第8話 邂逅

 午後の授業も終わり、ようやく自由時間となった。

 一日の勤めから解放された生徒たちは我先にと教室を飛び出していく。イヴァンも、一度自室に戻って勉強道具を放り出すと、とりあえずは玄関へと向かう。

 (とはいえ、…この町のことは、まだよく知らないんだよなあ)

どこへ行くかも決めていない。というより、この町に何があるのかの見当もついていなかった。

 「門限って何時だっけ」

今日も受付に座っている黒い上着の女性に向かって尋ねると、彼女は顔を上げて、ちらりとイヴァンを見た。

 「十時です。でも、あまり遅くなりすぎないように。街灯もありますし騎士団が循環しているので治安も良いですが、慣れないうちは暗くなると道が分からなくなりますよ。」

 「ああ、今日は様子見だし、早めに戻るよ」

話している間にも、イヴァンの脇を、町に繰り出す少年たちが次々と通り過ぎていく。他の生徒たちに混じって、イヴァンは玄関を出た。

 生徒たちが向かうのは、初日にイヴァンが馬車で来たほう――大通りの方向のようだ。

 「どうする? 今日もあそこにする?」

 「そろそろ本が届くはずなんだ。入荷してるといいんだけど」

 「あの店のパイ、美味しいよな」

会話の断片が耳に届く。観光、買い物、食事。だが、彼はどれもあまり興味が無い。


 左右の通りを見比べた彼は、思い切って仲間たちとは逆の方向へと歩き出した。細い路地の続く方向だ。今、見たいものが何かと思い浮かべたとき、真っ先に、この町を見た時の最初の印象が過ぎったのだ。

 ”緑の塊”。

 そう、遠くから見たこの町は、緑に覆われているように見えたのだ。だが実際には、町には街路樹くらいしかなく、学校の敷地内にも申し訳程度の植え込みがあるくらいだった。道は敷石に覆われているし、どこもかしこも建物と人だらけだ。

 緑があるのは、たぶん町の縁だけなのだ。大通りとは逆の方向へ、町のはずれへと向かえば、きっと緑があるに違いない。

 もう何日も狭い部屋と教室の往復ばかりで、少し気が滅入っている。開けた場所に行ってみたかった。


 曲がりくねった路地を抜けて歩いていると、やがて、建物の合間からそれらしき木々が見えてきた。

 最後の細い通りを横切ったとたん、目の前がさっと開けて明るい日差しが西のほうから押し寄せてくる。

 (草の匂いだ!)

思わず彼は駆け出していた。目の前に、木立に囲まれた緑の斜面が広がっている。

 実家の部屋から見ていた牧草地に比べればひどく狭いが、見晴らしの良い草地というだけで懐かしかった。


 人でごった返す町中と違い、ここにはほとんど人の姿がない。建物の建てられないほど端っこの斜面、町外れの余った場所、といったところだろうか。斜面の先は、どうやら崖になっているようだ。

 この町自体が高台の上に作られているからには、一番端の部分が斜面なのは当然といえば当然だった。崖に沿って申し訳程度の古い石壁が続き、その切れ目から大街道の端がちらりと見える。

 イヴァンは、どこかのんびりできる場所はないかと視線を巡らせた。この公園はあまり人が来ないのか、手入れはされているもののベンチも何もない。

 良い場所はないかと、木陰に向かって歩いていたとき、――イヴァンは、何かに思い切りけつまずいた。

 「うおっ、と」

 「うわっ」

同時に声を上げる。

 すんでのところで踏みとどまりながら、彼は視線を足元に向けた。足元には、少年が草むらにしゃがみこんでいる。

 「何やってんだよ、お前。危ないだろ」

 「ああ…ごめん」

そう言って少年は、膝についた泥を払いながら立ち上がる。

 癖のある灰色っぽい髪に、ほとんど黒に見える濃い茶色の瞳。見たところ、同い年くらいだろうか。町の住人にしては身なりが良い。上等の上着を身につけていて、袖口は僅かに土に汚れている。

 見れば、少年の足元には白いつぼみを沢山つけた植物があった。周りの土は掘られてまだ時間があまり経っていない。元からそこに生えていた、というよりは、たった今そこに植えられたように見える。

 イヴァンの視線に気づいて、少年はばつが悪そうな顔をした。

 「これは、エクルっていう花なんだよ。西のほうに自生する花。本来は、この辺りの気候だと冬は越せないらしいんだけど、この株は品種改良して寒さに強くなってるから…試しに植えてみようかと。」

 「公園に花植える奴なんて、初めて見たぞ。花壇にするなら普通、自分ちの庭とかだろ」

 「そうだけど、この町には住んでないから、勝手に植えられる場所があまり無くて…」

 「…んん?」

イヴァンは頭をひねった。

 「てことは、わざわざ花持ってこの町に旅行に来たのか? 変わってんなぁ」

 「まあ、ね。依頼主は来られなかったから…ところで君は――」

少年が尋ねようとした時、後ろから高らかな足音が近づいて来た。

 「アル! 悲鳴が聞こえましたが、何か…」

木立の向こうから姿を現した少女は、イヴァンの姿を見てぴたりと足を止めた。

 すらりとした体躯に、腰に下げた剣。ゆったりと波打つような銀色の髪は後頭部でひっつめにしている。まだ二十歳手前くらいだろうか、誰もがはっとするような美人だ。手には、花にやるためなのか、水の入った器を持っている。

 その美少女が、彼に向かっていきなり敵意に満ちた鋭い視線を投げかけてきた。水の入った器を片手に持ったまま、もう片方の手を腰に下げた剣にかけている。

 「…何者です、あなた」

 「何者って…通りすがりの」

 「騎士学校の制服着てるんだから学校の生徒さんだよ。」

隣にいた少年が代わりに答える。「…だよね?」

 「ああ、そう。ちょっと町の探検してたとこだ。」

 「探検ってことは、この町に来て間もないの? じゃあ、僕と一緒だね」

 「アル――」

少女が何か言いかけるのを先回りして、少年はイヴァンのほうに向き直って片手を差し出した。

 「僕はアルヴィス。アルって呼んでくれればいいよ。君は?」

 「イヴァンだ」

 「そうか。よろしくイヴァン。ちなみにこっちは…」

 「…ティアーナです。」

まだ警戒を解いていないといった表情で、彼女はぶっきらぼうに答えた。折角の美人なのに、愛想は凄まじく悪い。だが、拗ねたような顔をしていても美しいのだから、それはそれでお徳なのかもしれない。

 「アルの案内を兼ねて同行しています」

 「護衛もすんのか?」

ちらりと腰の剣に目をやると、ティアーナはまた敵意のある視線を向けてきた。

 「そうですよ。何です?」

 「いや、女が剣ってのは、珍しいと思ってさ。」

 「王都には女性剣士も多くいます。近衛騎士の中にだって」

 「へー、そうなのか」

イヴァンに軽く流されて、少女はますます不機嫌そうだ。「…嘘だと思ってます?」

 「えっ、いや」

何だか、うっかり下手なことを口にでもしようものなら、その瞬間に斬りかかられそうに勢いだ。

 「彼女はほんとに強いんだよ」

アルヴィスが笑う。

 「近衛騎士に入ってもいいくらいにね」

 「ご冗談を。――それよりアル、そちらの用事は終わったんですか」

 「うん。水をありがとう」

少年は器を受け取りながら、何か思うところのあるような視線をイヴァンのほうに向けた。その視線は、彼の腰に提げた二本の剣へと向けられている。

 「イヴァン、君、”下の町”って行ったことある?」

 「下の町?」

 「街道から王都に上がる手前にある宿場町だよ」

そういえば、王都にくるとき、丘のふもとに町があったのを見たような気がする。だが、あの時は、目の前に聳え立つ緑の塊にばかり目を奪われて、ほとんど注意を払っていなかった。

 「この町に来るとき通過したっきりだ」

 「そうか。じゃあ、明日一緒に行ってみないかい?」

 「アル!」

ティアーナが声を上げる。

 「いいじゃないか、人数が多いほうが絶対楽しいよ。明日は学校、休みでしょ? 明日の朝、また、ここへ来られるかな」

 「休み…あー、今日が金曜日か」

言われてからようやく、イヴァンは思い出した。

 「そういや授業は月曜から金曜って言われてたな…」

 「あなた、…もしかして、今週この町に来たばっかりなんですか?」

呆れたような声。

 「ああ。なもんで、町のことは良く知らん」

 「それでこの公園に来るなんて。最初はもっと観光地を…」

 「順番は俺が決める。今日は緑が見たかったんだ」

二人のやりとりを聞きながら、アルヴィスがくすくす笑っている。

 「なんだか君を連れていくのは正解のような気がしてきた。じゃあ明日、ここで待ってるからね。きっと面白いものが見せられると思う」

 「ああ」

少年は、植えた花に水をやり終えるとティアーナと連れ立ってどこかへ去って行く。


 変わった二人組だな、とイヴァンは思った。

 親しそうではあるが、親戚というわけでもなさそうだ。どちらかというと、そう、…どこか自分とレオンの関係に似ているような。

 (あいつ、もしかしたらどっか金持ちの家の子なのかな。それで護衛がついてる、とか)

さっきアルヴィスの植えていった花の側の木陰に腰を下ろしながら、イヴァンは思った。

 わざわざ公園に来て花を植えていた品の良さそうな少年に、腕利きだという美人な女剣士。都会には、変わった人々がいるものだ。

 (ま、休日の予定が出来たのはいいことだな。一人でぶらついても面白くない)

木にもたれかかって心地よいそよ風を受けながら、彼は目を閉じた。人がいないお陰で、ゆっくりしていられる。適当に辿り着いたにしては悪くない。

 この公園は、これからも気に入りの場所になりそうだった。

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