戦争の顔
河過沙和
逃げる町に見た物
私が子供のころのことです。父と母と兄と私、それから下の学校に上がったばかりの妹が当時住んでいた町は見渡す限り一面に田園が広がり、郵便局と小さな商店が一つきりの小さな田舎町でした。田んぼの間に通る車が一台やっとの舗装もされていないあぜ道を毎日学校に行ったり、水路を追いかけて冒険したり。たまにバスに乗っていく買い物が楽しみといった何もないところでしたが子供心に充実した毎日を過ごしていたように思います。
それが変わったのが私が上の学校を卒業しようかという頃でした。突如隣国が宣戦布告し国境に軍隊を率いて侵入してきたのです。
国境から遠いとは言え町を挙げての大騒動です。家財をトラックに載せて逃げ出す人、首都に近いところに引っ越す人、諦めて厭世的な生活を始める人もいました。父は町でも大きな車両工場で働いていていましたが辞める人が続出し、残らざるを得ない状況で母も万が一はと身辺整理をはじめていました。一番大きなことは元軍人の人たちが守りを固めるのだとバリケードを築き武器を集め始めたことです、学校を出て地元の新聞社で働いていた私の兄も何かと訓練だと言われて連れて行かれました。
やがて来る時が来ました。黒い軍服、鉄帽を被った兵士が大勢で町に押しかけたのです。彼らは元軍人の人たち(私の兄も含まれていました)の抵抗を何の苦もなく蹂躙し見るも無残な死体を町の入り口につるし上げると、降伏勧告と書かれた文書を町のあちこちにバラ撒き町長に降伏と全面的な協力を要求しました。
父は彼らに協力するくらいならと工場をやめ、母は兄の死にショックを受け家に籠りがちになっていました。幸いにも父は町に残った少ない働き口にありつけましたし母の代わりに私と妹が家事をし何とか家は成り立っていました。
その年の冬ことでした。一時期首都近郊まで押し込まれていた味方の軍が他国の助けも借りて徐々に戦線を押し上げ始めたのは。
敵の軍隊にもその噂が広がり、あそこの町が取り戻されたという話が聞こえてくるようになり、焦りが広がっていったように思います。それに比例するようにどんどんと私たちに対する扱いは酷くなり、理不尽な徴収が増え、罵倒がそこかしこで聞こえるようになり殴られたという人も増えていました。
そしてついに隣町が味方の軍によって取り戻されたとラジオで報じられた日に隣家のご老人が反抗的な態度を取ったと咎められ広場で見せしめのように殺される事態が発生しました。散々と殴られ蹴られた後に銃で頭を打ちぬかれた死体は最早人であった形跡すら残っていませんでした。ご婦人は何とか遺体を取り戻すと一人、家に帰り二度と出てくることはありませんでした、後から調査した警察の話では遺体を抱いたまま睡眠薬を飲み自殺したであろう現場が発見されたとのことです。安らかに眠るように死んでいたのがせめてもの救いでしょうか。
以降も我慢の限界を迎えた人たちが度々軍隊と衝突し、元々小さな病院ではありましたが一週間くらいで傷病者であふれかえり、何人かは帰らぬ人になりました。
冬の寒気が過ぎたころ、味方の軍隊から密かに奪還作戦の期日が私たちに伝えられました。その頃には軍隊に反抗しようという人も少なく味方がくると伝えられたても今更かと思う人も多くありました、そんな中でした成り行きとはいえ動ける大人たちの中で最年長者になっていた父が味方の作戦に合わせた最後の大反抗を企てたのは、ですが誰もがあまり乗り気ではありませんでした。なぜなら味方を待っていれば助かると考える人が多かったからです。父は最後の時、敵が私たちに何をするかわからない、家族の安全の為に戦おうと説得し、実行にこぎつけたのです。
今でも忘れられません、父が何事もないかのように扉を押し開け「行ってくる」と私たちに言って出っていたことを、背中にいろんな事を背負い、頭の中に渦巻くいろいろな感情を押し込めて旅立った父の最後の朝のこと。
味方の作戦に先んじて行動を起こし、注意を惹く。その間に女、子供、戦うことのできないものは町の外に逃げ味方の軍隊の保護を受ける手はずでした。昼頃まず町役場が爆発しました、それと同時に敵の軍隊に各所で奇襲をかけ混乱を起こし、結果として町は火の海になりました。響く銃声、唸る砲身の音。歓喜の声、断末魔。人の焦げる匂い、赤い赤い血の色…
爆発が起きると同時に家を飛び出して妹と母の手を引いて脇目も振らず必死で駆けました、駆けて駆けて息が出来ないくらいに駆けて、倒れて。連絡していた場所には味方の軍隊が待っていて逃げ出してきた人たちを受け止め、あるいは担ぎ上げ安全な陣地に案内しました。
私たちが一息尽き、ベットに寝かされていた母が椅子に座れるくらいに回復した頃。町が奪還されたこと、多くの人が保護されたこと…そして最後の反抗で多くの人が死んだこと、読み上げられた死者の名前の中には父の名前もありました。彼らの勇敢さ忠誠が永く語り継がれることが放送されました。母は泣き崩れ、妹は状況がわからず困惑していました、私は何も言えずただただ妹を抱きしめていました。
それより後は首都に住んでいた叔父夫婦を頼り、首都に引っ越し私は就職し、妹は中断されていた学校に再び通えるようになりました。学校が変わっても友達を作ると妹は息巻いていましたし、兄に加え父も失った母は憔悴しきった様子でしたが叔父の支えもあり段々と回復していきました。今では近所でも評判のパイ焼き名人です。
この国は戦争の傷が癒えつつあり復興の最中ではありますが復興の礎には父や兄のような人々が存在したことを忘れてほしくはないものです。
戦争の顔 河過沙和 @kakasawa
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