第21話 街道の旅路

 クローナを出て数日後、三人は、アミリシア街道とローデシア街道の交わる三叉路の宿場町ガルシアへと辿り着いていた。

 そこも、クローナほどではないが大きな町で、宿場町の名に恥じず、多くの宿屋が立ち並んでいる。旅の途中の行商人たちが宿泊のついでにと商品を広げ、それが臨時のいちのようにもなっている。

 「うーん…ここはどこだ…」

地図を広げて、イヴァンは首をひねっている。

 「まっっったたく、分からん」

 「何が判らないんです?」

ティアーナの視線は冷たい。

 「いやほら、いま自分が何処らへんにいるのか、とかだよ。短期間にあっちこっち移動してっからさ。ここ、リーデンハイゼルより北? 南?」

 「はぁ、全く。」

地図を覗き込み、ティアーナは街道の一点を指で指す。

 「ここです、今いるところ。地図の読み方くらい覚えてください。主要な街道さえ覚えておけばいいんですから。そのくらい、あなたのおつむでも何とかなるでしょ?」

 「お、おう…。」

国土を縦横に横切る大街道。それと平行するように繋がる昔の旧街道と、中心になる首都、リーデンハイゼル。アストゥール全体の地図を見渡せるようになってくると、おのずとサーレ領の辺境ぶりも意識されるようになってくる。何しろ、地図のいちばん西の端なのだ。


 イヴァンは、街道地図の上に点線で描かれた、領地境界を眺めていた。

 各領地や自治領の境界線も、地図の中に書き込まれている。――東方、西方、中央、北方の、四つの区切りもだ。

 「ここからは、もうクローナ領じゃないんだよな?」

 「隣のヴェニエル侯爵領だね。」

アルヴィスが答える。

 「この辺りからは、受け持ちの騎士団も変わってるよ。」

 「ああ、そうか。こっから西方騎士団の管轄か…。

確かに、通りを行く見回りの騎士の剣に提げられているのは、西方騎士団を意味する赤い房飾りだ。とはいえ、西方は広く、王家の直轄地も少ない。西方騎士団に所属する騎士の人数は、それほど多くないはずだった。

 「アル、今日はこちらで宿泊ですか?」

と、ティアーナ。彼女は、きょろきょろと辺りを見回している。

 「そのつもり。無理に次の町まで行くと、遅くなってしまいそうだし」

 「では、宿を探してきます」

それだけ言い残すと、ティアーナはいそいそと通りの向こうへと消えていってしまった。イヴァンは眉を寄せて首を傾げる。

 「…何かあったの、あいつ」

 「何かって?」

 「いや、なんつーか、…あんまりお前にべったりじゃないんだなって」

 「そう? ティアは前からこんな感じだよ。王都にいた時が例外的に厳重警戒すぎたんだと思うけど」

 「ふーん…」

イヴァンの知るティアーナは、いつもアルヴィスの側にくっついて、過剰なほど周囲を警戒している護衛役だった。それが、旅を始めてからというもの、細々した雑用もこなしてくれている。宮廷に仕える騎士がこんな仕事もするとは思っていなかった。

 イヴァンの家で副官を務めているレオンも同じように雑用をこなしていたが、彼の場合はどちらかというと執務のほうが主だったから、特に違和感は覚えなかったのだが。


 ティアーナが戻ってくるのを待つ間、二人は、馬を降りて、開かれている市場を見て回ることにした。市は町の中心にある広場いっぱいに広がっている。荷車の荷台をそのまま店舗にして営業している店もあれば、小さなテントを建てている店、机やござを通りに出して物を売っている店もある。品は日用品から装飾品や家畜まで様々で、食べ物を売る店もある。同じ種類の店は、だいたい同じ場所に数軒が固まっていた。

 「うちの領地の連中は、さすがにこの辺りまでは来てないみたいだなぁ」

出ている店をざっと眺めて、イヴァンが呟く。見慣れた品は、市には出ていない。

 「サーレの特産物は、酪農関係だったよね」

 「ああ。冬になる前に弱ってる牛を処分したりするんだけど、それはまだだし、今の時期だとチーズとかかな…。あとは季節によって毛織物とか干し肉とか。人間より牛と羊が多いんだ」

革製品の店を見つけて近づいていった彼は、値札を見て顔をしかめる。

 「高いな、うちで買えば安いのに」

 「ただ、ここからサーレ領まで行くのは遠いでしょ?」

 「うん、まぁな」

 「だから行商人っていう商売が成り立つんだ。産地で買うほうが安いのは誰でも知ってる、ただ現地まで行くのは遠くて大変だし、輸送費用もかかる。そこで商人がまとめて産地で買い付けて、買いたい人のいる場所まで運んできて輸送費用や税金に手数料を上乗せして売る。それでも、自分で買付に行くよりは楽だから、高くても買う人がいるんだ。商売の基本だよ」

 「…な、なるほど?」

確か、そんな話も騎士学校の授業で習っていたような気がする。

 「サーレ領は、あまり輸出は盛んじゃなかったはずだよ。もし領主家が商売をするつもりなら、領内のものをまとめて買い上げて領主家として遠くのいちで売ればいいんじゃないかな。」

 「あー、確かに、たまーに商人がチーズとか買い付けには来てたな。自分たちから売りに行けばいいってことか。考えたことが無かったな…。」

厳密に言えば、そんな話を以前、レオンがしていたような気もするのだが、父があまり乗り気ではなく、そのまま立ち消えになっていた気がする。

 (そういう話、俺は全然関わって来なかったからなぁ。)

今更のように、レオンの苦労を少しだけ理解出来た気がした。

 「ただ、問題は、どこの市に持っていくかだね…。」

アルヴィスは、真剣な顔をして考え込んでいる。

 「サーレ領には市を開けるような街道沿いの町がない。かといって、市の開かれている場所まで出て行くのにも遠い。通った領地の数によって輸出入の税金が変わるし――通行税をとる領地もある。腐りやすいものは遠くまで運べないし、単価が安いとそもそも輸出の手間や経費が割に合わないな。サーレ領で商品になりそうなものって、酪農や農産物以外に何かある?」

 「んー、今んとこ特に。わりとありふれたものばっかだな。小麦とか、肉とか」

 「そっか…。」

 「学校の奴らにも疑われたりしたけど、うち、あんま金持ちじゃないんだよ。領民からの税金もそんな高くないって話。親父の意向でね。贅沢さえしなければ十分食べていける、って」

 「食料の自給自足が可能な土地だからこその余裕だね。クローナは逆だ。ほとんど穀物が育たない土地だから、食料を買うためには商売に力を入れるしかない」

 「へえ、そうなのか。どこも苦労はあるんだな」

 「そうだね。ただ、領地ごとに懐具合に大きな差があるのは事実だ。貧しい領地もあれば、羽振りのいい領地も…」

言葉を濁し、アルヴィスは口を閉ざした。


 入れ替わるように、周囲の喧騒が耳に入ってくる。女性たちの弾むような声だ。

 「ねえ、王子様また来るかな? また来て欲しいよね」

 「素敵だったわよねぇ」

 「ねー」

 (王子様?)

思わず聞き耳を立てる。隣にいたアルヴィスも同様に、店の品物を眺めているふりをしながら、耳をそばだてている様子だ。

 「スヴェイン王子は無類の女好きらしいからなぁ。どおりで街の娘どもが妙にめかしこんでるわけだよ」

 「ははっ、まぁいいじゃねぇか。若いってのはそんなもんだろうよ」

近くで屋台を開いている、地元の商人らしい男たちが笑っている。イヴァンは思わず、そちらに向かって話しかけた。

 「スヴェイン王子、ここへ来たのか?」

 「ああ、つい一週間ほど前になぁ。領主様んとこにいきなり押しかけて、町の連中みんな招待して大宴会やったんだよ。」

 「何だそりゃ、お祭りじゃねーか」

 「おうよ、そりゃあもう、ちょっとしたお祭りさ。ド派手な馬車で乗り付けて、町じゅうの娘っこを着飾らせて一晩中踊ってたな」

 「そんな…ことしてたんだ」

隣で聞いていたアルヴィスは呆然としたような顔をしている。

 「はっは、若いってのはいいやね。しかし噂どおりの派手好きな遊び人だぜ、ありゃあ。散財させられて領主様も渋い顔だったな」

 「王都に帰らないのは国王様に勘当されてるからって噂もあるくらいだしな。だがまぁ、次男だ。次男坊なんてそんなもんかもしれんぜ」

 「ちげえねぇ。第一王子様はご立派だって話だし、後継者がちゃんとしてりゃ問題ないだろ」

 「……。」

アルヴィスは、何やら考え込んでいる。世間話の最中に、ようやくティアーナが戻って来た。

 「お待たせしました。宿を確保…、…どうか、しました?」 

 「いや、何でもないよ」

表情を取り繕い、アルヴィスは傍らの馬に乗った。「行こうか」

 その時、ほんの一瞬だけだがアルヴィスはイヴァンに視線を投げかけ、軽く口元に指を当てた。ティアーナにはまだ言うな、ということだろう。小さく頷いて、イヴァンも馬に飛び乗った。


 それにしても、話に聞く限りスヴェインという王子はただの遊び人のようにしか思えない。アルヴィスはそれは演技だと言ったが、本当だろうか、とイヴァンは思っていた。たとえ子供の頃は真面目だったにせよ、離れていた十年の間、人が全く変わらずにいることなどあるだろうか、と。




 宿には、二部屋が確保されていた。二階の一番端と、その手前の二つの部屋だ。

 「アルとイヴァンは、こちらで寝てください。私は隣の部屋にいますから」

そう言って去ってゆこうとするティアーナを、イヴァンが呼び止める。

 「なんで部屋、別々なんだ?」

 「何でって、…」

彼女は呆れ顔だ。

 「一緒の部屋で寝るわけにもいかないでしょう? 用事がある時は呼んでください!」

 ぴしゃりと言って、扉も閉める。

 「…そう、なのか?」

 「ティアだって女の子なんだよ」

きょとんとしているイヴァンに、アルヴィスは苦笑しながら言う。

 「王宮でも隣の部屋に控えてくれてたよ。まだ夕食まで少し時間があるし、これからの予定を考えるよ」

 部屋に入り、寝台の上に荷物を開くと、アルヴィスは、中から一番底に大事に入れていた手帳を取り出した。クローナでメネリクから預かってきた、あの手帳だ。イヴァンも中身は少し見せてもらったが、図や文字がびっしり書き連ねられていて、彼にはとても読めたものではなかった。

 「それ、…どんな感じなんだ? なんか役に立ちそうか」

寝台の上に腰を下ろしながら、イヴァンは尋ねる。

 「もちろん。興味深い内容だった。先生がむかし通ったのは、サーレ領の吊橋から西方へ向かう陸路らしい。イヴァン、その先に行ってみたことはある?」

 「まさか。パレアル峡谷の向こう側なんて何もないと思ってた。吊橋までは行ってみたことあるけど、…そういや、一度も渡ってみたことねーな、あそこ」

それは、今にして思えば不思議なことだった。目の前に橋があり、その向こうには未知の場所があると知りながら、ただの一度もその先に興味を持つことも、「渡ってみよう」と思うことすら無かったのだ。

 「先生の記録によると、吊橋を過ぎて崖に挟まれた狭い道を数日行くと、獣人の住む森があるらしい」

 「獣人? ――って、毛が生えてる人間のことか?」

イヴァンの乏しい知識では、「獣人」といえば、見た目が犬のような小柄な人間のことだった。たどたどしい独特の喋り方をするが、知能はいたって普通で、見た目の変わった人間というくらいの認識だった。王都でも何度か見た覚えはある。

 「大雑把にはそうだけど、西のほうに住む獣人は、アストゥールに住むアジェンロゥとは別種の、”リンド”という種族らしい。見た目は山猫に似ていて、森で狩りをして暮らしているそうだ。先生は、彼らの住む土地を”リンドガルト”。――リンドたちの土地、と名付けている」

と、アルヴィスは手帳を開きもせずにすらすらと言う。旅の間に手帳の記録を読み進めていたのだろうが、相変わらず大した記憶力だ。

 「先生は、西方の植物の調査で彼らに大いに助けてもらったって書いてる。僕らも、リンドたちに会えればいいんだけどね」

 「そいつら友好的なのか」

 「どちらとも言えないな。好戦的で縄張り意識の強い種族ではあるらしい。ただ、いちど仲間と認識されれば良くしてくれるって。つまりは、最初が肝心ってことだね」

 「ふうん」

腰の剣を外しながら、彼はちょっと考え込んだ。

 「…つーことは、西へ行ったらまず、そのリンドってのに会って道案内とか頼めれば楽ってことか」

 「だろうね。それに、もし僕の考えているとおり、西のどこかでクロン鉱石が採掘されているのなら、彼らが気づかないはずはないと思う。もしかしたら、彼らも関わっているかもしれない。あとは…今から読んでみるよ」

言いながら、アルヴィスは手帳のページをめくり、素早く文字の上に視線を走らせていく。本の嫌いなイヴァンには到底できない芸当だ。

 「海路で海から行くと、少し遠回りにはなるのかな。森に入ってからの方向…鉱脈の有りそうな場所は…」

思考に集中しているアルヴィスの邪魔をしないように、イヴァンはそっと寝台から立ち上がって窓の外をのぞいた。

 通りに面しているわけではないが、ここからでも市のあたりの賑わいは建物の向こうに伺える。人や馬車が行き交い、街道沿いの街らしい雰囲気を醸し出している。

 と、ふと、人ごみの中に灰色の特徴的な制服を着た人物が横切るのが見えた。

 王国に仕える税収官吏だ。取引されている品や取引量を見て回り、王国への税収の報告と大きく食い違っていないかを抜き打ちで監査する担当の役人。今はこんなところにいるのだ。


 ふと、イヴァンは思い出した。確かアルヴィスは以前、ここでもクロン鉱石が流通しているのが見つかっていると言っていた。

 「なあアル、ここの領地でクロン鉱石が見つかった場所って、どこなんだ?」

 「え?」

背後で、思い出そうとしている気配がある。

 「今から市場にいって探したら、見つかると思うか?」

一瞬、アルヴィスには意味が分からなかったようだ。ややあって、彼は苦笑する。

 「…それは、どうかな。見つかるかもしれないけど、見つけても意味がない」

 「何でだよ。犯人捕まえられるだろ」

 「その石を持ち込んだ人はね。でも、大元が誰だったのかまでは突き止められないんだ。実際、荷物の中身は知らされずに、ただ”運び屋”として使われてるだけだったりするからね」

 「あー、そういうことか」

舌打ちして、イヴァンは壁に軽く手を突いた。

 「そうだよなー、そう簡単に突き止められるなら、十年も苦労してないよな」

 「うん。探すなら、武器のほうが早いかもしれないな」

 「武器?」

 「クロン鉱石を使った武器。爆弾か、建国祭で使われた筒みたいなもの――おそらく、そっちはクロン鉱石本体よりも流通が限られていると思う。今まで一度も押収されたことはないけれど、必ずどこかで製造されてるはずだ」

 「なるほど…」

イヴァンは、建国祭で追い詰めた男が持っていた筒のようなものを思い出していた。あれが武器だとすれば、かなり特殊な形状だ。大昔の武器を真似て新たに開発されたものにせよ、どこかで誰かが作ったものには間違いない。あんなものを作るには、よほど手先の器用な職人が必要だ。

 「そうだ。武器なら、ちょうど詳しい奴を知ってるんだよな」

 「詳しい奴?」

 「うちの取り引き先の一つ。武器商人マジャール人のやってる、マリッド商会ってとこ。」

 「カレッサリアか」

アルヴィスは即答した。

 「元シャイラ自治領。今はフラウ男爵領になってる」

 「流石、よく知ってんな。そこだよ。このまま街道を西へ向かえば着く。どうする? 当たってみるか」

 「…そうだね。遠回りにはなるけど、カレッサリアに寄ってから港に向かうのもいいかもしれないな。ティアにも相談してみる、ちょっと待ってて」

部屋を出て行くアルヴィスを肩越しに見送ってから、イヴァンは、窓の外の通りに視線を戻した。

 今この瞬間も、禁じられた鉱石はこの町のどこかで取引されているかもしれない。どうにかして尻尾だけでも掴んでやりたい。――しかし、当たり前だが、通りを眺めるだけでは、それを見つけることは出来なさそうだった。


 しばらくして、アルヴィスが部屋に戻ってきた。

 「ティアにも言ってきたよ。フラウ男爵領に寄って行くことにした。初めて行く場所だから、案内はイヴァンにお願いしてもいいかな」

 「おう。任せとけ」

イヴァンは、にっと笑って胸を叩いた。ようやく少しは役に立てそうだ。

 (絶対に見つけてやる。うちの森に火を着けた奴を、絶対に)

心の中で呟きながら、彼の横顔は、いつしか、雑踏の森の中に獲物を追う狩人のものになっていた。

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