第4話 来訪の理由

 イヴァンに道案内を頼みたい、というベオルフの希望は、どうやら通ったらしかった。

 次の朝、イヴァンは朝食の席で父から直接、客人の案内係を言いつかった。

 「今日の授業には出なくていい。ベオルフ殿たちの案内役を務めなさい。だがな、いいか、絶対に失礼のないようにな」

 「分かってるって。任せといてくれよ」

返事しながらも、彼が意識していたのは「授業に出なくていい」という部分だけで、「失礼のないように」の部分は綺麗さっぱり右の耳から左の耳へと抜けている。


 朝食が済むと、イヴァンは浮き浮きとした足取りで厩へと向かった。鞍をつけた馬は、既に厩の前に準備されている。今回の「視察」の連れは、自分一人で他に誰もいないという。それが客人のたっての願いだということだった。

 「はいよ、イヴァン様。お弁当ですよ」

料理番のアデールが、昼食の詰まった大きなバスケットを渡してくれる。

 「たっぷり詰め込んどきましたからね。お昼は好きなところで食べてくださいね」

 「おっ、楽しみ。ありがとな」

 「あの、イヴァン様…」

馬の手綱を手渡しながら、厩番のラスが心配そうな顔でおずおずと尋ねる。

 「お体のほうは、本当にもう大丈夫なので…?」

 「ん? 何ともないよ。そんなに心配すんなって、俺が丈夫なのは良く知ってるだろ。」

昼食の荷が鞍の後ろにしっかりと結わえ付けられていることを確かめて、イヴァンは、ひらりと馬に飛び乗った。

 ベオルフたちのほうは、先に外へ出て近くの牧場のあたりを見て回っている。彼も、馬を駆ってそこに合流した。




 今日も、良く晴れた春の日和だ。

 四人は、馬を並べて牧草地帯を駆け抜けていた。行き先は、先頭を走るベオルフ次第だ。ベオルフたちは、今日は、自分たちの乗ってきた目立つ軍用馬ではなく、館で借りた遠乗り用の馬を使っている。

 「ところで、今日はどこへ行きたい? 案内ったって、このへん何もないからさ」

駆け足でベオルフの隣に馬を並べながら、イヴァンは手早く尋ねた。名目はどうあれ、大手を振って館を出られるのだ。クラヴィスの気が変わって外出許可が取り消される前に、さっさと遠くまで行きたかった。

 「そうだな…パレアル渓谷のほうへ向かってみたい。国境の砦は近いのか?」

 「砦? あー検問のことかな。二時間もあれば行けるけど…往復してると半日がかりだぜ…ですよ」

 「そうか。なら、渓谷のあたりが見渡せる場所は無いか。どんな場所なのか見てみたくてな」

 「…?」

ずいぶん変わった要望だな、とイヴァンは思った。

 そういえば、昨日の晩餐のときも今朝も、客人がこの辺境までやって来た目的とか理由というのは一度も言及されていなかった。夕食の場で交わされるのは当たり障りの無い世間話ばかりだったし、父クラヴィスと、このベオルフという男が騎士団繋がりらしいということ以外、はっきりしない。

 父が騎士団にいたのは二十年も前の話で、ベオルフは見たところ三十手前か、少し過ぎたくらいにしか見えない。まさか直接の知り合いというわけでもないだろう。

 「そういや、あんた…いや、あなたたちは、視察で来たんだっけ?」

少なくとも、今日の遠乗りは「視察」だと、昨日の訓練場で言っていた。

 「ああ、まぁな。西の国境の現状を、少し確かめたかったんだ。まぁ、何か問題があるわけじゃあない。昔はこの辺りも野盗がごろつき多かったというのに、今じゃそれも聞かない。サーレ辺境伯殿は実によく領地を治めていると評判だ」

 「ふーん」

イヴァンは、気のない返事をして馬を進める。領内に問題が無いことなど、よく知っているからだ。当たり前の評価すぎるし、それなのに何故、中央からわざわざやって来たのかという理由にもなっていない。


 牧草地に風が吹きぬけて銀色に泡立つ中を、牧童たちが牛や羊を追っている。小道の脇にいた老婆がちょっと顔を上げてイヴァンに向かって微笑みかけ、傍らにいた幼い少年が歓声を上げて一行に両手を振った。イヴァンも、大きく手を挙げて振り返す。

 ちらりとそれらを眺めやると、ベオルフは、先頭をゆくイヴァンの脇に馬を寄せた。

 「イヴァン殿は、領民たちにずいぶん人気があるのだな?」

 「ん、ここらじゃ皆が顔見知りみたいなもんですよ」

 「いや、そういう意味ではなく…。」

言いかけて、彼は止めた。そして、面白そうな顔をしながら馬の速度を落として後ろのほうへ下がっていく。背後で他の二人と何か話しているらしかったが、内容までは聞こえてこない。


 馬を走らせながら、イヴァンは、それとなく三人の男たちの様子を伺っていた。

 一行のまとめ役は間違いなく、この大柄な、そして段違いに強いベオルフという男だろう。昨夜相手をしたシーザという男は見た目からして若く、新人らしさが抜け切っていない。ベオルフの部下かもしれない。ただ、残る一人、剣士でもなさそうなオルグの存在はよく分からなかった。従者、というわけではなさそうだし、父とも初対面のようだった。ベオルフの部下だとしても、なぜ二人も引き連れてこなくてはならなかったのか。

 (視察、ってのは何の視察なんだろうな。今は問題が無いのなら、これから問題が起きる――ってことか?)

そういえば、昨日は焼け落ちた森の中の別邸にいた。

 彼らは一体、”何”を見るためにこのサーレ領へやって来たのだろう。




 イヴァンが馬を走らせている小道は、やがて登り坂になり、緑の草地に覆われた小高い丘が行く手に見えてきた。

 馬の息が荒れ始めたのに気づいて、イヴァンは手綱を軽く引いて歩調を緩めさせた。後ろに続くベオルフたちの馬も速度を落とす。振り返って、イヴァンは後ろの三人に言った。

 「まだ距離はあるけど、この丘の上からなら国境のほうまで見渡せるよ」

 「ほう。では、あれが国境にあるという”西の山脈”というわけか」

ベオルフは馬上から、西の方へ視線をめぐらせる。その先には灰色の切り立った岩壁が、空に向かって聳え立っている。ふもとのあたりは濃い緑に覆われて、町や村など一つも無さそうに見える。

 「そうですよ。で、あのふもとに流れてるのがパレアル渓谷。」

 「ふむ。渡れるところは、あるのか?」

 「検問の先に吊橋が一本。けど、滅多に通る人はいないな。海に近づくほど渓谷の幅が広くなるから、渡れるのはそこくらいだ」

 「この丘は、ユラニアの森からも、そう遠くないですね」

反対側を振り返って、オルグが呟く。丘は、渓谷と森のちょうど中間地点にあたり、東のほうには、濃い緑の森が広がっている。

 「この丘に砦を立てればよかったんじゃないですか」

と、シーザ。

 「昔はあったらしいよ。けど辺鄙な場所だし、誰も来ないんで無くなった。街道がもうちょっと南のほうにあるから、今の砦はそっちに近い場所に作ってます」

 「なるほど。では、そこに見えてきたのが昔の砦の跡か」

ベオルフは楽しそうに言って馬に拍車をあて、速度を上げた。

 間もなく丘の頂上だ。そこには、放棄されたまま崩れ落ちた白い岩の塊と壁の跡が、草に埋もれて点々と顔を出している。


 四方から風が吹きぬけていく。

 丘の頂上で馬を下りた一向は、取り囲む何もない平原をぐるりと見渡した。

 「ベオルフ殿、ここも調べますか?」

 「ああ、一応な。オルグ、任せた」

 「はい」

オルグは手綱をベオルフに渡し、何やら辺りの岩の間や地面の上を調べ始める。

 「私も手伝いますよ」

シーザも一緒になって、草の合間や砦跡を念入りに見て回っている。

 「…何を、してるんだ?」

 「ああ、実はオルグは学者でな。鉱石に詳しいんだ。この辺りの地質をちょいと調べたいのさ」

 「地質…? そんなことのために、この辺境へ来たのか?」

イヴァンは眉をしかめる。最初の頃はそれなりに取り繕おうとしていた口調も、いつの間にか、普段のざっくばらんなものに戻ってしまっているが、ベオルフは全く気にした様子もない。

 「っていうか、このへんに珍しい岩があるなんて聞いたことないし、宝石も取れないぜ。」

 「それは承知の上だ。特別なものが欲しいわけじゃない。ところで、お前さんのその馬、拍車も当てずによくも言うことを聞くもんだな。よく馴らしてある」

話題を変えて話をはぐらかされようとしているような気がしながらも、イヴァンは、正直に答えた。

 「馴らしてあるんじゃない。あんたらの馬でも同じだよ」

そう言って、草を食んでいる馬の首をそっと撫でる。

 「馬ってのは賢いから、こっちがちゃんと伝えれば、無理やり言うこと聞かさなくても従うんだよ。」

 「…ほう」

ベオルフは腕組みをすると、面白そうに小さく呟いた。

 「人間でも馬でも、無意識のうちに従わせることが出来る、か。…領主の資質としては、まずまずだな」

 「ん? 何か言った?」

 「いいや。ところで――」

 「ベオルフ殿」

ちょうどその時、シーザとオルグが向こうから戻って来た。

 「特にめぼしいものは、ありませんでした」

 「そうか。ま、そうだろうとは思ってた。んじゃあ、次の場所へ行ってみるか。次は、そうだな…」

 「一体、何を探してるんだ?」

イヴァンは不思議そうな顔だ。

 「どんなもの探してるか言ってくれれば、ありそうな場所を思い出してみるけど」

 「ああ、いや…まぁ、鉱石というか、探しているのは、本当は液体なんだけどな」

 「鉱石なのに、液体?」

 「熱を加えると溶ける。黄色い、どろっとした濁ったやつだ。嫌な匂いがする。水に溶け込むとなかなか固体に戻らないと聞く」

 「うーん…硫黄のことか?」言いながら、授業で習った乏しい知識を思い出そうとする。「けど、この辺りは火山も無いし…」

 「いや、そうじゃない。説明が難しいが――」

苦笑しながら、ベオルフは馬に乗った。

 「そうだな。折角だ、もう一度森へ行ってみよう。イヴァン殿、ここから最短距離であの焼け落ちた館へ向ってくれ」

 「え?」

 「最短距離で、だ。お前さんの知る限り一番近い道を辿ってくれ」

男は、何やら目的を秘めたような意味ありげな笑みを浮かべて森のほうを見つめている。

 一体、この男は何を考えているのだろう。言うとおりに案内してもいいのだろうか?

 …だが、断る理由はない。それに、行きずりの旅人ならともかく、この三人は父の客人なのだ。

 馬にまたがりなおすと、イヴァンは、ちらと空を見上げた。太陽は、ちょうど天頂にさしかかろうとしている辺りだ。飛ばせば小一時間で森に辿り着く。

 アデールから預かってきた昼食の包みは、どうやら別邸の、燃え落ちた廃墟で開くことになりそうだ。




 焼け焦げた木と新しく生えた木の入り交じるまばらな木立の合間を抜けて、馬は、道なき道を進んでいた。

 道しるべもないというのに、一行を先導するイヴァンは迷う様子もなかった。最短距離でと言われたので、素直に、ほぼ直線で目的地に向かっている。

 間もなく行く手に、崩れかけた灰色の石壁が見えて来た。到着したのはかつて裏口のあった側で、いつも訪れる正門側とは逆方向だ。後ろにいたオルグが、馬上で小さく口笛を吹いた。

 「ほう、本当に辿り着いた。よく方角が分かるものですね」

 「そりゃそうさ、この森は俺の庭みたいなもんだからな」

 「ふむ。ゆっくり走っても一時間というところだな」

とベオルフ。だが、シーザが異論を唱えた。

 「よほど道に詳しくなければ、その時間で抜けるのはムリでしょう」

 「昔は道があったはずだ。そうだろう」

話を振られて、イヴァンはちょっと眉を寄せながら頷いた。

 「まあ、一応は」

 「…ですが、夜となれば話は別です。たとえ道があったとしても」

 「さっきから、何の話をしてるんだ? ていうか、あんたら、一体何を気にしてる?」

この不可解な巡回行の本当の目的を自分だけ知らないことで、彼はかすかに苛立っていた。

 「鉱石だか液体だかを探してることと、ここまでの距離に何の関係があるっていうんだ」

 「まあ、まぁ。とりあえず飯にしようや。そろそろ腹が減った」

ベオルフはイヴァンの肩にぽんと手を置いて、笑いながら別荘跡のほうへ馬を進めていく。納得いかないという顔をしながらも、イヴァンも後ろに続いた。


 昼食は、かつて裏庭だった草地で食べることにした。かつて東屋の中に設置されていた大理石のテーブルとベンチが、屋根はないまま、そっくり元の場所に残されていたからだ。

 馬たちにはその辺りで適当に草を食ませ、四人はテーブルの上に昼食の包みを開いた。食べざかりのイヴァンを含む男四人のために、アデールは気を使って山程の弁当を詰め込んでくれたらしく、パンケーキや果物のほかに、燻製の薄切り肉、パテを挟んだサンドイッチ、さらに食後の焼き菓子まで入っている。どれもサーレ領内で採れたものばかりで作られた、イヴァンにはおなじみの料理ばかりだ。

 「こいつは豪勢だな。酒があればもっと良かったんだが」

 「ベオルフ様…」

 「はは、冗談だ。さて、どれからいただくか」

陽気なベオルフをよそに、シーザは妙に緊張した面持ちで、オルグは仏頂面だ。特にオルグという男は、昨夜の夕餉の時からずっと同じ表情をしているような気がする。笑いもしなければ、驚きもしないのだ

 「それにしても、思ったより焼け残ってるなぁ」

サンドイッチを手にしたまま、ベオルフは屋敷のほうを眺めている。

 「形はな。でも中はメチャクチャだし、屋根はぜんぶ無くなってる」

と、イヴァン。

 「ああそうか、お前さん、この館の元の姿を知ってるんだったな」

 「小さい頃はよく遊びに来てた。」

壺から掬い上げたクリームをパンケーキに載せながら、イヴァンはそっけなく答える。

 「そんなに、あの事件のことが気になるのか」

 「そりゃあな、王国内でもかなり大きな扱いだったんだぞ。――お前さんは、あの事件のこと、どこまで知ってる?」

 「知ってるっていうか…覚えてることだけだよ。別荘と村が焼けたのは冬で、真夜中だった。雷でも落ちたみたいな凄い音がしてさ、でも晴れた夜だったはずだ。目を覚ましたら、塔から真っ赤に燃えてる森が見えて…。」

パンケーキを折りたたんで、一口に飲み込む。

 「…俺は部屋から出して貰えなかったんで、あとのことは、誰かから聞いたことしか知らない。犯人が捕まらなかったことも。そのくらいさ。あの時は五歳か六歳くらいだったし、詳しく聞こうにも、誰もそのことを話したがらないから」

 「成る程。」

イヴァンは、相槌を打つベオルフのほうをじろりと睨んだ。

 「何を企んでる? あんたたちが知りたいことは、あの事件に関係のあることなのか」

 「ん、聞きたいのか?」

 「ベオルフ殿、その話は…」

声を上げようとするオルグを、ベオルフが視線で制する。

 「知ってしまったら、後戻り出来んかもしれんぞ」

その声には、冗談の気配は欠片もない。いつしかベオルフは、真剣な表情になっていた。イヴァンは間をおかず頷いて、答えた。

 「もし、あんたらや親父があの事件について何か知ってるのなら、俺だって知りたい。村の人が大勢死んだ。ここにいた使用人も、友達の家族もだ。なのに犯人が誰なのかも判らないなんて」

 「なら言うが、オレたちは、その事件の犯人を見つけ出したいのさ。実を言うと、今回の旅の目的は、――十年前の”ユラニアの森事件”を調べなおすことなんだ。」

シーザとオルグが渋い顔をしているのを無視して、ベオルフは続けた。

 「探しているのは、”クロン鉱石”というものだ。知っているか? 王国では使用が禁じられた、大昔の兵器の材料でな。」

 「…聞いたことない」

 「そうか。ま、そうだろうな。一般にはあまり知られていない。学校で教えられることもない。さっき言った黄色い嫌な匂いのある液体ってのは、そいつが溶けた状態のことだ。熱をかけると液体になって、何百年も固体に戻らない。だが、ある一定条件を満たして精製すると、爆発的な威力を持つ火を生み出すと言われている。――そいつが、ここで使われた可能性がある、…と、サウディードの学者たちが結論を出した。」

 「サウディード…えーっと…確か…東の方にある?」

 「そうだ。まさか知らんとは言わんだろ」

 「う、うん。当たり前だ。授業で習ったし…」

そうは言いつつも、イヴァンは、内心では焦りまくりながら、必死に、地理の授業で習ったことを思い出そうとしていた。

 確かサウディードは、アストゥールのずっと東の果てにある伝統ある学術都市の名前のはずだ。町全体が巨大な大学のようになっている、…という話を、教師から聞いたような気がする。

 (地理なんて、一生、使わない知識だと思ってたのに…)

こんなことになるなら、もう少し、まともに勉強しておけば良かった。

 「えっと、じゃあ、犯人の目星はもう、ついてるってことなのか?」

 「いいや、まだだ。使われたものが判っても、使った奴までは突き止められていない。そいつが国内で密かに製造されたものなのか、国境を越えて持ち込まれたものかが分からんのだ。確かなことは、十年前にこの場所で、アストゥール王国の領土内では何百年も前から製造されていないはずの禁断の兵器らしきものが使われたということだけだ。」

 「……。」

イヴァンは、あごに手を当てて考え込んだ。あの事件にについて調べているというのなら、最初に彼らが居た場所がこの別邸跡だというのは頷ける話だ。しかし、なぜ今さら――なぜ、十年も経ってから調査に来たのだろう。

 それに彼らは、中央の騎士団から来ているはずだ。わざわざそんな遠くからやって来る意味が見えない。

 「ひとつ、聞いてもいいか?」

 「何だ」

 「俺は騎士団とかの細かいことは知らないけどさ、どうして中央騎士団がやって来るんだ。調査するにしても、この辺は西方騎士団の管轄だろ?」

 「お、確かにそりゃそうだ」

ベオルフは膝を打った。「ははは、よく気づいたな。確かに妙だな」

 「何を納得してるんです」

シーザは呆れ顔だ。既にベオルフが目的を話してしまったことで、彼も隠す気が無くなった様だ。

 「…そうですね。身分を偽ったのは確かですよ。中央騎士団に属しているのは私だけです。実家がこちらのほうでしてね。途中までの道案内を兼ねて同行しました。オルグは学術都市サウディードの学者…」

オルグが、小さく頷く。

 「…ベオルフ殿は近衛騎士団に所属しています」

 「ふーん、って…は?」

イヴァンは、思わず聞き返した。

 「近衛騎士団って…王様とかお后様とか偉い人を護衛するっていう精鋭だっていう、アレ?!」

 「ええ、その近衛騎士ですよ。」

 「だったら尚更、なんでこんなとこに居るんだよ。ていうか、調査なんて…」

 「これは国王陛下直々の命令でな。――ま、近衛騎士の仕事には、護衛以外にも色々と役目があるってことさ。」

意味ありげに目配せしてみせると、男はテーブルの上の果物に手を伸ばす。

 イヴァンは、三人それぞれの表情を眺め回した。誰も冗談を言っているような雰囲気はない。

 ということは、今聞かされたことは、全部本当なのだ。


 言葉の意味が脳に染みこみ、理解されるにつれ、胸の奥で心臓が早鐘のように打ち始めた。

 十年前の事件は、国王が直々に、直属の部下に再調査を命じるほど重大なことだったのだ。

 「…つまり、この館や村を焼いた兵器は、とんでもなく危険なもの、ってことなんだよな」

 「うむ。」

オルグが頷いた。

 「でも、どこで作られたのかも、誰が使ったのかも分からない?」

 「そういうことです」

と、シーザ。

 「うちの領地の誰か…例えば親父とかさ、疑われなかったのか?」

 「嫌疑は真っ先にかかりましたね。ですがその件については、十年前に結論が出ています。少なくともサーレ伯については無関係です。でなければ、今回、協力を仰いだりしません」

 「良かった」

ほっとして、イヴァンは胸を撫で下ろした。「けど――」

 「けど?」

 「今回も、手がかり、なんも無かったんだよな」

 「……。」

シーザとオルグは、視線を落とした。二人の様子を見るまでもなく、結論は明らかだった。

 小さく溜息をついて、ベオルフは空を仰いだ。

 「――ま、十年も経って、ここで何か見つかるとは最初から期待しちゃいなかったがな。ただ、おおよその地理を実際に目で見て確かめることは出来た。国境からの距離と、クロン鉱石が国外から持ち込まれたという可能性について、な。疑うなら、他国のほうがいい。」

 「ただそうなると、この先の調査は厄介ですね」

オルグが呟く。

 「もしも持ち込まれた鉱石の出どころが、ここより西の国外となると、手の出しようがない。特にこのサーレ領の西側には、国交どころか政体もはっきりしない未開地が広がっている…」

 「そうだなぁ。そこは、戻って陛下の判断を仰ぐしかないなぁ」

のんびりとした口調で言い、男は、足を組み替えた。

 「まぁ、たまにはこういうのもいいさ。辺境でのんびり羽根を伸ばすついでと思えば。何も報告出来ないってワケでもないしな」

 「私はもう一度、この屋敷跡の中を見て回りたいと思います。」

シーザは、ちらりとイヴァンのほうを見る。

 「宜しいでしょうか」

彼に許可を得るのは、ここが、廃墟とはいえ辺境伯の土地だからだ。

 「ああ、構わないよ。なんかあったら声かけてくれ」

 「それがしも、破壊の痕跡から爆発規模を推定したいので」

オルグも立ち上がる。

 二人はベオルフに一礼して席を立つと、それぞれに館のほうに消えていった。

 「働き者だなぁ、あいつらは。」

残されたベオルフは、果物の残りをつまみながら、のんびりとベンチの上に足を崩している。その様子からは、とても王の側近として仕える精鋭騎士のようには見えない。

 イヴァンは、テーブルの向かい側からベオルフを伺い見た。

 「なあ、あんた本当に、本物の、”近衛騎士”、なんだよな?」

 「うん? なんだ、信じてないのか」

 「そういうわけじゃない。ただの確認だ。近衛騎士は十人くらいしかいなくて、凄く強い騎士しか入れないって聞いてた――」

 「十二人だな」

ベオルフは、即座に訂正する。

 「人数は一定だ。欠員が出たら推薦と試験で補充される。ま、強さ『も』判断基準の一つってのは確かだ。」

そう言って、男はくっくっと小さく声を立てて笑う。

 「だからお前さんがオレに負けたのは当然ってこった。むしろ現役騎士のシーザと互角にやれたんだから、その腕前は誇りに思っていいぞ。ま、あいつは実戦経験ナシのお坊ちゃん騎士ではあるが。」

 「いいよ、そういうの要らない。俺、騎士の名誉とか興味ないし」

 「ほう? ならお前さん、何のために剣の腕を磨いたんだ。その歳でその腕前、生半可な鍛錬じゃなかったろうに」

 「何のため、って…。」

イヴァンは少し口ごもり、視線をそらした。

 「…強くならないと、…皆を守ってやれないだろ。」

 「皆…?」

 「領主ってのは領民を守る者だ。あの事件の時は…何も出来なかったから…。」

怪訝そうだったベオルフの表情が、意を汲み取って変化していく。口元に微笑が浮かぶのを見て、イヴァンは慌てて身を乗り出した。

 「あ、言いふらすなよ?! 特に親父とか!」

 「言わんよ。はは、そいつは、男が強くなるには十分すぎる理由だな」

微笑みを消すと、ベオルフは居住まいを正した。

 ふいに真っ直ぐに見つめられて、イヴァンは思わず腰を引いた。

 「――そうだな。お前なら良いだろう。もう一つ教えておく。――あいつらにも言ってないことなんだが、オレにはもう一つ、直々に言いつかっている目的がある。…オレはこの事件と、同じ十年前に起きた、王族の暗殺未遂事件との関わりを調べている」

 「…暗殺未遂?」

 「そうだ。十年前、何者かが王とその家族の暗殺を目論んだ。逃走した犯人を追跡していた同時期に、”ユラニアの森事件”は起きた。二つの事件に共通するのが、クロン鉱石によると思われる爆発による被害。このことは、家臣の中でもごく一部しか知らん。…当時、まだ新人だったオレは、暗殺未遂の犯人を追っている最中にユラニアの森で起きた事件を知った。だから、当時のここの状況も実際に見ている。今回の再調査で指名されたのは、その時の因縁みたいなもんだ。」

 「……。」

とっさに、返す言葉が出てこなかった。

 さわさわと、風が梢を揺らして通り過ぎていく。

 「どうした?」

 「…同じ時期に暗殺未遂があったとか、…俺は、何も知らなかった」

 「厳しく箝口令が敷かれたからな。人の噂にもならなくて当然だ。他の誰も知らんだろうよ」

 「親父は? 知ってたのか?」

 「ユラニアの森で起きた事件がクロン鉱石のものだということのほうはな。暗殺未遂のほうは、公にはされていないから知らなくてもおかしくはない。ただ、サーレ伯殿は王国議会に参加されているはずだ。噂くらいは聞いたことがあるかもしれん」

 「…そうなのか」

それでも、父からは、一度もそんな話を聞いたことが無かった。

 膝の上の拳を見つめながら、イヴァンは少し悔しくなった。この土地に住んでいるのに、自分は何も知らなかった。いや、――知ろうとしていなかった。

 あの十年前の事件の裏で、何が起きていたのかも。


 イヴァンが口を開いて何か言おうとする前に、館のほうから二人分の足音が聞こえてきた。

 「お、連中も引き上げてきたな。あの顔じゃ、案の定、何も見つけられなかったようだが。」

振り返ると、シーザとオルグが連れ立って帰ってくるところだった。確かに、浮かない表情だ。もっとも、オルグのほうは、いつもそんな表情なのだが。

 「気は済んだか? そろそろ引き上げるぞ。ここでの収穫はこんなもんだろう。明日の朝イチで発って王都に戻る」

 「はい」

 「分かりました」

イヴァンは、残っていた食べ物をかきあつめ、広げていた布を元通り包みなおす。四人はめいめいに馬に乗ると、焼け落ちた森の中の館を後にした。




 館へ戻る道は、自然に、いつも通る小道になっていた。

 途中で墓地を通りかかったとき、イヴァンは、草むらの中に腰を屈めて仕事をしている少年の姿を見つけた。彼が声をかけるより早く、ルナールのほうが蹄の音に気づいて顔を上げる。

 「あ、イヴァン…」

言いかけた彼は、イヴァンの後ろに続く馬に視線をやって、慌ててぺこりとお辞儀をした。館に来ている客人だと、すぐに気づいたからだ。

 石積みに囲まれた墓地の草は、もうほとんど刈り取られ、青臭い匂いのする小山がいくつか積み上げられている。

 「墓、か」

後ろでベオルフが呟いた。振り返って、イヴァンは頷いてみせる。

 「ここにあった村が焼けたんだ。あの事件の時」

 「…そうか」

視線を墓所に戻すと、イヴァンは草刈鎌を手にしたままの少年に向かって言った。

 「ルナール、後でまたな。」

ルナールは無言に頷き、自分の仕事に戻っていく。けれど、視線はイヴァンのほうに向けたままだ。

 イヴァンは森の木々の間を抜けるあいだじゅう、背中に、こちらを伺うルナールの視線を感じていた。

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