第14話 王子と国王

 (…んー…あれ? 俺、何でこんなところで寝てるんだっけ…)

 明るい日差しの中に意識が浮上する。

 目を覚ますとそこは、見知らぬ寝台だった。いつもの学校のごわごわしたシーツとは別の感触がある。

 (――そうだ! 不審者を追いかけて)

意識を失う前のことを思い出して、イヴァンは、慌てて飛び起きた。瞬間、鈍い痛みが全身を駆け巡る。

 肩に手をやると、包帯が巻かれているのが分かった。その手にも、頬のあたりにも、手当ての跡がある。


 確か、あの事件のあと馬車に載せられて、何処かへ連れ込まれたのだ。そこまでは覚えているのだが、そのあたりの記憶がはっきりしない。

 彼は寝台から飛び降りて、自分の靴を探した。病院にしては部屋の中は上品で、調度品も見たことが無いくらい上等なものばかりだ。ここは一体、どこなのだろう? 

 人の気配はない。薄いカーテンのかかった窓の向こうも静まり返っている。

 「あれ、服がないな…武器もだ」

寝台のあたりを探し回っていると、扉が叩かれた。

 彼が返事をするより早く、畳んだ服と食事を載せた盆を抱えた誰かが入ってくる。驚いたことに、入って来たのはティアーナだった。彼女はイヴァンと目が合うと、怪訝そうな顔をした。

 「何、もう起きてたの? ずいぶん頑丈ですこと」

 「お前、なんでここに…」

 「なんでって。あなたがここに運ばれてきたからでしょう」

 「ここって?」

 「王宮」

さも当たり前だと言わんばかりの口調で言いながら、彼女は寝台の脇のテーブルにトレイを置き、椅子に服をかける。

 「なんで、そんなとこに…。」

彼はちらりと窓の外を見やった。以前連れられて行った、”学者の小路”のことを思い出したからだ。確か、ティアーナの家もそこにあると言っていた。

 「まさか、お前ん家じゃないだろうな」

 「違いますよ。外側のほうではなく、内側の塀の中。ここは正真正銘、王宮の中です。」

 「……。」

イヴァンは額に手をやった。

 「もう一回聞くけど、なんでそんなとこに?」

 「呆れた人。本当に、鈍いにもほどがあるわね。」

溜息をつきながら振り返ったティアーナは、じっ、とイヴァンの顔を見た。

 「あなた、昨日兄さんに言われたこと忘れたの?」

 「兄さん?」

 「ベオルフよ。あなたは重要参考人だから、ゆっくり休んで、それからじっくり話を聞かせて貰いたいって。そう言ったらしいんだけど?」

前日の記憶が蘇ってくるのと共に、イヴァンは、ようやく気が付いた。誰かに似ていると思っていたのは――そう、ティアーナは、ベオルフに似ていたのだ。

 「あ、あー!」

 「ちょっと、何よいきなり大声で」

びっくりしているティアーナの前で、彼は頭を抱えている。

 「何か、どっかで見た顔だなぁってずっと思ってたんだよ…なんで気が付かなかったんだよ…!」

 「まったくね。」

ティアーナは、噴出したいのを我慢しているような表情でひとつ咳払いした。

 「それだけ大声が出せるのなら、もう大丈夫ね。さっさと着替えて、腹ごしらえでもして来なさい。支度が済んだら、あとは兄さんが案内するって」

扉が閉まり、イヴァンは部屋の中に取り残された。

 最初の衝撃が収まってゆくのと同時に、今の状況が少しずつ、理解出来てきた。ティアーナが近衛騎士のベオルフの妹だということは、…ここが王宮だというのも本当なのだ。

 「重要参考人」。確かに、あの襲撃の犯人の姿を見ていたのは、自分と、途中で追いついてきたもう一人の近衛騎士くらいだった。

 そしてこの事件は、国王か、その家族の誰かの暗殺未遂なのだ。

 犯人を追いかけて居た時は、そんなことには思いもよらなかった。

 (そりゃー、王宮にも呼ばれるよな。当然だ…。)

あまり深く考えずに走り出してから、理由に気づく。イヴァンにはよくあることだ。彼は、額に手をやりながらひとつ、ため息をついた。


 これからどうしようかと見回すと、身支度の一式。さっきティアーナが運んできたらしい、湯気の立つ朝食の載った盆も置かれている。

 とたんに、腹の虫が声を上げた。そういえば、丸一日以上、まともに食べていない。

 「まいっか、とりあえず食ってから考えよう」

彼はあっさりとそう決めた。決めるが早いか寝台の端に腰掛けて朝食を平らげ、それから、部屋の片隅に見つけ出した水桶と洗面台で、顔を洗って着替えを終えた。武器だけは見つからないが、それは後で聞こう。


 部屋を出て廊下の端まで行ってみると広々とした庭園が目に飛び込んできた。

 眩しい光に目が眩むようだ。庭の中心には天を突くような黄金色に輝く木が一本立っていて、その周りを手入れの行き届いた芝生と、小さな水の流れとが取り囲んでいる。多分これが、”下の町”で街路樹を作っていた金色の木々の親木なのだ。

 庭を囲むようにして続く回廊は、年月の色を帯びた灰色のどっしりした石造りの手すりと梁とで出来ている。今出てきた部屋は、回廊の一階部分の一番端にあった。そして、回廊の中ほどに、庭を眺めるでも、誰かを待つでもなく、直立不動の姿勢で立っている男が見えた。

 ベオルフだ。

 視線に気づいたのか、男はこちらを振り返ってにやりと笑った。

 「よう、思ったより元気そうだな」

今日のベオルフは、いつか町中で見かけたような、金糸飾りのマントをつけた正装をしていた。腰に下げた剣の先には、金色と銀色を織り合わせた近衛騎士の房飾りが揺れている。気後れして一瞬近づくのがためらわれたが、それもほんの一瞬のことだ。ベオルフの、以前サーレ領で見たのと同じ気さくな笑顔がそうさせた。

 イヴァンは口を開いた。声が響きすぎないよう、いつもより少しばかり控えめに。

 「ここは王宮だって聞いたんだけど、学校には…。もしかして俺、無断外泊になってる?」

 「覚えてないのか? 校長殿にはちゃんと伝えといたぞ。ま、昨日は大変だったし、お前もぼーっとしてたからな。」

くっくっと笑う。

 「にしても、お前一体あの時、何してたんだ? 予定の旗手には別の奴が出てくるし、そいつはお前が腹壊したから代理だって言うし。そのお前は腹壊すどころか広場の木の上に潜んでて――」

 「そ、それは色々あったんだよ」

慌ててイヴァンは話題を変えようとする。

 「それより、あの時。音がして、馬が倒れたような気がしたんだ。誰か、怪我とかしてないのか」

 「ああ、狙いは逸れた。不幸中の幸いだな。それにしても、良く不審者を見つけられたな。あの時、あいつに反応したのはお前と、警備に当たってたうちの若手騎士、エーリッヒだけだったんだぞ。それは誇っていい」

 「…たまたまだ。目の前にいたからさから」

恥ずかしくなって、イヴァンは、慌ててそっぽを向いた。

 「犯人は? どうなったんだ」

朦朧としていた中でも、犯人の身柄が確保出来なかったという会話が交わされていたことは、なんとなく覚えている。それに、あの爆発。

 「あいつは、自分もろともあの辺り一体を吹っとばしやがってな。」

男は、ふいに真面目な顔になった。

 「火は水をかけてもなかなか消えなかった。多分、ただの爆発じゃないな。あれは――クロン鉱石によるものだ」

イヴァンは、思わず息を呑んだ。記憶の中にある、十年前の、あの夜の火災と、昨日見た炎とが、交じり合うようにして重なっていく。

 「…あの、黄色い粉みたいなやつが、そうだったのか」

彼は思わず呟いた。

 「何か見たんだな?」

 「ああ。筒みたいなの持ってて、黄色い粉が零れてた…」

 「なるほど。お前をここへ連れてきたのは正解だったようだ。行こう」

少年の肩に手をやって、ベオルフは、今まで自分の立っていた場所にあった両開きの扉のほうを向いた。軽くノックすると、中から返事がある。

 「失礼します、陛下。昨日の少年が目を覚ましましたので、お連れしました」

えっ、と思うより早く、イヴァンは後ろから部屋の中に押し込まれていた。

 広々とした書斎の、真ん中に置かれた机の端に腰掛けていた男が顔を上げ、こちらを見る。


 金の髪に、人懐っこそうな茶色い瞳。

 それは、昨日、行列の先頭に見た、白い馬に乗っていたあの人物に間違いなかった。

 「やあ。怪我が大したことなくて良かった」

手にしていた書類の束を置いて机の端からひょいと降りた男は、無造作にイヴァンの前に手を差し出した。

 「イヴァン・サーレだね。私はアレクシス・フォン・リーデンハイゼル。ま、王様でも陛下でもアレクシス様でも、適当に呼んでくれ」

 「…あ、どうも」

何の心の準備もしていなかった。それに、目上の人に対する礼儀作法など覚えてもいない。

 だが、握手を断るのはきっと失礼に当たる。挨拶の握手を交わしたあと、アレクシスは、手を腰の後ろに回してイヴァンを見下ろした。

 「さて、あらかたの話は我が騎士、エーリッヒ・フォン・マーテルから聞いているが、改めて君のほうも話も聞いておきたい。まずは本来なら一番旗手を務めるはずだった君が、どうして君はあの木の上にいたのか?」

 「え?! そこからですか。それ関係ないんじゃ…」

 「重要な話ではないのかね? 言わないなら、君はあの襲撃を知っていたのかと疑ってしまうが」

イヴァンは口ごもった。まさか、王様に直接、マルティンのことを告げ口するわけにもいかない。

 「…地下室から脱出するのに時間がかかって間に合わなかったんで、せめて見学だけでもしようって。」

 「ほう? 地下室? またなぜ」

 「閉じ込められてたんですが…その、…ちょっとした学内のイザコザみたいなものです。この話って本当に必要ですか?」

 「ふむ、まぁいいだろう。それで? あの木の上に登って様子を伺っていた君は、どうして、何か異変が起きることに気が付いた?」

 「あそこで、あの時に何か起きると知ってたわけではありません。ただ――なんとなく下を見てたら、動きがおかしいやつがいたんです。」

 「なるほど。で、とっさに声を上げ――何だっけ? ベオルフ」

ベオルフは、もったいぶって小さな咳をした。

 「恐れながら申し上げますと陛下、目撃者の話では手にしていたりんごを投擲した、とか」

 「食べかけのりんごです」

ささやかに訂正して、イヴァンは続けた。

 「そのあとは、たぶんあの人――エーリッヒって人も知ってることだと思います。公園のほうに逃げてくのを追いかけてったら、突然攻撃してきて、よく判らないまま剣が砕かれました。何か飛び道具を持ってたと思います。で、逃げようとしたところをあいつは後から来た騎士の人に足を矢で射抜かれて、逃げられないと思って観念したところで懐から何か取り出すのが見えた。はっきり覚えてるのはそこまでです。…そのあとは、爆発で吹っ飛ばされて、しばらく気絶してました。」

そこまで言ってから、彼は、ふと自分の腰のあたりに手をやった。

 「そういや、俺の剣ってどうなったんですか」

 「破片は拾い集めて、状況確認を兼ねて町の腕利きの鍛治屋に持ち込んである。」

後ろから、ベオルフが言った。

 「ただ、片方は破損が酷くて、元通りになるかはわからんそうだ。」

 「…そんなに?」

 「ああ。相当な衝撃だったはずだぞ。お前の手まで砕けちまわなくて幸いだった」

言われて初めて、イヴァンは、自分の左手が包帯できつく巻かれていることに気が付いた。指を動かすと、肩にかけて全体がぴりぴりと痛む。


 顔を上げて、彼はアレクシスをじっと見つめた。

 「で、あいつは一体何者だったんですか? 見たこともない筒みたいなもの持ってて、それが火を噴いた。あんな武器は初めて見ました。武器だとすれば、ですが…」

 「ふむ。いい質問だ。実は我々もそれを知りたいと思っている」

 「クロン鉱石を使ったとか聞きました。十年前、ユラニアの森を焼いたのもそれだったって。一体、何なんですか? その鉱石って。どうして、うちの森が――」

 「落ち着け、イヴァン。」

ベオルフが諌める。

 「知りたいのは分かる。だが、それを説明するのは私より、あの子のほうがいいだろう」

そう言って、アレクシスは片手を顎にやり、ちらりと扉のほうに視線をやった。

 「ティアーナが呼びに行ったはずだから、もうじき来るはずなんだが…」

 言いかけた時、ちょうど、廊下で足音がした。ノックの音がする。

 「失礼します、陛下。お連れしました」

ティアーナの声だ。

 「ちょうどいいところに来た。入りなさい」

ティアーナが扉を開いて、一礼して脇へ退く。後ろから現れたのは、なんとアルヴィスだ。

 「お待たせしました。」

それから、イヴァンのほうを振り返って、にっこり笑う。「やあ、イヴァン。」

 「え…え?」

イヴァンは、わけが分からずに混乱している。

 「アル、なんでお前までここに…」

扉の脇に控えているティアーナが、盛大なため息をついた。

 「まったく、どこまで鈍いんですか。この方は――」

愉快そうな顔で眺めていたアレクシスが、口を開いた。

 「その子は、私の末の息子だ。」

 「は?」

イヴァンは、ぽかんとして部屋の中にいる四人の顔を交互に眺める。にやにやしているベオルフと、呆れて額に手を当てているティアーナ、そして、国王アレクシスとアルヴィスを。

 そして思い出した。いつだったか、エデルやアステルと昼食を食べに行ったときの会話を。

 全てがようやく繋がった。どうしてアルヴィスに、ティアーナという護衛についていたのか。王宮にすんなり入れた理由も…。

 「アルヴィスは、今はクローナに住んでいる。今のクローナ公は妻の叔父上…先代国王の弟陛下なのだが、子供がいなくてな。十年前に養子に出したのだ」

と、アレクシス。

 「十年前の事件以来、国内では密かにクロン鉱石が取引されていることが判っている。だがどんなに探っても、その流通経路を探り出すことが出来なかったのだ。最近では武器らしきものまで開発されているのにも関わらず、だ。そこで、信頼の置ける者たちの中でも比較的、自由に動けるアルヴィスに、調査をさせている。」

 「僕なら立場上、騎士や役人には入れない場所でも何とかなったりするからね。」

アルヴィスが続ける。

 「久しぶりの里帰りと建国祭への出席を理由にすれば、王都に出入りしても誰にも怪しまれない。」

 「公園で花植えたり、本屋で本買ったりしてたのに、か?」

 「…それは、ちょっとした息抜きと、ルディの手伝いだよ」

彼は苦笑する。

 「それに、調査のことはおおやけにはされていないんだ。僕は名目上、クローナ公の代わりに祭りに参加するためにこの町に来ている。少しくらい観光するふりでもしなきゃ、逆に怪しいからね。」

 「う、うーん…?」

イヴァンは、ちらりとアレクシスのほうを見、アルヴィスと見比べた。

 祭りで見た上の二人の王子たちが父親そっくりなのに対して、アルヴィスは、瞳の色以外はあまりアレクシスに似ていない。母親似なのだろうか。

 「と、そういうわけだ。この件はアルヴィスに一任している。この子に協力してやって貰えるだろうか?」

 「それは…勿論」

あわてて居住まいを正しながら、イヴァンは頷いた。「望むところですよ」

 「それは良かった。」

折り良く、扉が再びノックされた。外から声が響いて来る。

 「失礼します、陛下、そろそろ会議のお時間ですが――」

 「おっと、もうそんな時間か」

慌てて、アレクシスはさっき読んでいた書類を纏めた。

 「早く行かないとエカチェリーテに怒られるな。ではアル、そちらは頼んだぞ。後で纏めて話を聞かせてくれ。」

 「はい。」

小脇に書類の束を抱え、椅子にひっかけてあった上着を手に取りながら、多忙な国王はベオルフを従えて部屋を出て行ってしまった。ぽかんとして見ていたイヴァンは、アルヴィスに突かれて我に返る。

 「来て貰いたいところがあるんだけど、いいかな」

 「おう、そりゃもちろん。けど、…うーん、なんか実感ないなあ」

 「実感?」

 「お前が王子様ってこと。」

アルヴィスは、ちょっと肩をすくめて廊下に向かって歩き出した。

 「厳密には、もう王位継承権は無いんだ。クローナ家の養子に出るってそういうことだし」

 「でも王様の息子なのは違いないんだから、王子だろ。つか、ほんっと全然気が付かなかった」

 「あまりにも気が付かないものだから、ティアーナなんてずっと不機嫌なままで。」

くすくす笑うアルヴィスの横で、ティアーナは口を尖らせている。

 「だって、名前を聞いても、王宮の中までついてきても、さっぱり気づかないんですよ? 世間に疎すぎます。」

 「豪腕の女騎士ティアーナといえば、騎士団では人気の有名人なのに、それも知らないんだもんね」

 「そ、それは…。私のことはいいんです!」

 「はあ…。それで、ずっとあんな態度だったのかよ」

イヴァンは苦笑した。

 「それだけじゃないですけどね」

彼女はじろりとイヴァンをにらみつけた。

 「あなたが、兄が褒めていた人物の現物だと思ったら、げんなりしたんです」

 「…なんだそりゃ。ていうか、俺のことも最初から知ってたのかよ」

 「兄からサーレ領の報告は全て聞いてます。まさかこの国に、西方出身でイヴァンって名前の双剣使いが、そう何人もいるはずないでしょ」

 「だったら、もっと早く言ってくれれば良かったのにさ」

 「言おうかとは思ったんだけどね。面白いから、いつ気づくかなって黙ってたんだ」

アルヴィスは心底、愉快そうだ。

 「まさか国王の前に引っ張り出されるまで気づかないなんて、君らしいよ。」

 「……。」

イヴァンは、ばつが悪そうな顔で口をつぐんでいた。

 通り過ぎようとしている王宮の中の風景は、雰囲気からして、今までに見たどんな場所とも違う。この辺りは、国王やその家族が暮らす区画のようで、人がほとんど居ない。本当なら、イヴァンのような外部の人間は入れないような場所に違いない。


 回廊を抜けると、渡り廊下。それから階段。

 さすがに王宮というだけあって中は広く、何かの制服らしい揃いの上着を着た人々や、王宮の紋入りの外套を身につけた警備兵が要所要所に立っていたりする。それらの間を、アルヴィスは迷うこともなく、慣れた様子で通り過ぎていく。すれ違う召使いが足を止めて軽く会釈したりするところなど、イヴァンの家では考えられないことだ。




 やがてアルヴィスは、建物の端にある部屋の前で足を止めた。

 「着いたよ、入って」

扉を開くと、寝台と机以外は何もない、殺風景ながらんとした広い部屋があった。

 いや、殺風景というには少し語弊があるだろうか。机の上には難しそうな本が何冊も積み上げられ、書き掛けの書類が置かれている。

 「ここは?」

 「滞在中の僕の部屋。”学者の小路”のすぐ近くなんだ。」

アルヴィスは、窓の側まで行って足を止めた。窓の外、ちょうど真下に”学者の小路”が見下ろせるようになっている。成る程、ここは王宮の裏口側の一番端なのだ。

 「なあ、さっき王様がクロン鉱石ことを探るのはお前に任せてる――って言ってたけど、ベオルフたちがうちに来たのは、もしかしてお前がそう言い付けたからなのか?」

 「正確には、僕の依頼で父さんがそう命じた。近衛騎士に命を下せるのは、国王だけだから。」

振り返って、彼は部屋の中ではほとんど黒に見える濃い色の瞳でイヴァンのほうを見た。

 「サーレ領へ行ってもらった理由は二つ。一つはクロン鉱石が”今も”持ち込まれている形跡があるかの確認。もう一つは、サーレ家で管理されている国境検問の出入国記録を確かめること」

 「おいおい、それじゃまるでうちが疑われてるみたいじゃねえか」

 「そうじゃない」

アルヴィスは、本棚から束ねた紙を取り出した。

 「意図せずに持ち込まれている可能性もあると思ったんだ。例えば、国境近くの場所が取引き場所になっている、とかね。でも、そうじゃなかった。だけど、領主様にいただいた出入国の記録からは興味深いことが判ったよ」

机の上に広げられたのは、国境の砦を通過した人数、名前、目的などを記載した夥しい量の記録。しかも、見覚えのあるレオンの字だ。

 「これは――、」

 「サーレ伯に頼んで、ここ十年分の写しを送ってもらったんだ。届いたのはつい一週間ほど前だね」

あの時、レオンが探していたのはこれだったのか。

 「十年前と比べて、国境を陸路で通過する人数も物資の量も変わっていない。にも関わらず、国内に入ってきている西方からの品は最近になって急激に増えてきているんだ。イヴァン、西の国境って深い渓谷があるんだよね?」

 「ああ、パレアル渓谷だな。唯一渡れる吊り橋の目の前に作られてんのが、うちの砦。この記録は、そこのだよ」

 「記録に欠損はない。陸路で持ち込まれる物量は、確かに増えていないんだ。だとすればおそらく、西方からの品が持ち込まれているのは、海路だ」

イヴァンにはまだ、アルヴィスの言わんとしていることが良く分からなかった。

 「西の国が、どう関係するんだ?」

 「鉱石の持ちこみ元さ。地図を見せるよ」

机の端にあった丸めてあった紙を広げると、アルヴィスは機敏な動作で手近な本とペン立てを重石にする。地図には緻密に引きこまれた細い線が幾重にも走っていて、赤い○印がいくつか付けられていた。

 「王国内のクロン鉱石の鉱脈のありかだ。把握出来てる範囲で、だけどね」

そう言って、彼は指で一点を指した。

 「ここが首都、リーデンハイゼル。国内で一番大きな鉱山は王都のすぐ南にある”死の海”の中だけど、ここは王国の管理で厳重に封鎖されているし、近くにハザル人の町もあるから監視は行き届いてる。他に鉱脈があるのは北方。でも北方は商業都市クローナを中心とした流通網が敷かれてる。クローナ家に把握できる範囲の流通網を全く掠めずに国内に流通させることは難しい。東方も同様だ。

 ―――残る可能性は西方だけ。最近開拓された土地の多い西方には、未調査の地域が数多くある。その中でも、国境の向こう側の可能性が高いと思っている。今まで鉱脈が見つかったのに似た地形が多いからね」

すらすらと言って、彼は、点線で区切られた国境の先の白紙部分を指で軽く叩いた。

 「ユラニアの森は、まさに西の国境にある。鉱物専門家のオルグの話では、森の近辺に鉱脈はなさそうだということだった。だとすれば、鉱脈が隠されているのは国境の向こう側の可能性が高い。十年前の事件で使われたクロン鉱石も西方から持ち込まれたのだとしたら、…話が繋がるんだ」

イヴァンの表情が硬くなる。

 「…うちの領内を、そんなヤバいもんが通ってたっていうのか」

 「おそらくね。当時はクロン鉱石のことを知ってる者は少なくて、見ても分からなかったと思う。だけど今はサーレ伯爵殿にも情報は渡ってるし、もう、昔ほど簡単に持ち込むことは出来ないはずだ。検問に引っ掛からずにサーレ領を素通りは出来ないだろうから。それで、陸路から海路に切り替えられたんだとすれば…」

地図を元通り巻き取りながら、アルヴィスは顔を上げた。

 「十年前、そして今回。二度の暗殺未遂。どちらにもクロン鉱石が関わっている。もしかしたら同一の勢力によるものかもしれないけど、今の段階では断言は出来ない。ただ、海路だとすれば、少なくとも、石がどこから持ち込まれているのかは推測が付く。おのずと候補は絞られてくる。目的だけが分からない。」

 「目的? 武器を作りたいからじゃないのか。」

 「それは、禁じられているクロン鉱石を国内に持ちこむ理由のほうさ。僕が言っている理由は、わざわざ国王暗殺なんていう、大それたことを企む理由のほうだよ。」

 「ああ、…確かに」

腕を組んで、イヴァンは天井を見上げた。

 「んなことすると、余計に追求厳しくなるよなぁ普通」

 「それでも敢えて、…というのは、よほど正体がバレない自信があるのか、或いは、手を出すことが出来ない場所にいる人物なのか…。」

言葉を切って、アルヴィスは少し考え込んだあと、ふいに声の調子を変えた。

 「さあ、それじゃ次は、君の剣を見に行ってみようか。」

 「俺の?」

 「修理中だって聞かなかった? 町の腕利きに預けてあるんだ。」

言いながら、アルウィンは、歩いていく先はさっき入ってくるときに使ったのは反対側の壁についている扉に手をかけた。

 「え、そっち?」

 「町に出るなら、こっちのほうが近いんだ。」

扉を開くと、明るい日差しとともに涼しい風が吹き込んでくる。部屋は、狭いポーチを通じて直接外に繋がっているようだった。


 ポーチの片側は、崖の斜面。

 斜面の下のほうには、いつか見た、”学者の小路”の色とりどりの家の屋根が見えていた。

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