第22話 西の自治領の武器商人

 ガルシアの町を後に、三人は、街道を西へと向かっていた。目的地は、フラウ男爵領の中心地、カレッサリアの町だ。

 街道沿いの旅は楽なもので、整備された道と宿場町を辿ってゆけばいいだけだ。治安もよく、ティアーナもいくぶん気を緩めている。

 「東のほうからカレッサリアに向かうのは初めてだなぁ。」

イヴァンは、広々とした平原を眺めながら呟く。西へ向かうに連れ、行き交う旅人の量は減り、町もまばらになってゆく。人々の言葉には西方訛りが交じり始め、それとともに風景も、イヴァンにも馴染みのある故郷のものに少しずつ近づいていく。

 「カレッサリアは、西方の中では栄えている町なんですよね?」

と、ティアーナ。

 「うん。フラウ男爵領は、かつては自治領だったんだけど、百年前の爵位開放の際に爵位を貰って通常の所領になった。関税対策で、そのほうが商売の得と見做されたらしい」

 「なるほど、新興貴族ですね」

ティアーナは、納得したような顔をしている。クロン鉱石の密輸の件で疑われているのは”旧貴族”たちだから、フラウ男爵が関わっている可能性は低い。

 「ちなみにあそこ、すげー儲かってるらしくて、町もけっこう派手なんだぜ」

 「派手、…ですか」

 「武器商人のマジャール人と、宝石商人のサレア人、二つの部族が共存している領地で、どちらからも税収はかなり良いらしいよ。…あ、見えてきたね」

アルウィンが顔を上げ、行く手に視線をやった。

 通りの向こうには、真っ白に磨き上げられた大理石で作られた巨大な門が見えている。町を取り囲む城壁の入り口だ。もっとも、城壁といってもクローナのものとは違い、おおよそ実用とは程遠い。華美な彫刻で飾り立てられ、入り口にはご丁寧にも町の名を金文字で刻んだ銘板が掲げられている。

 「…あまり趣味がよくありませんね」

ティアーナは、呆れた様子で言った。

 「儲けの使い方を間違えている気がします。」

 「そーかな? 金持ちってこういうのが好きなんだろ。ここ宝石商が多いから、わざと成金っぽい作りにしてるって聞いたことあるぜ」

門を潜っていくと、通りを隔てて二つの町並みがあらわれた。

 片方には、大きなショーウィンドウを持つ宝石商のきらびやかな店が並んでいる。

 もう片方は、同じくショーウインドウはあるものの、鉄錆びた、どこか男らしい無骨な雰囲気の店構えだ。

 門を潜っていた旅人たちも、それぞれの雰囲気にあわせてどちらかに分かれていくようだった。そして、人ごみにまじって赤い房飾り――西方騎士団の印だ――を剣の柄につけた騎士たちも横通り過ぎてゆく。見回りだろうか。

 「こっちがサレア人街、んで、こっちがマジャール人街」

指差しながら、イヴァンは武器屋の並ぶマジャール人街のほうへ馬を進めていく。

 「イヴァン、この町には詳しいの?」

 「詳しいってほどじゃないかな、来た事あるのは二回くらいだ。親父の副官やってるレオンって奴に連れられて、教育の一環だ! とかって、強制的に見学させられたんだ。まぁそれなりに面白かったけど。」

振り返ったイヴァンは、ティアーナが通りの向こうに視線をやっていることに気づく。

 「気になるんなら、あとで宝石のほうも見ていくか?」

 「え…いえ」

彼女は慌てて視線を戻すと、黙って二人の後ろについて馬を歩かせた。

 「ここの宝石は質がよくて、ほんと人気なんだぜ。王宮にも献上されてるって話だ」

 「へえ、そうなんだ。母さんが好きそうなのあるかなぁ」

 「ま、そのぶん高いらしいんだけどさ」

 通りに溢れる大小さまざまな宝石細工の店をあとに、馬は、狭く入り組んだ路地の奥へと向かっている。両側から迫ってくる建物の合間を抜けると、目の前に川が現われた。ちょうど町の中心の辺りだろうか。太い橋がかかり、対岸には、それまで通り抜けてきた民家のような町並みとは一転して、重厚なつくりの要塞のような建物が見えている。

 「あれは何ですか?」

ティアーナは、目ざとく建物を見つけ、怪訝そうな顔をしている。

 「あれが、今から行くマリッド商会の商館だよ。武器の卸売りを取り仕切っててさ、西方の武器の流通は、だいたいそこに繋がってるってぇくらいの豪商。領主のフラウ男爵ですら、マリッド家の当主にゃ頭上がらねぇって噂だぜ。」

 「へえ…なんだか、凄そうな方ですね…」

 「でもまぁ、マリッドのおっちゃん自体は、結構気の良い人だったぜ。」

イヴァンは気楽なものだ。

 「イヴァンは顔を知られてるんだね?」

 「まあな。うちで雇ってる国境警備の兵が使う武器は大抵ここで買ってるし、話くらいは聞いてくれるんじゃねぇかな」

言いながら、彼は馬を進め、橋を渡ってゆく。

 要塞のような建物は、近づいていくと、実際には武装した見張りのいる警戒厳重なお店、という雰囲気だった。武器の卸売りというだけあって、鍛冶場などは一切見当たらない。代わりに、石造りの堅牢な建物がいくつかに分けられて建てられ、揃いの黒づくめの格好をした男たちが曲がった大振りな刀を下げて腕組みをして立っている。研ぎ澄まされたような雰囲気からして、帯びている武器はただの飾りではない。

 「なんだか警戒厳重ですね…」

相手の戦力を値踏みするかのように視線を走らせながら、ティアーナは、僅かに緊張した声で呟く。

 「そりゃそうさ。武器倉庫も兼ねてるからな、ここ。うっかり盗賊にでも襲われた日にゃ、商品まるごとかっさらわれるだろ」

 「確かに。」

アルウィンは、納得したような顔をしている。

 「武器に宝石、どちらも単価の高い商品だ。盗難に遭えば確かに痛いだろうな。…ここでは、領主ではなく各商売人たちが警備を雇って自衛しているんだね。」

話しながら、三人は入り口の門を潜っていく。見張りに立っている男たちは、近づいてくる三人をちらりと見たが、誰何すいかしようとはしなかった。

 警備の中を素通りし、彼らは奥の建物の前で馬を下りた。




 建物の中に入ったとたん、賑やかな声と熱気が押し寄せてくる。外見の砦のような無骨さと裏腹に、中はちょっとした宴会場のようだ。

 広いホールにはテーブルが幾つも並び、壁側には見本らしい様々な武器を並べた棚がびっしりと並ぶ。端にはバーもあり、まるで武器のみを飾った高級サロンのようだ。

 広い部屋のあちこちで、商人たちが賑やかに商売話に花を咲かせている。大金が飛び交い、発注される数も個人で使うような量ではない。

 「ここは武器の展示場と商談場を兼ねてる。」

言いながら、イヴァンは周囲を見回した。「んー、誰かいないかな」

 「何かお探しでしょうか、サーレ様?」

突然、背後から声がかかった。

 振り返ると、いつの間にかキツネ目の男が直ぐそばに立っていた。外にいる警備と同じ黒づくめの上下揃いの正装。だが、手袋だけは真っ白で、物腰はやけに滑らかだ。

 名を言い当てられても、イヴァンは意外そうな顔はしていなかった。彼の腰に下げた二本の剣は、何処に居ても目立つ。

 「取り扱ってる武器の見学がしたいんだけどさ。いいかな? 確かここの地下に展示場あったろ」

 「ご案内しましょう」

あっさり言って、男は馴れた仕草で軽く腰を折り、先に立って歩き出す。

 「ほんとに、顔覚えられてるんですね」

ティアーナは意外そうな顔だ。

 「あなたの顔が効く場所があるなんて…」

 「どういう意味だよ。」

 「ここが西方だ、ってことだよ」

隣で、アルヴィスがくすくす笑っている。

 「サーレ領は中央から見れば”辺境”だけど、西方の中では最も領地が大きい。新旧はともかく貴族の中では爵位も高いし、むしろ知られてないほうが驚きだよ」

 「この男が貴族だってこと、忘れていましたよ」

 「いや、だからどういう意味…」

キツネ目の男は、陳列棚を通り過ぎた場所に立って三人を待っている。

 「こちらです、どうぞ」

指し示された場所には、確かに地下へ通じる階段がある。

 「お足元にお気をつけください」

キツネ目の男が優雅に手を差し伸べ、一行を地下へと送り込む。


 地下に入ると、途端に辺りが静まり返る。

 天井は高く、がらんとした空間には商談中の人が数人いるだけで、他には誰もいない。ランプと天窓からの光に照らされた中に、上の階とは違った雰囲気の陳列棚がずらりと並んでいる。

 イヴァンは何も気にした様子がないが、おそらく、地下室にまで案内されるのは、ごく一部の客だけなのだ。

 壁に飾られた立派な大型の盾、先端が二股に別れた槍。装飾用とも実用品ともつかない品が、多数揃えられている。

 「ここには、マリッド商会で扱ってる武器類が一通り揃ってる」

と、イヴァン。「面白いだろ?」

 「でも、表向きのものばかりなんでしょう? 私たちが探しているものは――」

 「こちらは会員様専用の展示場ですので、表に出しておりません限定品などもございますよ、お嬢様。」

一歩後ろに控えているキツネ目の男がすかさず言った。ティアーナは軽くそちらを睨む。彼女は、警戒心を解いていないようだ。

 「へえ、これは南方の武器だ」

一方のアルヴィスは、一つ向こうのケースの前に立って、奇妙な突起の付いた棍棒のようなものを興味深そうに眺めている。

 「さすが、マジャール人の武器の取り扱いは広いね」

 「それはもう。我々の取引先は大陸全土に繋がっておりますからね」

 「その取引先、西方にも?」

 「西方の武器をお探しですか」

 「参考までに見せて貰うことは出来るかな?」

 「勿論ですとも。こちらへどうぞ」

キツネ目の男は、するりとした足運びで奥のほうへと歩き出す。アルヴィスとイヴァンが後に続き、ティアーナは、最後尾で周囲を警戒している。人が少ないせいか、足音がやけに大きく響く。

 「西方の武器は、このあたりです。ただ、あちらの武器類は正直に言えば、あまり質が良くありません。」

男が足を止めた陳列棚の中には、まだら模様の石で出来た鈍器や、特徴的な形をした弓、木製のブーメランなどが飾られている。確かに、実用というよりは観賞用といった雰囲気だ。

 イヴァンは、そのうちの一つを手にとって首を傾げた。

 「こんなの売れるのか?」

 「ええ。形を気に入られて装飾用に買っていかれるお客様がいらっしゃるもので、一応は揃えてております」

 「リンドの武器なのかな」

さりげなく、アルヴィスが尋ねる。

 「よくご存知で。そうです、獣人のものですね」

 「彼らとも取り引きが?」

 「限定的ではありますが。」

ということは、マリッド商会には西方とのつながりがあるのだ。イヴァンたちは、それとなく視線を交わした。

 「一体どうやってこっちに持ち込んでる?」

 「それは…商会の機密ですので、ご容赦を」

男ははぐらかそうとする。

 「陸路じゃねーな。陸路なら、うちの領地を通るはずだ。海路か」

 「サーレ様――」

ちらりと男が視線をどこかへやった時、そちらのほうから、低い太い声が響いて来た。

 「何をお探しなのですかな?」

恰幅の良い、初老の男が奥のほうから近づいて来る。

 黒一色を身につけているのは他の従業員たちと同じだが、着ているものは上等で、胸のタイには高価そうな宝石が煌めいている。キツネ目の男は後ろへ下がり、闇に紛れるようにして気配を消した。

 「よう、マリッドさん。久し振り」

 「お久し振りですな、サーレ殿。お出迎えも出来ず失礼致しました」

確かに、気の良さそうな雰囲気ではるある――だが、同時に抜け目ない目をしている。


 男は三人の前に立つと、胸に手を当て、堂々とした声で名乗った。

 「ようこそ、ご友人の方々。わしはマリッド商会代表、ヤン・マリッド・アフメットです。今回は何をお求めで?」

男は愛想の良い笑顔を浮かべながら、イヴァンの後ろにいる二人を一瞥した。その視線は、笑顔の下でも鋭く、相手の本性を見透かすような油断のならなさを秘めている。

 「ああ、今日は買い物じゃなくて、ちょっとした見学なんだ。ま、近いうち必要になるかもしんねーけど」

言いながら、イヴァンは背後の棚のほうに視線をやる。

 「最近、王都で妙な武器を見かけてさ。あれと同じものがここで扱われてやしないかと思って、見に来たんだ。」

 「と仰いますと?」

 「このくらいの金属の筒で、黄色い粉みたいなのを詰め込んでいた。で、たぶん鉛玉を発射して使う飛び道具。粉は変な匂いがするんだよ」

イヴァンは、身振り手振りを加えて事細かに説明する。あまりに直球な聞き方に、思わずティアーナは額に手を当てたほどだ。

 だが、マリッドは顔色ひとつ変えず、両手を腹の前で組み合わせ、愛想のよい商人風の笑みを浮かべる。

 「変わった武器のようですな。しかもまるで、直接ご覧になったような話しぶりですね。」

 「見てたんだよ、王都で王様を狙った奴が持ってたんだ。で、そいつを追っかけてった時に…。まあ、捕まえる前になんか爆発しちまったんだけどな」

本来なら、腹の探りあい…となるところなのだろうが、イヴァンにそんなつもりがないことは明らかだった。彼は何もごまかすつもりがない。だからこそ逆に、計算高い者や、腹に一物ある者にとっては最も扱いづらい相手なる。

 マリッドは、ひとつため息をついた。

 「…残念ながら、その手のものは取り扱いがございません。うちとしても、ご禁制の品を取り扱って、目を付けられたくはないので。」

 「ということは、存在は知っているのですね?」

ティアーナが鋭く切り込むと、男は肩をすくめた。

 「風の噂では…ですかな。実物をこの目で見たのはもう何年も昔の話。それも、ちらりと、ですので、サーレ殿がご覧になったものと同じかどうかは、確かめるすべもない」

 「どこから持ち込まれたのです?」

 「それは言えませんな。商売上の約束事ですので。」

 「マリッドさんは嘘はついてないぜ」

頭の後ろで手を組みながら、イヴァンは飄々とした表情で言ってのける。

 「マジャール人は商売の話じゃ嘘はつかないんだ。脱税とユスリくらいはやってるかもしれねーが、あれの持ち込みには、この商会は関わってないんだろう」

 「これは手厳しい、と言うべきか――信頼痛み入ります、と言うべきか」

マリッドは苦笑している。

 「ま、うちの領地を通って無いんだし、たぶん持ち込んでるのは海路なんだろうな。あんたが思いつきそうな場所はどこだ?」

 「…また随分と、性急な質問をなさる」

 「面倒なことはナシだ。こっちは十年前に人死にまで出てる。そいつがまた悪さしそうだってんなら、追う理由は十分過ぎるだろ」

 「成る程。」

一介の商人の表情から、政商の表情へ。マリッドは、自然に顔を変えた。

 「”ここのところ、ヴェニエル殿から武器類の発注が増えています。それとマイレ殿。お心当たりは?”」

マジャール語だ。その言葉に反応したのは、イヴァンとアルヴィスの二人だけ。

 「…”いや”」少し考えてから、イヴァンは続ける。「”そいつらが怪しいなのか?”」

 「”さて。そこから先は私どもには。”…そうそう、サーレ殿、以前来られた際にご紹介出来なかった物件がちょうど入ったのですよ。見てゆかれませんかな? お手ごろな値段で出しておりますよ」

イヴァンは、それとなく後ろの二人に視線をやる。

 「…考えとくよ。今日は、これから宿を探すつもりなんだ」

 「そうですか。しばらくはまだ、この町に?」

 「いや、先を急ぐ予定だから、一泊だけのつもりだ。」

 「でしたら、また今度、機会があれば。」

腹に手をやってマリッドが軽く頭を下げるのと同時に、どこからともなくキツネ目の男が戻って来た。

 「どうぞ、出口までご案内しましょう」

頃合が来た、ということか。

 マリッドの視線を受けながら、三人はイヴァンを先頭にして商会を後にした。




 厳重な警戒のされた重厚な建物を出ると、明るい日差しとともに外の喧騒が戻ってくる。表通りの雑踏まで戻って来たところで、緊張していたらしいティアーナは、ほっと息をついて肩の力を抜いた。

 「マリッド商会の商会長…油断ならない人です。」

 「ん? そうか?」

彼女はじろりとイヴァンを睨んだ。

 「あなた、良くあんなにずけずけと話が出来ますね」

 「天然だからね、イヴァンは」

笑いながら、アルヴィスのほうも一息ついている。そういえばアルヴィスは、マリッド商会を出てからというもの、ずっと何か考え込んでいる様子で口を閉ざしていた。

 「アル、あの人の言ったことは確かでしょうか」

 「うん。隠していることはあるかもしれないけど、少なくとも口にした言葉は嘘ではないよ。マリッド商会にあれが持ち込まれたことがあるというのも事実だと思う」

 「存在は知っている、と言っていましたしね。」

言ってから、ティアーナははっとした表情になった。

 「…そういえば、素直に認めていましたね」

 「そこがイヴァンの凄いところさ。こちらからは何も与えることなく、彼から重要な情報を引き出した。」

 「そりゃ、聞けば教えてくれるさ。うちとは長い付き合いだしな」

本人は、さも当然だというような顔をしている。

 立ち止まって話している場所は、マジャール商会から何本か通りを進んだところにある長閑な住宅街の中だ。目の前には川があり、子供たちが川べりで賑やかに声を上げて遊んでいた。向かいには民家が見えている。

 「彼が最後にマジャール語で言ったことが気にかかるな」

 「ああ。」

 「私にはマジャール語は分からないんです。二人とも分かったんですか」

ティアーナは不満げな顔だ。「イヴァンにも分かるなんて」

 「俺、西方の出身だから、一応…つーかミグリア方言とかも、多少は分かるんだぞ」

 「意外です」

 「ごめん、僕もちょっと意外だった」

 「お前らなぁー!」

 「ふふ」

笑いあっている様子は、遠くから見ればただの仲の良い少年少女にしか見えないところだ。

 ひとしきり笑ったあと、アルヴィスは、ふと真面目な顔になった。

 「――分かったことが幾つかある。マリッド商会が西方と取引していることは確かだ。はっきりとは言わなかったが、海路なのも間違いない。名前の出た二つの家は、昔から疑われていながら未だ証拠が掴めないでいる”旧貴族”、その中でも権勢を誇る大きな家だ。そして、マイレ領には港町がある」

 「ネス港だな。うちの隣の領地だ。よく知ってる」

 「うん。西方で大きな港を持つのはマイレ伯爵領くらいだ。東方ならクラウゼ領…。マジャール人は昔から陸路での交易が得意だ。彼らは直接、密輸には関わっていないと思う」

 「まぁ、マリッドさんの疑いが晴れたなら良いことだ」

 「ただ――」

アルヴィスは、僅かに表情を曇らせた。

 「――あの武器がどこで製造されているのか、証拠が掴めない状況には変わりがないな。今までクロン鉱石が押収された領地は、ほぼ全て旧貴族の領地だ。そして捜査に非協力的なのも旧貴族領。彼らが関わっていることはおそらく間違いないのに」

 「なんだそれ。そこまで分かってて、手が出せないのかよ。何でだ?」

 「国王は独裁者ではないからだ。王の権威は、貴族たちの承認あってこそだ。確実な証拠もなしに踏み込むことなど出来ない。そして、疑惑を持たれている領地は十数にも及ぶ」

 「十…」

イヴァンは絶句する。「…そりゃ、いっぺんに捜査は出来ない…な」

 「そうだ。もし仮にそのうちの幾つかに強制捜査に入ったとしても、協力している他の領主は証拠を隠滅して逃げおおせるだろう。確実な証拠を掴めないまま特定の領地に騎士団を攻め入らせたとなれば、貴族たちの反感を招き、離反させることになる」

アルヴィスは、顔を上げて空に視線をやった。

 「だから僕らは、確実な証拠を見つけなくてはならない。確実で、絶対に逃げられない証拠を。そして中心人物を捕まえるしかない」

 「……。」


 『それがどんな相手でも、か?』


メネリクの言っていた言葉が蘇ってくる。

 国王の”貴族との不仲”は、単に仲が悪いということ以上の意味を持つのかもしれなかった。




 町外れのそう高級ではない宿に部屋をとり、夕食のあとの時間を過ごしていた、その日の夜のことだ。

 「もしもし、お泊りのお客さん。」

扉が叩かれた。

 「はい?」

出て行くと、廊下に立っていたのは宿の主人だった。

 「下に、お知り合いが来られますよ。」

 「知り合い? 誰だ。」

 「はあ…なんでも、マリッド商会からのお使いだとかで」

意外ではなかった。なにしろ相手は、大陸中に情報網を持つ武器商人マジャール人の頭領だ。この町に宿をとるからには、マリッド商会の眼から逃れることなど出来るわけがない。

 「何だろうな。すぐ行くよ。」

振り返ってアルヴィスのほうに頷いて見せてから、イヴァンは部屋を出た。

 宿の入り口に待っていたのは、あの、キツネ目の男だった。

 「ここを教えたつもりも、約束した覚えもねーけど」

 「恐れ入ります」

慇懃に頭を下げ、男は意味深な顔をして近づいて来ると、黒い外套の下から小箱を取り出した。

 「我が主人より、サーレ殿にこちらをお贈りするように、とのことでした」

差し出されたのは、ビロウド貼りの小箱だ。

 「何だこれ?」

 「お納め下さい。大したものではございません」

そう言いながら、男はわずかに箱の蓋を開く。中に何かきらりと輝くものが見えたのは一瞬。すぐに蓋を閉じて、男はそれを半ば強制的にイヴァンの手に押し付けた。

 「では、私はこれにて」

優雅にお辞儀をして去って行く。わけもわからず、イヴァンは、受け取った箱をそのまま部屋へと持って帰って来た。ちょうどティアーナがアルヴィスの部屋をノックしているところだった。

 「イヴァン、…来客があったようなので様子を見に来たのですが。それは?」

 「なんか、マリッドさんの使いって言って渡された。中身はよくわからん」

部屋に入って、彼は、寝台の横のテーブルの上で箱を開けてみた。中にはクッションが詰まっていて、その上に豪華な装身具がひとそろい載っている。

 「わ、首飾りと耳飾り」

 「サレア人の扱ってるやつだな」

と、イヴァン。無造作に手を出しかけて、ティアーナに怒られる。

 「触っちゃダメですよ。これ賄賂じゃないですか」

 「え? そうなのか?」

彼は慌てて手を引っ込めた。

 「けど、賄賂って…あ、あれか? 口止め料的な」

 「大丈夫だよ」

アルヴィスは箱の中から宝石に見える一つものを摘み上げ、窓から差し込む光に翳した。「これは贋物だ。」

 「贋物?」

 「箱が誰かに奪われたり、中身を見られた場合を見越してだろうね。何も知らなければ、よくある賄賂だと思うはずだ。たぶん、本命は別にある」

彼は宝石を乗せたクッションの様子を確かめ、指でつまんで引き抜いた。その下から、丸めた紙が転がり出てくる。

 「やっぱり」

 「うおお、これは気がつかねー。巧いこと隠すもんだな」

 「何が書いてあるんですか?」

テイアーナが身を乗り出す。紙に書かれた言葉はどう見ても文字の羅列で、意味を成しているようには見えない。

 「…暗号文だね」

しばらく考え込んでいたアルヴィスは、文章を指でなぞると、すぐに回答を導き出した。

 「端を読めばいいんだな。ええと…」

言葉が止まり、表情が強張った。

 「ん、どうした」

 「…ここ数ヶ月の武器の販売量。」

彼はとっさに暗号文を握りつぶした。その表情が青ざめている。イヴァンとティアーナは顔を見合わせた。

 「武器の販売、って、最後にマリッドさんがマジャール語で言ってたあれか? ヴェニエル領とマイレ領に売ってるっていう」

 「うん」

ティアーナは、慌てて背後の扉と、窓の方に駆け寄って、誰にも聞かれていないことを確認する。

 「それはつまり、マリッド商会からの密告、ということですか?」

彼女は、声を潜めてささやく。

 「そういうことだ。――武器商人が、わざわざ警告してくるほどあからさまな買い入れ。この量だと、ゆうに騎士団ひとつか二つぶんにもなる。とても平時に使う量じゃない。」

 「戦争でも始めるってことか」

 「イヴァン! あなた、そんな軽々しく」

 「…その可能性もある」

アルヴィスの表情は、硬い。

 「この警告の内容は、まだ王都では知られていないものだと思う。明日、ここを経ったら王都に鳩を飛ばすよ。すぐにも父さんに報せないと。――もし、ヴェニエル家とマイレ家が手を組んで、武力で中央に圧力をかけるつもりなら、悠長に証拠探しをしていられる時間はもう、余り無いかもしれない」

 「私たちの西方の調査、間に合うと、いいのですが…。」

 (それと、証拠が掴めるかどうか)

イヴァンも、声には出さず心の中で呟き、拳を握りしめた。

 尻尾は見えていても、今はまだ、身体までは掴めない。焦って追いかければ気づかれて、獲物は逃げおおせてしまう。確実に追い込んで仕留めなければ。

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