第19話 騎士の決断

 翌朝、朝食の後、イヴァンはふらりと町に出た。

 せっかくここまで来たからには、ついでに観光でもしようと思ったのだ。一人なのは、アルヴィスは不在の間にたまっていた仕事を片付けると言い、ティアーナは何もいわずに町に出て行ってしまったらしく姿が見えないからだ。

 二人とも妙にぎこちなく、――というよりティアーナは意図的にアルヴィスを避けているようですらあり、ほとんど会話は無かった。


 どちらへ行けばいいかは分からないが、町の周囲は城壁が囲んでいるから、迷っても戻れないほど遠くへ行ってしまうことはない。

 昨夜アルヴィスと行った博物館は今朝はもう開館していて、観光客らしき人々が集まっている。博物館前の広場の屋台も開いていて、みやげ物屋や食堂になっていた。

 「いらっしゃい! どうだい、記念品をひとつ」

屋台の奥から店主が呼びかけてくる。屋台の入り口には、たくさんの絵葉書が並べられている。

 「絵葉書かー。こっから出したら、どのくらいでサーレ領に着く?」

 「サーレ領かい? 西の果てだから、そうさなぁ…十日ってところだ」

イヴァンは、目を引いた一枚を手にとった。真っ白に染まった風景。雪景色だ。

 「このへんって、雪降るんだな」

 「そりゃぁ北の果てだからね」

土産物屋の店主が笑う。

 「一度降り出したら、多い年には腰くらいまで積もるもんだよ。一面の銀世界さ。湖だって凍りつく」

 「へー。俺んとこは雪なんて降らないからなぁ。」

雪景色など、館の誰も見たことが無いだろう。丁度いい。

 「じゃあこれ、一枚くれよ。あと、切手あるかな?」

買い込んだ絵葉書を手に、ぶらぶらと広場を横切っていたとき、どこかから鐘の音が鳴り響いた。顔を上げると、博物館の建物の向こうに鐘楼が見えた。尖塔がある。教会のようだ。

 (あの建物まで行ってみるか。)

 なんとなくそちらへ歩き出した彼は、いつのまにか狭い路地へと入り込んでいた。

  どこかから焼きたてのパンの香りが漂い、明かりの漏れる窓からは家族の話し声が響いて来る。

 王国第二の規模を誇る都会のはずなのに、この町は、どこか地方の小さな都市のような親しげな雰囲気を漂わせている。たぶん、人口の大部分が湖の外の新市街に集中しているせいなのだろう。中心となる旧市街は古い時代の雰囲気のまま、時間の流れさえも外とは違っているようだった。 

 辿り着いた教会を何気なく見上げていたイヴァンは、ちょうど中から出てこようとしていた少女とばったり出くわした。

 「あ」

 「…あ」

ティアーナだった。ばつの悪そうな顔をして、頬に垂れていた後れ毛をかき上げながらそっぽを向く。

 「なんですか。あなたが教会に興味あると思いませんでした」

 「いや、散歩してたらたまたま辿り着いたっていうか…」

イヴァンは、ティアーナの表情に目をやる。「…何かあったのか?」

 「何かって、なんですか」

 「いや、なんか、深刻そうな顔してるから」

 「…何でもありませんよ。昔の領主様のお墓を見て回っていただけですから」

いつになく歯切れ悪く言って、彼女は踵を返して歩き出す。「ついてこないでください。」

 「いや待てよ、ちょっと聞きたいことが…」

イヴァンの言葉を無視して、ティアーナは歩調を早める。どうしようかと迷ったが、このまま放っておくのも気になる。少し距離を置いて、イヴァンは彼女の後を追った。

 向かっているのは、城壁の方角のようだ。

 「…あれ?」

城壁の前まで来たところで、イヴァンは周囲を見回した。壁際には、折りたたみの椅子を置いて腰を下ろした男が、きせるを吹かしている。

 「なあ、銀色の髪で剣持ってる二十前後くらいの女の子、見かけなかったか? こっちに来たはずなんだけど」

尋ねると、男は、すぐにああ、と思い当たるような顔をした。

 「そのお嬢ちゃんなら、さっき、階段から城壁上がってったけど」

 「階段?」

なるほど、見れば城壁の脇に入り口のようなものがついていて、中を通って上に上がれるようになっている。

 「上はいい眺めだぞ。ちょいと登るのが大変だがね」

 「なるほど。行ってみるよ」

暗い階段に足をかけて見上げると、螺旋のはるか彼方に光が見えていた。 ――かなりの距離がありそうだった。


 城壁の上に到着すると、冷たい風が頬を打った。ほっとして、イヴァンは一息ついた。体力はあるほうだったが、さすがに一気に登りきるのは楽ではない。

 振り返ると、高い城壁の上から、壁に取り囲まれた町が一望できた。入り組んだ路地のせいで広く感じているだけで、面積はさほどでもない。両手に収まるほどの風景の中に、高い尖塔、広場、博物館になっているクリーム色の建物、それに古い家々が、ぎゅっと一つところに押し込められている。まるで、色とりどりの玩具箱だ。

 そして壁の向こうには、鏡のような湖面が青い空を写して広がっていた。

 湖面と、橋と、その向こうに広がる門前町の町並み。ここからはクローナの町の新旧のすべてが一望できる。一瞬、苦労してここまで昇ってきた目的を忘れて、彼は風景に見入っていた。


 だがその光景を眺めていたのは、彼一人ではなかった。

 「綺麗でしょ?」

ふいに声がして、彼は振り返った。少し離れた場所に、城壁の端に肘をかけたティアーナがいる。

 「結局、追いかけて来たの? 物好きね」

 「あー、ちょっと話したいことがあったから。その、…お前、いつリーデンハイゼルに帰るんだ?」

彼女は、じろりとイヴァンを睨んだ。

 「何? 用が済んだんだからさっさと帰れってこと?」

 「あ、いや。そういう意味じゃねぇよ。ただ、なんつーか…寂しくなるなって思って…」

言い掛けて、彼はティアーナの表情に気づいた。

 「…お前もそう思ってるんだよな」

 「そりゃあね。」

彼女は、つんとそっぽを向き、湖の向こうに視線を投げた。

 「私、昔はスヴェイン様の付き人をしていたんです。いちばん年が近かったし、剣術の訓練仲間みたいなものだった。シグルズ様もスヴェイン様も年の離れた弟をすごく可愛がってて、…私も一緒になって、何かと一緒に過ごしてました」

 「仲良いのか、アルんとこの兄弟」

 「昔は良かった、と、言うべきかしらね」

 「今は違うのか?」

 「……。」

ティアーナは、返事をしない。

 「十年前の事件からしばらくして、スヴェイン様は変わってしまった。私とも、まともに話をしてくれなくなった。今はもう…、何をお考えなのかが判らない」

 「それ、アルも知ってるのか」

 「ええ。勿論。だから、私は心配で――」

風が吹いて、鏡のようだった湖面が揺れる。ティアーナは、じっとどこかを見詰めている。

 「分からない。どうすればいいのか…。私は、ずっと騎士になりたかった。兄さんや父さんみたいに王家に仕えたかった。その夢は叶ったはずなのに、どうしてこんな気持ちになるのか」

 「もしかして、お前」イヴァンにもようやく飲み込めてきた。「…命令通り、このままリーデンハイゼルに戻りたくない、ってことなのか?」

 「……!」

振り返ったティアーナの頬が赤く上気している。

 「ふ、普段鈍いくせに、どうしてあなた、そういう時だけ…!」

 「いや、待て、落ち着け。た、たまたまだ。あと、そうだったらいいなって。アルも、お前が居ないと寂しい――」

 「簡単に言わないで下さい! 私をクビにしたいんですか?!」

 「そーいうわけじゃ…っていうか、命令を変えてもらうか、休みをとればいいじゃないか」

 「休み?」

 「俺だって休学届け出してここに来てんだぜ。騎士団だか、宮廷の何かだか知らないけど、休暇届けとかあるんじゃねーの」

腰の剣に手をかけようとしていたティアーナの勢いが少し収まってきた。

 「それは、ありますが…。私は…戻らないと」

消え入りそうな声で言って、彼女は再び湖のほうに視線をやった。

 「本当にそれでいいのか?」

 「……。」

返事は無い。

 「俺はさ、」

イヴァンは、構わず口を開いた。

 「騎士になるわけじゃないから、お前の考えてることはあんまり分かってないかもしれない。けど、自分のやりたくない仕事なら、断っていいんじゃないかと思う。――俺が剣術を学んだのは、親父やレオンに追いつきたかったから。もう足手まといになりたくなかったら。俺には、守ってやらなきゃならない奴らがいる。だから強くなりたかった。…それは今も変わってない。どんな道を選んでも俺は、後悔だけはしない。」

言うだけ行って、イヴァンは階段のほうに体を向けた。

 「じゃあな。先戻ってる」

沈黙が、背後に落ちている。

 これは彼女の進退の問題だ。決めるのは、本人にしか出来ない。そして、たとえどんな答えを出そうとも、それを責めるいわれは、誰にも無いのだった。




 クローナ邸に戻ると、イヴァンはアルヴィスを探そうとした。だが、探す必要はないようだった。一階の奥、研究室の反対側の廊下の端から声が聞こえてくる。執務室らしき扉の奥からだ。

 「…リ、百デナ」

 「ノ、…アスト!」

 (何だ?)

言葉が全く分からない。ばん、と突然激しく叩きつけるような音がして、話し声が途切れたかと思うと、いきなり扉が開く。荒々しい足取りで出てきたのは毛皮を纏った男。ちらりとイヴァンを見て足を止めたが、それも一瞬のことだ。

 すぐに歩き出し、廊下を横切って、さっとイヴァンが入って来たばかりの正面玄関から出て行く。

 「イヴァン、戻ってたの?」

振り返ると、半開きになったままの扉の前にアルヴィスが出てきていた。

 「ああ。何だったんだ、あれ。」

 「アスタラの商人だよ。納税額を誤魔化してたから、追徴金の取立てかな」

彼は肩をすくめた。

 「常習犯だっていうから、僕が直接。中央語が通じないフリをしてたから、アスタラ語で脅してた」

 「そんなのまでやんのか、お前」

意外だった。見た目も体格も華奢で、どちらかというと上品な貴族の子弟のようにしか見えない少年が、さっきの喧嘩のような交渉をしていたとは。執務室の中をのぞくと、机の上には皮袋に入った硬貨と、書類が散らばっている。

 「ティアーナは?」

 「城壁の上で景色眺めてた。」

 「そうか。あそこは楽しいよね。」

背後で、アルヴイスが扉を閉める音がする。部屋が閉ざされたのを確かめてから、イヴァンは口を開いた。

 「少しだけ話をして来た。…あいつ、このままお前についてくかどうか迷ってるみたいだった」

 「え?」

アルヴィスの驚いた声。

 「まさか。彼女は宮廷に仕える騎士だ。さすがに、この先まで着いてきてもらうのは…」

 「休みとか取れないのかって言ってみた。お前にずっと付き合うのは無理かもしれないけど、少しの間だったら一緒にいられるかもしれないだろ」

 「…うん」

机のほうに戻りながら、彼は少しだけ表情を和らげる。

 「ティアが居てくれると心強い。でもきっと、迷惑になると思う」

 「聞いたんだ。お前んとこ、兄さん二人、今、あんまり仲良くないのか?」

彼は首を振る。

 「仲は悪くないと思う。ただ、どっちもあんまり本心を表に出さない人だから分かりづらいんだよ。昔と変わらない部分もあるのに、変わってしまった…ように見えるところもあって」

 「変わってしまったところって?」

 「世間の噂じゃ、スヴェイン兄さんは宴会好きの遊び人ってことになってる。でも、ほんとは違う。スヴェインは、誰よりも真面目で、ふざけて回るのはいつだってシグルズ兄さんのほうだった。今の二人は、まるでお互いの役割を交換したみたいなんだ」

 「…まさか入れ替わってたり」

 「それはないよ」

アルヴィスは苦笑する。

 「いくら二人が似てるって言っても、弟の僕や両親まで誤魔化せるわけないよ。演じてるだけ。それは確かだ。でも、だから余計に、どうしていいのか分からない。」

窓から差し込む光が沈んだ色の瞳と、少年の横顔を照らし出す。

 「何を悩んでるんだ? お前」

 「……。」

 「俺にも言えないようなことなのか」

イヴァンは、一歩部屋の中に踏み込んだ。

 「一人で考えてても、辛いだけだろ。俺で力になれるんなら、何でも言ってくれ」

 「ありがとう。……」

わずかな沈黙。ややあったのち、意を決したように彼は口を開いた。

 「イヴァン、僕は疑ってはいけない人たちを疑おうとしてる」

 「疑ってはいけない人たち?」

 「クロン鉱石の流通経路。十年前の事件と、この間の王都での事件。すべてに関わるのかどうかは分からない。でも確実に言えることが一つ。――王宮の中に、父の直ぐ側に、おそらく、事件に関わっている誰かがいる」

 「……!」

振り返ったアルヴィスは、口元に人差し指を当て、それとなく廊下のほうの気配を伺った。そして、誰も近づいて来る様子が無いのを確かめてから再び口を開く。

 「でなければ、この十年もの間、誤魔化しきれるわけがい。それに、王宮で借りた僕の部屋が家捜しされていたんだ。あそこは、通常の使用人には入り込めない場所のはずだ」

 「それって、つまり…」

 「兄さんたちは気づいているのかもしれない。それで、本心を隠して演じてるのかもしれないって」

 「近衛騎士の誰かが関わってる…とか?」

 「その可能性も考えたよ。でも、そういうことじゃないんだろうな…」

アルヴィスの言葉は曖昧で、何かを言葉にすることを恐れているようでもあった。

 「…少なくとも十年前の事件の時、兄さんたちは被害者だった。事件は、あの時には既に始まっていたんだ。国王一家の予定を知っていて、暗殺者を送りこむことの出来た誰かが居た」

 「そういえば、そっちの十年前の事件って一体何があったんだ? ベオルフからは、王族の暗殺未遂事件としか聞いてなくてさ」

 「あ、そうか。イヴァンには、まだ詳しく話してなかったっけ。」

イヴァンが頷くと、アルヴィスは小さく溜息をついて机の端に腰を下ろした。

 「そうだね…、調査に協力してもらうんだし、教えてもいいか。」

長い話になるのかもしれない。イヴァンのほうも、部屋の隅のチェストに腰を下ろす。

 「あの時、僕らの一課は休暇で別荘を訪れようとしていた。行き先は西方のプーリア地方、ヴァラーノ湖のほとり。本当は家族全員で一緒に向かうはずだったんだけど、予定通りに出発できたのは兄さんたちだけだった」

 「”本当は”?」

 「僕はその時、ちょうど熱を出して母さんと王宮に残ってた。…だから、実際は現場の状況は何も知らないんだ。父さんは会議の都合で遅れて出発した。事件が起きたのは、父さんが到着する前日。別荘ごと吹き飛ばすという乱暴なやり方で、兄さんたちはたまたま夜遊びをしていて助かったんだよ。それでも、使用人、護衛の騎士の何人か、それに民間人も巻き添えで犠牲になっている。

 ――もちろん、直ぐに各地の領主に報せを飛ばして、国境線と街道は封鎖された。犯人が捕まるのも時間の問題だと思われた。そんな時に起きたのが、君も良く知っている”ユラニアの森”の事件さ」

 「……。」

 「当時の話は、近衛騎士だった人や兄さんたちから聞いて知ってる。兄さんたちは夜に湖で魚を取るふくろうを見たくて、湖畔にテントを張っていたそうだ。王都にいたらそんな経験できないからね。館で爆発が起きたのはその時だったそうだ。突然の爆発音とともに火災が発生して、見張りに立っていた近衛騎士二人が即死。混乱に乗じて賊が乗り込んできた。…兄さんたちが館にいなかったのは、不幸中の幸いだったんだ。そのまま助けが来るまでずっと森で隠れてたらしいから」

 「ひでえな」

ユラニアの森の火事から助け出されたルナールの、怯えきった様子が記憶の中を過ぎった。年端もいかない少年たちにとっては、恐ろしい体験になったはずだ。

 「湖の別荘を焼いた火と、ユラニアの森で起きた爆発事件は、同じクロン鉱石によるものだと後で分かった。ユラニアの森でわざわざ事件を起こしたのは、国境を封鎖されて逃げ切れないと思ったからなのか、あるいは、捜査のかく乱のつもりだったのかもしれない。確かなことは、両者が同じ犯人か、同じ”誰か”に雇われていたということだけだ。」

 「うちは巻き込まれただけ、ってことか。癪だな」

呟いて、イヴァンは膝の上で指を鳴らした。

 「けどさ、そん時、近衛騎士も追跡してたんだろ?」

 「うん。ベオルフも追跡に加わってたらしい。ユラニアの森の件を聞いたのは、ちょうどサーレ領に入った頃だったって。夜通し馬を走らせたって言ってたよ」

 「なのに、怪しい奴は誰も捕まえられなかったのか」

 「…そうだね。サーレ領の中では、誰も」

アルヴィスは言葉を切り、すこし考え込むようなそぶりを見せた。

 「或いは、森の爆発自体がサーレ領全体の注意を引きつけて、誰かを脱出させるための目くらましだったのかもしれない」

 「もしそうだとしたら、余計に癪だな」

立ち上がって、イヴァンは苛立った足取りで部屋の中を歩き始めた。

 「こないだの王都の奴もそうだ。事件が起きて、怪しい奴がいるのに捕まえられないなんて。つーか自分で爆発するなんておかしいだろ。そんな命かけるような話か?」

 「使命のためなら命を投げ出すことも厭わない人なら、たくさん知ってるけどね」

と、アルヴィス。

 「近衛騎士も、そういう職業の一つだ。」

 「けどさぁ――」

 「本当のところは、犯人に聞いてみるしかないけどね。」

ひとつ息をついて、彼は少し遠くに視線をやった。

 「僕がクローナ家に養子に出たのは、そのすぐ後だった。…そのあと、兄さんたちと直に会ったのは、つい先日の王都に戻ったときが初めてだったかな」

離れていた期間は十年。その間に、兄たちは昔とはどこか変わってしまっていた。

 「なあ、アル。正直なところ、十年前はどこまで調べがついているんだ? クロン鉱石の流通って言っても、ここで取引されてるわけじゃないんだろ」

 「うん。クローナを中心とした北方の流通経路には一切引っ掛かってこない。…だからこそ逆に気になっていたんだ。隣のヴェニエル侯爵領では何度か抜き打ちの検閲に引っ掛かってるしね」

 「検閲?」

 「税収官吏のだよ。そこの領地から国に収める税が大幅に誤魔化されていないかどうか、実際の取引を確かめて回る役人のこと」

それは、イヴァンも知っていた。サーレでも何度か見かけたことはあるし、特徴的な灰色の制服に身を包んだ彼らのことについては、いやというほどレオンから説明を受けていた。

 「侯爵ってことは、そのヴェニエルってのは偉いんだよな」

 「大公に次ぐ爵位だね。名門中の名門の家柄だ。ヴェニエル領までは西方騎士団の守備範囲。領地は隣同士だけど、流通網が違うんだ」

そう言って、アルヴィスは苦々しい笑みを浮かべた。

 「クローナのすぐ目の前まで持ち込まれているんだよ。危機感を覚えないはずもない」

 「成る程な。…てことは、敢えてクローナ領を外して荷物を運んでる、ってことか」

 「それだけじゃない、王家の直轄地や新興貴族もだ。用心深いというべきか、用意周到というべきか。そして、外された領地を消して流通網を仮定すると、”旧貴族”に辿り着く」

 「旧貴族?」

 「旧貴族っていうのは、百年前の爵位開放より以前から続く貴族の家系で――」

話しかけたとき、扉が叩かれた。はっとして、アルヴィスは一瞬口をつぐんだ。

 「…アルヴィス様? お茶の準備、整った」

アルマの声だ。ほっとして、彼は扉の向こうに声をかけた。

 「どうぞ、入っていいよ」

開かれた扉の向こうから、盆を手にしたアルマが入ってくる。

 「お話中だっですか? あの女性の方もご一緒かと思ってましたのに」

盆の上には、三人分のカップが載っている。

 「ティアは外出中。そろそろ戻ってくると思うけど…」

 「そうですか。あ、そういえばさっき、”鳩”が届いてた。旦那様のところへ持っていったですが――」

突然、アルヴィスが勢い良く立ち上がった。

 「あ、どちらへ?」

 「ごめんアルマ、お茶はまた後で!」

 「え、ちょっと――おい、何処行くんだよアル」

 「先生のところ!」

慌ててイヴァンも後を追いかける。アルヴィスは真っ直ぐに廊下を突っ切って、一番端の”研究室”と書かれた扉を開こうとしている。


 イヴァンが追いついた時、アルヴィスは、既に温室の中ほどまで来ていたところだった。館の主であるメネリクは、昨日と同じように温室の中ほどにある机の前に座っている。

 「…先生」

 「ふむ。興味深いことだな」

メネリクが手にしている紙を見て、アルヴィスは、珍しくばつが悪そうな表情になっている。

 「西へ向かう手はずが整った、と書いてある。成程、成程。お前は、西へ向かうつもりだったんだな」

 「…黙って出かけるつもりは、なかったんです」

 「そうだろうな。しかし、わしは許可を与えたつもりはない」

微かに椅子を軋ませながら振り返った老人は、小さな紙をアルヴィスのほうに差し出した。きつく巻かれていたものを伸ばしたように皺がついていて、数行だけの言葉が書かれている。

 「それ何だ? ”鳩”って?」

 「伝書鳩で王宮とやり取りしてるんだ。これは父さんからの…。国境の西側へ行くことを許可する、という手紙」

 「国境の西側?!」

驚いてから、イヴァンは思い出した。そう、リーデンハイゼルの王宮でアルヴィスは確かに言っていたのだ。”クロン鉱石が持ち込まれたとすれば西方だ”と。

 「外国に行くつもりだったのか、最初から」

 「…それ以外に方法はない、と僕は結論づけた。貴族たちの領地の中までは自由に出入りできない。国内で確固たる手がかりに辿りつけないのなら、クロン鉱石の産地を見つけるしかない。そこから辿れば、誰がどうやって持ち込んでいるか証明できるはずだから」

 「危険だぞ」

 「そうだ。勝手も分からん異国にお前を行かせるわけにはいかん」

 「でも、他に誰が行くんです? 騎士団を動かすわけにもいかないでしょう。それにこの件は、公にするわけにもいかないじゃないですか!」

アルヴィスも一歩も引かない。彼は、胸のあたりに手をやった。

 「どうしても止めるというのなら、僕はこれを置いていきます」

 「ならん!」

驚くほど大きな声で怒鳴ってから、メネリクははあっと大きく溜息をついて、額に指を当てた。

 「…まったく、お前ときたら。そういうところだけ父親に似おってからに。で、西へ行ってどうする。アテはあるのか」

 「それは…」

 「考え無しめ。少しは勝算のある戦い方をせい」

椅子を戻しながら、メネリクはもう一度、溜息をついた。

 「まあいい。お前の考え自体は間違っておらん。西へ行くつもりなら、わしのほうにも少しは手伝ってやれるところもある。この話はまた後にしよう。だが、”それ”を手放すことだけは絶対に許さんぞ。それだけはな」

 「……。」

 「後で呼びにゆかせる。それまで、大人しく待っておれ」

有無を言わさぬ口調だった。

 追い出されるようにして研究室を出たところで、二人は、ばったりティアーナに会った。

 「戻ってたんだ」

 「あ、はい…あの」

ティアーナは口ごもる。「声が聞こえて…。西へ行くって本当ですか?」

 「…うん」

アルヴィスは小さく頷く。「でも心配はいらないよ。危ないことをするつもりないし」

 「そうそう、俺もいるしな」

と、イヴァン。ティアーナは、何故か険しい表情でじろりと彼を睨み付けた。

 「こんな半端者だけ連れて異国へ行かれるつもりなんですか?! あり得ません。あなたは、クローナ家の次期当主で――」

 「――国王陛下から、直々に承った仕事を持っている。これは、僕にしか出来ないことだ」

納得できない、というように首を振って、ティアーナはイヴァンのほうを見た。

 「あなた、表に出なさい」

 「え、俺?」

 「ええ。今すぐに」

断ることを許さない、断固とした口調。

 イヴァンは隣のアルヴィスを見、それから、ティアーナのほうに視線を戻した。彼女のほうは、既に玄関に向かって歩き出している。

 何やら雲行きが怪しい。これから一体、何を始めようというのだろう。




 外に出てみると、ティアーナが上着を脱いで玄関脇の生垣にかけようとしているところだった。きっとした目でイヴァンを見、腰の剣に手をやる。

 「剣を抜きなさい。」

 「え、…え? 何だよ急に」

 「あなたがいかに未熟者か、分からせてあげると言っているんです。だいたい、前から気に入らなかったんですよ。あなたみたいな田舎者が、どうして何かの役に立つんです? 兄もアルも、過大評価のしすぎなんですよ」

饒舌にまくしたてるティアーナの姿に、イヴァンはただただ、唖然としているばかりだ。

 「いや、そんなこと言われてもさぁ、それ俺が悪いんじゃ…」

 「黙ってさっさと抜きなさい! 来ないなら、こっちから行きますよ」

言うなり、彼女は本当に剣を抜いた。流れるような所作だ。王都でも一度見てはいるが、無駄のない洗練された動作。それだけでも相手の力量は分かる。そして、この殺気。

 冗談などではない。あの時も、そして今も、ティアーナは一分の冗談も持ち合わせていないのだ。

 「ちっ、何だかわかんねーけどやるしかねぇってことか」

 「ちょっと、二人とも…」

アルヴィスの声も途中で途切れてしまう。剣を抜きかけた瞬間に、ティアーナが打ち込んできたからだ。

 「うぁっと、あっぶねぇ」

数歩跳んで避けたものの、戦っている場所は狭い前庭だ。すぐに背後に壁が迫る。手加減などしようものなら、腕の一本や二本は折られかねない。そのくらいの気迫だ。

 両手の剣を構えなおすと、イヴァンは、相手の武器の間合いを計った。武器自体はとりたてて変わったところはない。騎士団でよく使われている、ありふれたものだ。

 それだけ確かめると、彼は自分から打って出た。右手で攻めると見せかけて、左手から。だが、そんな小手先の技はあっさりと見切られてしまう。流れるようにイヴァンの剣を受け流したティアーナは、返す刀で彼の右手の武器を狙う。

 「おっと」

慌てて後ろへ跳んだ。身長はそう変わらないが、武器がわずかに長いぶん届く範囲は相手のほうが広い。間髪置かず、今度はティアーナのほうから打ってかかる。作法どおりに左手で受けた一撃は、予想以上に重い。

 (こいつ…マジで強い)

内心、舌を巻いた。

 見た目は華奢なのに、この体の一体何処にこれほどの力があるのだろう。続けざまに繰り出される攻撃に、イヴァンは一歩も前に出ることが出来ず、押されっぱなしだ。

 「くそっ」

ならば、と攻撃を受けるふりをしてかわし、相手が武器を振り切ったところを狙って上段から――

 だが。

 「甘いわね」

 「?!」

何かが足を地面から切り離し、世界がぐるりと回転した。しまった、と思った瞬間にはもう、体は宙を舞っている。

 (これは、ベオルフと同じ技…)

どっ、と背中を打ち付けて、イヴァンは大きく息を吐き出した。一瞬、気が遠くなりかけるが、なんとかもちこたえる。大の字に横たわっていると、目の前の空からアルヴィスの顔が覗きこんだ。

 「だ、大丈夫?」 

 「…ああ、なんとか」

足元のほうを見ると、蔑むような表情のティアーナが立っている。

 「どう? 少しは自分の未熟さが分かったかしら」

 「ふっざけやがって。今のはちょっと――油断しただけ…」

跳ね起きたイヴァンは、剣を手に再びかかっていく。

 だが、どう足掻いても無駄だった。打ち合うことすら出来ず、即座に追い詰められてしまう。喉元に剣を突きつけられて、降参するしかなかった。

 「ティア、もうそのくらいに」

 「そうですね。肩慣らしにもならない。まったく、この程度で本当にアルの護衛が勤まるとでも思ったのかしら」

剣を収めながら、彼女は小さく鼻を鳴らした。

 「やはり、私が行くしかないようですね。」

 「え? ティア――」

 「決めました。しばらく休暇を取ることにします。こんなの一人に任せておけませんから」

 「何だよそれ。つーか、それ言うだけなのに俺を殴る必要あったのかよ?!」

 「訓練みたいなものですよ。」

つんとしながら、彼女は言い添えた。「この私に相手してもらえて光栄でしょ?」

 「な、…」

だが、成すすべもなく一方的にやられたのは紛れもない事実だ。イヴァンは、ふてくされた顔で黙り込んだ。一方で、アルヴィスのほうはさっきまでの暗い表情が見違えるように明るくなっている。

 「本当に一緒に来てくれるの、ティア」

 「ええ。」

 (何だ。結局は、そこなのか)

イヴァンは尻を払いながら立ち上がった。

 さっきまではあんなに強がっていたけれど、多分、本当は、アルヴィスも不安だったのだ。ティアーナの腕前を信頼していたからこそ、だろうが。

 (…俺も、もーちょっと強くならないと駄目、か。)

剣を拾い上げながら、彼は手元に視線をやった。

 考えてみれば、ここのところ学校の勉強のほうばかり必死で、剣術の練習はあまりしていなかった。それなりに使えるほうだとは思っていたが、上には上がいる。

 「じゃ決まりだな。三人で行こうぜ、その、西の方とかさ。…西って何があるのか、全然知らねぇけど」

言いがらイヴァンは、ティアーナの表情からも今朝の迷いが消えているのに気づいた。考えて、きっと彼女は結論を出したのだ。

 自分の心に忠実な道を採ろう、と。

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