第25話 海上の迎撃戦
宿に戻り、アルヴィスたちと合流して港に戻った時、港前には、先程までは無かった張り詰めた空気が漂っていた。さきほどまで賑やかだった市が、妙に閑散としている。
「ずいぶん、人が少ないですね…?」
と、ティアーナ。
「いや、さっきまでけっこう居たんだけどな。急に…あ」
宿を出て港へ向かおうとしていたとき、イヴァンは行く手に立っている見覚えのある一団に気が付いた。慌てて前を歩いていた二人の袖をつかんで、道の端に引っ張り込む。
「まずい。マイレの騎士たちがいる」
「マイレの?」
「ほら、あいつら」
港のあたりに、例の洒落た服を着た騎士たちが何人もうろついていて、何やら、抗議しようとする人々を無理やり追い返しているようだ。
「何をしているんでしょうか」
「分からない。でも、ちょうど僕らの乗る船の手前だ…」
アルヴィスは、港の端に停泊している先端の尖った細身の船を見やった。帆柱は三本で、外洋の波にも耐えられるよう甲板は高く作ってある。ただ、大きさは少し小ぶりで、あまり沢山の荷物を積むようには出来ていない。
しばらく隠れて様子を見守っていると、騎士たちが動き始めた。後からやってきた騎士と合流して何処かへ去っていく。ほっとして、イヴァンは隠れていた場所から抜け出した。
「どうして隠れなくちゃならなかったんですか」
「あいつら面倒なんだよ。何かと難癖つけてくるし、サーレ領の人間が嫌いらしい」
「そういうことか。…急いで出発したほうがよさそうだね」
三人は、急いで船に近づいた。港前は閑散として、開かれていた露天のほとんども撤収させられている。少し前までとは別の場所のようだ。
「こんにちは。船を出してもらえますか」
桟橋の端にいた船員は、眉を吊り上げてアルヴィスのほうを見た。
「ああ、あんたたちか。それが面倒なことになってな」
「面倒?」
「さっき領主様のところの家来が来て、今日は誰も船を出すなと言われたんだ。なんだか分からねぇが、誰か探してるみたいだったな」
「誰かって…」
三人は顔を見合わせた。まさか、自分たちのことか。だとすれば、さっきここへ来ていた騎士たちの目的は――。
「どうします、アル。」
「ここで足止めされている時間はない。僕らは出発しなければ」
「ううーん、中央の偉いさんから直々のご依頼なんで、それをもって船を出すことは出来るが…。そうなると、もうここじゃ商売が出来なくなる。わしらだって領主様にゃ睨まれたくないんだ」
しばらく考え込んでいたあと、アルヴィスは、きっぱりと言った。
「…わかった、報酬を上乗せしよう。ここで商売が出来なくなる間の損失を埋められる分だ。それで構わないだろうか」
「本当ですかい? それなら勿論」
船員は、ちらと町のほうを振り返り、騎士たちが視界の中にいないことを確かめてから、甲板への渡し板をあごでしゃくる。
「そうと決まれば、今のうちに早く中へ。船長と話してください。わしらは、船長の判断に従うだけなんで」
渡し板を渡ると、後ろで板が引き上げられる音がする。話はすぐに纏まった。甲板を走る音が響いている。船員たちが大急ぎで出港の準備を整えているようだ。
「いいんですか、アル。高くつくことになりますが」
「それしかないよ。彼らに迷惑をかけるわけにいかないし」
少し湿った狭い船室の中はひんやりとして薄暗く、潮の匂いがする。窓からは港のほうが見えていた。騎士たちが止めにくるかとも思ったが、そんな様子はない。出港しようとしている船があることには気づいているはずなのに、ずいぶんあっさりしているような気がする。
「錨を上げろ! 出港だぞ」
頭上で、さっきの船員の声が響き渡る。船体が揺れて、錨が巻き上げられる衝撃とともに景色がゆっくりと動きはじめた。
「なんとか、出港できそうだね…」
「そうですね。ここから目的地は、どのくらいですか?」
「五日ほどだ。船長には、なるべくアストゥールに近いあたりで降ろしてもらえるように言ってある。そろそろ大丈夫かな、外に出てみよう」
甲板に上がると、目の前には一面青い空が広がっていた。潮風が駆け抜けていく。振り返ると、港はもう遥か視界の果てだ。
「もうこんなに?」
髪をかきあげながら、ティアーナは驚きの声を上げる。
「湾の外に出るまでは追い風だからな。この船は足も速いし」
近くにいた船員が自慢げに言う。
「あの山は…」
西の方を見やったアルヴィスは、懐から地図を取り出して風に飛ばされないよう丁寧に広げる。
「…国境の渓谷だ。山脈を越えて…その先」
「航路図はあるのか?」
イヴァンは船員に尋ねる。
「いやあ、ちゃんとしたものは作ってないねぇ。陸に沿ってくだけだからさ。やあ、それにしてもいい天気だ」
頭上には、白い帆がいっぱいに風を孕んで広がっている。忙しなく走り回る船員たちの間で、イヴァンは、足元から突き上げてくる波の感触を感じていた。山脈を越えれば、アストゥールの外。森と山の国、獣人”リンド”たちの暮らす土地、リンドガルドが始まる。
だが彼は、これから向かう先のことよりも、遠ざかっていく港のほうが気になっていた。
「……なんか気になるよな、あの騎士たち」
「イヴァンもそう思う?」
振り返ると、隣でアルヴィスも同じ方向を見ていた。
「あれ、スヴェイン王子の差し金じゃないのか」
「かもしれない。兄さんは、僕が調査に関わらないよう、クローナに送り返そうとしていた。それなら、誘拐でも監禁でもなくただの”送迎”だって言い張れるからね。――ただ、国外に出てしまえば、兄さんや旧貴族たちだって手出しは出来なくなるはずだ。あと少しだよ」
船の下では、波の音が響いている。
「あ、そうだ」
ふと思い出して、イヴァンは、船室に持ち込んでいた荷物を取りに行った。
ほどなくして甲板に戻ってきた彼の手には、さっき港で買ったカヤポの実がある。
「これこれ。港で買ったんだけどさ、西の果物だって」
「あ、これ、先生の記録にあったよ。カヤポの実でしょ」
「そうそう。美味かったんだぜ、ちょっと食ってみろよ。――おーい、ティア! お前も来いよ」
まだ二日酔いが醒めていないのか、船首のほうでぼんやりと海を眺めていたティアーナが、渋々といった顔で戻ってくる。
「…何ですか?」
「いいから、食え。今日まだ何も食ってないだろ」
「ん、美味しい」
アルヴィスは隣で、オレンジ色の果実をすすりながら食べている。
「変わった木の実ですね。まあ、…ありがたくいただきます」
「これ、西の果実なんだって。」
「そうそう。最近こういうのが定期的にマイレ領に持ち込まれてるって話だぜ。この果実は宴会用にアジズ子爵領んとこに運ぶ予定だったらしい」
「…アジズ、か」
アルヴィスの表情がかすかに曇る。
「旧貴族の筆頭の一つだね。嫌疑の対象にはなっていたけど、やっぱり…。」
「鉱石とかだけじゃなく、他の品から追えば何か判るのかもな」
「うん、もちろん。それは今までも調査されていたよ。イヴァンが買ってきたその果物や、マジャール商会の武器…。取引量が急激に増え始めたのは、ここ五年くらいのことだ。ただ、クロン鉱石だけはどうしても、送り先が掴めなかった」
町は既に、水平線の彼方へ消えようとしている。胸に抱えた一抹の不安。
果たしてこの先で、何か決定的な証拠は掴めるのか。今はまだ、誰も確信が持てずにいた。
日が暮れて、夜が訪れた頃、穏やかだった天候が突然、荒れはじめた。
夕方頃に吹き始めた風は闇とともに強さを増し、空の星々は雲に覆われて姿を消していた。海は荒れ、高い波が思い出したように船体を激しく揺らす。
「これは…なかなかすごいね」
船に乗るのは三人とも初めてで、揺れの大きさに面食らっている。気を抜くと寝台から転がり落ちそうになるくらいで、とても寝ていられる状態ではない。
「だ、大丈夫なんでしょうか。ひっくり返ったりしませんか」
「さすがにそれは無いと思うけど。」
二段になった寝台の手すりにつかまりながら、アルヴィスは上の段に声をかける。
「イヴァン、大丈夫?」
「……。」
「イヴァン?」
「信じられない、寝てますよこの男」
ティアーナは呆れを通り越して感心したような顔にすらなっている。
「どうしてこんな時に寝てられるんですか」
「…はっ。いや、寝てないって」
目をこすりながら、イヴァンはむくりと頭を起こす。
「ちょっと意識は飛んでたかもしれないけど」
「それ、寝てるっていうんだよ」
苦笑しながら、アルヴィスは上着を羽織った。
「とても横になってられないし、少し外に出てくるよ」
「ご一緒します。私も少し外の空気が吸いたいです」
「なんだよ、お前ら、先はまだ長いっていうのに…ふぁーぁ」
あくびをして再び横になりかけたイヴァンだったが、ふと、窓の外に嫌な気配を感じて起き上がりなおした。
それは、いわば「カン」だった。嵐に紛れて、別の何かが近づきつつあるような気がする。
上着を手にとり、壁にひっかけていた剣を手にとると、寝台のはしごを降りて、揺れる床の上に降り立つ。大きな揺れが襲ってくる中で剣をさすのは面倒だったが、何とか身支度を終えて先に行った二人の後を追いかけた。
船室と船室の間の、灯りのない暗い廊下はしんと静まり返っている。夜番の船員をのぞき、入れ替わりのための船員たちは既に眠りについているのだ。すえたような匂いは、誰か気分が悪くなって嘔吐した新人船員でもいたのだろうか。それ以外は、どこもかしこも潮の香りに満たされている。
甲板に出ると、途端に冷たい水しぶきが顔を打った。波に洗われ、甲板の上は黒く濡れている。
「アル?」
「ここだよ。」
頭上から声がした。見上げると、一段高くなっている操舵室の前のあたりに並んでいる二人が見えた。
「イヴァンも来たの?」
「ちょいと気になることがあってな。見張りはどうしてる」
「見張り?」
アルヴィスは、マストの上を見上げた。そこには人影が見え、ちらちらとランプの明かりが心細げに揺れている。
「こんな夜じゃ何も見えないと思うけど…」
「行ってくる」
「え、行くって…どこへ!」
イヴァンは、焦っている様子の二人をよそに、マストから降りている縄橋子にとりついて馴れた様子で器用に昇っていく。揺れている船の上であっても、彼にとっては木登りと大して変わらない。足場がはっきりしているだけ木登りよりずっと楽だ。
見張り台に立って遠望鏡を手にしていた男は、下から昇ってきたイヴァンに気づいてぎょっとした。
「えっ、何だい兄ちゃん」
「ちょっとそれ貸して」
見張り台の端に足をかけたまま、イヴァンは筒状の遠望鏡を船尾のほうに向けた。見えるのは暗い海、揺れる波だけ。焦点をあわせながら、彼は視点を左右にずらす。
「そっちにゃ何も見えやしないよ、港を出た船は他にないんだ。一日で追いついてこれる距離じゃあない。」
見張りの船員が苦笑する。
「見えるとしたら船首方向。港に戻ってくる船とたまに擦れ違うんでね。柱の灯が見えたら信号を送って舵を切る。――おい、聞いてるか兄ちゃん?」
「……。」
「おい、兄ちゃんってば」
「いた」
遠望鏡を目から離して、彼はそれを無造作に隣の船員に戻した。
「あそこだ。追って来てる船がいる」
「は? 追って…え?」
慌ててイヴァンの指差す方向に遠望鏡を向けた船員の表情が、見る見る間に変わっていく。
「灯が…本当だ、確かにこっちに向かってくる。でも、出港は禁止されていたし、他の船は後ろにはいないはず…」
「禁止した奴自身が出港する以外はな」
イヴァンが甲板に下りるために縄はしごに手をかけるのと同時に、見張りの男が怒鳴った。
「船首方向、船影在り! 信号!」
ランプが揺れ、光の信号が送られる。操舵室前に戻って来たときには、もう他の船員たちも動き出していた。
「イヴァン、何してたの。船影だって?」
「ああ。後ろから追っかけてきてる奴がいる。多分、マイレのとこの連中かその仲間だろう」
瞬時に、ティアーナの表情が強張った。
「まさか、…海上で強制的に?」
イヴァンは頷いて、ちらりと暗い海の向こうに見える塊に目をやった。
「あの山脈越えると、国外――なんだよな?」
「そうか」
はっとして、アルヴィスが口元に手をやる。
「国内で手を出せば問題になる。でも国外なら…アストゥールの外で起きた”事故”ならどうとでも誤魔化せる。そういうことか!」
「イヴァン、あなたどうしてそれが」
「んー、何つうか…俺ならどうするか、って思っただけさ。」
彼は、腰の剣に手をやった。
「悪党と同じ思考ってのは、ちょいと癪だけどな」
海の上を滑るようにして近づいて来る船は、信号を送っても止まる気配はなく、それどころか、速度を上げて真っ直ぐにこちらに向かって突っ込んでくる。警戒音が打ち鳴らされ、寝ていた船員たちも次々と甲板に飛び出してくる。
「このままだとぶつかる! 舵は切ってるのか」
「やってる。だが追ってくるんだ。速度はあっちが早い」
「どこの船だ?! まさか…海賊なのか」
「バカ野郎、海賊なら帰り道を襲うもんだ。まだ港出たばっかりで、こちとら積荷なんざなんもねぇぞ」
迫ってくる船の姿は、もう、肉眼でもはっきりと見ることが出来た。先端の尖った、三本の帆柱を持つ快速艇だ。所属を示す旗は何もなく、ただ不気味に、こちらの船の航路を追ってくる。
看板の上に人影が見えた。
「…当たりですね」
呟いて、ティアーナも腰の剣に手をかける。
気取ったような房飾りの帽子を見間違えるはずもない。
それは、港で見かけたマイレ伯の家臣たちだった。
船が完全に並ぶまで、そう時間はかからなかった。
停船を求める警告も何もなく、追ってきた船は、いきなり甲板に渡し板を投げた。先端に突起のついた板は、船べりにがっちりと食い込んで板を固定する。その上を、次々と男たちが渡ってくる。飾り立てた騎士たちを先頭に、後ろには武器を携えた手勢たち。イヴァンたちの乗る側の船員たちも護身用の武器は一通り持っているようだったが、まさか本職の騎士と渡り合うわけにもいかず、おろおろしているばかりだ。
先陣を切って乗り込んで来たひときわ派手な騎士は、船の上をひととおり見渡すと、すぐに目指す人物を見つけた。
風に帽子の房飾りを揺らしながら近づいて来ると、イヴァンとティアーナに挟まれて立つアルヴィスの前で足を止めた。
「クローナ家の、アルヴィス様ですね。我々は主人より、あなたを連れ戻すよう仰せつかっている。こちらの船に移っていただきたい」
口調だけは丁寧だが、有無を言わさぬ言葉だ。
「主人とは、マイレ伯爵のことでしょう? その権限はマイレ伯爵には無い。お引取り下さい」
アルヴィスはきっぱりと答える。
「拒否された場合は、力づくでもと言われています」
「それは反逆罪と看做される行為だ。貴方は自分の立場が分かっているのか」
「ええ、存分に」
騎士は、ちらりと左右の二人を見て腰の剣を抜き放った。後ろにいたほかの騎士たちも同時だ。船員たちがざわめく。
「主人の命には従うしかありません」
「なら、やるしかないな」
「アル、下がって。この類のやからは、話をしても無駄です」
イヴァンとティアーナも剣を抜いた。
「失礼ながら、お連れの方については特に指定がありませんでした」
男は、にこりともせずに淡々と告げる。
「私どもの受けた命令は、次期クローナ公を無傷で連れ帰れというものだけでしたから」
「……。」
アルヴィスは、表情を変えずにじっと男を見つめている。
「構うこたねぇぞ、アル。くだらねぇ脅しだ。」
「私たちを信用していてください」
「引かない、ということか。良かろう」
一瞬の光が闇の中に閃き、最初の剣戟を響かせる。それが合図となった。ティアーナが前へ踊り出していく。
「イヴァン、貴方はアルを操舵室へ!」
「分かった!」
イヴァンは、目の前にいたマイレ伯の兵に斬りかかっていく。大きく船がゆれ、バランスを崩したところを容赦なく踏んづけて、襲い掛かってくるのを次々と蹴り倒した。
「アル! 今のうちに中に」
「う、うん…でも」
アルヴィスを中に押し込んで操舵室の扉を閉め、イヴァンは、その前に立ちはだかった。波しぶきが髪を濡らし、冷たい雫が額を流れ落ちていく。
多勢に無勢だが、なぜだかちっとも怖いとは感じない。騎士学校で、マルティンの手下たちに取り囲まれた時の事を思い出して、笑えてくるくらいだ。
「さぁ、どっからでもかかって来な。こっちも手加減はナシだぜ」
そう言って、彼は笑った。
武器の構え方と腰つき、それに表情を見れば、ただの虚仮威しでないことくらいは分かる。
イヴァンを追ってきた、一般の兵たちはうろたえ、後退りした。
どこの領地も、お抱えの兵の大半は領内から徴兵した農家や商家からの出稼ぎだ。訓練を受けたと言っても、せいぜい一年や二年。実戦経験が積めることなど滅多に無い。それに農夫が、いきなり戦士に変われるわけもない。常に臨戦態勢で危機感を持っているのは、サーレ領のような辺境の、自衛が頼りの領地くらいだ。
「退け」
うろたえている兵士たちを押しのけて、さっきの派手な帽子の騎士が前に出てきた。
男の後ろでは、ティアーナが次々と騎士の仲間たちを倒している。彼女のほうは容赦なく、向かって来ない相手であっても斬り伏せていた。お陰で、甲板の上は軽い混戦状態となっていた。敵側の悲鳴が響き渡り、マイレ伯の兵士たちは自分たちの船のほうに逃げ帰ろうとしている。
「…あーあー。あっちは鬼だな、ひでぇもんだ。」
イヴァンは苦笑する。
「あんたも帰ったほうがいいんじゃねぇか。あいつマジ強いから」
「そうだな。護衛がついていたのは、想定外だった。」
言いながら、男は斬りかかってきた。鋭い一閃。イヴァンはそれを、両手の剣で同時に受け止めた。衝撃で足が甲板の上を滑り、腕にじんとした痛みが走る。
「…いい腕だ。」
「そっちも。さすがに本職の騎士だな」
それはお世辞などではない。たった一撃ではあっても、相手がそれなりの腕前であることは分かる。
男は前振りもなく、正確に素早く打ち込んできた。そしてさっきから、この揺れる甲板の上でも一度もバランスを崩していない。
「私はマイレ伯爵にお仕えする騎士、ロジェ・ボルドー。名を聞いておこう、少年」
「イヴァン・サーレだ」
「…サーレ?」
一瞬驚いた表情になったものの、騎士は、すぐに小さく笑って首を振った。
「ふ、サーレ伯爵家の。…成る程、それで双剣か。我が主人殿も、厄介ごとに首を突っ込んだものだな…」
「イヴァン!」
振り返ると、ティアーナがこっちに向かって走ってくるところだった。背後には、もう他には誰もいない。
「おや? お嬢さん一人に全員やられてしまったのか。…情けない」
「どうします? 一対二ですよ」
剣を向けるティアーナに、ボルドーと名乗った男は小さく笑ってみせた。
「止めておきましょう。今はまだ、その時ではない」
自分の剣を鞘に戻しながら、彼はちらりとイヴァンのほうに視線をやった。
「ではまた」
帽子の飾りを翻して、男は来た時と同じように足早に去って行く。
全ての兵と騎士たちが渡し板を渡り終えると、すぐ隣を併走していた船はゆっくりと速度を落として遠ざかり、やがて、闇空の向こうへと消えていった。
「何だったんだ、一体。てっきり、もうちょっと粘ると思ってたんだけどな」
「彼らとしても、あまりことを公にしたくはないのでしょう」
と、ティアーナ。ほっとした様子で、乱れた髪を撫で付けている。
「彼らはアルのことを知っていました。――もしアルが怪我でもすれば、クローナ家だけでなく王家との問題にもなると分かっていて、無茶は出来なかったんだと思います。」
「もう十分、無茶やらかしてんだろ。ほとんど海賊と変わらねーぞ、こんなの」
「彼らは、警告しに来たんだと思う。西方には、よほど知られたくない何かがあるってことだね」
行く手に視線をやって、アルヴィスは呟いた。
「おそらくこの先は、警告では済まないだろうな」
「ま、それは覚悟の上だ。行くしかないんだからさ」
「そうだね…」
船は、暗い航路を進み続ける。
たとえその先で何を知ることになろうと、待ち受けているのが何であろうとも、――今は、ただ進むほかに道はない。
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