アポロなコク/コクなアポロ



 なにやら、また面倒な事になってるな──と。


 マユからの要請を受けて最寄りの公園へと駆け付けた時、私はついそんな考えを頭の中で思い浮かべてしまった。

 

「き、紀依くん……?」

「どうしたの、風菜」

「えっ、あ、あの……本当に紀依くん、ですよね?」

「分からない。私の名前は”コク”──だったような、気がする」

「ひえぇぇ……っ!?」


 困惑する風菜に対して、自分をコクだと語るその存在は、どこをどう見ても姿

 衣月、音無、そして風菜の三人は額に汗を滲ませながら、男の姿で架空の人物の名を名乗る彼を前にして『どうしようどうしよう』と狼狽している。


 曰く、人格が分裂した”かもしれない”。

 曰く、肉体とペンダントが故障を起こした”かもしれない”。

 一つだけ確実に言えることは、私たちが探していた警視監は、アポロとマユの二人で撃退した、という彼女マユが語った事実のみであった。



 数十分前。

 公園にいたのは傷ついたマユと、激しい戦いで疲弊し眠ってしまったアポロの二人のみで。

 音無たちがすぐさま駆け寄り、手持ちの救急用品で応急処置をし始めると、アポロが目覚めたタイミングで落ち着いたマユがようやく事の顛末、その詳細を語ってくれた。

 

 アポロがトイレを出たタイミングで警視監に襲撃され、奴に連絡機器を強奪されてしまった為、助けを呼ぶ事が出来なかったらしい。

 衣月が逐一連絡を入れても『まだ出れない』などというメッセージしか返ってこなかった理由はそれだった。返信をしなかった場合それを不穏に感じた仲間が駆け付けると考えた警視監が、うまいこと適当に返事をしていたのだ。

 戦いが起きていたのなら激しい物音に我々が気付くはずだが、どうやら彼らは刃物や鈍器だけを用いた音の無い戦闘を繰り広げていたらしい。マユ曰く、相手の性質上そうするしかなかった、と。

 

 そして、なんとか勝利した。

 心臓部を破壊するなどの深傷を負わせて撃退したため、警視監もしばらくは活動が出来なくなるだろう、とのことだった。かなりのダメージを与えた事もあり、もしかしたら途中でヤツが野垂れ死ぬ可能性もあると。

 何はともあれ、とりあえず直近の危機は去ったと考えて間違いないようだ。

 傷だらけで服装もボロボロになっており、尚且つアポロが疲弊して眠ってしまったことも相まって、マユの言葉にはかなりの説得力があった。疑う余地などありはしない。



 ──問題は、そこではないのだ。



「……警視監がね、最後の悪足掻きみたいな感じで攻撃してきたんだ」


 服が破れて肩が見えてしまっているマユに上着を貸すと、彼女が疲れたように小さく呟いた。


「ライ会長、アイツが魔王の力を持ってるのは前に話したっけ」

「あぁ。群青──藤宮太陽少年からそれを奪ったと」

「そうそれ。アイツは何かビームみたいな意味わかんない光線技をアポロに当てたんだけど、その時に『人格が分裂する』だのなんだのを言ってたんだ。その時に使ったのが恐らく魔王の力で──」


 俯いていた顔を上げ、視線を前に移す。

 そこには三人を翻弄するアポロの姿があった。


「先輩しっかりしてください先輩ちょっとふざけるのやめて」

「音無、顔がこわいよ」

「私のことはいいですから、先輩はそのコクちゃんみたいな無表情をやめてください」

「だから、私はコク……」

「んなああぁぁッ! 先輩が壊れた! 風菜センパイ助けて!!」

「そっ、そんなこと言われてもぉ……い、衣月さんっ!」

「がってん。ビンタしてみる」

「いきなり暴力ッ!?」

「叩けば治る」

「……? 衣月、なにす──ヘブッ!!」


 ひどい光景だ。

 焦る三人を前にして逆に動揺しているアポロを見る限り、もしかしたら本当にはコクなのかもしれない──などと考えてしまう。

 そんなはずはない。

 コクという少女は、アポロが身分を隠して衣月を守るために名乗っていた、偽りの仮面なのだから。

 ……しかし、あれは。


「これまでのコクはアポロの変装だったとして……あれは、あそこにいる”彼女”は何者なんだ?」


 コクなど存在しない。

 それは既に証明されている事実だ。

 音無からの説明もあったが、なにより彼が学園の生徒たちを殺人の風評被害から守るために姿を晦ました後、精神が壊れた状態でコクの姿が戻れなくなっていたのを発見したとき……あの時の彼の人格は、間違いなくアポロ・キィそのものだった。

 

「私にも分からない。警視監の言う通り、本当に魔王の力で人格が分裂したって線も、あり得なくはない」

「……コクとして振る舞っていた記憶を基に、そこから『本物』の人格が形成されたと? そんなバカな……」


 にわかには信じ難い状況だ。

 だいたい人格が分裂するビームって何だ。用途が意味不明過ぎるだろう。

 精神が二つに分離することで相手を困惑させる……とか? そんな回りくどい事するかなぁ……。


「紀依かえってこ~~い」

「ぐえぇっ」

「ちょっ、衣月さん首絞めはやり過ぎ!!」


 ……いや、心当たりがないワケではない。

 もちろん人格分裂ビームだなんて突飛な必殺技なんかは理解できないが、コクという少女の人格が彼に発生すること自体はあり得る可能性だ。


「ポッキー!」

「ぅぶぶ……ぁ、れっか」

「こ、この状況は一体……?」

「分かんない。とりあえず助けて」


 もう一人の人格が発生する理由とは、精神的な自衛に他ならない。

 自分ではない別の自分に心の負担を肩代わりさせることで、本来の自分への精神ダメージを軽減させるというものだ。

 解離性同──いや、あまり深く考えたくはないが。

 警視監の攻撃によるファンタジーな人格分裂なのか、それとも心のダメージが引き金となって発生したもう一人の人格なのか、その判断をするのは非常に難しい。


 ただ、そうなってしまってもおかしくはない程の苛烈な経験を、彼はこれまでしてきたのだ。



 ──ある日突然、巨大な犯罪組織から追われている少女を、たった一人で守ることになった。


 公権力に頼る事も出来ず、その身一つで彼女を匿わなければならないその状況で、私たちヒーロー部すらも巻き込まない為に、少女に扮し逃亡を始めた。

 正体がアポロ・キィだとバレてはいけないから、たとえ親友のレッカから疑いや憤りをぶつけられても、それに耐えて隠し続けた。

 世界が、人類すべてが悪の手に堕ちようとも、諦めたくなるような絶望的な窮地に立たされようとも、自らの不安や泣きたくなる程の怯えや震えを押し殺して、私やレッカを支えてくれた。


 ……そして、誰よりもあの少女の為に奔走した彼は、誰よりも不幸な結末を選択したのだ。

 彼女だけではなくヒーロー部、延いては学園に通う生徒たち全員を警視監殺害の風評被害から守るために、アポロ・キィの姿を捨ててただ一人、命を狙われ続ける逃走生活に身を置いてしまった。


 結果、心が壊れかけた。

 それらの回復の兆しが見えた矢先に、今度は意識不明の瀕死の重傷を負い、植物状態に陥り生死の境目を彷徨った。

 魔王の力に肉体を蝕まれた。

 目覚めると、マユという正体不明の存在が現れた。

 すべてを忘れて修学旅行を満喫しようとすれば、魔王の力を抱えた少年と出会い、命を賭して倒したはずの警視監が肉体を変えて生き残っている事を知った。


 またいつ襲撃されるか分からなくて、また皆に迷惑をかけない為に、また一人で戦おうと学園を出ていこうとした。

 そして最後の敵を倒したと思ったら、次は意味不明な技をぶつけられて、精神を弄繰り回された。


 壊れない方がおかしいというものだ。

 誰よりも衣月という少女の為に、仲間や学園の為に世界へ奉仕してきたあの少年は、いつも報われずに最後は耐え難い苦しみに見舞われてしまう。

 何度殺されかけた?

 何回心を壊されかけた?

 何も特別な力など持ってはいないのに。

 彼はまだ十七歳の、ただの、高校生の少年だというのに。



「……ライ会長は、アポロが心配?」

「当然だろう。彼を助けたいと思っているのに、私はいつも間に合わない。何もできない自分が情けなくて……憤懣遣る方無い」

「ん、むつかしい言葉」

「ヤダなぁって、思ってるってことさ」


 本当に、自分が嫌になる。先輩として、部長として、生徒会長として、人間としてだらしないと今でも思う。

 彼の為になるようなことを、出来たためしがあっただろうか。

 いや、無い。

 アポロがもう一人の人格を作って自己防衛をしなければならないほど追い詰められるまで、私は何も為す事が出来なかったのだ。


「でも、今度こそ……」


 もしアレが魔王の力によって発生した完全なる別人格だったとしても、今度こそ私は彼を支えてみせる。力になってみせる。もう肩書きだけの女でいるのは耐えられない。

 

「なら会長、今はあのアポロを元に戻さないと」

「う、うむ」


 そうだ。まずはアポロを”アポロ”にしなければ。まさか元の人格が消えたなんて事は無いだろうし、おそらくきっかけがあればすぐに戻ってくれるはずだ。


「レッカ、会いたかった」

「っ゛!!?」


 アポロの姿のままレッカに抱き着くコク。

 凄まじい光景だ、音無も風菜も青ざめて言葉を失っている。……実は私も。はわわ。

 そもそも彼はレッカのことを呼ぶときはれっちゃんと呼称するはずだから、今の人格はコクで間違いない。早く人格を切り替えさせないと大変なことになってしまいそうだ。


「ぽぽぽっぽポッキー……!?」

「さよなら、なんて言ってごめんなさい。私だけじゃなく、アポロの事もしっかり考えるべきだった」

「そそっ、そそそれはいいから……! えとっ、それどころじゃなくってぇ!」

「……っ?」

「こ、コクさん! あのっ、今の自分の姿を確認して!」


 咄嗟に風菜が手鏡を見せつけてからようやく、彼女は自らの肉体がアポロである事に気がついたようだった。


「わお」


 いやリアクションうっす。

 端的に言うと、無表情のまま口だけあんぐりと開けてびっくりしている。

 眠そうなジト目のまま驚くアポロの表情は新鮮というか、初めて見る顔だった。何だか本当にコクに見えてきた。アポロが表情豊かで普段から顔がうるさい事もあるが、それにしても同一人物には見えない。

 冗談抜きに見事な二重人格である。


「じゃあ、こうする」


 彼女は呟きながら胸のペンダントを押し込んだ。

 すると当然、姿はアポロからコクへ。


「これなら、無問題」


 そういう問題ではないと思うのだけども。

 むむ、というか見た目が変わっても人格は交代しないのか。厄介な……。


「コク。どうやったら紀依にもどるの」

「知らない」

「それは困る」

「ごめんね」

「……」

「……」


 衣月とコクじゃ無表情っ娘同士で話が進まないィ!


「あの先輩。……ぁ、いやコクちゃんか。とりあえずレッカさんから離れましょ、ね」

「分かった」

「ど、どうすれば紀依くんに戻るんだろう……あっ、あたしがハグをすればもしや!」

「え。まっ、まって風菜──むぐっ」

「治れ、治れぇ~……ぅへへ」

「風菜センパイ。どうか私にクナイを出させないでください」

「ヒッ」


 あぁでもないこうでもないと話し合いやら実験やらが始まり、その数分後。

 ついに『部長が何とかしてください!』と全員が匙を投げて、私に彼(彼女?)を全任せしてきたのであった。

 そこで考えたのは、漫画やアニメなどでよくある二重人格キャラの、人格交代の引き金となる諸々。

 千年アイテムが光り輝いたりバイクに乗ったりすると人格が変わるんだったっけ──とか思いながら色々と試行錯誤した。

 精神疾患ではなく魔王の力によるファンタジー二重人格なら、そういった解決策しか思い浮かばなかったから。


 で、昔見たドラマの『女子に触れたりキスしたりすると元に戻る』というのを思い出し、それを最終手段として、とりあえずその前にくしゃみをさせてみた。

 くしゃみで男から女になるとか漫画で見た気がするので、ダメもとで。

 私の髪で彼の鼻をコショコショ。


「へくちっ」


 ──そしたら治った。


「はぇ……あ、会長? な、なんすか、顔近い……」

「ふむ、なるほど。記憶は引き継がないタイプか」

「あ、あの、何の話を……」


 コクの姿のまま、中身がアポロになっている。

 うん。

 ベタだな。くしゃみで人格が変わるんだ。なんか古いタイプの二重人格だわ。

 おそらく逆もまた然りなんだろう。

 これからは意識してくしゃみを我慢しなきゃいけないのだろうが、そこは頑張って私も支えていこう。

 ラスボスは撃退して、悪の組織も潰えたわけだから、私たちに残されているのは平和な日常だけだ。

 アポロが安心して普通の生活を送っていけるようがんばるぞ。


「勘弁してよポッキー!!」

「なっ、何だよなに何ですか!?」

「先輩もう二度とくしゃみしないでください」

「絶対無理なこと言うじゃん……」

「き、紀依くん? もう一回くしゃみしてみませんか?」

「もう仲間内で意見が食い違ってるんだけど」


 ……確かに面倒な事にはなっている。

 だが、目の前にいる彼を見て、私はほんの少しだけ安心したのであった。


「紀依、実験」

「ちょっ、おい待て衣月、細く丸めたティッシュを鼻に突っ込もうとするのはやめなさい」

「ポッキー……いい加減早く男に戻りなよ」

「じゃあコイツを止めろって! まっ、やめっ……ヘクシュッ!!」


 この数週間、アポロは常に浮かない顔をしていた。それは学園を発った後の、私たちがハーレム何号だのワケわからん事を宣言していたあの時も同様だった。

 何かを思い詰めているような、暗い顔。

 誰にも話せない秘密を一人で抱え込んでいる人間にしか見えないと、ずっとそう思っていた。


「先輩とコクちゃんでくしゃみの仕方が変わるんですねぇ」

「あの、興味深そうな顔してないで衣月を止めて。たくさんくしゃみするのつら──へくちっ」

「紀依、戻った?」

「なにしてんのか分かんねぇけどとりあえずやめろ!!」


 しかし今のアポロはどこか晴れ晴れとしている。

 最近のシリアスな表情ではなく、沖縄にいた時の様な──スッキリした元気な顔だ。

 目下の懸念点であった警視監を撃退したこともあるのだろうが、それはそれとして彼の中で”何か”が進展したのかもしれない。


 それが何なのかは想像もつかないし、直接聞いたりだなんて野暮なこともするつもりはない。

 もしかしたら私たちにとって、あるいはアポロ自身にとって不利益になり得る事柄だという可能性もある。

 ただ、それでも。


「ふっ、戻ったぜ」

「何でドヤ顔なのポッキー」

「この身体なら衣月の手など届くワケがないからな」

「むぅ~」

「フハハハッ! ジタバタしても無駄無駄ァ!」

「紀依くん笑い方が悪役すぎ」


 ずっと浮かない表情だったアポロが、ようやく年相応な笑顔を見せてくれた──それだけで。


「……ふふっ。ほらいい加減にしないか。明日は球技大会なんだからもう帰るぞ」


 それだけで、私は嬉しかった。









「ポッキー、部屋にいる? 今日の球技大会の予定表を渡しに来たんだけど……入るよ?」

「んおー、サンキューれっちゃん」


 早朝。

 寮内の彼の部屋へ入室して、僕は思わずひっくり返った。


「──えっ。ちょっ、まままっ、待って! なんでコクの姿でくつろいでんのっ!?」

「あぁ、これ? 何かペンダントがまた故障したっぽくてな、調整中。まぁ別に戻れなくなったわけじゃないから平気だよ。とりあえず入れば」

「イヤイヤイヤイヤまってダメ、とりあえず上着とズボン身に着けて。肌着とトランクスから衣装チェンジして」

「え、何で。暖房付けてたせいで暑いんだよ、てかこんな格好いつも見てるだろ」


 こいつ!!! コイツはァ!!!! 

 ……わっ、まっ、肌着の隙間がいろいろ危ない!!


「おっ、女の子の身体になってる自覚あるのか!!?」

「あるに決まってんだろ。とはいえ色気の欠片もねえコクの姿だし……えっ、なにれっちゃん。もしかして──」

「うるっさいなぁ!? だいたいキミじゃなくてコクの身体なんだから少しは遠慮しろよ!!」

「いや、でも中身は男の俺なのに、さすがに動揺しすぎじゃ」

「黙って!!!!!!!」

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