第15話 彼らの選択
部屋から外へと繋がっていた階段の終着点は、螺旋状の階段をぐるぐると降りて、木々のアーチを潜った先にあった。降り立ったのは三方を壁、残る一方を崖に囲まれた狭い路地のようなところで、見上げても四角い空しかない。
「どこだ? ここは」
「ルディが借りてる家の裏庭だよ。」
それでイヴァンは思い出した。目の前にある青い壁が、かつてアルヴィスたちに連れられてやって来たときに訪ねた、あの家なのだ。
「へー、こんなとこから繋がってんのか」
これなら、崖の上と下に分かれているとはいえ、すぐ隣と言ってもいいくらいの距離だ。
「あのルディって人、お前の素性は知ってんのか」
「勿論。彼は、僕の養父――今のクローナ公の助手なんだ。養父は趣味で植物学者をやっていてね。王族しか触れられない”黄金の樹”の研究では、国内で唯一の専門家だよ。今回の王都への里帰りは、あの樹の再調査の意味もあった」
「なるほど。それで、”下の町”に並木道とか見に行ってたのか」
あの時、なぜ下の町を警備していた騎士たちがやたら畏まっていたのか分からなかったが、相手が王族だったからなのだ。許可なく木の実を取っても何も言わなかったのも、ある意味では当然のことだった。
「ルディは、アルが一人で旅をすると目立ちすぎるので、その目くらましのようなものです」
と、ティアーナ。
「近衛騎士ではない私がついているのも、アルが、今は厳密には王族ではないからです。」
「僕がお願いしたのもあるけどね。ティアなら、昔からよく知ってる。」
「幼馴染とか?」
「そう。ここに暮らして居た頃は、よく遊んで貰ったんだ。兄さんたちとも仲良くしてた」
「む、…昔の話ですよ」
ティアは、微かに赤くなってそっぽを向く。
なるほど。ただの護衛にしては親しく見えたのも、間違いではなかったらしい。
三人は、連れ立って”学者の小路”を通り抜けると、以前と同じように王宮の裏門から外へ出た。
広場のほうへ通じる道は、騎士団の張った縄と警備によって封鎖されている。道には、昨日の祭りの混乱の跡だろうか、脱げた靴やごみが掃除されないまま散乱し、中央騎士団の騎士たちが通りを見張っている。
「…少し遠回りしよう」
アルヴィスは、回れ右をして方向を変えた。路地に入り、折れ曲がった道を迷いもせずに進んでゆく。もう昼が近いというのに、通りには人通りが少なく、不気味なほど静まり返っている。
やがて狭い路地は、イヴァンにも見覚えがある大きな通りにぶつかった。武器屋通りだ。さすがにこの辺りまで来ると、通りを歩いている人の姿もある。
「ここだよ」
先導していたアルヴィスは、一軒の店の前で足を止めた。イヴァンは訝しげな表情で、記憶にある看板を見上げた。通りに向けてある飾り棚は鎧戸が下ろされて中を見ることはできないが、間違いなく、あの時のハザル人の店だ。
「閉まってるみたいだぜ? 今日はやってないんじゃないのか」
「問題ないわ。こっちよ」
ティアーナは慣れた様子で隣の店との間の隙間に入っていき、壁の窪みに隠れていた木戸を拳で叩いた。
「フィー、いる? 私だけど」
中で足音がした。ティアーナが脇へ退くと、戸が内側へ開かれる。
「はーい、フィー。元気だった?」
「ティア! あんたが来てくれると思わなかったよ」
浅黒い肌の女店主は、戸の置くから逞しい腕を場して勢い良くティアーナを抱き寄せた。それから残る二人のほうを見て、特にアルヴィスのほうを見て、慌てて居住まいを正す。
「アルヴィス様まで、わざわざお越しに?」
「うん。それと、僕の友人も一緒だよ」
「どうも」
イヴァンを見て、女店主は表情をほころばせた。
「やっぱり、あの時の学生さんだ! 剣が持ち込まれてきた時、そうだと思ったんだよ。さあ入って入って」
女店主は狭い木戸の奥へ姿を消す。ティアーナは、不審げな顔をしてじろりとイヴァンのほうを見た。
「…あなた、フィーとも知り合いなんですか?」
「ああ、学校の友達についてきた時に、ここに。世間って狭いな」
「…それだけですか?」
「他に何があるってんだよ」
「あなたのことですからね。信用なりません」
彼女は、納得していないという顔つきだ。
アルヴィスの後に続いて店内に入ると、独特の錆くさいような匂いが漂ってきた。表の鎧戸が閉まっているせいで店内は薄暗いが、カウンターの奥の炉には相変わらず火が燃えている。
カウンターの上には、イヴァンの剣が二振りとも並べてあった。
「俺の剣!」
駆け寄った彼は、一本は無事なのに、もう一本のほうが砕かれたままなのを見てがっかりした顔になった。布の上に丁寧に広げられた破片はピースの欠けたバグソーパズルのようで、破片は所々、欠けている。
「ごめんねぇ。直してあげたかったんだけど、これじゃ無理ね。新しく作ったほうがいいわ」
と、フィー。
「でも、何をやったらこんなになるの?」
「たぶん、これが原因だね」
イヴァンの隣で剣の破片を眺めていたアルヴィスは、砕かれた刃の真ん中あたりに転がっている、ひしゃげた金属の塊を指差した。明らかに刃の一部ではないが、近くに落ちていた金属片なので、誰かが気を利かせて回収してくれたのだろう。
「ここ、何かに貫かれたみたいじゃない?」
「ほんとだ。矢傷とは違うわね」
「で、この分厚い金属が貫いたもの…弾…かな。こういう感じの丸い弾を高速で回転させながら打ち出せば、剣がこんな風に砕けるかもしれないよね」
「何だそれ。質が悪いとはいえ鋼を貫通してるんだぜ。弾なんか…」
「クロン鉱石を使う古代武器には、そんなものもあったと聞く。確か、名前は”竜の爪”――」
アルヴィスが言った途端、フィーの表情が硬くなる。
「まさか、あれかい? アストゥールが建国される以前、大陸中がたくさんの国に分かれて争っていた頃に使われたっていう…」
「そう。君たちハザル人の町は、その時の汚染のせいで長いこと住めなくなっていたんだよね」
破片を取り上げながら、アルヴィスはイヴァンに説明する。
「クロン鉱石は熱を加えると液状になって水を汚染する。再結晶化には何百年もかかってしまう危険なものなんだ。王国で採掘が禁じられているのはそのせいだ。存在自体も一般にはあまり知らされていない。――ただし、正しい方法で生成すれば、爆発的な力を生み出す粉になる」
「けど、伝説なんだろ? 作り方が残ってるわけでもない」
「ああ。残っていた製法の一部や記録も、二百年前に念入りに処分されたはずだった。僕もまさか、古代の兵器の製法がそのまま残っているとは思っていない。おそらく誰かが、その製法に近いものを”再発見”したんだ。それが誰で、作られているのが何処なのかを調べるのが、僕らの役目だ。」
破片の端を調べながら、彼は少し眉を寄せた。
「これはもう元に戻せなさそうだな…。」
それから、顔を上げてフィーのほうを見る。
「イヴァンに、新しい剣を用意出来るかな?」
「アルヴィス様の頼みなら喜んで。ただ、新しいのを用意すると少し時間がかかっちまうねぇ。出来合いのだと…」
壁の武器に視線をめぐらせていたフィーは、表の道路に面した飾り棚に目を留めて、はっとした顔になった。
「あーそうだ! これがあったんだ」
棚の一番上に飾ってあった、黒光りする剣を降ろして、彼女はそれをイヴァンの前に差し出した。
「普通の剣よりちょいと短いけど、あんたの使い方ならむしろぴったりかもね。どうかしら?」
持ってみると、剣は思っていたよりずっと軽かった。ただ、長さや形は、以前使っていたものと、だいたい同じくらいだ。
「いい感じだ。これ、貰っていいのか?」
「うんうん。最初に気に入ってくれたのあんただし、これも縁ね」
「でもフィー、これは…。」
後ろからティアーナが言う。「ハザルの鋼…」
「あぁ、いいのよ。価値のわかる人に使ってもらえるならさ」
フィーは、陽気に笑っている。
「国王様を庇ってくれたんでしょ? それに、今はアルヴィス様のお供じゃないか。しっかりお勤め果たしてくれるんなら、あたしも本望よ」
「……。」
それ以上何も言わず、ティアーナは先に立って外に出て行ってしまった。もう一方の剣も受け取って、イヴァンは後から武器屋を出る。
「その剣、大事にしなさいよ」
「ああ、勿論。…って、何だよ、そんな顔して」
「べつに」
ティアーナはつんとそっぽを向く。
「ハザル人の黒い剣は普通の鋼とは違うんです。普通の鋼より軽くて、強度はその三倍はある。今はほとんど作られていなくて、とても高価で貴重なんです」
「げ、そんなもんくれたのか」
「そうです。気前が良すぎるというか、勿体無いっていうか、…はぁ。まったく、フィーと来たら」
彼女は溜息をついた。
「こんな未熟者に与えてしまって、大丈夫かしらね」
「お待たせ」
何か言い返そうとしたとき、アルヴィスが外へ出てきたので、言いかけた言葉はそのまま立ち消えてしまった。
「じゃあ、次の目的地に向かおうか」
そう言って、彼はどこかへ歩き始める。
「次って?」
「あの公園だよ。エーリッヒと合流しよう。現場を調べに行ってるはずだから」
通りを抜けて町の西の端にある公園まで行ってみると、そこも立ち入り禁止の縄が張り巡らされ、騎士たちが辺りを警備していた。中心に、昨日馬に乗ってイヴァンと一緒に男を追いかけた若い近衛騎士の姿がある。
「エーリッヒ」
縄の向こうからアルヴィスが呼ぶと、騎士は大急ぎで駆け戻って来た。
「わざわざお越しだったんですね。一度報告に戻ろうかと思ってたんです」
「どうでしたか?」
アルヴィスの代わりに、ティアーナが先頭に出て尋ねる。アルヴィスを目立たせたくない、という配慮だろうか。エーリッヒは生真面目な顔で、町のほうにあごをしゃくる。
「犯人の名前と潜伏先は分かりました。名前は、トム・ジョンソン。宿帳に依ると、職業は行商人です。もっとも、名前や職業が本物かどうかは不明です。宿は点々と変えていたようですが、半年ほど前からちょくちょく町に出入りしていたようです。」
「さすがはエーリッヒ」
隣でアルヴィスが小さく呟く。
「例の鉱石は?」
「直前に借りていた部屋を調べましたが、出なかったですね。犯行に使われた武器自体も。ただ、部品と思われるものは幾つか回収したんで、後で届けさせます」
「行商人トムの身元に繋がりそうな手がかりは?」
「部屋を借りるときに、自分は国中を旅しているという話をしていたそうですが、それ以外には何も。言葉には訛りもなく、身なりや持ち物からも特定の部族や地域に繋がる手がかりはありませんでした。取り扱い商品については、ある宿では塩、別の宿では魚の干物、あるいは牛の皮などと話していたそうで、実際どうだったのかは不明です。」
「ふうん…、ずいぶん巧く誤魔化しているんだな」
「そうですね。出来る限り探ってはみますが、手がかりをつかめるかどうかは期待しないで下さい」
「ありがとう。」
振り返って、ティアーナはアルヴィスに尋ねた。
「どうしますか?」
「この件はこのまま、騎士団に任せよう。人探しや身元調査なら、僕らより彼らのほうが適任だ。それより、せっかく現場まで来たんだ。イヴァン、君が辿った経路と状況を教えてくれないか?」
「ああ、いいぜ。えーと、確か広場からこっちの方向へ走って来て…」
彼は公園の端をぐるりと回って、広場から続く通りが繋がるあたりの森を指差した。
「ここから真っ直ぐ公園の中に突っ込んだんだ。で、隠れてるあいつを探し出した」
「野生が役に立ったってことですね」
褒めているとも馬鹿にしているともつかない口調で言って、ティアーナは木々の合間に腰を屈めてなにやら探している騎士団の面々を一瞥する。
「それにしても…、草むらに這いつくばって、何をしてるのかしら。あの人たちは」
「あれも大事な仕事さ。ここからじゃ木が多くて良く見えないな。上のほうに行ってみよう」
公園は町外れの斜面にあり、学校に近い側のほうが僅かに高くなっている。アルヴィスが向かっているのは、そちらだ。
木がまばらになってくるにつれ、イヴァンにも、被害の大きさが分かってきた。公園の低い側に地面が焼けて黒く変色した場所があり、焦げ臭い匂いが風にのって漂ってくる。
「…よく生きてられたな、俺」
思わずイヴァンは呟いた。像のある小高い場所からは、えぐれた地面がはっきりと見えた。
まさに「爆発」だ。
今更のように、あの時、無理をして突っ込んでいかなくて良かったと思う。もし剣を砕かれて足を止めていなかったら、犯人もろとも、今頃は体が木っ端微塵になっていたかもしれない。
「あれが、クロン鉱石による爆発、なのか?」
「そう。着火剤として使えば爆発を引き起こし、その爆発の威力で弾を飛ばせば矢よりも恐ろしい兵器となる。――そんなものがこの国の中に入ってきているんだ」
アルヴィスの口調は淡々としていたが、彼が何を考えているのかは表情で分かった。
この事件の犯人を早急に探し当てなければ、いつか必ず、もっと悲惨な事件が起きる。
風が吹いて、焦げ臭い匂いとともに独特の異臭が漂う。それは遠い記憶にあるものと同じだった。十年前にユラニアの森が焼けたあの日、人々にこびりついていたあの匂い。
イヴァンは唇を強く噛んだ。
もう少しで届きそうだったのに。もし、あの男を無事に捕まえられていれば…。
「アル、…一つ頼みがある」
「頼み?」
「俺にも、お前の”調査”を手伝わせてくれないか」
アルヴィスは、少し驚いた顔をして振り返った。
「ユラニアの森を焼いたのが何者だったのか、あの時、何があったのか知りたいんだ。誰かの持ってくる答えを待ってるのは嫌だ。俺自身の手で、…辿り着きたい」
「……。」
少年の驚きが、やがてゆっくりと微笑みに変わっていく。
「な、何で笑うんだよ。確かに俺、そんなに頭良くないし、それに…大したことは出来ないけど…」
「違うよ。それ、僕がお願いしようと思っていたことと同じだったから」
今度はイヴァンが驚く番だった。微笑みは消え、アルヴィスは真剣な表情に変わっていた。
「君の力を貸してほしい、イヴァン。この件を解決するには、きっと君の力が必要になる。」
イヴァンは差し出された手を見下ろし、もう一度アルヴィスの顔を見た。
その手をとれば、もう戻れなくなることは分かっていた。
だが、――彼は、気が付いたときには自分の手を差し出していた。
「はあ…。やっぱり、こうなるんですね」
ティアーナが、横で深い溜め息をついている。
「味方が多いほうがいいのは確かですが、よりにもよって、こんな…。まぁ、アルが決めたことですから、文句は言いませんけどね」
「何だよ。俺だって多分ちょっとくらいは役に立つと思うぞ? ちょっとくらいは!」
「うん、きっと役に立つよ」
アルヴィスは、嬉しそうに笑っている。その顔を見て居た時、イヴァンは、以前、この少年が「誰かに似ている」と感じたことを思い出した。
――あの、広場の像だ。
広場のベンチの端に腰を下ろしている、大昔の王様の像。顔立ちや全体の印象が似ているのもあるが、王族だと知った今では、気取ったところもなく、人混みに紛れて誰とでも気さくに話すところもよく似ている気がした。
(ああ、…そうか。昔の王様ってのも、きっとこういう…)
いくら教科書を読んでも、記憶の表面を滑っていくだけでちっとも覚えられなかった”王国の歴史”も、友達の家族のことだと思えば意味は変わる。今なら、覚えられるような気がする。
梢の間から射す光が、少年たちの横顔を柔らかに照らし出す。
その時、イヴァンは、まだ知らなかった。
そこから始まる旅路が思っていたよりもずっと長いものとなることも、その道が何処へ辿り着くのかも。
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