第11話 学生たちの休日

 それから何日か経ち、再び休日となった日、図書室でのことだ。

 「…サーレ君?」

イヴァンが書架の前に梯子を架けて本を物色していると、聞き馴れた声が足元のほうから聞こえてきた。振り返ると、ヘイミルが足を止めて、意外そうな表情で彼を見上げている。

 「こんなところで会うとは。君が休日に読書とは珍しいですね。宿題用ですか?」

 「いや、俺だってたまに本くらい読みますけど…」

イヴァンが手にしている本を見て、ヘイミルは、ああ、と頷いた。

 「観光案内書ですか。町を見て回るつもりなんですね」

 「うんまぁ――町歩いてても、そのへんにあるものがどういう由緒のあるものかイマイチ分からなくて」

それは、先日ティアーナに散々呆れた顔をされたせいもあり、アルヴィスの説明に興味を引かれたせいもあった。

 歴史の授業など、今までほとんど真面目に聞いていない。そのせいで、半分以上頭から抜け落ちているのだが、あまりにも何も知らないのは恥ずかしいような気がしてきたのだ。

 「ふむ、それなら、これはどうかな?」

書架に近づいて来たヘイミルは、イヴァンの見ていた一段上の本棚から、ひょいと一冊を取り出して手渡す。

 「町の名所になっている場所の解説です。解説が細かくて、歴史の勉強にもなるはずですよ。」

 「へえ、これなら絵が多いし、字も大きいからいけそうだな。ありがとな、校長先生!」

 「どういたしまして。」

ヘイミルは柔和な笑みを浮かべて立ち去りかける。

 「あ、そういや先生」

ふと気になっていたことを思い出して、イヴァンは声を上げた。

 「何です?」

 「こないだのこと。何で俺のこと知ってたんですか? 現役の騎士とやりあったとかなんとか…」

 「ああ。」

振り返って微笑むと、初老の男はこともなげに言った。

 「ベオルフに聞いたんですよ。私は昔、近衛騎士団にいましてね。彼はその頃の部下でした」

 「へっ?」

思わず本を取り落としそうになる。

 「えっ、ちょっと待ってください。校長先生、元騎士だったのか?!」

 「そうでもなければ、騎士学校の校長なんて出来ないでしょう?」

イヴァンは思わず、目の前の小柄な男をまじまじと見やってしまった。物腰は柔らかいのにやけに動きが機敏なのは、そのせいなのか。――だが、あのベオルフの元上司とは…想像もつかない。

 「近衛騎士の役目は良く知っています。私が騎士団を辞したのは十年前の事件の後。直接聞いたわけではありませんが、ベオルフがサーレ領に向かった理由は、何となく想像が付きますよ。」

そう言って、ヘイミルは少し遠い目をした。

 「あの事件は、今も未解決のままなんですね」

 「……。」

 「おっと。この話はあまり人前でしないほうがいいですね。それでは」

男が書架の向こうに消えていくのと入れ替わりに、生徒たちの賑やかな話し声が廊下のほうから近づいて来る。

 イヴァンは、脳裏に浮かびかけた言葉を振り払って、手元の本に視線を戻した。ベオルフたちの調査がどうなったのかは気になるが、今の自分には、それに関わる権利もツテもない。既に騎士団に居ないのなら、ヘイミルも流石に知らないだろう。

 ――出来ることから、やるしかないのだ。




 勧められた本を借り出して、イヴァンは、本を手にしたまま学校を出た。

 本の最初には、町全体の地図がついている。地図上にある有名人の像や歴史上の事件の起きた場所について、本文に絵と説明が書き添えられているというものだった。

 「ふーん、これなら少しは詳しくなれそうだな。」

少なくとも、授業で使っている教科書よりは分かりやすそうだ。

 前日に通った大通りに出ると、広場の隅に座る、小柄な銅像が目に入る。地図を調べて説明を見ると、昨日アルヴィスが教えてくれたのとほとんど同じことが書かれていた。

 「”融和王”アルウィン、か…」

ふと、ティアーナの蔑んだような顔つきが脳裏を掠めた。像の人物を知らないと言った時に向けられたものだ。

 だが、不思議と憎らしいとか腹が立つといった気はしなかった。むやみに強い警戒心は、護衛という役割を忠実にこなそうとしすぎた結果だと判っているからだ。イヴァンに対しては当たりが強すぎる気もするが、少なくともそれが、あのアルヴィスという少年を守りたいという気持ちから出ていることは間違いない。

 それに、…ずっと、誰かに似ている気がしているのだ。

 (前に会ったことはないはずなんだがなぁ)

首を傾げて、彼は少し考え込んだ。

 会ったことがないといえばアルヴィスもそのはずだったが、笑ったときや話しかけてくるとき、どこかで見たな、という感覚があった。前から知っていたというよりは、つい最近、同じような笑顔の人を見たような――そんな気がするのだ。

 ただ、それが誰なのか思い出せない。ここへ来てからの何日かで、あまりにも多くの人に会いすぎた。どこか町中ですれ違ったか、或いは、この学校内で見かけた人か。


 「次は…そうだな。騎士団の本部でも見ておくか」

 広場を離れ、何本か先の通りに入っていく。その先に、いかにもおもむきのある建物がどっしりと建っている。塀の向こうの訓練場からは掛け声が聞こえてくるが、中が見えるわけでもない。建物や建造物自体に興味があるのでなければ、あまり見るものは無さそうだ。

 「それじゃ次…王宮博物館…? へえ…」

王宮の脇に作られた、比較的新しい博物館は、王室で管理されてきた建国当時からの古い遺物などが展示されている、と説明にはある。元々歴史に興味の薄いイヴァンは、中に入りもせず建物だけを見て素通りしてゆく。

 町の北側斜面にある古い墓地や、町を取り囲む城壁に登れる場所、展望台。

 どこも観光客でいっぱいだが、何が楽しいのかはよく分からなかった。


 町を一周したところで、イヴァンは人ごみに疲れて路地裏に避難した。

 「うーん、やっぱ人の多いとこは駄目だな」

見るものはたくさんあるのだが、敢えて見たいと思うほどでもなく、どこも混雑していて気が滅入ってくる。


 どこか人の少なそうなところへ行こうと本を指で辿っていると、広場から続く”大通り”という文字に突き当たった。王宮前に繋がる通りの一本隣で、商店街になっているらしい。エデルの働いているという本屋は、きっとこの通りのどこかだろう。

 (ついでだ。エデルがどうしてるか見てこよう)

昨日の朝に食堂で出会って以降、エデルを一度も見かけていない。昨日の夕食でも、今朝の朝食でも、時間が合わなかったのか食堂にはいなかった。

 地図と方向を確かめ、道すがら本に紹介されているいくつかの観光名所を回りながら、イヴァンはも大通りを目指した。

 大通りに辿り着いたのは、お昼を少し回ったくらいの時刻だ。

 エデルの言っていた「赤い看板で、外に螺旋階段がついている」店は、すぐに見つかった。通りに入ってすぐのところにある。周囲には、お洒落な喫茶店や装身具の店、小物屋などが立ち並んでいて、若者たちがたむろしている。

 学校の生徒たちも、今日はどこかにいるかもしれない。

 そう思いながら通りを横切り、本屋の入り口に手を伸ばそうとした時、ガラスに、後ろから来た客が映った。

 「――あ」

 「あれ、イヴァン?」

振り返ると、アルヴィスとティアーナが並んで立っている。ティアーナのほうは、引きつったような表情でこちらを睨んでいる。

 「…何故、ここに?」

低い声でそう言って、彼女は、今にも噛み付きそうな顔になってイヴァンのほうに一歩踏み出す。そのまま斬りかかって来かねない勢いだ。

 イヴァンは慌てて首と両手を振った。

 「いや待て、別に張り込んでたとかじゃねーぞ。俺は友達に会いに来たんだよ。お前らこそ何でこんなとこにいるんだよ」

 「つくづく縁があるみたいだね」

アルヴィスはくすくす笑いながら、いきり立っている連れの少女を置いてイヴァンの横を通り抜けていく。

 「そんなとこで立ってたら邪魔だよ。二人とも、中に入ろう」

ドアを開くと、入り口にぶら下げられた鐘が、からんからんと良い音を立てた。


 本屋の中は、当たり前だが本で一杯だった。独特の紙の匂いに満ちていて、イヴァンは瞬時に落ち着かない気分になった。

 (俺、まともに本屋とか入ったの初めてかもしれない)

何しろ、学校の図書館ですら滅多なことで足を踏み入れないのだ。ここはそれ以上の量の本がある。一つの分野の本だけでも、天井まで届くような書架にびっしりと並んでいる。どれを手にとっていいのかわからない。本屋で買い物をする人は、こんな中からよく選べるものだ。

 アルヴィスは、カウンターの向こうに向かって何か紙を差し出しているところだ。

 「こんにちは。注文してた本を取りに来たんですが。注文票はこれです」

 「はい、いらっしゃいませ。確認しますので少々お待ち…あれ、イヴァン?」

カウンターの向こうにいた店員が、アルヴィスの肩ごしにこちらを見る。

 「よう、エデル。近くまできたからついでと思って。」

 「そうなんだ、ちょっと待ってて。いまお客さん対応中だからね。えーと、注文の本は…」

今日のエデルは、白いシャツに、胸まである渋茶のエプロンを身につけていた。黒一色の学校の制服姿の時とは全然印象が違う。

 「会いに来た友達って、あの店員さん?」

アルヴィスが振り返って尋ねる。

 「ああ、学校で同じクラスなんだ。休みの日は働いてるって言ってたけど、思ってたより大変そうだなぁ」

見ていると、エデルは書店内の階段を登ったり降りたり、駆けずり回っている。途中で買い物客に呼び止められたり、上司らしき年かさの店員に何かいいつけられてメモをとったり。

 奥に消えたかと思ったら、しばらくして、エデルが一冊の分厚い本を抱えて戻って来た。

 「お待たせしました。こちらでお間違いないでしょうか」

ぎょっとして、イヴァンはそれとアルヴィスとを見比べた。

 「何だ、それ。本なのか? 鈍器とかじゃなく?」

 「本だよ、間違いなく。」

笑いながら、アルヴィスは受け取り書にサインする。ちらりと見ると、表紙に金文字で”王国植物図鑑三巻 伝説の植物”と書かれているのが見えた。一体どうやって読むのだろう。どう見ても本というより置物か何かだ。

 アルヴィスはエデルが包装した本を両手で受け取ると、大事そうに胸に抱えた。

 「じゃあ、またね。」

入り口の鐘が来た時と同じようにやかな音を立て、ドアが閉まる。

 二人が去っていった後、カウンターの向こうにいるエデルが不思議そうな顔で口を開いた。

 「イヴァン、あの人たちと知り合いなの?」

 「まぁ、ちょっとした成り行きで。あいつら、ちょくちょく来るのか」

 「この一ヶ月くらいかな、いつも難しそうな本を注文するよ。領収書は、王室づきの研究室宛てだから…たぶん、そういう研究者とかなんだろうなって」

 「あー」

確かに、昨日は王宮の中にある”学者の小路”というところまでついていったものだ。でも多分、学者なのはあの、ルディという人だけだと思った。

 アルヴィスは、――確かに頭は良いし、何でもよく知っているが、学者という風ではない。

 何が、とははっきり言えないが、普通の職業では無さそうな…強いて言うなら「賢者」のような雰囲気を持っていた。


 二人が話していると、二階からの階段を年かさの店員が二段飛ばしに降りてきた。

 「エデル、友達が来てるなら、昼だし今日はもう飯行っていいぞ。ちょうど客もはけたしな」

 「あ、はい。じゃそうします。」

年かさの店員に返事してから、彼はイヴァンのほうを振り返った。

 「お昼食べにいくんだけど、一緒にどう?」

 「いいぜ。丁度、俺も腹減ってたとこだし」

エプロンを外してカウンターの下に押し込んでしまうと、エデルはイヴァンを連れて通りへ出た。

 「一度行ってみたいなって思ってた店があるんだ。いつもは一人だから入れなかったんだけど、イヴァンと一緒なら…」

その店というのは、通りを渡ってしばらく行ったところにある、いかにも洒落た、ベランダつきの二階建ての店だった。木組みの建物に、あちこちに鉢植えや飾り物が置かれ、明るい感じになっている。装飾に凝っているだけに女性客が多いようだ。

 「うわあ、観光地価格だ…。思ってたより高いな」

入り口に張り出されたメニューを見て、エデルは少し怖気づいたようだった。だが、逡巡の後、意を決したように入り口を見る。

 「…でも、一度くらいいいよね。…よし」

店員に席に案内され、二人はおすすめの昼定食を二つ注文することにした。イヴァンは取り合えず腹が満たせれば何でも良かったし、実は値段も、高いのか安いのか良く分かっていなかった。

 「しっかし、学校とはえらい違いだなー」

店内を見回して、イヴァンは呟く。

 「うちの館の感じとも違うし、なんていうか、…すっげえ都会っぽい。」

 「たぶん、イヴァンの家のほうが凄いんじゃないかなぁ」

エデルは苦笑している。

 「家のこと、館なんて言うくらいだし。もしかしてお城みたいなのが建ってるの?」

 「城じゃあないな、砦っぽい感じだ。こんなに飾っても無いし。辺境で何にもないけど、遊びに来るか?」

エデルは曖昧に笑って、返事をはぐらかした。

 待っている間もひっきりなしに人が出入りし、お昼時の店内はほぼ満席だ。


 ふと窓の外に目を向けたイヴァンは、ポケットに手を突っ込んだまま通りをぶらぶらと歩いていく背の高い少年に目を留めた。

 「ん? あれってアステルだよな」

 「え」

 「おーい、アステル」

エデルが慌てて止める間もなく、イヴァンは窓から身を乗り出して通りに向かって呼びかけていた。立ち止まった少年は、振り返ってイヴァンの姿を見つけると、しまったというような顔になった。

 「一人か? 飯食うとこ探してんなら一緒にどうだ」

 「ちょ、ちょっとイヴァン」

 「……。」

迷うような素振りを見せたが、ややあって、少年は店内に入って来る。エデルは慌てて視線を伏せた。席までやって来た彼は、イヴァンとエデルとを交互に見やる。

 「お前ら、休みの日もつるんでるのか」

 「今日はたまたまさ。まぁそこ座れ」

空いている席を指すと、アステルは大人しく腰を落ち着けつけた。店員が注文を取りにやってくる。

 「ご注文はお決まりですか?」

 「お前ら、何頼んだんだ」

 「おすすめの昼定食とかいうやつだな」

 「じゃオレもそれでいい」

 「かしこまりました。」

店員が去っていくと、イヴァンはアステルのほうに向き直った。

 「お前こそ、今日は一人なのか。いつもの連中どうしたよ」

 「…オレだって四六時中あいつらとつるんでるわけじゃない」

 「ふーん。あ、そういや、最近マルティンの奴を見かけないな。ケガの療養中か?」

 「……。」

少年は、決まり悪そうに手元に視線を落としている。間をおいて、彼は口を開いた。

 「マルティンは、次の試験で及第点が取れなければ退学らしい。さすがに真面目に勉強してる」

 「試験?」 

 「来月の頭に学科試験があるでしょ」

と、エデル。「合格点が取れなかった科目は追試になるよ」

 「げ、マジか?! そんなの聞いてないぞ、俺」

 「こないだから授業で何度も言われてるんだが…」

ぼそりと、アステルが呟く。

 「そんなに難しい内容じゃないよ。普段の授業聞いてれば…」

 「授業なんてろくに覚えて無い」

 「……い、今から勉強すれば何とか、なるんじゃないかな。」

 「マジかよ。勉強とかしたことねーよ」

やりとりを聞いていたアステルの表情が、少しずつ変わっていく。気がつくと、彼は可笑しさをこらえるように表情を緩めていた。

 「お前って、ほんと変わった奴だよな」

 「何がだよ?」

口を尖らせて振り返ったイヴァンは、アステルの表情に気が付いた。

 「なんだよ。そういう顔も出来るんじゃないか。」

 「そういうって?」

 「マルティンといる時、お前、いっつも作り物っぽい笑い方してたからさ」

はっとしたような顔になって、アステルは笑みを消した。痛いところを突かれた、というような表情だ。

 「…しょうがないだろ。マルティン家は王都に近い一等地に領地持ってる金持ちの子爵様、うちは領地なしの騎士。あいつに睨まれると、このへんで就職できなくなるかもしれないし…」

 「何だよそれ、そんなののために取り巻きやっておべっか使ってたのか?」

 「将来の決まってる領地持ちの家の嫡男に分かるもんか!」

思わず上げた声の大きさに、周囲が振り返る。慌ててエデルは、なんでもないというように手を振った。

 「駄目だよ、店の中で大声出しちゃ」

 「……。」

ちょうどその時、三人分の昼食が届いた。一枚の大皿の上に、色とりどりの料理が山盛りになっている。エデルは、ほっとした表情になった。

 「なかなか美味そうだな」

 「うん。いつもお昼食べてる安い屋台と全然違うよ~」

それぞれにフォークを手に取り、料理をつつき始めると、さっきまでの剣呑な雰囲気はいつしか消えていく。

 「そういえばさ。王子様が帰ってくるって話、聞いた?」

エデルは話題を変えるつもりのようだ。

 「王子?」

 「正確には、第二王子だ。」と、アステル。「なんでも、パーティー好きの派手好きで、色んな貴族の家を渡り歩いてるとか」

 「へぇー、王族ってのは違うねぇ」

イヴァンはナイフを取り上げ、皿の端のほうに載っている小さなカップケーキを切り分けようとしている。

 「そういや、王子って二人いるんだっけ?」

 「いや、三人だよ。でも末の第三王子は、ずっと前にどこか親戚の家に養子に出されたって」

 「養子?」

 「確か、先代の王様の兄弟のいる家とか…なんか。王族の家系のどっかの貴族だよ。詳しくは知らない」

 「クローナだったと思う」

アステルが補足した。

 「双樹王家の片方、”銀”の王家。この国唯一の”大公”の称号を持つ家だ」

 「あー、あそこか」

つい最近、その名前を聞いたばかりだ。

 「俺、王族ってよく知らないんだけど。王様がいて、王妃様がいて、王子が三人? あとクローナにも親戚いるんだろ、他には?」

 「直系だとそのくらいだろう。最も、王家の直系は王妃様のほうなんだが。今の王様は婿養子だ。元は東方の貴族で、旧エスタード領出身だという話だ」

騎士の家柄だからなのか、さすがにアステルは詳しい。

 「政治や貴族たちの取り纏めをやってるのは、専ら妃殿下だって噂だな。王様はあまり貴族たちと仲が良くないらしい。今も、自治領の扱いで何かモメていたと思う」

 「自治領?」

 「税率の引き下げとか何とか…。」彼は口ごもった、「…詳しい話は、お前のほうが良く知ってるんじゃないか」

 「何で?」

 「領地持ちの貴族なんだから、自領からの税収があるはずだろ。ましてや伯爵だ。サーレ辺境伯領は面積も大きいし、…」

空気が変わる。


 それきり、会話は途切れた。奇妙な沈黙。

 またこれだ、とイヴァンは腹立たしく思った。

 気遣いにも似た断絶。今まで気にしたことのない身分差などというものが、ここでは当たり前のように会話や交友関係を支配しようとするのだ。それと同時に、知っていて当たり前だと思われていることを、自分がほとんど知らないことも思い知られされる。

 「うちは、広いだけで牛と羊のほうが人より多いくらいだ。あんまり儲かってないよ。」

それだけ言って、彼は皿の上の残りのものを掻き込んだ。




 食事を終えて店を出ると、エデルは、「じゃ、おれはここで」とイヴァンたちと分かれて、本屋のほうに駆け戻って行った。

 「あいつ忙しいのか」

 「本屋で働いてるんだよ。飯食ったらすぐ戻らないといけないんだろ。…ちなみにお前は、どうするんだ?」

答えが返ってくるまで、わずかな間があった。

 「…武器屋通りを見に行くつもりだった」

 「お、なんか聞いたことあるなそれ。誰かが言ってた」

 「まさか、ついてくるつもりか?」

 「ん、駄目か?」

二人の視線が合った。アステルは、特に何も考えていなさそうなイヴァンのほうを見、はあっと一つ溜息をついた。

 「…ホント、変わってるよ。お前は」

諦めたように、先に立って歩き出す。そのすぐ脇を、イヴァンが観光案内書を取り出しながら続いた。

 辿り着いたのは、さっきまで居たのとはまた全然違う雰囲気の通りだった。”武器屋通り”というだけあって、武器を売る店ばかりか通りの大半を埋めている。それも、鎧専門店だとか、弓専門店だとか、馬具専門店だとか、変わったところでは紋章屋などというところもある。

 「なになに…武器に家紋をつけたいときはここに発注…一からあなた独自の紋章も考案します、か。へぇ、面白い商売があるもんだな」

 「代々騎士の家柄でもなきゃ、自家の紋章が無いしな。で、そこが中央騎士団の本部だ」

アステルが、通りの向こうに見えているクリーム色の石壁を指した。

 「お。本に載ってる建物だなそれ。えーと、何々」

 「……。」

案内書を開いて確認しているイヴァンをよそに、彼は一軒の店の軒先へと近づいていく。通りに向けたガラス張りの陳列棚には、立派な武具が格好よく並べられている。

 アステルは、それらを一瞥し、ひとつ小さく溜息をついた。

 「何? お前、そういうの欲しいの」

後ろからイヴァンがひょっこり顔を出す。

 「いちいちべったりついてくんな。女の買い物じゃないんだぞ。好きなとこ行けよ」

 「お勧めの店くらい教えろよ。ていうか、お前は何か買いに来たのか?」

 「違う。そんな金はない。ただの…」

アステルは、何故か少し寂しげな顔をした。「…お前ほど金持ちじゃないんだ、うちは」

 「何言ってる、うちも金持ちじゃないぞ。」

 「嘘付け。どうせ、ここにあるようなものは見慣れてるんだろうが」

 「お前なぁ。」

イヴァンは腰に手を当て、軽く溜息をついた。

 「なんなんだよさっきから、人ん家に夢見すぎだぞ。中央とは違うんだ。俺ん家なんてデカいだけで半分農家みたいなもんだぜ」

 「だって、お前は伯爵家の跡取り様だろうが」

 「だから。そういうの気にされたくないっての! 気楽に行こうぜ」

案内書を上着のポケットに突っ込みながら、アステルの肩を叩いて横から陳列棚を覗き込む。

 「つーか何これ、実用品? 装飾品じゃなくて」

 「そりゃ、そうだろ」

 「こんなに飾りついてちゃ使いづらくねぇ? この鞘とか、持ち手に飾りついてるぜ。棚に飾るならともかく、振り回せなくないか。値段は…うへっ、たっけぇ!」

 「…お偉いさんはそういうのが好きなんだ。」

言いながら、アステルも少し自信がなくなって来たようだった。

 「騎士団に入ると、皆、こういうのを持ってる」

 「マジで? 俺だったらもうちょっと地味なのがいいな。あれとか」

イヴァンは、ひょいと背伸びして棚の一番上の隅に置かれている黒光りする短剣を指した。

 「あれは…煤けてるみたいに見えるから、骨董品かなんかじゃないか」

 「そんなわけないだろ、光ってるし。ああいう剣なんじゃないか? あれが一番持ちやすそうだぞ。」

話していたとき、飾り棚の奥で人影が動いた。

 脇に開いたままになっていた店の入り口から、浅黒い肌の前掛けをかけた黒髪の女性が、ぬっと姿を現した。相手は、年の割りに長身なアステルより、さらに頭ひとつぶん背が高い。おまけに、鍛治仕事で鍛えているのか、腕の太さは男性なみだ。

 「あ、…すいません、店の前で騒いで…」

アステルは怖気づいたように一歩あとすさる。

 「学生さんかぁ」

女性は凄みのある視線で二人を見下ろし、イヴァンのほうに目を留めた。

 「そこの黒い剣がいいって言ったのは、キミ?」

 「ああ。形とかいいなって」

 「ふーん。」

顎に手を当てながら、女性は、不躾なほどじろじろとこちらを見ている。イヴァンのほうも、お構いなしに相手を見る。

 「女の人が店主って、珍しいな」

 「そう思う? でも、ここらじゃ一番の名店よー?」

 「…ほんとだよ。この商店街唯一の、ハザル人の刀工だから。」

アステルが、そっと後ろから付け足す。

 「でも滅多に仕事を請けない…らしい。騎士団員の剣研ぎでさえ断るとかって」

 「そりゃそーよ」女店主はふんと荒い鼻息を吐く。「騎士団員って何百人いると思ってるの? こっちだって、どうせロクに使いもしないナマクラなんて、研ぎたくも無い。いくらお金を積まれてもお断り」

 「へー、なんか職人のコダワリって感じだな。」

 「本物の職人だもの、あたしはね」

言ってから、女性は、飾り棚にある、さっきイヴァンが見ていた短剣のほうにちらりと視線をやった。

 「その剣、あたしが鍛えたものなの。他は他所の店からの預かりもん。どう、上がって中も見てく?」

 「いいのか?」

 「価値が分かる人なら歓迎よ。どうぞ」

イヴァンは、振り返ってアステルのほうに囁いた。

 「やったじゃん」

 「あ、…うん」

アステルは戸惑った様子で、妙に小さくなっている。

店内は、金属と墨の匂いとがこびりついて、どこもかしこも黒っぽく煤けて見える。掃除して綺麗に見せる気などさらさらないようだ。

 「あたしはフィーよ。あんたたち、騎士学校の一年生?」

 「ああ。俺はイヴァン、で、こっちがアステル」

 「実戦経験は?」

ちらりとこちらを見る。

 「実戦…ってのは無いかも。訓練くらいだよ」

 「ふーん。ま、そりゃそうよね。学生のうちから盗賊退治だの諍いの仲裁だのやるわけないし。でもねぇ、今の中央騎士団って、騎士団に入ってても実戦を経験してる人なんか滅多にいないのよ。」

言いながら、女店主は飾り棚のすぐ後ろにある炉の側へと戻っていく。顔を上げればガラス越しに通りが見渡せる場所だ。

 「ほとんど名目騎士、実技より事務仕事の得意なお役人ってカンジ。装備のお値段と見栄えにはこだわるけど、実際使いこなせてる人なんて殆ど居ないんだ。でもま、お金払いはいいもんだから、適当に預かりもんの装備並べとけばそこそこ売れたりするの。ウチとしちゃ商売繁盛でいいんだけどね。」

 「……。」

アステルはますます小さくなって、壁にかかっている大小様々な武器のほうに視線を彷徨わせている。イヴァンのほうは、カウンターの側に無造作に転がっている、金と銀の糸を織り重ねたように作られた房飾りに目を留めた。

 「これ何だ?」

 「ん?」

炉の側で研ぎ石を並べ替えていたフィーが顔を上げる。

 「あーそれ、近衛騎士用の印だね。武器につけるんだよ。騎士団ごとに色が決まっててね。中央騎士団が金、で、近衛騎士になるとそこに銀色が入る。」

 「へえ…」

 「近衛騎士の連中は、さすがにお飾りじゃあない。あいつらだけは本物。だからうちも、連中の武器の手入れなら喜んで請けてるのよ。」

見れば、彼女の手元にはやや湾曲した珍しい形の剣が置かれている。イヴァンは、女店主が馴れた手つきで刃を研いでゆくのを眺めた。場所によって石を変え、何度も水に浸しながら手を動かすと、見る間に刃が輝きを取り戻してゆく。

 光に翳して念入りに角度を変えて眺めたあと、彼女は満足げに頷いた。

 「よし」

 「…すげー、あっという間だ」

 「ふふ、そりゃぁ職人だもの」

剣を鞘に収めると、さっきの房飾りは柄の部分に結びつける。それで完成のようだ。それから彼女は、振り返って少年たちのほうに手を差し出した。

 「ついでだ、あんたたちのもやったげる。貸しなさいな」

 「え、でも、お金…」

 「いいのいいの、今日は特別よ。今日だけね」

ふふっと笑って、フィーはカウンターから身を乗り出した。アステルの剣とイヴァンの剣とを鞘ごと受け取り、まずアステルのほうを抜く。

 「あらら。だいぶ刃毀れしてるわねぇ。キミ、けっこう力任せに叩きつけちゃう人でしょ」

 「よく分かるな、こいつ背が高いからいっつも上段から叩き降ろしてくるんだ。」

 「お、おいイヴァン」

 「いやほんとだぜ、アステル。お前、へたに力あるからさぁ、剣術の授業の時も言ったろ? 俺が避けんのは、受けたらこっちも刃こぼれするからだって。」

 「……。」

 「あはは、そうねぇ。そういう戦い方をするなら、キミにはもうちょっと厚みのある剣のほうが合うかもね。で、もう一人のキミのほうはーっと」

アステルの剣を置いて、イヴァンの二本の剣を引っ張りだす。

 「こっちは…うん、状態は悪くない。自分で手入れしてるのね」

 「ああ。たまには」

 「ふーん、重さのバランスが面白い。左手のほうが重いのは、防御用に厚みを持たせてるからかぁ。使い込んでる感じね…」

二本を手にしたまま、振り返って宙に向かって振っている。

 「…うーん。悪くは無いんだけど、あんまり質が高くないわねぇ」

 「うちの館の鍛治屋が作ったもんだからな。普段は蹄鉄とか牛の鼻輪とか鋤とか作ってんだよ」

それを聞いて、驚いたように隣のアステルがイヴァンのほうを見る。イヴァンは、そちらを見返してにやりとした。

 「そんなもんさ」

 「なるほどね。ま、学生さんのうちは、これでも十分か。よし」

椅子に腰を落ち着けると、女店主は三本の剣を目の前に並べた。

 「ちょっと待っててねー」

 さきほどと同じような工程が繰り返された。近衛騎士の剣を研ぐときも、一介の学生の剣を研ぐときも、真剣さは変わらない。仕事が終わったとき、二人の手元に戻ってきた剣は、新品のようにピカピカになって、細かい刃毀れもすっかり無くなっていた。

 「うわすっげえ、ちょっと研いだだけなのに…」

 「どう? これが職人技よ。特別なんだからねー」

 「ありがとうございます!」

アステルはびっくりするくらい大声でお礼を言って、深々と頭を下げた。

 「あはっ、そんなに喜んでもらえると、こっちも嬉しくなる」

カウンターに肘をつきながら、女性は微笑みを浮かべた。

 「しっかりやんのよ、学生さん。」

 「ああ。ありがとな」

鞘を腰に戻して店を出ると、アステルはひとつ溜息をついて、小さく呟いた。

 「…お前、変わってるけど、凄いやつだよ。」

 「ん?」

 「何でもない。」

ふいと顔をそらしたアステルの表情は、以前イヴァンに向けていたものとは全く違ったものになっていた。


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