第3話 王都からの客人


 翌日の授業は、いつもより早めに終わった。

 歓迎の宴などはないという話だったが、館の中は、客人を迎えるための準備で、どことなくそわそわしている。普段あまり使われない客間が整えられ、下働きの田舎娘たちがいつもより着飾っているのを見て、イヴァンは少し意外な気持ちだった。

 (そんなに大騒ぎしなくてもいいようなもんなのにな)

とはいえ、この辺境ではよその土地からの客人というだけでも珍しいのだ。ましてや、このあたりの住民が一生に一度行くか行かないかくらいの王都からの客人ともなれば、興味をそそられるものなのかもしれない。

 だがイヴァンは、そうした騒ぎに加わる気はなかった。どうせ、客人には後で逢うことになる。浮ついた館の雰囲気をよそに、厩からこっそり馬を引っ張り出したところで、目ざとく見つけた厩番の男、ラスが飛んでくる。

 「イヴァン様、いけませんよ。出かけそうになったらお止めするようにと旦那様から言われてるんです」

 「客のいる間はダメって言われたけど、まだ着いてないんだから構わないだろ。ちょっと腹ごなしの散歩だよ」

人差し指を口に当て、イヴァンは悪戯っぽく目配せした。

 「お前が止められなかったんじゃなくて、俺がお前の気が付かないうちに出てっただけだよ。気にすんな。」

 「しかし…でも」

 「俺のせいでルナールが皿洗いさせられそうなんだ。ちょっと手伝いに行くだけさ。すぐ戻って来るよ」

そうまで言われると、ラスも引き下がるしかなかった。困ったような顔で、一歩後ろに下がる。

 「…お早くお戻りくださいね」

 「ああ。わかってるって」

鞍をつけた馬にひらりと飛び乗って、彼は馬の首を叩いた。拍車は使わない。命令などしなくても、走れと頼めば馬は走ってくれることを知っているからだ。


 風が心地よい。

 イヴァンの姿を見つけて、小道沿いにいた牧童たちが歓声を上げながら手を振る。それに片手を上げて答えながら、彼は森を目指して馬を疾走させた。

 速度を落として木立ちの間に分け入ると、馬の蹄の下で、落ち葉が湿った音をたてた。森の奥からは、陽射しに照らされた牧草地より涼しい風が、吹き出してくる。


 墓地に辿り着いてみると、予想に反してそこは空っぽだった。

 「あれ、妙だな。…ルナール、今日は来てないのか」

馬もいない。草むしりの仕事は昨日よりは進んでいるようだが、積み上げられた草は少し萎れて、今日やった分の仕事ではないようだ。

 馬上から辺りを一通り眺めた後、イヴァンは、ちらりと森の奥のほうに目を向けた。

 レオンも、さすがに一日でここの草を一人でぜんぶ処理するのは無理だと思い直して、別の用事を言いつけたのかもしれない。それとも、急に入った別の仕事のほうを優先しているか。

 ルナールの本来の仕事は、森番なのだ。一応は領主家の所有物ということになっているこの森は、近隣の住民たち以外は許可なく立ち入って何か持ち出すことを禁じられている。逆に言えば、近隣の住民たちなら、よほど大量でなければ何でも自由に持ち出して構わないことになっている。

 ここへ来ていないとすると、誰かに頼まれて、薬草でも採りに行ったのだろうか。

 (どうせここまで来たんだ。ちょっとくらい足を延ばしても、戻る時間は大して変わらないよな。)

そう思って、イヴァンは、昨日ルナールと辿った森の更に奥へと続く道へと、馬の向きを変えた。せっかくだから、奥の屋敷の燃え跡を回ってから帰ろう、と思ったのだ。




 森の様子がいつもと違うことに気付いたのは、焼け焦げた壁が見えてきた頃だった。何か騒がしい。馬のいななき…それに、人の話し声だ。一人ではない。

 (誰か居る…?)

ルナールではないことは直ぐに分かった。館跡の入り口に止められている馬はいずれも体格のよい軍馬で、旅の荷物を結わえつけられている。この辺りでは見かけない、上等な馬だ。

 その持ち主らしい男が二人、別邸跡の中庭の入り口あたりで、何か話し合っている。森に入り込んでしまった旅人だろうか。それにしては、ずいぶん重装備に見える。

 イヴァンは馬の速度を緩め、用心深く男たちから少し離れたところで鞍から降りた。同時に、男たちのほうも彼に気づく。

 「なんだ、何処から来た」

 「それはこっちの台詞だ。こんなとこで何してる?」

言いながら、イヴァンはいつでも武器を抜けるようにそれとなく腰に手をやった。ちょっとした散歩にも武器を帯びて出てくるのは、もはや習慣になっている。

 二人の男のうち、片方は体格のいい大男で、立派な剣を持っている。ただの飾りではなさそうだ。…連れている馬は三頭。あと一人、どこかにいるはずだ。

 「ベオルフ殿、こんなものを見つけました」

やはりもう一人いた。石造りの壁の奥からもう一人、武器を帯びた男が出てきた。手に弓と矢筒をもっている。イヴァンは思わず息を呑んだ。昨日のゲームに使った、ルナールの武器だ。

 剣を帯びた男は、イヴァンの表情が変わったことに気づいた様子はなく、後からやって来た男が持ってきた弓矢のほうに注意を向けた。

 「最近のものだな。おまけに矢の頭が落とされてる。子供の玩具か何か…」

 「勝手に触るな。それはルナールのだ」

イヴァンは、思わず怒鳴った。

 「此処はよそ者が荒らしまわっていい場所じゃない。今すぐ、それを置いて出ていけ! さもないと、ただじゃおかないぞ」

 「ただじゃ…って」

呆れたような顔で、後から出てきた男はイヴァンを見た。

 「子供の遊び場、ってわけでもないだろ? 君こそ、こんな森の奥で遊んでないで家に帰りなさい」

 「子供扱いするんじゃねえ」

かっとなって、イヴァンは腰から剣を抜いた。

 「ほう」

ベオルフと呼ばれていた、一行のかしららしいひときわ体格の良い男の声色が変わった。

 「どうやら、そっちの武器は玩具じゃないらしいな」

 「もう一度言う。ここから出ていけ」

あとから来た男が、手にしていたルナールの弓矢を脇に投げ捨てて、自分の腰に下げた剣に手をかけようとする。だがそれを、剣の男が手で制した。

 「手を出すな」

 「しかし――ベオルフ殿」

 「面白いじゃないか。ずいぶんと威勢のいい奴だからな、どんなもんか、ちょいと相手をしてみたい」

ベオルフは、愉快そうな顔をして舌で唇をなめた。

 「…また悪い癖が出た」

武器を帯びていないほうの男が、はあ、とため息をついて脇へ退いた。

 「分かりましたよ。でも、ほどほどにしといてくださいよ? まだ、これから予定があるんですから」

 「はいはい。さ、かかっといで坊や」

 「ナメんじゃ――」

言いかけたイヴァンは、男が外套の下から引き抜いた武器に目を見張った。背に背負った鞘から取り出されたそれは、イヴァンの背ほどもある長剣だ。よく磨かれ、研ぎ澄まされた表面からは、言葉にしようもない気配が漂っている。


 初めて目の当たりにする、本物の手練れの剣士の気圧。

 いつも剣術の稽古をつけてくれる、屋敷の剣士たちとは全然違う。近づくことも、退くことも出来ない。


 イヴァンが動揺しているのを見て、ベオルフは薄く笑みを浮かべた。

 「どうした? かかってこないのか。怖気づいたのなら、謝れば許してやらんでもないぞ」

 「……誰が!」

吠えるなり、彼は脇の馬にひらりと飛び乗った。

 「おっ?」

馬の向きをかえ、男から遠ざかる方向へと勢いよく走らせる。

 「おいおい、まさか逃げ…」

いや、違う。馬は加速しながら円弧を描くように駆けている。そして、勢いをつけたまま、大剣を構えた男めがけて真正面から突っ込んでくる。

 「だああああ!」

 「…おいおい、本気か。」

男に体当たりするかに見えた瞬間、イヴァンは、両手を手綱から離し、馬の背から跳んだ。空中で剣を引き抜き、上段から一気に叩き下ろす。

 ギィン、と耳障りな高い音を立てて、刃と刃がぶつかりあい、火花がはじけ飛んだ。イヴァンと男の視線が間近に絡み合い、そして、一瞬のうちに互いの力量を察した。

 (ほお…野生の勘というべきか、天性の素質というべきか。型破りな攻撃だが、体格差を埋める奇襲攻撃としては正解だ)

 (こいつ、とんでもなく強ぇえ…この勢いでビクともしねぇ…!)

 イヴァンは空中で腰をひねり、左手の剣を勢いよく突き出す。だが、これは浅い。男は手甲で刃を弾くと、その手で相手の腕を掴もうとする。イヴァンは素早く腰を折り、その手を難なく躱してさらに男のふところ深く踏み込んだ。

 一歩。

 背の高さの差で、イヴァンから男の急所は見上げる位置にある。

 「危ない!」

連れの男が思わず叫んだ

 その瞬間、イヴァンは体が浮かぶのを感じた。何が起きたのかは分からない。ただ、地面が足の下から消え、世界がぐるりと回転したような気がした。後頭部に鈍い衝撃を感じ、そして…。 

 …世界が暗転する。頭上で、男が小さく舌打ちしたのが聞こえた。

 「あー、やっちまった。手加減するつもりだったのに、あんまりにも勢いよく来るから、つい…」

 「どうするんですか、この子。」

 「まぁ、双剣使いなんてそうそう出くわすもんじゃない。素性の察しはついた。馬に乗せろ。領主館に連れていけば、多分…」

…覚えていられたのは、そこまでだった。




 目を覚ましたとき眼前にあったものは、見慣れた館の広間の天井と、青ざめたレオンの顔だった。視線が合うと、彼は何か言いたげに口元を動かしたが、出てきたのは深いため息だけだった。

 「あれ? 俺、なんで、ここに…」

 「…お客人が館に連れてきてくださったんですよ。あなたは気を失って、馬で運ばれて来たんです」

 「気を失って…あーそうだ! あの怪しい奴ら!」

勢いよく起き上がったイヴァンは、ずきりと痛む後頭部をおさえて小さく呻き声を上げた。それと同時に、クックッと笑い声が聞こえてくる。

 「誰が怪しいって?」

顔を上げたイヴァンは、森の中で出会ったあの男が食卓について、のんびりと酒盃を傾けながら意味深な表情でこちらを眺めているのに気が付いた。

 だが、何か言おうとするより早く、その向こうにいる、これまでで最高に渋い顔をした父の視線に気が付いた。

 その時になってようやく、彼はは、自分が置かれている状況が飲み込めてきた。そして、どうやら、自分が何か致命的にまずいことを仕出かしたらしいと察した。

 「…えーと。…俺、その人たち不審者だと思ってたんだけど、もしかして――?」

 「そのもしかしてだ、馬鹿息子が」

深いため息とともに、館の主は力なく呟いた。

 「森へは行くなとあれほど言っておいたのに…おまけに、鉢合わせただけならまだしも、いきなり斬りかかるとは」

 「……。」

隣で、レオンも同様に溜息をついている。ベオルフだけは上機嫌だ。

 「ははは、ま、何事も無かったことだしいいじゃないですか! 挑発したのはこちらですしな。元気が無いより、有り余ってるほうがいいってもんですよ。さ、息子殿。仲直りがてら、こっちへ来て一緒に晩餐を楽しもうじゃないか、え?」

寝かされていたソファから立ち上がると、イヴァンは、むっつりしたまま父の隣の自分の席に腰を下ろした。

 今や、広間に漂う何とも言えない雰囲気がちくちくと自分を射すように感じられた。気を失ってここへ運ばれて来たということは、無謀にも客人に挑みかかって、あっさり返り討ちにされたのだと館じゅうの皆に知られているということだ。そう思うと、顔から火が出るほど恥ずかしかった。

 「本当に済まなかったな、レスロンド殿。改めて紹介しておこう。これが私の愚息、イヴァンです。」

 「…先ほどは失礼しました。宜しくお願いします」

 「こちらこそ宜しくな。オレはベオルフ・レスロンド。こっちの二人はシーザとオルグ。ああ、例のものは、ちゃあんと元の場所に戻してきたから。安心してくれ」

そう言って、ベオルフは意味ありげに目配せしてみせた。ルナールの弓矢のことだ。

 だが、イヴァンは黙って俯いているので精一杯だ。


 給仕係がそれぞれの前に湯気の立つスープ皿を運んで来る。卓の上には既に持て成しのためのご馳走が並べられているが、よく見ると、どれもほとんど手を付けられていない。

 もしかして、自分が目を覚ますまで待っていてくれたのか、とイヴァンは気づいた。

 「あの、失礼をして申し訳なかったのは事実なんですが――あなたたちは、なぜあんな森の中に? 道に迷ったわけではなさそうでしたが」

 「イヴァン、お前はまた!」

クラヴィスが怒鳴りかけるのを、ベオルフが制した。

 「なに、確かに不審者と間違われるようなことをしていたのは事実だ。そうさなぁ、敢えて言うなら、かの有名な未解決事件――”ユラニア事件”の舞台を見てみたかった、というのが偽らざるところだな」

 「有名?」

 「別邸とはいえ辺境伯の館の一つを全焼させ、多くの死傷者を出した事件ですから。」

口を開いたのは、ベオルフの脇にいたもう一人の剣士だ。先ほど、シーザと紹介されていた。

 「あの事件の犯人は、未だ捕まっていません。それどころか手がかりすらも。」

 「忌まわしい事件だった」

低い声で呟いて、クラヴィスはワインを飲み干した。

 「だが、その話はこの場に相応しくはない。最近の都の様子を教えてくだされ。わしが最後に訪れたのは、数年前のことですからな。騎士団の様子はいかがですか?」

 「おお、そうそう。騎士団といえば、最近、中央騎士団の団長が代わりました。今度の団長はオレの後輩でして」

 「ほう。というと――」

世間話を聞き流しながら、イヴァンは皿のスープに手をつけた。強く地面に打ち付けたらしい後頭部はまだ少し痛んだが、それ以外にはどこも傷を負ってはいない。どうやらベオルフは、巧く手加減してくれたらしい。

 (…騎士団って、こんなやつが沢山いるのかな)

父と楽し気に話している男の、逞しく筋肉の盛り上がった二の腕をそれとなく眺めながら、イヴァンは、森で対峙した時に感じたどうしようもない力量差を思い出していた。


 まともに戦って、勝てる相手ではなかった。

 挑発されたのでなければ、――場所が自分の慣れ知った遊び場でなければ、たとえ一対一だったとしても、挑みかかったりしなかっただろう。


 イヴァンの視線に気づいたのか、ベオルフはちらりと少年を見て、にやりと笑った。

 「そういえば、さっきのはなかなかに良かった。どうせなら、うちのシーザと後で手合せしてみないか?」

これにはクラヴィスが慌てた。

 「ご冗談を、レスロンド殿。いけません、愚息は礼儀も作法も未熟で、騎士団の方相手に訓練が務まるほどの腕もございません」

 「なぁに、正式な試合や決闘をしようというわけじゃありません。近頃は騎士見習いも軟弱なお坊ちゃんばかり多くて、骨のある奴がいないんですよ。気絶させた詫びも兼ねて、少しばかり手ほどきさせてくれんかな」

 「…はあ、そう仰るのでしたら」

領主は渋い顔で頷き、これ以上の失礼はするな、とでも言わんばかりにイヴァンのほうを物凄い形相で睨み付けた。イヴァンは、訳も分からず、眉をひそめているばかりだった。




 和やかな夕食が終わった後、厩にいたイヴァンをレオンが探しにやって来た。

 「イヴァン様、ここにいたんですか。お客人が中庭の訓練場でお待ちですよ。」

 「ああ、今行く」

イヴァンは、手にしていた馬用のブラシを置いて、脇の柱に掛けていた剣の鞘を取り上げた。レオンは不思議そうな顔をしている。

 「何をしてたんです?」

 「見てわかんだろ。馬の手入れだよ。」

 「…それは分かりますが」

 「厩番のラスに悪いことしちまったから、謝りに来たついでさ。俺が気絶して運び込まれたってんで、青い顔して大慌てだったんだろ。」

レオンは、困ったような顔で微笑んだ。

 「ラスは大げさに騒ぎすぎただけですよ。旦那様も彼を叱ったりしていません。下々の者にまで、そこまでお気遣いなさらなくとも誰も気にしませんよ」

 「そういう問題じゃない。俺が迷惑かけたと思ってるんだから、俺が気にする」

イヴァンは大真面目な顔だ。

 「…ところで、親父はどうしてる?」

 「レスロンド殿のお連れのもう一方、オルグ殿と話しておいでです。訓練場にはお二方だけですよ」

 「そっか」

イヴァンはほっとした表情になる。

 「ボコボコにされるところ、親父には見られたくなかったんだ。少しは歯が立つといいんだけど」

 「珍しいですね、貴方がそんなに謙虚になるなんて」

 「…さすがに、一度痛い目に逢えば次からは覚える。」

渡り廊下からは、東の地平線を越えて登ってくる月が見えている。訓練場になっている中庭に、四方に松明が焚かれているのが見えた。


 シーザは既に訓練用の防具を身につけて、律儀に試合場の真ん中で待っていた。ベオルフは、高みの見物とばかり近くのベンチに腰掛けて、イヴァンが出てくるのを楽し気に見守っている。

 「やあ、こいつは面白い見ものになりそうだな。イヴァン殿、防具はそれだけでいいのか?」

 「いいよ。いつもこれだけだ。すぐ始める?」

 「ああ、こちらはいつでも構わない」

シーザは生真面目な顔をして、腰から剣を抜いた。見たところ、標準的な太さと長さで、特に変わったところはない。イヴァンのほうも、十分な間合いを取って向かい合うと、腰から二本の剣を抜いた。

 「よろしくお願いします」

イヴァンは言ってから、いつも訓練でそうするように、やや腰を落とし、左手の剣を少し前に構える。

 「へええ、これが噂に聞くサーレ独自の双剣術の構えか。一度この目で見てみたかったんだよなー」

ベオルフの楽しそうな声。レオンは、反対側の試合場の入り口に退いて様子を見ているようだ。観客はそれで全て。

 ほっとして、イヴァンは、じりっと片足を進めた。最悪、酷い負け方をしても屋敷の者にこれ以上みっともない姿は見せずに済む。


 先に踏み込んできたのは、シーザのほうだった。イヴァンはそれを左手の剣で難なく捌いた。キィン、と音をたてて刃が弾かれあう。

 (あれ…?)

予想していたより軽い、とイヴァンは思った。それに、この感じは…森の中で、ベオルフと対峙した時とは、全然違う。

 次々と繰り出される攻撃を受け流しつつ、自分も適当に攻撃を繰り出しているうちに、いつしかイヴァンは、いつもの訓練の調子になっていた。シーザの表情が見る間に真剣になっていく。

 「どうした? 本気を出さないのか」

ベオルフの声が飛んでくる。それは、イヴァンのほうに向けた言葉だった。

 「……。」

しばし撃ち合った後、イヴァンは剣を引いて、数歩後退った。

 「なぜ止める」

 「いや、なんつーか…」

イヴァン自身も戸惑った顔で、視線をベオルフのほうに向けた。

 「この人も、騎士なんだよな? 見習いとかじゃなく」

 「なんと」

ベオルフは膝を打って笑い出した。

 「こいつぁ傑作だ。ははは、遠まわしにお前じゃ相手にならんと言われてるぞ。どうする、シーザ」

 「失礼な」

打ち合いを始めた時よりずっと後方に追いやられたシーザの声は、微かに息があがって揺らいでいた。汗を拭って、男は口をへの字に曲げた。

 「相手は武器が二本もあるんですから有利なのは当然でしょう。盾を借りればよかった」

 「そいつぁ違いない。それにしても面白いな。見たところ左手の剣は主に防御と相手の武器破壊を目的としているな。そのために太めに作ってあるんだろう。攻撃は右手の剣だ。巧いこと使い分けるもんだ」

 「流石はベオルフ殿。よく短時間に見破られました」

少し離れてところで見守っていたはずのレオンは、いつの間にか、イヴァンたちとベオルフとの間まで移動してきていた。

 「盾をお持ちしましょうか」

 「いや、いい。どのみち、このまま続けばシーザの負けだ。」

ベオルフは、鋭い視線をシーザの頬を流れている汗に向ける。

 「体力の差、だな。…森の中でもそうだったが、瞬発力もいい。基礎訓練は十分なようだ。指導が良かったんだろう。」

 「恐れ入ります」

レオンは表情を変えず軽く頭を下げた。シーザのほうは、むっつりしたまま汗を拭いながら背を向ける。

 「だが、下半身の注意が疎かだな。そこが残念だ」

ベオルフは、腰を浮かせてイヴァンに近づいていく。

 「構えてみろ」

言われたとおりイヴァンが構えを取ると、男は、その高さをじっくり見据えて、ひょいと片足を出して脛を蹴った。

 「あ」

イヴァンは慌てて腰を引こうとするが、避けきれずベオルフの足が脛をかすめる。その瞬間、僅かに態勢が崩れ、隙が生まれた。

 「な?」

目の前の男を見上げたイヴァンの顔に、自明の光が広がっていく。森の中でベオルフに飛び掛り、返り討ちにされたときの感覚が蘇ってきたのだ。

 「…あの時、俺をひっくり返したのは」

 「そうだ。軽く足をひっかけて転ばすつもりだったんだが、あんまりにも勢いが着きすぎてたもんでな。うっかり吹っ飛ばしてしまったんだ」

なるほど。確かに、相手の武器ばかりに気を取られて、足元に注意を払うのを忘れていた。

 「構えの都合か、重心が高すぎるんだ。運動神経のよさで足回りを誤魔化してはいるが、もう少し慎重に足運びを工夫したほうがいいな。足場のいいところばかりで戦うわけでもないだろうし」

 「……。勉強になります」

 「というわけでどうだ、俺とももう一度やらんか? イヴァン殿」

 「え゛、」

イヴァンが明らかに嫌そうな顔をしたのに気づいて、レオンは意外そうな顔だ。

 「どうしたんです、いつもなら負けず嫌いで喜んで受けて立つでしょうに」

 「いや…だって、勝てないじゃん、こいつだと。いや、」

レオンにじろりと睨まれ、彼は慌てて言葉遣いを改める。

 「えーと、このお方が相手ですと。」

イヴァンは、上目遣いに背の高いベオルフを見上げる。松明に照らされて、間近に見るその男は、昼間よりもさらに大きく、自分の何倍もの体格のように思えた。

 「そのわりに、あの時はえらく気合い入れて掛かってきたもんだな」

 「しょうがないだろ。あんたらのことは不審者だと思ってたし、ルナールの弓を持ってたから。庭が荒らされるのは困る、だから…」

 「理由があるなら相手が誰であれ戦う、ってことか?」

 「…まあ、そうなのかも。けど、勝てない奴には向かっていきたくないよ。俺、まだ死にたくないし」

くっくっと笑って、ベオルフは片手をぽん、と少年の肩に置いた。

 「そいつぁいい心がけだ。命は何より大切だからな。」

それから、ちらと側のレオンのほうを見やった。

 「オレは彼が気に入った。明日、一日借りても良いだろうか?」

 「え?」

 「せっかくだ。視察の際に、この辺りの案内でもしてもらおうかと思うんだが。領主殿に許可を貰えんだろうかな」

 「それは――お伝えすることは構いませんが、しかし――。」

渋い顔のレオンだったが、客人の希望とあっては断るわけにもいかない。

 「…分かりました。旦那様に許可をいただいておきます。」

さっと一礼すると、レオンは上着の裾を翻して、館の主のもとへと去って行った。ベオルフはイヴァンに軽く目配せして見せる。

 「と、いうわけだ。明日は頼むぞ」

 「…はあ」

男はシーザの肩に手を回すと、何か囁きながら宿舎棟のほうへ消えていく。あとに一人残されたイヴァンも、首を傾げながら自室のある塔へ向かって歩き出した。

 一体、今夜のこの余興は何だったのだろう、と思いながら。

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