第5話 淡い約束

 「ごめんなさい。覚えてないの。私、何を約束したかしら。」

「覚えてないのなら、それでいいよ。

 でも僕は君とのささやかな約束を心の支えに生きてきたんだ。

 おばあちゃんと沖縄で暮らすようになって、それまでよりは生活はましにはなったけど、おばあちゃんの年金だけが頼りの暮らしだったからね。

 貧しいのは変わらなかった。

 中学生くらいになると、段々と似たような境遇の友達とつるむようになった。

 片親とか、ネグレクトを受けている友達と仲が良くなってね。

 段々と学校にも行かなくなって、夜中につるんで盛り場に行ったり、先輩のバイクを借りて乗り回したりした。

 おばあちゃんは悲しそうな顔をしていたけど、僕は折角出来た仲間を失うのが怖くてね。

 そんな時だった。

 ある日、遊ぶお金を作るために、何か売れるものごないかと机の引き出しをあさっていると、君から貰ったイチゴの消しゴムが目に入った。

 僕は取り上げて匂いを嗅いだ。すると、甘いイチゴの香りがした。

 その時、僕は君のこと、そして君との約束を思い出した。

 こんなことじゃいけない。

 そう思った。

 そして、僕は中学卒業前に沖縄で開催された、今の所属事務所のオーディションを受けた。

 すると、練習生として採用となって、上京した。

 それからは高校に通いながら、レッスンを受け、段々と俳優の仕事が入るようになり、今に至るってわけさ。」

 そこで彼は一度話を切って、時計を見た。

 そして話を続けた。


 「俳優の仕事が順調になってから、僕はまた君のこと考えるようになった。

 僕は君に会いたいと思った。だけど、今君がどうしているのか分からない。

 それで、僕はあるオフの日、かって僕が住んでいたあの町に行った。

 うろ覚えではあったけど、君の家の場所をなんとなく覚えていた。

 だから、しばらく歩き回ると、君の家が見つかった。

 まだ、表札が君の苗字のままだったので、君の両親は住んでいるのだろうと予想した。

 そして考えたんだ。

 もし、君が今はここに住んでいなくても、年末年始には帰ってくるんじゃないかってね。

 だから、僕はこないだの年末年始はオフにして、君の家の最寄りの駅前の喫茶店で君が通りかかるのをずっと待っていた。

 あれから20年経っているからね。君のことが分かるか、ちょっと不安だったけど。

 でも大晦日の夕方、君が通りかかったのを見て、すぐにわかった。

 君はあの頃の面影を残していた。

 僕は悪いとは思いながらも君の後をつけた。

 やはり君は君のご両親の家に帰っていった。

 そして1月3日、君が住んでいる家に戻ると予想して、やはりその喫茶店で君が通るのを朝から待っていた。

 すると予想通り君が通ったので、僕は君の後を付けた。

 そして君の今住んでいるマンションが分かった。

 でもその後、僕はどうしたらいいか分からなかった。

 だっていきなり声をかけても驚くだろうし、そもそも結婚していたり、彼氏がいるかもしれないし。

 だから僕はしばらくは君の様子を見ることにした。

 そして、もし君が結婚していたり彼氏がいたら、キッパリと諦めようと思っていた。

 仕事がオフの日、僕は朝から君のマンションの近くの喫茶店で君が通りかかるのを待った。

 他にどうしていいか、分からなかったんだ。

 ある日、パソコンで君の名前や君が休みの日に出かけた場所を検索していると、あるSNSのページを見つけた。

 色々な風景写真がアップされていて、しかも君が訪れた場所ばかりだったから、すぐに君のページだとわかった。

 過去の内容を見ると、君は季節ごとの花とか風景とかを写真にするのが趣味だってことに気付いた。

 そして、大体土曜日の9時に家を出て、写真を撮りに行くことがわかった。

 だから僕は、オフにできる土曜日は、なるべくオフにして、君の後を付けていた。」

 確かに私は土曜日に出かけることが多い。

 日曜日は次の日が仕事のため、家事をしたり、休養するのに充てていた。


「こうして君の後を付けていると、失礼だけどいつも一人で出かけていたね。僕は正直なところ、ほっとした。」

 私は赤面した。

 私はいつも一人だから、自由気ままに歩いていたし、誰からか見られているとは思いもしないから、時々、アイスクリームとか買い食いしたこともある。

 そういうのも見られていたのかしら。


「僕はそろそろ君に声をかけたいと思っていたけど、何て声をかけたらいいか分からず、迷っていた。

 そんな時、君に声をかけられたんだ。

 だから驚いたけど、僕に取ってはグッドタイミングだった。」

 そこまで言って、彼は大きく息を吸い込んで、少し黙った。


「それで、その、君さえ良ければだけど、時々僕と会ってくれないかな。

 君はあの頃…、僕が好きだった…。そう、僕は君が好きだったんだ。

 今の君も僕が好きだった君のままに見える。

 きっと君ならこういう年の取り方をするのだろうと思っていたら、本当にそのとおりだった。

 正直、俳優をやっていると、周りには容姿が綺麗な人はいっぱいいる。

 でも僕が好きなタイプは…。」

 彼は私の目をしっかり見ていった。

「君なんだ。」


  私は辺りを見渡した。やっぱりドッキリか。

 バラエティ番組でこういうのを見たことがある。

 だってこんなことあるわけない。

 人気俳優から告白されるなんて。

 でも私を騙して何の得があるのだろう。

 テレビで笑いものにするのか。

 そもそもこの喫茶店に来たのも彼の導きだ。

 きっと隠しカメラがあるのだろう。

「私のことからかっているんでしょ。何の番組の撮影?」

 彼は目を見開いた。そして吹き出した。

「そうか、そうだよね。そう思われても不思議はないよね。あはははは。」

 全くおかしくない。

 やっぱりドッキリか。


 彼は一通り笑った後、やがて真剣な顔に変わった。

「これは番組の撮影じゃない。ましてはドッキリなんかじゃない。本当のことなんだ。僕はいつか君に再び出会うためにこれまで生きてきた。

 信じて欲しい。」

 私はまだ疑う気持ちがないわけではなかったが、仮に騙されたとしてもいいと思った。

 だってこんな人気俳優と話せる機会なんてあるわけない。

 いいわ。騙されてあげる。

 私は決心した。

「わかりました。貴方のことを信じます。」

「ありがとう。僕は信じてくれた人は決して裏切らない。」

 彼は嬉しそうに言った。

「僕は出歩くとすぐ週刊誌に撮られるから、会うのは僕の馴染みのお店とか、貸し切った所になるから、不自由かもしれないけど良い?」

 どうせ、騙されてもいいと決めたのだ。彼に任せよう。

 でも、もし、彼の言うことが本当だったら…。

 私はほんの少しだけ、そんなことを考えた。


 そして彼は喫茶店のマスターに依頼して、タクシーを呼んだ。

 彼は別れ際、「今日は折角の外出の日にごめんね。でも、話せて良かった。ありがとう。」と行ってくれて、一枚のメモをくれた。

 住所と電話番号が書かれていた。

「後で電話をくれる?

 その時、君の電話番号も教えて欲しいな。」

 私は頷いた。


 それからというもの月に二、三回お忍びで会うようになった。

 予約したタクシーが私の家まで来て、彼の指定したお店で食事したり、映画館の営業終了後、貸し切って映画を見たりした。

 時々、彼のマンションにも行くようになった。

 地下から入ることができ、エレベーターで、他の階には停まらず直通で彼の部屋まで行くことができるので、誰の目にも止まることはなかった。

 そしてまた春がやって来た。 


 

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