第2話 剣士と狩人

 森を駆け抜けることしばし、やがて二頭の馬の行く手に、黒ずんで朽ち果てた石造りの壁が見えてきた。

 かつて森とともに焼け落ちた、領主家のかつての別邸だ。がっしりとした石組は、煤けていてもなお形をとどめ、アーチ型の門は辛うじてそこに立っている。

 この森が狩り場だった頃に使われていたものだが、十年前の事件で全て焼け落ち、再建されないまま放置されている。

 門をくぐると、草に覆われたかつての中庭に出た。番小屋だったレンガ造りの建物が蔦に覆われて緑の塊と化している。そこまで来るとイヴァンとルナールは馬を下り、手綱を近くの杭にゆわえた。

 「ルールは、いつものでいい?」

 「ああ。制限時間は一時間ってとこか」

空を見上げ、イヴァンは太陽の角度を確かめた。日はまだ高く、午後の陽ざしは焼け残った塔の手前あたりにある。あと一時間もすれば、太陽が塔のちょうど先端部分にかかって、長い影が裏門のあたりに落ちるはずだ。

 ルナールは、番小屋跡の絡まった蔦の間から、隠してあった弓矢を引っ張り出した。ただし矢の先に矢じりはなく、先は丸く削りこまれている。

 「準備いいよ」

 「じゃあ、百二十数える」

イヴァンが建物にくるりと背を向けるや、ルナールは矢筒を肩にどこかへ消えていった。走り去ってゆく足音を聞きながら、イヴァンはゆっくりと数を数える。

 「――十一、十二…」

静寂が辺りを支配する。どこか遠くで鳥の声、ガサガサと揺れる葉擦れの音がする。

 「五十…五十一…」

ここが火事で無人の廃墟になったあと、まだ半ば形の残る館を使った「狩りごっこ」をすることを思いついたのは、イヴァンだった。ただの鬼ごっこやかくれんぼに飽きた頃、――剣術を学びはじめ、初めて剣を手にした頃に。それからずっと、ルナールと二人で密かに楽しんできた。


 狩人ルナールは弓を手に、獲物としてイヴァンを狙う。

 剣士イヴァンは剣を手に、館に潜む賊を追う。


 制限時間内にお互い相手を追い詰めあう。矢に当たるか、剣の間合いに入れば負け。これは真剣な”狩り”ごっこ、なのだった。

 その遊びは、この森に纏わる忌まわしい思い出を楽しい思い出に変えた。もう何度もここを駆け巡ってきたのだ。今では、目をつぶっていても目当ての部屋にたどり着けるくらいに、中の構造を覚えている。

 「百十九…百二十!」

数え終わったイヴァンは振り返って、腰の鞘に手をかけながら館を見上げた。黒ずんで、ところどころ崩れ落ちた建物は、しんと静まり返っている。

 いきなり撃ってきたりしないことは分かっていた。二人とも、このゲームには慣れている。矢の数には限りがあり、ルナールが勝利するには、居場所を悟られずに不意打ちを食らわせなくてはならないのだ。

 「さて、と」

イヴァンは、ゆっくりと左手の剣を抜く。左利き、というわけではない。もう一方の右手にも剣がある。

 祖父の代に編み出されたという、家伝の剣術が双剣流なのだ。どちらも剣も肘から指先ほどの長さだが、左手側の剣の刃は少し分厚く、右手側の剣の柄は少し長い。

 両手の剣を腰の横に下げ、彼は用心深く館の裏口へと回った。屋上から矢を射れる範囲は分かっている。裏口は木の枝が張り出していて、頭上から狙われることはない。裏口の奥を覗き込み、館の中に足を踏み入れようとしたとき、背後に微かな気配を感じた。

 ビュッ。

 風を切る音。イヴァンはとっさに腰を屈めた。頭上すれすれを矢が通り過ぎていく。ザザザッ、と草を掻き分けて走り去っていく足音。

 「そこだな!」

跳ね起きて、イヴァンは足音のしたほうへ駆け出した。だが、深追いはしない。このゲームは「なんでもあり」なのだ。背の高い草地の奥へ駆けていくルナールの足元に視線をやった彼は、にやりと笑った。草が結ばれ、足をひっかけると転ぶように罠が仕掛けられている。

 「そうはいくか。こんどはこっちが隠れる番だぞ」

逃げていい範囲は、館の石壁の内側だけ。その中であれば、どこに隠れてもいいし、どうやって勝とうとしてもいい。もちろん、互いに命の危険が及ぶようなことはしないけれど、…このゲームは、ありとあらゆる手を使って相手を出し抜いてよいことになっていた。そうでなければ、つまらない。

 ルナールが出てくるのを待つために、イヴァンは館の二階にあるテラスへと移動した。ここからなら庭のどこからルナールが出てきてもすぐ分かるし、後ろは狭い廊下だ。壁を背にしていれば、どこから狙われても分かる。

 ただし時間制限がある以上、ずっと待っているわけにもいかない。二人のうちどちらかが仕掛ける必要がある。

 じりじりと時間が過ぎた頃、突然、ルナールが姿を見せ、館に向かって突進してくるのが見えた。こちらを振り返り、ちらとテラスのほうを見上げると、誘うような笑みを向けて、建物の影に消えてゆく。

 「おい、撃たないのか?!」

怒鳴りながら、イヴァンも笑みを浮かべていた。互いの手の内は知り尽くしている。

 すぐさま踵を返し、廊下を走り出す。階段を駆け下りようとしたところで、踊場で弓を構えたルナールとばったり出くわした。出合い頭、狙いも定めずにルナールはいきなり矢を放った。だが、それでも狙いは正確。イヴァンが咄嗟に剣を振らなかったら、矢は彼の上腕に命中していただろう。どちらも、常人離れした反射神経の持ち主だ。少年たちは、自分たちの遊びが既に「遊び」を越えて実戦の域に達していることに気づいていない。

 「ちぇ」

舌打ちして、ルナールは一気に階段を駆け下りる。

 「そう巧くいくもんか!」

一気に間合いを詰めようと、イヴァンもあとを追う。足の速さはルナールのほうが上。追いつけないのは分かっている。長い脚で獣のように障害物を飛び越えていくすばしっこい少年の背は、みるみる廊下の奥へ遠ざかっていく。

 まっすぐに追いかけるのを止め、イヴァンは途中の廊下を別の方向に曲がった。先回りするためだ。館の中の入り込んだ廊下や部屋のつながりは、二人とも熟知している。先読みに先読みを重ね、ほんの僅かな隙を突かなければ勝利できない。

 何度も廊下を曲がり、部屋を通り抜け、ルナールとは一度も出くわさないまま、イヴァンは中庭に出ていた。息を弾ませながら、彼は辺りの気配に意識を凝らす。

 (どこだ?)

どうやら見失ってしまったようだ。互いになのか、それとも、ルナールのほうはイヴァンが何処にいるか分かっていて、狙い澄ませて矢を放つタイミングを見計らっているのだろうか。

 彼は用心深く、四角く切り取られた空の下に足を踏み出した。中庭の真ん中には枯れた噴水がある。かつては手入れされ、整えられていた木々は黒く焼け焦げ、伸び放題雑草の中に不気味にねじくれて立っている。中庭を取り囲む二階建ての壁に反射する日の光の角度からして、間もなく一時間が経過しようとしている。仕掛けてくるなら今しかない。――イヴァンは、静かに息を整え、微かな物音に耳を澄ませた。

 「そこだ!」

顔を上げた時、ちょうど矢を放とうとしていたルナールと目が合った。屋根の上。一瞬驚いた顔をしたルナールだったが、すぐに真顔に戻って弓弦から手を放す。けれど、イヴァンは避けようとしない。勢いよく向かってくる矢に向かって、彼は突進した。走りながら左手の剣を振り上げて、矢を弾き飛ばす。その勢いのまま、剣を鞘に押し込めて、彼は猛烈な勢いで壁にとりついた。

 慌ててルナールは屋根の上を走り出すが、屋根から下に降りるのは、そう簡単にはいかない。二階のテラスに足をつける前に、下から登ってきたイヴァンが追いついた。

 「ここまでだな」

ルナールがテラスに足をつけるのとほぼ同時に、イヴァンの手にした剣の先がルナールの背中をつついていた。一瞬動きを止め、それから、少年は大きく息を吐いた。

 「…あーあ、もうちょっとだったのに」

 「俺の勝ち。」

にやりと笑って、イヴァンは右手の剣を引いた。振り返ったルナールは、残念そうな顔をしつつも、どこか嬉しげだ。

 「五連敗だ。イヴァン、強くなったなぁ」

 「そうか? ていうか、最近はルナールが手加減してるのかと思ってた」

 「それはないよ。もう、どんな罠にも引っかからないし、どこに隠れてもすぐ見つかるし。だいたい、矢を空中で叩き落とすなんて反則」

ひとしきり笑ったあと、ルナールは、ふと森のほうに目をやった。

 「イヴァン、…このゲーム、あと何回できるのかな」

 「ん? 何回って?」

 「いや、――なんでもない。そろそろ戻ろうか」

西に傾いた光が梢の間を抜けて、廃墟の壁に届こうとしている。遊びの時間は、終わりを告げようとしていた。




 馬を並べて墓地に戻って来てみると、ちょうど、今着いたばかりらしい男が辺りを見回しているところに出くわした。身なりよく整えられた格好は、農夫のものではない。

 まずい、と馬を止めようとするよりも早く、男のほうが二人に気づいて渋い顔になった。

 「居ないと思ったら、やっぱりか。ルナール」

 「う…兄貴…」

ルナールの兄のレオンは、幼い頃からイヴァンの父の家令として屋敷に勤め始め、今では館の主の最も信頼する部下の一人になっている。そして、イヴァンのお目付け役であり、剣術訓練の相手でもある。

 兄弟だけに容姿はよく似ているが、性格はほとんど正反対だ。

 「ちょっとだけだよ、俺が誘った」

慌ててイヴァンが庇う。

 「そうでしょうとも。で、誘われたのをこれ幸いと、わが弟は嬉々として自分の仕事を放りだし、貴方のサボりに付き合ったというわけですね」

何か言おうとルナールが口を開くより早く、レオンは腰に手を当てながらぴしゃりと言った。

 「ルナール。明日までにここの草むしりを済ませないなら、向こう一か月は台所の手伝いをさせるぞ。芋の皮剥きと皿洗いだ」

 「ええ~?!」

 「嫌ならさっさと仕事を済ませることだな。」

しゅんとなったルナールが馬を下りて仕事に戻ろうとするのを見計らって、レオンは、もう一人の少年のほうにも厳しい視線を向けた。

 「イヴァン様、貴方は屋敷に戻ってもらいますよ」

 「…戻るとこだったんだよ」

 「それは結構。旦那様が首を長くしてお待ちです。お待たせしすぎると、夕食抜きになるかもしれませんからね。」

イヴァンはげんなりした顔になりつつも、森の外に続く道のほうへと馬の首を巡らせた。レオンは弟が自分の仕事に戻っていくのをちらりと見てから、すぐさま自分の馬に飛び乗ってイヴァンの後ろにつける。

 馬を走らせながら、イヴァンは無言だった。背中のほうから追ってくる規則正しい蹄の音とともに、レオンの、逃がさないぞという断固とした意志と威圧感を感じる。


 馬を走らせるうち、森が途切れ、視界がさっと開けた。

 目の前一面に、昼の光に照らされた緑の牧草地がある。牛や羊たちがぽつぽつと群れを作り、それぞれに草を食んだり、寝そべったりしている。この地方特有の、そして自慢の豊かな牧草地。その向こうに、石造りの壁と高い塔を持つ、小ぢんまりとしてはいるが、強固なつくりの館が構えられている。遠目に見ると、まるで館全体が城のようだ。

 この辺り一帯を治める領主――イヴァンの父、サーレ辺境伯は、その館の半ばにある執務室の窓辺に立ち、森から駆け戻ってくる二頭の馬を、鋭い眼差しでもってじっと見つめていた。




 馬の手綱を厩番に預けるとすぐ、レオンはイヴァンを引っ張って真っ直ぐに館の主のもとへと向かった。執務室の扉を叩き、奥に向かって呼びかける。

 「旦那様、イヴァン様がお戻りです」

 「入れ。」

レオンが扉を開き、入るようイヴァンを促す。彼は渋々といった表情で敷居を跨ぐと、部屋の奥で窓を背に執務机に向かっている父の前に立った。領主クラヴィス・サーレは、いつもどおりの厳しい顔つきでそこにいた。がっしりした体格の壮年の男で、髪はほとんど白くなっているが、黒々とした眸の輝きは力強さを失っていない。

 その眸が動いて、じろりとこちら睨み付けた瞬間、イヴァンは思わず肩をすくめた。ルナールには強がって見せたが、彼にとって父親は、天敵とも言うべき恐ろしい存在だった。

 「お前はまた、勉強もせずに森に行っていたな。しかも今朝の授業は、また居眠りしていたそうではないか」

クラヴィスは、厳かに断言した。

 「サボったわけじゃ…気分が乗らなかっただけで…」

 「気分が?」

ぴくりと片方の眉が跳ね上がるのを見て、イヴァンは慌てて付け加えた。

 「歴史とか算数なんて、どうせ必要ないだろ」

 「必要があるかどうかを決めるのは、わしだ。言い訳はそれだけか?」

 「……。」

イヴァンは口をもごもごさせながら、はや視線を宙に彷徨わせている。クラヴィスのほうは、後ろ手を組みながら、ゆっくりと執務机の向こうから歩いてくる。

 「お前はいずれ、わしの跡を継いで領主としてこの地を治めねばならん。歴史も算数の知識も、そのために必要なものだ。この地がどのように成り立っているかを知らずに、どうやって民の心情を知る? 計算のやり方も知らずに、どうやって税収を管理するのだ? えっ、言ってみろイヴァン」

 「それは――…」

 「お前は目の前のことしか考えていないのだ。自分の立場も。将来も。いつまでも子供のように、目先のことばかり考えている。」

 「考えてるよ」

むっとして、イヴァンは言い返す。「剣術は上達したよ。」

 「だから何だ」

畳みかけるように領主が言う。

 「そんなもの、戦でもなければ役に立たん。この国ではもう、二百年も大きな戦争など起きていない。そもそも、戦争なんぞ起きんようにするのが、お前の役目だろうが」

 「でも、親父は…」

 「わしの頃は良くない時代だった。だが時代は変わった。野盗など今はおらんのだ。お前には家伝の技を習わせたが、腕にものを言わせて剣で道を造る世の中はもう終わった。これからの時代に必要なのは、文字を書き、椅子に座って学ぶことだ。分かったか?」

 「……。はい」

ふてくされたように、だが、逆らうことを許されない気配に圧されて、イヴァンは視線を逸らしたままぶっきらぼうで答えた。しばしの沈黙。ややあって、レオンが一つ小さく咳払いをした。

 「旦那様。あのお話はなさらないのですか」

 「おっと、そうだった。小言を言っている場合ではなかったのだ。――近日中に王都から来客が来る。お前には、このサーレ領の跡継ぎに相応しい態度と作法で出迎える心づもりで居て貰わねばならん。」

 「王都…リーデンハイゼルから?」

顔を上げたイヴァンは、目をしばたかせて父の顔を見た。

 アストゥール王国の首都リーデンハイゼルは、ここから東へはるか遠く、大街道を使っても一週間はかかろうかという距離にある。この国で最も栄えた大都市だと噂には聞くが、この辺境では、世界の果てにも等しい”どこか遠く”だ。そんな場所から、一体、何をしにこんな国境沿いの辺境までやって来るのだろう。

 「大事な客人だ。くれぐれも粗相の無いようにな。それと、客人の滞在中は館を離れるな。特に森に出かけることは厳禁だ」

 「何で?」

 「何ででもだ」

すげなく言って、クラヴィスは視線を手元に戻した。

 「分かったら部屋に戻りなさい。溜まっている宿題は、今日中に済ませること。いいな。」

 「ええー?!」

 「終わるまで夕食は抜きだ」

 「……。」

口を尖らせながらも、イヴァンは父の部屋を辞した。だが内心では、今日はあまり怒鳴られなかったことにほっとしていた。それと同時に、王都から来るという客人への興味がむくむくと首をもたげてくる。

 「なあレオン、客人っていつ来るんだ? どんな連中? 役人か何か?」

 「詳しいことは存じ上げていません」

一緒に部屋を出てきたレオンは、そっけない。

 「ただ、重要なお客人らしいことは確かですよ。歓迎の宴など派手なことはなさりたくないようでしたから、旦那様の昔のご友人などかもしれませんね」

 「ふーん」

それなら騎士か何かだろうな、とイヴァンは思った。父が若い頃に王都で騎士団に勤めていた話は知っている。その時代の同僚でリーデンハイゼルに勤めているのなら、中央騎士団のはずだ。


 この国には、大きな騎士団が四つある。

 国を大まかに東西南北に分けて、”北方騎士団”、”西方騎士団”、”東方騎士団”。そして、南方を含め、王都周辺を守るのが、かつて父が一時的に所属していたことがあるという”中央騎士団”。――かつては「宮廷騎士団」という名前だったらしいのだが、あまりに古風だというので、何十年か前に名前を改められた、最も古い騎士団だ。

 厳密にはもう一つ、”近衛騎士団”というものがあるが、それは王とその家族を警護する直属の精鋭部隊で、選ばれたごく少数の騎士から成っているという。

 「王都の騎士かぁ、きっと強いんだろうな」

 「…イヴァン様、分かってると思いますが」

 「失礼はないように、だろ。俺だっていきなりお客さんに襲い掛かったりしない。馬鹿にすんなよ」

 「それならいいんですけどね」

疑うようなレオンの視線を無視して、イヴァンはさっさと自分の部屋に向かって歩き出していた。部屋は、塔の先端にある。館で一番眺めのよい部屋だ。


 そこからは、辺り一帯の牧草地を見渡すことができた。

 昼間ルナールと走り回った鬱蒼としたユラニアの森も、その向こうにある国境辺りも。――「辺境」伯領と名前がついているだけあって、館から数時間も馬を走らせれば、そこはもう、天然の国境となっているパレアル渓谷だ。その向こうには幾重にも重なる、異国の山なみ。この辺りの住民たちは誰も行ったことが無く、地図にも名前は載っておらず、ただ漠然と「西の山」とだけ呼ばれていた。


 開け放った窓枠に腰を下ろし、イヴァンは、間もなく夕刻に差し掛かろうという西からの日差し照らされる一面の緑をしばし眺めた。風が吹き抜けると、牧草地の草はまるで波の立つように金色に大きくうねる。家畜を厩舎に追い立てる牧童たちの甲高い声と、連れている牧羊犬の声が響き、牛や馬の長い影が草の上に伸びている。

 見慣れた、平和な風景。 

 イヴァンは、ここから見下ろす景色が一番好きだった。

 父の跡を継ぐことは嫌ではない。領主になりたくないわけでも無い。生まれ故郷に愛着もあり、この景色をずっと眺めていたいとも思う。


 ただ、…何かが足りないような気がしている。


 父や教師たちの言うとおり机の前に座っているだけでは、得られない何か。言葉にすることは出来ないが、それが無ければ自分は目指すものにはなれないような気がしていた。




 風景を眺めながらぼんやりしていた彼は、扉を叩く音で我に返った。

 「イヴァン様、宿題のほうは進んでいますか?」

レオンの声だ。はあっとため息をついて、イヴァンは扉越しに返事する。

 「代わりにやっといてくれよ」

 「そうもいきませんよ。出来るまで夕食は出すなと旦那様の言いつけですから、頑張って下さいね」

 「…あーあ。」

うんざりした顔で机の前に腰を下ろしたイヴァンは、もう一度、窓の外にちらりと目を向けた。

 今頃はルナールも、今日の仕事を終えて日が暮れる前に帰り着こうと森を後にしている頃だろうか。

 (明日は草むしり、ちょっと手伝うかなぁ)

ルナールがレオンに言いつけられていたことを思い出して、彼はそう思った。遊びに誘ったのは自分だし、そのせいで一か月も芋の皮むきと皿洗いをさせられるのは、あまりに気の毒だ。

 (――っと、早くコレ、仕上げないと。)

腹の音に急かされるようにして、イヴァンは、せっせと宿題の残りを埋めていった。

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