第10話 学者の小路
帰りの馬車に乗って”上の町”へ戻ると、広場からは徒歩だった。王宮は、大通りを真っ直ぐに行った正面にある。迷うことなどない。何しろ、目の前に見えているのだ。
だが、アルヴィスたちはその道は通らないという。
「裏口に別の門があるんだ。王宮の城壁は二重になっていて、僕らが行くのは、外側のほうの内側――使用人や関係者が住んでる区画だから」
実を入れたかばんが潰されないよう、胸の辺りに大事に抱きかかえながらアルヴィスが言う。
「ついてきて。」
イヴァンは、周囲に視線をやった。下の町と同じように、この町も広場を中心として放射状に通りが走っているようだった。ただ、歴史が長いせいか、ところどころ規則から外れた小道のようなものが入り組んでいる。人波に馴れてくるにつれて、彼にも、下の町と同じ白いマントの騎士の姿が所々にあるのを見分けられるようになってきた。
「騎士団の連中、どこにでもいるなぁ」
「王都周辺の警備が主な任務だし、本部が上の町にあるからね。この町は特に多いよ」
なるほど、だからなのか。確かに、途中にある由緒正しそうな建物や像の近くには、必ず一人か二人は騎士の姿があった。これなら治安も良いはずだ。
「うちの親父も昔、短期間だけど騎士団にいたらしいんだ。親父が町の警備やってたなんて、全然、想像がつかないなあ」
「そうなんだ。ふふ、もしイヴァンみたいな人だったら、確かに想像がつかないね」
「…どういう意味だよ」
「だって」アルヴィスは、振り返って笑った。「イヴァンは、人に指示されてそのとおり動くなんて嫌でしょ?」
「……!」
イヴァンは、思わず目をしばたかせた。
「どうしたの?」
「あ、いや。…成程。確かにな」
出会ってまだ二日目だというのに、こんなに的確に嗜好を言い当てられたことが驚きだった。しかもそれは、自分でも意識していないことだった。
先頭をゆくティアーナには、聞こえているのかいないのか。彼女は振り返らずにどんどん先へ歩いていく。
大通りから細い路地へ。古びた家々の間を通り過ぎ、やがて、行く手に立派な城壁と、硬く閉ざされた鉄格子の門とが見えてきた。左右に衛兵が立っている。
「げ…。まさか、あそこ入るのか」
「うん。でも大丈夫、僕らなら通してくれるよ」
アルヴィスは、平然とした顔で門を潜ってゆく。
驚いたことに、衛兵たちは無表情なまま敬礼を返し、何も言わずに門を開いた。
「ね?」
「いや、『ね』って言われても…」
イヴァンは、視線を明後日の方向に向けて彫像のようになっている衛兵たちを、おそるおそる振り返る。
「ここを通る人間は限られてますから、顔は覚えてますよ。」
ティアーナが、小馬鹿にしたような顔をする。
「さすがのあなたでも、王宮となると少しは大人しくなるんですね」
「え、いや…」
「そのまま、ここでは慎ましくしていて下さいね。何かおかしな真似をするようなら、即刻つまみ出します」
そんなことを言い、イヴァンを追い越してさっさとアルヴィスについていく。何か言い返す暇もなく、イヴァンも、慌てて後を追った。
背後で、鉄格子の閉まる軋むような音がする。裏口とはいえ、王宮の中というだけで妙な緊張感があった。
裏口から入った先は、アルヴィスの言っていたとおり、使用人などの生活空間になっているようだった。
厩のほか幾つかの施設があり、奥のほうにはさらに別の門が見える。そちらは、衛兵だけでなく見張り塔まであり、門も重たそうな鎧戸になっている。今いる場所は外周に過ぎず、王宮の本体は、そこから始まっているのだうろう。門の中がどうなっているのかは分からないが、故郷の館とは違った物々しい雰囲気だ。
アルヴィスは、奥の門の手前の小路を曲がって奥の門から続く塀を迂回するように歩いてゆく。
視線を行く手に向けていると、やがて、通りの先に予想もしていなかった色鮮やかな町並みが見えてきた。すべてが同じ造りの、連続して作られた二階建ての建物の群れ。それらを見分けるためなのか、建物は一棟ずつ、青や黄色や萌黄色といった、鮮やかな色に塗り分けられている。
やけにかわいらしく、今まで見てきた風景とは馴染まない。
「ここは”学者の小路”って呼ばれてる。”融和王”の時代に作られた町で、学術都市サウディードの学者たちを定期的に招くために宿舎を築いたのが始まりだそうだ。今だと、法案の作成や外交文書の作成なんかに関わる学者は、ここに住んでいるよ。議会の近くに居たほうが仕事がやりやすいからね。」
アルヴィスの説明は、相変わらず観光ガイドのように端的で分かりやすい。
家々の間には、通りが一本、まっすぐに奥まで続いていて、色とりどりの家は道の両脇にひしめき合うようにして建っている。
「ティアーナの家も、ここにあるんだよ。彼女の家族は、全員、王宮づとめだから」
言いながら、アルヴィスは近くの青い壁の建物に近づいて扉を叩いた
「ルディ、いる?」
イヴァンは、ちらとティアーナのほうに視線をやってからその後に続いた。
ティアーナの視線は相変わらず敵意に満ちて、――しかも時を追うごとに、なぜかそれは強まっていく――うっかり何かしようものなら、背後から斬りかかられそうな凄みがある。
足を踏み入れた途端、つんとするインクの匂いが押し寄せてきた。
家の中は、外壁の鮮やかすぎる青い色とは裏腹に落ち着いた白い上品な壁紙で整えられていて、大きな書き物机が窓際を占めている。そして壁の大半は書架になっていて、なにやら難しそうな本がびっしりと並んでいる。
その前に立っていた人物が、椅子にもたれかかりながらこちらを見ていた。老人と言ってもいいくらいの年齢で、まるで枯れ木のように痩せた、風に吹き飛ばされそうなくらい華奢な男だ。けれど、その独特の雰囲気には、ティアーナの刺すような雰囲気さえ和ませるような柔らかさがある
「おかえりなさい、アルヴィスさん。それにティアーナさんと…」
間延びした、どこか浮世離れした声で言って、男はめがねを指で押し上げた。
「その子は、新しいお友達?」
「ええ。イヴァンです。騎士学校の生徒さん」
「珍しいですねぇ。アルヴィスさんがお友達を作るなんて」
(ん?)
イヴァンは首を傾げた。友達を作るのが珍しい?
「私はルディ。クローナの植物研究室で研究員をしているんだ」
考える間もなく、男は、節くれだった手を握手のために差し出した。眼鏡の奥に聡明そうな眼差しは、確かに、学者そのものだ。
「どうも。」
「ルディ、見せたいものがあるんだ」
待ちきれないというように、アルヴィスはかばんを開いて、ハンカチに包んだものを取り出した。
「おお、これは…!」
身を乗り出しかけたルディは、ふいに表情を歪めて腰に手をやった。机に寄りかかり、へなへなと崩れ落ちそうになるのを慌ててアルヴィスが支える。
「大丈夫? まだ横になってたほうがいいんじゃないかな」
「こ、これしき…はあ、情けない。馬車に揺られたくらいで腰をやられるとは…あ、あたた」
「楽に座れる椅子を手配中ですから、それまでご辛抱ください先生」
ティアーナも支えるのを手伝って、二人がかりでルディを奥の部屋へ連れて行く。奥は寝室になっているようだ。
しばらくして、二人が戻って来た。
「やっぱり、しばらくじっとしててもらわないとだめだね」
「ええ。いっそ本棚の側に寝台を動かしてもらいましょうか。それなら目を離しても大丈夫かと」
「…なんか、大変そうだな」
「うん、ごめんね。折角来てもらったのに、こんな状態で。」
「話だけなら出来ますよぉ」
奥から、間延びしたルディの声が響いて来る。
「黄金の実…そ、それをどうやって見つけたのか…、あ、あたた、き、聞かせてくだ…」
「待ってて、すぐ戻るから」
慌ててアルヴィスはハンカチごと木の実を取り上げる。
「イヴァン、来て。一緒に話を」
「あ、ああ…」
学者というのは付き合うのが大変なものなのだな、などと思いながら、イヴァンは後ろに続いた。
ルディは、流石は学者だった。
ベッドに横になって腰の痛みに呻きながらも、辛抱強くアルヴィスとイヴァンから木の実を見つけた顛末を一通り聞き、真っ青な顔に眼だけは輝かせていた。
「ふむ、ふむ…なるほど。つまり、この実が成っていた木は一本だけ、成っていたのも一つだけだった、と。ふむ」
「該当の木は記録してきました。今後も成るかどうか継続して観察できますよ」
と、アルヴィス。
「だけど、この実って、そんな貴重なもんなのか? ていうか、あの金色の木、他で見たことないけど――この辺りにしか生えてないもんなのか」
「うん。あの木の親木は王宮の、”王の中庭”と呼ばれている場所に生えている。この国の印になっている”黄金の樹”の元で、その一本しか知られていないんだ。」
「一本だけ? 何でまた」
「さぁ…。」
アルヴィスは、少し遠い目をした。
「記録によれば、その木も元は別の場所から持ち込まれたらしい。リーデンハイゼルの南にある”死の海”と呼ばれてる荒野の奥に、かつて生えていた大樹がそもそもの始まりだそうだよ。その樹が枯れる前に最後につけた実から芽生えたのが、いま王宮にあるものだと言われている。荒野が荒野になる以前には、同じような木が他にも生えていたかもしれないけど、大昔のことだからね。何も記録がない」
「ふうん。なんか貴重なもんなんだってことは判ったよ。王国の印になってる木なら、絶滅されちゃ困るもんな」
「まあ、そうだね」
イヴァンらしい感想に、アルヴィスは苦笑している。
「しかし何故、一つだけ…。”下の町”に植えられた木は今まで百年以上も、一度も実をつけなかったんだがなぁ…。」
ルディは唸りながら考え込んでいる。
「たまたま、じゃねーのか? それか実がついてても誰も気づかなかったとか。今回だって、俺らが見つけるまで誰も気づいてなかったよな」
「確かに、それはそうだね」
「あとさ、実がなるんなら、その前に花が咲くんじゃないのか? 花とか咲いてなかったのか」
「花についても知られていない。王宮の木には花が咲くが…うっ」
動こうとしたルディが、腰を押さえてうめいた。
「あ、資料が必要ですか?」
「う、うう…そ、そこの」
震える指が、本棚のどこかを指している。
「その本の…」
「『王室庭園植物図鑑・上』、百三十頁」
アルヴィスが、すらすらと言う。本に一番近いところにいたティアーナが、言われた本の頁を開いて持ってきた。
「ここですね」
「そ、そう。こういう花が…」
本の中には、詳細なスケッチが載せられている。指の先ほどの小さな、目立たない花だ。これでは、下からなんとなく眺めるだけでは全然気が付かないに違いない。
「もしかしたら、花がつくようになるまで時間がかかるんじゃねーか。りんごとか、栗とか、植えてから実が成るまで何年もかかるだろ。とくべつ成長が遅いやつなのかも」
「その可能性もあるけど、記録では、王宮の庭に植えられた木に最初の実がなるまでは、三年しかかからなかったそうなんだ。土壌や気候の条件が必要なのかもしれない。…ルディ、僕は明日、もう一度あそこへ行って調べてみる。」
「う、うう。すいません…別件もあるでしょうに…」
「いえ、そちらは今のところまだ、連絡待ちですから。」
ベッドの上の学者は、脂汗を流しながら、低姿勢で謝っていた。
話を終えて青い家を後にしたとき、日はもうすっかり傾いて、夕方になろうとしていた。
「ごめんね、なんだか時間を取らせてしまって。」
アルヴィスは、心の底から申し訳無さそうな顔をしている。
「いや、何か役に立てたみたいで良かったよ。王宮の中なんて滅多に入れるもんじゃねーし、あの人の話は面白かったし、来てよかったよ」
「それなら、良かった…」
「つか、お前、他に友達いねーの?」
「…え?」
あまりに直球な質問に、少年はきょとんとした顔になり、その向こうでティアーナが瞬間的に鬼のような形相を見せた。
「あっ、いや。変な意味じゃなくて、その。さっきの学者さんが言ってただろ。友達作るのは珍しい、とか」
「ああ…。」
アルヴィスは、ばつが悪そうな顔をして視線を通りのほうに向けた。
「…僕は、その。ちょっと変わってるらしいから」
「変わってる?」
「うん。人よりちょっと記憶力がいい…良すぎるところがあって。一度読んだ本の内容はだいたい覚えてるし、昔のことも正確に思い出せる。人と話したことも本人よりよく覚えてたりして、それで、…気味悪がられることが多いんだよね」
「何だそりゃ。便利じゃねーか。ていうか、すっげえ頭良いってことだろ。全然、気味悪くなんて無いって」
「そんな風に言ってくれるのは、ごく一部だけだよ…」
呟くように言った時、アルヴィスは、どこか、諦めにも似た顔をしていた。
「ま、俺も学校じゃちょっと浮いてるからな。似たもん同士ってことか」
「全ッ然、似てません」
二人の間に、ぐいっとティアーナが割り込んでくる。
「あなた、アルに失礼ですよ。さっきから聞いていれば言いたい放題」
「はあ? てか、何なんだよ、いちいち」
「ここで見たもののことは、他所で言いふらさないでくださいね。アルのこともです。…人に言ってませんよね?」
「言ってないよ。なんだよ? あんた、ずっと俺にそんな調子だな」
「あなたは部外者ですから」
彼女は、つん、とした表情でそっぽを向く。
「だいたい、ここへ連れて来ることだって私は反対だったんです。ここでは公にされていない王命での研究も行われていますし、学会の要人だっているんですよ」
イヴァンは頭をかいた。
「んー…まぁ、雰囲気的に、俺なんかが来る場所じゃないなってのは分かったけどさ」
「気にしないで。ティアーナはいつもこんな風だから」
苦笑しながら、アルヴィスは言った。
「感謝してる。イヴァンがいてくれなかったら、僕らだけじゃ、あの実を見つけられたか分からないから」
「おう。まぁ、また何か面白そうなことがあったら誘ってくれよな。」
笑い返してから、彼は空を見上げた。
「あー、もう日が暮れるな。帰り道分かるかな…」
空は夕焼けに染まり始めている。もうじき、街灯が灯り始める時間のはずだ。
「そうか。まだ町に不慣れなんだったよね。ティア、送ってあげて」
「…私が、ですか?」
「僕のほうは大丈夫だから。」
僅かな沈黙。少女は、不承不承といった様子で頷いた。
「…分かりました、アルがそう言うのなら。」
ちらりとイヴァンのほうを見る。「行きましょう」
「ああ、…じゃ、またな」
「うん」
外に出ると、夕方の風が町を駆け抜けていく。通りには普通の町と変わらないような夕餉の匂いが漂い、子供が数人、井戸の周りで談笑している母親たちの周りで遊んでいる。
来た道を逆に辿りながら、ティアーナはずっと無言のままだった。
大通りを渡りきり、学校へ続く小道へ入ったところで、ついに沈黙に耐えかねたイヴァンは、自分から話ししかけた。
「なあ、あんた、あいつとの付き合いは長いのか?」
「……。」
返事は無い。
「あんたも、あいつの友達なんだろ? あいつって、そんなに浮いてんのか? 家族とかは?」
「あいつ、だなんて言わないで下さい。私はアルが望むから呼び捨てにしてるだけで、本来はこんな呼び方は許されません。余計なことを詮索しないでください」
「んなこと言ったってさ、気になるだろ。あんな悲しそうな顔されたらさぁ。俺もそんな友達いるほうじゃねーけど、もし、話し相手がいないとかなら…」
ふいに、先を行くティアーナの足が止まった。
振り返ったと思ったら、いきなり剣を抜いてイヴァンの喉元に突きつけた。避ける間もない早業だ。
「…おいおい、なんのつもりだよ」
冗談などではない。深い藍色をした瞳が、殺意にも似た光を宿してイヴァンの顔の間近にある。
「余計なお節介など止めてください。不愉快です」
「だからって武器抜くか? こんなとこ、人に見つかったら」
「騎士団の巡回経路は覚えています。」
余計にタチが悪いな、とイヴァンは視線を泳がせた。誰か、近くに通行人でもいないかと思ったのだ。だが、こんな時に限って誰もいない。
「な、落ち着けよ。あんたさ、ちょっと過剰反応すぎるんじゃねぇか? 俺が何するっていうんだよ」
「何もしなければいいというものではないんです。あなたの存在そのものが目障りなんですよ。ほんっ…と、鈍い! どうして気づかないんですか!」
「え、気づくって…何に」
「全部ですよ!」
剣を引くと、ティアーナは、ふいと踵を返した。
「そこを真っ直ぐに行けば学校の正門前に出ます。」
それだけ言って、さっさと元の道を戻っていく。イヴァンは、ぽかんとして彼女の後姿を見送った。そして歩き出そうとした時、自分の体が緊張で硬直していたことに気づいた。
(あの女――)
冷たい汗が流れ落ちる。
向けられた殺気も、切っ先も本物だった。イヴァンが何か下手なことでもしでかせば、すぐにも喉をかき切られていたはずだ。
ティアーナの剣の腕は、近衛騎士に入れるほどだ、とアルヴィスは言っていた。もしかしたら、それは、誇張などではなかったのかもしれない。
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