第20話 白銀の家を継ぐ者

 メネリクに呼び出されたのは、その日の午後のことだった。

 招かれたのは、研究室ではなく執務室のほうだ。流石に室内ではすり切れた泥だらけの服ではなく、普段着らしいガウンを羽織っている。椅子に座るのではなく、しゃんと背を伸ばしていると、それだけで不思議と大貴族の家の当主らしい威厳に満ちて見えるから不思議だ。

 「はぁ、全く。やることは山ほどあるというのに、厄介ごとをもちこみおってからに」

ぶつくさ言いながら、引き出しの奥をごそごそかき回している。既に机の上は取り出されたものでいっぱいだ。それだけではない。本棚からは手当たり次第に本が取り出され、部屋の隅のカウチも開けられて、中身が床に零れている。

 「…これは、…一体何があったんですか?」

 「見てわからんか、探し物じゃ…おっ。」

茶色く変色した手帳を見つけて、メネリクはやや乱暴にそれを引っ張り出した。手で軽く埃を払い、ページを開いて中身を確かめる。

 「これだこれだ。ほれ、持っていけ」

 差し出されたものを、アルヴィスが受け取る。

 「これは…」

手帳の中には、几帳面な文字でびっしりと図やメモが書き付けられている。

 「わしが若い頃に西の方へ行ったときの調査記録じゃ。」

驚いて、アルヴィスは手帳から顔を上げた。

 「先生、西に行ってたことがあるんですか?」

 「もう三十年も前の話だがな。西だけじゃない。南も東も、大陸中色んなところを冒険したもんだ。」

そう言って、妙に得意げな顔になる。

 「見たことの無い植物を探してな。新しく名づけた草木は数多成り。」

 「知りませんでした」

ティアーナも初耳のようだ。

 「メネリク様は、てっきり、国内だけだと…でも、確かに植物図鑑には、異国のものも沢山載っていましたね」

 「ふん。当然だ。このわしにも若い頃はあったのよ。そりゃあもう、大陸じゅう駆けずり回っていた時期がな」

老人は、にやりと笑ってみせた。

 「――ま、じゃから、お前のやろうとしとることを止めやせんわ。ただな、何も考えずに行くだけ行ったところで時間を無駄にするだけだ。大昔の話だが、…当時、クロン鉱石の採れそうな場所は幾つか見つけた」

 「え?!」

 「とはいえ、鉱山があったわけではない。現地には獣人の一種が住んでおったが、彼らも鉱石の利用方法などは知らんかった。わしの書いた本でも、その件は一切、触れておらん。――ただ、可能性があるとすれば、国境からの距離からしても、あそこじゃろうな」

 「初耳ですよ」

アルヴィスは、咎めるような眼差しをメネリクに向ける。

 「どうして、もっと早く仰っていただけなかったんですか」

 「西の国境より先に出どころの可能性があるなどと、最近まで思いもよらんかったからな。それに実を言うとわしも、この件はすっかり忘れておった。リーデンハイゼルから戻ったお前から報告を受けた後、なんとなーく思い出したくらいじゃよ。そもそも、わしは鉱石は専門外だしな」

 「はあ。」

 「ま、余計な説明はするまいよ。お前なら何とかなるだろう。問題は、うまくコトが運んだ後だ。」

メネリクは片手で真っ白な口ひげをひねる。

 「ときに、アルヴィスよ。お前、クロン鉱石を持ち込んでいる相手を見つけたらどうするつもりだ」

 「もちろん、告発して止めさせるしかないです」

 「それがどんな相手でも、か?」

アルヴィスの表情が、瞬時に硬くなる。

 「…この国において、国王の権限より強いものは無いはずです。」

 「そうだな。アレクシスに報告を上げれば何とでもなる話だ。そしてお前には、それが出来る。だが、一つだけ抜け道がある」

老人は、三人に背を向けて窓のほうに向き直った。

 「王権の交替だ。万一、国王に何かあれば、代行者が立つ。通常なら二人の王子のいずれかだろう。おそらくは長男のほうだろうが…」

ティアーナが色めき経った。

 「そのために建国祭で陛下が狙われたと?」

 「そこまでは言っとらんよ。ただ、あくまで”可能性”じゃ。今のあやつには、敵が多いからのぅ」

 「税率の引き下げ法案の件…ですか」

と、アルヴィス。

 「税率?」 

 「うん。自治領の税率を変更するための法案さ。イヴァン、自治領って知ってるよね?」

 「当たり前だろ」イヴァンは慌てた。確か、前回の試験で出たはずだ。「領主が”王の家臣”として領地を治める土地と違って、村長とか族長とかが国王みたいになって治めてるとこで、独自の法律とかがあるところ…だろ?」

 「そう。法廷は自分たちで持てるけど、一定以上の規模の軍隊は持てない。輸出入には王国内のほかの場所よりも高い関税がかかる。また、三年に一度王都で開かれる総議会には、必ず代表を送る義務を課せられる」

 「しかしアレクシスは十年前、自治領の税率の引き下げを議会に提案した」

すかさず言葉を挟み、メネリクはそのまま話を続ける。

 「――元々はわしの発案でもあったのだ。この国の貴族たちは、強くなりすぎた。その権勢を削ぐための一歩。税率の違いは自治領の長年の不満の種じゃったし、経済振興に不利だ。わざわざ自治領だけ税率を高く設定する必要も、今の時代には無いはずだからな。

 ところが、領地持ちの貴族たちは猛反発した。自治領にかかる税率が下がると、自領の品が売れなくなるというのだ。そして、交易を収入源とする領主たちも、収入が減ることを恐れたのだ。十年前、暗殺未遂の事件が起きたのは、その議論のための議会が開かれる半年前だった。結果、調査やら何やらで論陣を張る根回しが間に合わず、その件はいったん廃案になった。」

一呼吸ほどの沈黙。

 「アレクシスは、何かと貴族どもとぶつかりやすい性格でな。いかんせん真っ直ぐすぎる奴で、根回しというやつが不得意なのだ。貴族党からすれば自治領優遇政策を強引に進める独裁者、自治領側からすれば口約束だけで何もしてくれない無能な為政者、と評価されて、損な役回りになってしまっておる。」

 「……。」

アルヴィスの表情が、わずかに翳った。彼は知っていたのだ。実の父が、他の貴族たちにどのような評価を受けているのかを。

 「でもそれって、王様のせいじゃないだろ?」

 「そうです。陛下は常に国民のことを考えておられます」

 「ま、わしらは身内じゃから、そう思えるがな。ともかく、アレクシスは前回の議会で再びこの話を俎上そじょうに載せた。今回は息子二人も味方に回って動いとる。このままいけば、おそらく可決する。」

 「だから――それを邪魔しようと?」

 「その可能性もある、ということだ。だがもし、この推測が当たっているのならば、アレクシスを排除したい者は一人ではない。…”敵”は一人ではないぞ」

 「分かってます」

アルヴィスは、きっぱりと言って顔を上げた。

 「”旧貴族”。その中でもかなりの有力者たちが関わっているのは確かだと思います。」

 「だから、その者を選んだのか?」

メネリクは、興味深そうな視線をイヴァンに向けた。

 「イヴァン・サーレ。西の辺境伯の息子じゃったな」

 「え、俺?」

 「サーレなら、旧貴族と通じることはまず無い。」

 「……。」

イヴァンは、何を言われているのか分からず、一人きょとんしている。

 「それが理由というわけではありません。僕は、個人的に彼を信用しました」

 「そうか。ま、この先に待ち構えとるものを承知で行くというのなら、敢えて何も言うまい。ただし」

アルヴィスのほうに向き直って、メネリクは、厳しい表情を見せた。

 「お前がクローナ大公家の後継者であることは決して忘れてはならん。どんなことがあっても、その使命を捨てることは許されん。”白銀紋章”にかけて誓えるか」

 「…誓います」

アルヴィスは答えた。「クローナの名と、”白銀の樹”にかけて」

 「よし。」

厳しかったメネリクの表情が、ゆるりとほどけてゆく。

 「ならば行け。そして無事、ここへ戻って来い。」

 「――ありがとうございます。」

少年は、深々と頭を下げた。それはまるで、別れの儀式のようでもあるとイヴァンは思った。

 会話の内容は半分ほども理解できなかったが、アルヴィスやメネリクが、事件の真相を追うことに命懸けの決意を必要としていることは何となく分かった。彼が突き止めようとしている真実は、一つ間違えばここにいる全員を破滅に追いやるかもしれないほど危険なものなのだ、と。


 執務室を出たところで、アルヴィスが口を開いた。

 「あのさ、…ティアーナ」

一歩先にいたティアーナが振り返る。

 「なんです?」 

 「本当にいいの? 一緒に来るって。ベオルフや、ご両親には…、」

彼女は、ちょっと肩をすくめる。

 「兄に手紙を出しました。アルが危険な任務を続けるみたいだから、しばらくついていきます、って。戻ったら叱られるかもしれませんが、その時はその時です。あなたは私の弟みたいなものなんです。放っておけるわけないでしょう?」

 「随分と怖ぇーお姉ちゃんだな」

横から余計な口を挟んだイヴァンのほうをじろりと睨むと、ティアーナは手を腰に当てながらきっぱりと言った。

 「イヴァン、いいですか。今のあなたの腕ではこの先の役目に不十分です。しっかり鍛えて上げますから、覚悟してくださいね」

 「お、おう…」

さっさと廊下の向こうに消えていくティアーナの背中を眺めながら、イヴァンは呟いた。

 「なんか、前と比べて堅苦しさが無くなった気がするな」

 「そうかもね」

くすっと笑って、アルヴィスも歩き出す。「行こう、旅に出る準備しないと。」

 「あーそうだ。なあ、西へ行くのって、船って言ってたっけ? どっから船に乗るんだ」

 「予定では、マイレ領。父さんが手配してくれるはずなんだ。連絡を受け取る場所はもう決まってるから」

 「マイレ…」

それは、サーレ領の隣にある裕福な伯爵領の名だった。大きな港町をいくつも持っている。

 「…なあ、さっき言ってた”旧貴族”って、何のことだ? 前にどこかで聞いた気がするけど、忘れちまって」

 「旧貴族というのは、百年以上前から爵位を持っている家系のことだよ。」

アルヴィスは、相変わらず本でも読んでいるようにすらすらと説明する。

 「三代前の国王が、目に余る貴族たちの特権階級意識を薄めたくて爵位の大解放を行ったんだ。自治領の領主や、新しく開拓された土地を束ねる責任者、ある一定以上の荘園を持つ大地主を対象にね。その結果、多数の新興貴族が生まれた。それ以前から爵位を持っている貴族の中には、旧家であることに誇りを持ちすぎて、新しい貴族は本当の貴族じゃない、って思ってるような派閥があるんだよ」

 「あー…」

イヴァンは、騎士学校でマルティンに「新興貴族め」と言われたことを思い出していた。あの時は意味が分からなかったが、そういうことなのか。

 「サーレ領のような辺境の開拓地を持つ家は領地が広い。対して、昔から爵位を持っている家だと、領地はほとんど持っていないか、領地なしで爵位のみということも多い。王都の近くなんかは特にそうだね。――それから一般に、旧貴族は爵位に誇りを持つ反面、新興貴族はあまり爵位に拘らない、という傾向がある。イヴァンのところなんて、まさにそうなんじゃないかな」

 「そうかも。ま、うちなんて今でも開拓民みたいなもんだからな。格だのなんだのこだわったってしょーがないし」

言ってから、はたと彼は気づいた。

 「…っていうか、そっか。旧貴族の誰かが関わってるって、どっかの領主が王様の暗殺とか企てたってことになんのか」

 「おそらくは」

アルヴイスは声を低めて、廊下の前後に誰もいないことを確かめる。

 「でも、それは今はまだ誰にも言わないでほしい。誰が敵で誰が味方なのか、今はまだ確証が持てない。そもそも貴族たちは、ある程度は王宮にも自由に出入り出来る。父や兄たちでは自由に動けないんだ。父さんは、それで、僕にこの件の調査を依頼した」

 「成程な。」

イヴァンにもようやく、自分が大変なことに関わっているのだと実感し始めていた。

 最初は、ユラニアの森が焼かれた犯人をただ突き止めたい、という思いだけだった。しかし今は、その犯人を突き止めても、そう簡単に手出しが出来ないということに気づき始めている。


 貴族たちと不仲な国王。

 都合の悪い法案が成立する前に、国王の暗殺を目論む有力貴族の誰か。

 取引の禁じられた鉱石と、それを使った未知の武器。


 (これ、…下手すると内乱になるってことじゃねーか)

ぞっとして、彼は思わず拳を握り締めた。窓の外には、クローナの旧市街を取り囲む高い城壁が見えている。そんなものを必要とした、領主同士が敵対した時代がかつてあった。この国は、その時代へと時計の針を戻そうとしているのか。

 だが自分たちが真相を突き止めて先回りできれば、その流れはきっと止められる。今ならまだ、間に合うはずだ。

 ――そう思いたかった。

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