそこで働いているのは、リンドなんですか? それとも、私たちのような人間?」

 「リンドだ。村ひとつぶん。百人くらいは」

そう言って、エギルは、手元に視線を落とした。

 「最初は、何をしてるのか分からなかった。迷い込んできたよそ者が住み着いただけかと思ってた。あいつらが、山を掘り起こし始めるまでは…」

 「よそ者は、別の場所にいるんですか」

 「そうだ。港にいる。おれたちの村の近くにも来る。入れないよう、見回りしてる」

エギルは、語気を強めた。

 「あいつら勝手に森を歩き回る。…お前たちも仲間なら、叩き返してた」

 「あー、それで見回りして、罠まで仕掛けてたのか。成程なあ」

イヴァンは、納得したような顔だ。

 「ここで掘り出した石は、港から運び出しているんだよね? どうやって港まで運ばれているんだろう」

と、アルヴィス。

 「担いで運んでいるのを見たことがある」

 「港の場所は?」

 「分かる。」

 「そっちを調べたほうが良さそうだな。――案内してもらえないかな?」

アルヴィスが言うと、エギルは少し戸惑ったような顔になった。

 「駄目なのか?」

 「いや、…港のあたりは、隣村の領地。長に会わなければならない。」

迷うようなそぶりをみせ、しばらく考え込んでいたエギルだったが、やがて、決意したように顔を上げた。

 「…挨拶行く。いいな」

 「うん。お願いするよ」

リンドの青年は頷いて、腰を低くしたまま元来たのとは別の方角に向けて歩き出した。イヴァンたちも後を追う。村に案内してくれるというのだから、少しは信用してくれたのだと思いながら。




 エギルに案内されてたどり着いたのは、最初に通ってきた道とは別の道でたどり着いた、森の奥の湖のほとりにある小さな村だった。どこをどう辿ったのか、さっぱり分からない。思ったより近かったような気もしたが、坂道をいくつも越え、登ったり下ったりしてここまでやって来た。案内が無ければ、元の場所に戻れる自信は無かった。

 村に入っていくと、入り口いた大人たちが警戒した視線を向けて来た。興味津々の子供たちが近づこうとするのを手で押さえ、何かひそひそと話し合っている。

 無理も無い。彼らの村のすぐ先で、鉱石の採掘のために山が荒らされているのだ。

 エギルがリンドの言葉で何か説明すると敵意は収まったが、それでも、不審げな目つきは変わらない。


 村の周囲には、森の中で見たのと同じような精巧な石積みの壁が作られており、家々の合間には見張り台らしきものがあった。無人ではなく、その上には人の影がある。村の反対側にある見張り台も同じだ。それに、家々の入り口には弓が――大型の獣でも追うような弓がかけられており、いつでも取り外せるよう、矢筒も短剣も側にかけてある

 「ずいぶんな警戒ぶりね」

見上げたティアーナが呟く。

 「この数年、よそ者がたくさんやってくるからだ」

先頭をゆくエギルが言う。

 「ここは港に近い。だからよそ者も多い。村どうしの小競り合いは昔からあったが、夜中に攻めてくるようなことはなかった」

 「…ごめんね」

 「お前たちが謝ることではない」

口調はぶっきらぼうだが、最初の頃の警戒は既に薄まっているようだった。

 「ここの村の長のところに行く。こっちだ」

 ついていくと、村の中心に掘られた井戸のすぐ側に、村の中では珍しい二階建ての建物があった。家も、土台の部分だけは石で作られ、屋根には大きな木の葉を何枚もかぶせてある。小さな簡素な家だが、入り口には鮮やかな色の織物がかけられており、屋根もきちんと手入れされている。

 エギルは入り口に立っていた人物と言葉を交わすと、二階へ上がるよう客人たちを促した。


 建物の中は、太い木の柱と梁で支えられていた。部屋と部屋の間は布で仕切られ、花とも果物ともつかない香りが漂っている。主らしき人物は、窓辺に置いた椅子の上に座っていた。長い尾には重たそうな木彫りの輪がいくつもつけられ、丸い大きな耳の先にも鈴のような飾りが垂れ下がっている。

 エギルは椅子の前に立つと、何か言って腰を曲げた。見よう見真似に、イヴァンたちも同じことをする。

 老人は、ちらりと三人のほうを見、それからエギルと何か話し始めた。彼ら本来の言葉なのだろう。イヴァンたちには何を言っているのかはさっぱり分からない。

 ややあって、エギルが振り返った。

 「港へ行ってどうするのか、と聞かれてる」

 「船がどこから来ているのか調べたいんです」

と、アルヴィス。

 「僕らの国の、どこから来ているのか。誰が指示を出しているのか。ここから運び出されたクロン鉱石――”燃える石”が、確かにその船に乗せられていることを確認したい。そうすれば、国に帰った時に、船の到着する先で待ち構えて捕まえられる」

 「捕まえて、どうする」

 「裁判にかけることになる。石の持ちこみは、国では禁じられている。この取引を止めさせたい。」

 「……。」

エギルは再び、老人に何か説明を始めた。老人は小さく何度も頷いて、ちらりちらりとこちらを見ている。

 しばらくして、話し合いが終わった。

 「長は、お前たちを信用してもいいと言っている。明日、港まで案内する。」

 「助かるよ」

ほっとした顔になって、アルヴィスは長に向かってお辞儀した。

 「ありがとうございます」

 「今夜は泊めてもらえるそうだ。この家に泊まれ」

 「じゃあ、今夜は野宿しなくてすむんですね」

テイアーナは嬉しそうだ。

 「久し振りに屋根のあるところで休めます」

 「うん。良かった」

もう、日は暮れてずいぶん時間が経っている。

 さっきまで外で騒いでいた子供たちの姿はいつのまにか消え、村に見える明かりは、家々から漏れる僅かな光と、見張り台に燃えている篝火だけだ。

 「寝床はこっちだが――」

 「俺は少し外を見てみたい。」

と、イヴァン。

 「構わないが、歩き回るのは村人が嫌がる」

 「遠くに行きたいわけじゃない。ちょっとな、空でも見上げたいだけだ。何なら一緒に来いよ」

怪訝そうな顔をしたものの、エギルは黙ってイヴァンの後に続いた。

 家の外に出ると、イヴァンは階段の踊り場で大きく体を伸ばした。

 「ふー、いい風だ。やっぱ海より森のほうがいいなぁ」

 「お前の森は、この近くだと言っていたな」

 「おう。いいとこだぞ。渓谷のこっち側に来たのは初めてだけど、こんな面白いとこなら、もっと早く来てみれば良かったなあ。」

彼は笑って、エギルのほうを振り返った。

 「なぁ、あんた、俺たちのことを結構あっさり信用してくれたんだな。しかも交渉まで協力してくれてさ。何でだ?」

 「お前たちが、あいつらの敵だと言っていたからだ。利用できるものはする」

 「けどさ、リンドの村の中には、あっちの連中に味方してるのもいるんだろう?」

そう言うと、エギルの表情は僅かに暗くなった。

 「…堕落した村のことは言いたくない。あいつらは森を売った。森に生きる者でありながら」

 「どうしてなんだ? 酒ったって、酒なんか森でも造れるだろう」

 「よほど美味い…酒らしい。そこの村長がハマッた。男たちはみな酒に手を出した。今削られている、あの山のあたりは、もとはその村の領地だった」

彼は暗い森の、今日歩いてきた方角に視線をやる。

 「燃える石のことを教えたのも、あいつらだ」

 「武器や果物を売っているのも、そうなのか?」

 「ああ。村はずっと上流のほうに移動した。石を掘り出すために川が汚された。だから、それより上流に行った。…それでも、下流の森は死んだままだ。他所の村まで迷惑かけてる、なのに話も聞かない。このままでは、森が全て殺される。おれたち、生きていけなくなる」

エギルの口調は憎しみに満ちて、どうしても許せないという深い怒りが感じられた。その気持ちは、イヴァンにも良く良かった。

 故郷の森が生きるか死ぬか。その瀬戸際なのだ。

 「…何とかする」

彼は、きっぱりとした口調で言った。

 「俺の森も、昔、あの石のせいで燃やされたことがある。必ず犯人を突き止めてやる。」

 「……。」

何も言わず、エギルは部屋の中に戻っていく。

 イヴァンは、踊り場に立ったまま、澄んだ夜空を見上げた。木々に隠されてここ何日か見えていなかった星空が、村の上に、見たことの無い星座を描いて広がっている。

 (ここはいい森だ。この件が終わったら、また、ここに来よう)

彼は微笑んだ。

 自室のある塔からずっと眺めていた、何もないと思っていた谷の向こうの山脈と森。その奥に、実は昔か見知らぬ人々が暮らしていたのだと、今では知っている。

 知らなかったことを知るたびに世界は広がっていく。そして、やりたいと思うことも、未来の選択肢も、増えていくのだ。

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