第16話 旅立ち
アルヴィスと一緒に学校に戻ったとき、校舎はしんと静まり返り、生徒たちの気配はなかった。時間からして午後の授業中のはずだから、みな教室で授業を受けているのだろう。
昨日の事件の後だというのに、もう学校は再開されているのだ。当たり前といえば当たり前かもしれないが、今日が平日なのを今の今までイヴァンはすっかり忘れていた。
イヴァンは、アルヴィスとともに校長室に通された。しばらく待っていると、校長のヘイミルが入ってくる。
「お待たせしました。どうぞお座り下さい」
柔和な笑みを浮かべながら、男は生徒たちに対するのとは異なる口調で言った。そして、二人が腰を下ろしても、自分は立ったままだ。
「ヘイミル、座って。」
「いえ、殿下の前でそのようなことは」
アルヴィスは苦笑する。
「あなたはもう騎士じゃなくてこの学校の責任者なんだし、僕はもう王位継承権の保有者ではないから、そんなに畏まらなくてもいいよ。イヴァンもいるんだよ、校長先生が立ったままじゃおかしいでしょ」
言われて、ヘイミルは渋々といった様子で向かいの椅子に腰を下ろす。普段とは全く違う雰囲気だ。
イヴァンは、二人を見比べた。そういえば、ヘイミルはかつて、騎士だったと言っていた。今まで思いつきもしていなかったが、アルヴィスとも顔見知りなのは当然なのだった。
「今日ここへ来たのは、イヴァンを少しの間、借りる許可を貰おうと思ったからなんだ。彼の力が必要でね。構わないかな?」
と、アルヴィス。
「勿論です。我が校の生徒がお役に立てるのであれば」
即座に言い、ヘイミルは視線をイヴァンのほうに動かした。
「――しかし、その前に聞いておかなくてはならないことがあります。祭りの日のことですが」
「え、俺?」
「旗手の役が別人にすり替わっていた件ですよ。一体、何があったんです」
「ああ…それは、えっと」
イヴァンは、事の次第を全て正直にヘイミルに説明した。誰かに地下室へ呼び出されたこと、閉じ込められて力づくで脱出したこと。翌朝、ようややく脱出して部屋に戻ってみると、衣装の箱が無くなっていたこと――。
「なるほど、そういうことでしたか」
聞き終えたヘイミルは、見るからに険しい表情になっていた。
「君が標的なら心配ないだろうと思っていたのですが、そこまでとは…。マルティンの悪事も、少し大目に見すぎましたね。」
「まさか、あんなに扉が硬いとは思わなくてさ。本当は、もっと早く脱出出来れば良かったんだけど」
「頑丈なのは当然です。…あの地下室は元は懲罰房なんですよ。昔はこの学校も血気盛んな生徒が多くて、校内で決闘を始めるようなことも多かったですから。ただ、今はもう使うことも無くなって倉庫になっていたのですが…、まさか、それを悪用する者がいたとは…。」
「マルティンは?」
「最初は何やかんやと言い訳していましたが、問い詰めるとあっさり認めました。どうしても旗手をやりたくて君の衣装を奪ったとね。ただ、誘い出して閉じ込めたことまでは言いませんでした。…君から話を聞くまではと思って謹慎処分にしてあったのですが、公の場にまで迷惑をかけたのでは、退学処分にせざるを得ないでしょう。」
「……。」
少し可愛そうな気もしたが、処分の軽減を願い出るほどマルティンに同情は抱かなかった。どちらにせよ、自分の撒いた種だ。
「それで、イヴァン君を連れていくのはどのくらいの期間になりそうですか?」
と、ヘイミル。
「調査にどのくらいの時間がかかるかにも依る。本当は、学校の合間に力を借りられれば良かったんだけど、僕はこれからクローナに戻らなくてはならない。もし同行してもらえるなら、少し長旅になるかもしれない」
「ふむ。とすると、少し早めの夏休みになりますね」
ヘイミルは、何かを思案している。
「…では、こうしましょう。イヴァン君は実家に急用が出来て実家に戻ることになった、と私から皆に伝えます。西のサーレ領まで往復するにはそれなりに時間がかかりますからね。不自然ではないはずです」
「嘘ついて出てくのは、あんま気が乗らないなぁ…」
「私たちのことは、正直に言わないでくださいよ」
慌ててティアーナが口を挟む。
「私たちのことだけではなく、調査の件もです。クロン鉱石の密輸入が関わっていることは、…十年前の事件との関連もですが、…機密事項なんですからね!」
「あー、それは分かってる。分かってるって。ううん、そうか。行き先も言わないほうがいいんだな。気をつけないとな…」
アステルやエデルにも何も言えないのは、少し心苦しいところがあるが、仕方がない。
「それでは、イヴァン君の休学手続きは、私のほうで。殿下――アルヴィス様。どうぞ、お気をつけて」
「うん、ありがとう。」
ヘイミルのもとを辞して玄関まで戻って来た時、ちょうど終業の鐘が鳴った。午後の授業が終わったようだ。
「イヴァン、準備が整ったら迎えに来るよ」
「ああ。校長先生の許可も取ったし、そん時は呼んでくれ」
玄関先にはティアーナが待っている。扉のあたりで振り返って、アルヴィスは微笑んだ。
「じゃあ、またね」
二人が去っていくのとほぼ同時に、背後から生徒たちの賑やかな足音が響いて来る。
「あ、イヴァン!」
エデルとアステルだ。人の流れを押しのけるようにして駆け寄ってくる。
「お前、どうしてたんだよ昨日は」
「なんでマルティンが?! それに、その怪我…」
「あーまあ、話せば長いんだけどさあ。――」
賑やかな声に囲まれながら、イヴァンは、無事に学校に戻ってこられたことに、ほっとしていた。
いつの間にか、学校での生活は彼の一部になっていたのだ。ただ、あと何日かすれば、またここを出て行くことになる。
(こいつらには、何も言えねぇんだよな…)
嘘をつかなくてはならないことに、かすかな罪悪感も覚える。けれど、この件には、他の誰も巻き込むわけにいかないのだった。
そして、数日後。
アルヴィスからの呼び出しで向かった先は、”下の町”だった。そこなら人目につきにくい。
広場で乗り合い馬車を降り、指定された場所に行ってみると、アルヴィスとティアーナ、それに近衛騎士のエーリッヒが待っていた。
「待たせたな。」
「そっちは問題なく?」
と、ティアーナ。
「ああ、休校届けは受理されてる。友達には、急な用事でしばらく家に戻るって言ってある」
「そう。」
エデルもアステルも、表向きは疑っている様子はなかった。校長のヘイミルも口添えしてくれたお陰だ。
「そっちの準備も問題ないのか?」
「うん。王都での用事は片付けてきたよ。ルディは元々、こっちで学会に出るために来てたから、しばらく残る」
「馬はこれをお使いください。」
そう言って、エーリッヒが携えていた馬の手綱を差し出す。以前ベオルフたちがサーレ領に来た時に乗っていたのと同じ、大柄な軍用馬だ。
「うちの領地名産の俊足馬です。お役に立てるといいのですが」
「ありがとう。王都のことは、引き続きよろしく頼むよ」
「はい」
若い騎士は右手を胸にあて、頭を深々と垂れた。それから、ティアーナとイヴァンのほうを見る。
「君たちも、くれぐれも気をつけて。アルヴィス様のことは頼む」
「ええ」
「言われなくても。」
それぞれ鞍にまたがると、三人は、エーリッヒに見送られて下の町を出発した。向かう先は北方の都クローナ。王国の第二首都であり、アルヴィスの現在の住まいのある町だ。
「んで、クローナで何するんだ?」
「僕の義父にあたる人、今のクローナ公メネリクに会って今回の王都訪問の報告をするつもりだ。それにあの人は、王国のことなら何でも知ってる。知恵を貸してくれると思う」
馬の背に揺られながら、アルヴィスは初夏の空を見上げた。
「天気もいいし、三日あれば着くと思うよ」
北へ向かう大街道は、どこまでも真っ直ぐに、地平線の彼方へと続いている。
一度も行ったことのない地方へと向かうのだ。一人旅ではないが、実家のお目付け役のいない旅は、生まれて初めてだ。
こんな時だというのに、イヴァンの胸は微かに躍った。
(この先には、どんな町があるんだろう。…これから何があるんだろう)
馬上に揺られながら、イヴァンは、はやる胸を押さえた。
ほんの何ヶ月か前には思いもしなかった道程が、始まろうとしていた。
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