【幕間】 ~アステル・リオルネット~
稼ぎが不安定で家計も苦しいはずなのに、王都の騎士学校に入るよう強く要望したのは、父だった。将来のためだから、と。
その将来を具体的に描けないまま、十六歳の彼は一人、全寮制の学校へと旅立った。
アステルの家は、代々騎士の家柄だった。――多分、そのはずだった。
はっきりしないのは、先祖から受け継がれた甲冑やら剣やら装飾品やらが家計の足しにするために次々と売り払われてしまい、今では何も残っていないからだ。あるのは父の証言だけで、それすらも彼は怪しいと思っていた。
父は、酔うとと必ず口癖のように「ご先祖様は大帝国エスタードの騎士だったんだ」と自慢する。だが、エスタードという国があったのはアストゥール王国が出来るよりも前、七百年も昔の話で、現状を思えば、そんな由緒ある家系だとは到底信じられなかった。
家は村はずれの小ぢんまりとした借家で、臨時雇いの騎士稼業だけでは食べていけないからと、猫の額のほどの畑も借りている。しかしそこを世話するのは主に母の役目で、父は、あまり人前では農作業をしたがらなかった。
自分はあくまで騎士だという矜持ゆえ、だ。
けれど母一人ではとても力仕事までは間に合わず、アステルも時には畑を手伝った。父に見つかると嫌な顔をされるので、見つからないように、だが。剣を振るうのも鍬を振るうのも、大差ない。家の仕事を賄ううち、体力だけはついていった。
アステルの一家が住んでいる村は、三つの領地が接する場所にあった。
雇われ騎士の父に来る仕事は大抵が、それら三つのうちのどれかからだった。領主が雇い人を一時的に増やしたい時に呼ばれる臨時雇いの仕事。それは、単に剣術の心得があり、一定の教養があれば誰でも勤まるような仕事ばかりで、特に騎士である必要など無かった。雇われる側は、単なる頭数としか見られていない。父の腕や素質が買われているようにも思われなかったが、本人はそんな現実を見ていないようだった。
「騎士として生きろ」
父はひたすらそう言って、アステルにも幼い頃から剣術を仕込んでいたが、本人には仕事のこだわりなど無かった。ただ、将来就くのなら父とは違う、安定した稼ぎのある定職に就きたいと思っていた。家には、まだ幼い妹がいた。せめて妹の分くらいは自分が稼ぎたかった。
入学した騎士学校は、思っていたものとは違っていた。
名前とは裏腹に、実際は農家の子だろうが商人の子だろうが、入学金の工面さえ付けば入れるような場所だったからだ。貴族や騎士の子弟が通う名門校だった頃の名残はあったが、それはあくまで伝統という埃を被ったものの上でのことのように思われた。
最初の剣術の授業の時、生まれてはじめて剣を手にするという同級生たちを見て彼は内心呆れた。おっかなびっくり、まるで危険物でも扱うように剣を持ち、よろよろしながらめくらっぽうに振り回している無様な姿に、一体どうして、わざわざ王都の”騎士”学校なんかに入学したのだろう、と疑問に思ったほどだ。
だがその疑問も、日が経つにつれて次第に解けていった。
彼らは中央で官職に就きたいのだ。或いは、官職ではないにせよ、中央で何か仕事を見つけられればいいという者もいた。純粋に、騎士という職業に憧れているだけで、現実は考えていない者もいた。
――結局は自分と同じなのだ。”将来のため”。親にそう言われて送り込まれて来ただけで、自分で選んだ道ではない。
ただ、中にはごく一部、本物の貴族も居た。
それに気づいたのは、入学してまだ数日しか経っていない頃のこと。オニールが教えてくれたのだ。オニールは、宿舎の部屋の相方で、二人部屋の向かいの寝台を割り当てられていた。
「…アジズ子爵の息子?」
「そうさ。正真正銘、子爵家の嫡男様だ。ま、金持ちのボンボンさ。奴に睨まれると学校にいられなくなるからな、覚えといたほうがいい」
ぼっさりとした髪の大柄な同級生は、だらしなく服を脱ぎ捨てる名人で、その日も寝台の周りをやたらと散らかしていた。アステルは眉を寄せ、毎朝食堂で見かける、やけに威張った様子の上級生を思い出していた。アジズ家の領地は実家の近くにあり、アステルの父も、一度くらいは雇われたことがあったはずだ。
「お前は騎士の家だっけ? 仕える家が決まってないんなら、気をつけな。」
「…ああ」
分かっている。そんなことは言われるまでもなかった。
領地を持つ”お偉い方々”の間でだけ取り交わされる噂というもの。噂はまるで空気のように広がって、あっという間に近隣の領地を覆い尽くす。ひとたび誰かが「あいつは使えない奴だ」と言い出せば、もう、近隣の他の領主たちにも雇って貰えなくなる。
家名と財力をひけらかし、取り巻きを従えて威張りちらすばかりのマルティン・ディ・アジズには吐き気がしそうになるくらいだったが、彼は我慢して従うふりをしていた。くだらない会話とバカ騒ぎ、気まぐれにつき合わされ、教師に隠れて酒を持ち込む日々。馬鹿馬鹿しいと思いながらも、なんとか笑いを取り繕って、調子を合わせる他は無かった。
――アジズ家の人間に睨まれれば、王都周辺での職は無くなってしまう。
父の臨時の雇われの仕事すら来なくなるかもしれない。だから――
新学期の始まりには居なかった新入りが現われたのは、それから一ヵ月ほど経った後のことだ。
自分と同じように剣を持って、しかも二本も持って遅れて入学してきた同級生。運悪く入学早々にマルティンに睨まれたその少年は、言葉の僅かな西方訛りから、どこか西方の出身と思われた。
(この近くの出身じゃないから、マルティンに突っかかれるんだろう)
彼はそう思っていた。一緒にいた、小柄な赤毛の少年のほうは、死にそうな顔をして怯えていた。名前までは覚えていなかったが、確か…同じ西方の出身で、商家の出だったはずだ。
案の定、
しかし、結果は、予想外の展開となった。
剣術の授業と、その後に起きた騒動。そこで彼は、初めて相手が何者であるかを知った。
イヴァン・サーレ。
…何者も恐れない不遜な態度のその新入りは、辺境出身ながらマルティンと同じ”貴族”――それも、伯爵家の嫡男だった。
図書室で本を開いていたアステルは、机の端を軽く叩く音で顔を上げた。目の前に、校長のヘイミルの顔がある。
「勉強熱心なのは結構ですが、そろそろ消灯時間ですよ。」
「あ、はい。」
慌てて本とノートを閉じる。すぐに部屋に戻ろうとしたのだが、柔和な笑みを湛えた老教師は、立ち去ろうとするアステルに話しかけてきた。
「君、最近は以前の仲間たちと一緒にいないんですね」
「…え?」
「マルティン君たちですよ」
アステルは真っ赤になり、あわてて言いつくろった。
「アジズ先輩が療養中なので、何もすることが無いんです」
「ふむ、それで勉強を?」
「成績が良くないと、騎士団には入れないから…」
それは半分は本当であり、半分は嘘だった。同室のオニールがやたらと散らかす性で、部屋にいると落ち着かないのだ。
以前は何かとマルティンに呼び出されていたし、門限ぎりぎりまで夜遊びに付き合わされることもあったが、今は呼び出しもない。必然的に、空いた夜の時間をどこか別の場所で過ごす必要が出てきた。
部屋には、消灯ぎりぎりまで戻りたくなかった。
「騎士団に入りたいなら、君は剣術のほうを頑張ってもいいと思うんです。生徒たちの中では筋がいい」
「でも、練習相手がいないし…」
「イヴァン君に頼んでみればいいのでは? 彼も相手がいないようですから」
「…無理だと思います」
「どうして?」
「……。」
マルティンの手前、イヴァンと親しくすることははばかられる。――それに、出会い方は最悪だった。いい印象を持たれているはずもない。
「失礼します」
それだけ言って、彼は逃げるように図書室を出た。
校庭での騒動のことを思い出すと、今でも体が熱くなる。生徒たちの見守る中で、手も足も出ないままたった一人に負けた。密かに抱いていた、自分だってそれなりに戦えるはずだという自信など、跡形も無く打ち砕かれた。しかも相手は、自分の腕前を誇るどころか、倒したマルティンの手当てさえしようとしていた。
完敗だ。悔しいという気持ちさえも沸いて来ない。
剣の腕前だけではない、家柄も、人間としての余裕も、全てがはるかに上だった。自分が虚しくなってくる。一歳か二歳しか違わないはずの同級生に、こんな思いを抱く日が来るとは、思ってもみなかった。
部屋に戻ると、くちゃくちゃという不快な音が響いてきた。オニールが寝台に横たわり、本を眺めながらお菓子を口に運んでいる。
眉を寄せ、アステルは本を自分の寝台の横に置いた。部屋の掃除は各自がやることになっているのだが、オニールのせいでこの部屋は、いつだって散らかり放題なのだ。
「もう消灯らしいぞ。見回りが来る前に灯り消せ」
「あいよ優等生さん」
茶化すように言って、オニールは枕元の灯りに手を伸ばす。ちょうど廊下に、足音が響いている。巡廻の教師が、扉の下のすきまから漏れる光を確認して回っているのだ。闇の中で、ごそごそと寝台の上のものを寄せるような音がしている。
足音が通り過ぎて辺りが静かになると、オニールが口を開いた。
「マルティンは来週から授業に出るらしいぜ。出席日数足りなくてまた落第しそうだから、って。つか、別に怪我してても出られるだろって話だけど。」
「ふうん」
それを知っているということは、オニールはわざわざ見舞いにでも行ったのだろうか。アステルは、寝台の上で寝返りを打ち、天井を見上げた。媚を売る、あるいは将来のための人脈を作るつもりであれば、確かにそれが正しいのかもしれない。…嫌悪感を押さえてでも。
「お前、貴族はマルティン以外に誰を知ってる?」
「どうしたよ、いきなり」
「いや…。あのイヴァンって奴はマルティンとは随分違うんだなと思って」
「はぁ? 何、お前、本気でそんなこと言ってんの。」
オニールが寝台の上に体を起こす気配がある。
「伯爵ったって、サーレはたかが百年だぜ? 元は開拓民だ。しかも辺境の田舎もんだぞ」
「新興貴族だろうが爵位は爵位だ」
闇の中でも感じられるねっとりとした視線を避けるように、彼は毛布を顔までひっぱりあげた。
「――ま、田舎者ってのは確かにそうだろうな。オレの知ってる貴族とは全然違うから気になっただけさ。…もう寝るよ」
憤慨したような鼻息が隣で聞こえていたが、やがてそれも静かになった。オニールは寝付くのが早い。ただし寝起は人一倍悪いのだが。
毛布を被ったまま、アステルは、校舎の中ですれ違うイヴァンの姿を思い出していた。このところ、彼はあの赤毛の少年と何時もつるんでいた。だが、それはマルティンと自分たちの関係とはまるきり異なる、ごく普通の友達のように見えた。
(変わった奴だよな、あいつは)
言われなければ、爵位の高い家柄の出とは絶対に思えない。考えるほど、よく分からない人物だった。
いつしか意識の中で、その存在が特別なものになりつつあることを、彼はまだ、自覚していなかった。
イヴァンのほうから声をかけられたのは、それから何日も経たないうちのことだった。学校が休みの日、ぶらぶらしていた通りで呼び止められたのだ。初対面の印象の悪さは――もうすっかり忘れ去られていたようだった。
細かいことをいちいち気にしない性格なのだと気づくのに、そう時間は掛からなかった。それどころか、自身の家系の爵位も、身分も、全く気にしない。王国のことも、領地を持つ家の跡継ぎなら当然知っているべき基本的な法律さえ知らず、彼を唖然とさせた。
田舎者というよりは、世間知らずだ。
気がつけば、彼はその頼り甲斐の在りそうで無い学友のために、あれこれと世話を焼く立場になっていた。反面、マルティンとの関わりは、無くなっていった。
試験が終わると、生徒たちの表情に気楽な明るさが戻って来た。
あと一ヶ月もすれば、待ちに待ったお祭りの日がやってくる。一年で最も大きな祭り、建国祭だ。王都に来たばかりの生徒たちや遠方からの生徒たちの間ではその話題でもちきりだった。騎士学校の生徒なら祭りで何がしかの役割を与えられることもある。うまくすれば、最前列で祭りの行列を見られるはずだった。
(旗手の役を貰えれば、…騎士団に近づけるんだ)
それも、この学校に入学させられた理由の一つだ。行列の先頭で旗を掲げる旗手の役は、剣術の成績のいい生徒の中から選ばれる。それを知っていたから、アステルは剣術の授業で成績を残せるよう頑張ってきた。
上位に入れる自信はある。
ただ、彼は一年生だ。上級生たちのほうが優先されるのは間違いないし、それに、前年までの旗手は毎年、マルティンとその仲間たちが中心だったという話を聞いていた。
「おーい、アステル」
授業が終わり、教室を出ようとしたとき、イヴァンが近づいて来た。
「これ返す。ありがとな、すっげえ役に立ったぜ」
付箋を挟んだ、使い古された参考書。試験のために貸していたものだ。
「受かりそうか?」
「あーまぁ、なんとかなってるんじゃないかな…多分」
イヴァンは真顔で、自分にも言い聞かせるように言った。
試験勉強を手伝ったから知っているが、実技の試験はともかく、彼の座学の出来栄えは酷いものだ。だがそれでも、自分で何とかしたいという意志だけは伝わって来た。その点、家名と寄付金だけで何とかしようとするマルティンよりはずっとマシだ。
「ま、ダメなら追試があるさ」
それだけ言って本を受け取り、アステルは教室を後にする。
校庭の訓練場では、今日も放課後に自主的に鍛錬している生徒たちの姿がある。来年卒業する上級生たちは騎士団の入団試験のために剣術を磨き、この学校ではじめて剣を手にしたような下級生たちは、実技の授業についていくために努力している。
アステルは、そのどちらでもなかった。訓練に参加してみようという気が起きないのだ。授業外で剣を取るのは、イヴァンに誘われた時くらいのものだった。
本を手に、部屋に戻るために宿舎棟への渡り廊下を歩いていたアステルは、廊下の中ほどに立って校庭を眺めている男の姿に気が付いた。髪は真っ白だが、ぴんと背筋を伸ばし、微笑みを浮かべた中に抜け目のない眼差しを持っている。校長、ヘイミルだ。視線に気づいてこちらを振り返る男に、アステルは慌てて軽く頭を下げた。
「君はまたお勉強ですか」
ヘイミルは、アステルが手にしている本を見ている。
「いや、これは――イヴァンに貸してたやつです。試験のために」
「ほう」
言ってから、彼は思い出した。つい先日、図書館で話しかけられたときに、イヴァンとは無理だと話したばかりなのだ。
だが、ヘイミルはそんなアステルの動揺をさらりと受け流した。校舎内で起きることなどお見通しなのだろう。
「…いかがですか? 彼は。」
「いかがって言われても…。たまに絡みがあるくらいで、変わった奴だな、くらいしか」
「どのへんが変わっていると思いますか?」
「え?」
柔和な笑みを浮かべたまま、ヘイミルはじっとこちらを見つめている。曖昧な回答で誤魔化して去ることは許さない顔。アステルは、口元をもぞもぞさせながら視線を足元に落とした。
「なんていうか…、あいつは誰のことも気にしない。こだわるものが無いっていうか、違うな、こだわるものはあるけど、他人にそれを規定されたくない感じ…かな」
「ふむ」
「巧く言えませんが、多分それが騎士と領主の違いなのかな、って」
「なるほど。君らしい答えですね」
顔を上げると、男は校庭のほうに視線を向け直していた。
「君は騎士の家柄でしたよね。」
「ええ、一応…」
「私も昔は騎士でした。騎士というのは本来、仕えるべき主を持ち、主のために尽くすものです。主命によって規定される存在、と言ってもいいでしょうね。そして騎士に仕えられる領主は、王や領民との関係の中で自らを規定する。確かに立場は異なります。」
かすかに胸の奥が痛んだ。騎士を名乗る父は、仕える主をもたない。
「――ですが、今の騎士はただの職業軍人になってしまっています。主命を重んじる、昔ながらの騎士は数少なくなってきました。この学校の卒業生で騎士団に入る生徒たちですら、騎士を”定職”として思っていないですからね。かたや領主たちは、ただの特権階級に成り下がっている。従者は信頼によって得るものではなく、金銭で買う関係だと思っている者も多い」
「……。」
「それも時代の流れとはいえ、このままで良いかと疑問に思うこともあるのです。…私も古い人間ですからね。」
ヘイミルは口の端をゆるめ、言い訳するように小さく付け加えた。
「つまらない愚痴を聞かせてしまいましたね。忘れてください」
ぺこりと頭を下げ、アステルは急ぎ足にその場をあとにした。ヘイミルの言葉の一つ一つが、今まで考えないように意識の底に隠していたものに的確に突き刺さっていた。
(オレは、なんで騎士にならなくちゃいけなかったんだっけ…)
正直に言えば、稼ぎのためだ。だが、本当は判っていた。騎士になどならなくても、…剣術がなくても、定職に就くことなら出来る。
そうしなかったのは、…高い学費を払ってもらってまでこの学校に入ることを承諾したのは、父がそう望んだからだった。
いや、違う。
本当は、自分が、そうしたかったからだ。
剣術の稽古も、繰りかえし聞かされるうんざりするような先祖の話も、決して嫌いではなかった。父のこともそうだ。定職にも就かず、夢ばかり語って母を苦労させているような父を、それでも、彼はどこか誇りに思い、愛していたのだった。
祭りの旗手に選ばれたと知らされたのは、それからほどなくしてのことだった。
家に手紙を送ると、すぐに返事があった。興奮した様子で寄越された返事には、父の字で、家族みんなで祭りを見に行くと書いてあった。そんな旅費は何処から出すのかと呆れもしたが、自分の晴れ姿を家族に見せられるのだと思うと、妙に気分が良かった。少なくとも、学校に入れてもらったことは無駄ではなかったと証明できる。
――だが、その祭りは、思いがけない事件によって中断された。
国王の暗殺未遂。犯人の自殺。町は騒然となり、お祭りどころではなくなってしまった。
その騒ぎの中、一緒に旗手をつとめるはずだったイヴァンが姿を消した。無関係だとは到底思えなかった。
イヴァンが傷だらけになって戻って来たのは、事件の起きた翌日のこと。何をしていたのかと聞いても曖昧にはぐらかすだけで、校長のヘイミルも、詳しいことは何も言わなかった。
祭りの旗手を入れ替わっていたマルティンはその日のうちに学校から姿を消し、取り巻きのうちの何人かも、謹慎処分を言い渡されて姿が見えなくなった。同室のオニールもそのうちの一人だ。あとで聞いた話では、そのまま学校を辞めてしまったという。
何かが起きようとしていることに、彼は気づいていた。だがそれが何なのか、手がかりを知る者は周りには誰もいなかったのだ。
イヴァンが休学して半月が経とうとするころ、彼は、久し振りに武器屋通りに来ていた。
もともとこの通りに来るようになったのは、父の話に出てくる、かつて先祖が持っていたという――今は売り払われてしまって存在しない武器や防具が、中古品としてこの通りに飾られていたりはしないかと思ったからだった。そうでなくても、この通りには沢山の鍛治野武器屋や道具屋があった。その昔誰かが使っていただろう、古びた年代ものの甲冑などを眺めるのは、彼の密かな楽しみの一つでもあった。
歩いているうちに、彼は以前よく見に来ていた陳列棚のある鍛治屋の前まで来ていた。ハザル人の経営する店で、以前イヴァンと来た、あの店だ。
通りに向けられたショーウィンドウには以前と同じように豪華な装備品が並べられているが、ほんの少し品揃えが変わっている。一番上の棚の隅にあった、あの黒い剣も無くなっていた。
(売れたのかな?)
見上げていると、店の中で人影の動く気配があった。
「あれー、君、イヴァン君の友達の学生さんじゃない?」
見覚えのある、浅黒い肌の女店主が、カウンターから大きく身を乗り出している。
「あ、…どうも」
覚えていてくれたのだ。顔を上げてから、彼は店内にもう一人、お客らしい人物がいることに気が付いた。腰に下げた剣の金色の房飾り――、はっとして、彼は表情を硬くした。
中央騎士団の騎士だ。
「イヴァン君の友達? 彼に同年代の友達なんていたんですか、へえ」
騎士は、意外そうな顔でアステルをじろじろ眺めている。
「当然でしょ学生さんなんだし。あ、この子もいっぱしの剣士よ、イヴァン君の友達なら意外と強いかも。どう? 勝負してみる?」
「止めとくよ。学生相手に」
「またまたぁ。シーザ、あんた前にイヴァン君に負けたんでしょー? 知ってるんだから」
「なっ、…負けてはいない。こっちは盾も無かったし、あれは引き分け…」
二人ともイヴァンのことを知っているのだ。そう思った瞬間、アステルは二人の会話に割りこんでいた。
「あの」
店の入り口から一歩中に入る。
「あいつが本当は何処に行ったのか、知りませんか? 突然、休学するって言い出して。祭りの後、怪我もしていたし…」
きょとんとしてアステルを見つめた二人だったが、やがて、どちらからともなく気まずそうな表情になっていく。
先に口を開いたのはフィーのほうだった。
「何も聞いてない…か。まぁそりゃそうよね」
カウンターの上についていた肘を起こしながら、彼女はアステルを見つめた。
「その話は、あたしたちも詳しくは出来ない。でも、必ず帰ってくるから、信じて待っててあげて。」
「ま、帰ってきてもらわなきゃ困るんですが」
と、シーザと呼ばれていた騎士のほうが呟く。
「祭りの件絡み、…なんですか」
「それもあるし、それ以外もね。あたしたちも、ぜんぶ知ってるわけじゃないから…」
曖昧な返答ではあったが、それがすべてだった。はっきりしているのは、エデルも疑っていたように、休学の本当の理由は別にあるということだ。
(あいつ一体、何に関わってるんだろう)
ついこの間まで試験勉強が進まないと泣き言を言っていた級友が、急に遠い存在になったように感じた。
薄々とは判っていた。学校の中にいる間は机を並べていられても、外に出てしまえば、立場は全く異なるのだと。
本人が意識していようがいまいが、いずれイヴァンは、伯爵の肩書きと広大な領地を継ぐ。王国議会にさえ参加する資格を持つ大きな家の跡取りと、畑を借りて細々と食べているような貧乏騎士の長男が同じはずはない。
学校へと続く道をゆっくり歩きながら、アステルはぼんやりと考えていた。
肩を並べることは出来なくてもいい。でも、せめて後塵を拝せる場所くらいには付いて行きたい。手の届かない存在だと諦めていたくはない。どうすれば、そこへ辿り着けるのか。どうすれば、――この先も、あの危なっかしさすらある、妙に世間知らずな同級生と友達のままでいられるのか…。
その彼が、意外な形でイヴァンと再び王都で再開するのは、それからずっと後になってからのことだった。
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