放課後密着ロリータ 前編 1
──『殺してやる』
頭の中で怨嗟の声が木霊し、目が覚める。
「っ……!」
勢いよく起き上がり周囲を見渡すと、何もかもが暗闇だった。
次第に暗所視で判断がつくようになっていき、ようやく気がついた。
ここは俺の部屋だ。
学園寮で宛がわれた自分だけの空間だ。敵も味方も存在しない、俺だけの場所。
警戒することもない、怯える必要のない安全圏。
「……あっ」
ひどい汗だと思った。寝巻の首回りがびしょ濡れだ。
枕元にあるスマホを手に取り時間を確認すると、まだ朝の四時半だった。
多重人格だの何だの嘘をついて皆を騙し、学園の寮に帰ってきたのがたった二時間前の出来事なため、大して睡眠は取れていない。
だから、眠い。
眠い──はずなのだが。
「はぁっ、は……っ」
とても就寝できるような状態ではなかった。
呼吸が荒い。
心臓の鼓動が壊れたように暴れている。
額から落ちた水滴が白い掛布団に一点のシミを作った。暑いし、着替えて顔でも洗おうか。
「……痛い」
不意に、そう呟いた。
口から零れ落ちる様に、自然と。
「っ……?」
すぐに自分の言葉を理解し、困惑する。
痛い?
なにがだ。痛みなど感じるはずがない。誰にも、何もされていないのだから、健康そのものだ。
健やかです。からだ健やか茶。
……よし。
あぁ、大丈夫だ。まったく問題ない。
悪夢を見ることなんて初めてじゃないんだから。
こんなもんしゃっくりと変わらない。たまに発生して、すぐに治まる。ただのしゃっくりだ。
「……ぃ、……痛いっ!」
痛くない。痛覚は刺激されていない。
失明した眼だってマユのおかげでちゃんと治ってる。
気のせいだ。落ち着け。
深呼吸。
深呼吸。
深呼吸。
……ほら、大丈夫じゃないか。
ここに敵はいない。
後ろから肩を引っ張ってくる奴はいない。
後ろから刃物を突きつけてくる人はいない。
後ろから銃口を向けてくる敵なんて、どこにもいないんだ。
後ろ、から。
「ぅっ、うしろ……」
背筋が震えあがった。
怖くなって後ずさると、背中が自室の壁にくっついた。
後ろには誰もいない。
後ろには誰もいるはずがない。
壁なんだから、背後から何かをされることなんてあり得ない。
「……はっ。……アホか、なに被害者ヅラしてんだ。……はぁ、あー、喉渇いた」
嘆息を吐き、呆れたように笑い飛ばした。もう平気だと判断した。
以前、マユに『人から追いかけられるのがトラウマ』だとか何とかを言った覚えがある。
嘘ではなかったが、悪夢を見る頻度が減った影響でここ最近はそれを忘れていた。思い出しても、既に克服したのだと楽観した。
──いや、克服してるはずだ。
組織の刺客に追われていたのなんて、もう三ヵ月以上前のことだろう。
保護された後なんてヒーロー部の皆に優しくしてもらって……確かにそのあと意識不明にはなったが、メンタル的な話でいえば右肩上がりだった。
いまさら被害者面していい立場じゃないし、するつもりもない。
「元を辿れば……全部、俺から始まった事象なんだから。被害者でもなんでもないのにトラウマで苦しんでるフリするの、さすがにキモすぎるな」
今日の球技大会のボール鬼だって絶対に参加する。
追う側追われる側の両方をだ。流石に学園の生徒に後ろを追われたところでビビるはずがない。
なにより、球技大会は年に一度の行事だ。
明日は何かしら面白いイベントが起こるかもしれないし、くだらないトラウマなんぞに怯んでいる場合じゃない。
「……一応変身しとこう」
ペンダントを操作してコクの姿になった。
男の姿で悪夢を見てしまうなら、女になればどうにかなるかもしれないという、非常に浅はかな考え方だ。
とりあえずはこのまま起きておくつもりだけど、万が一俺が二度寝してしまったときの為のための保険である。
「ポッキー、部屋にいる?」
──と、そんな感じで二度寝対策を講じていたのだが結局眠れず。
「えっ。ちょっ、まままっ、待って! なんでコクの姿でくつろいでんのっ!?」
数時間後にレッカとひと悶着ありつつ、また新しい日がスタートして。
目覚めてからずっと感じていた強烈な吐き気は、部屋を出る頃には無くなっていた。
◆
「これにて、本日の球技大会を終了いたします」
なにも……! な゛かった……ッ!
いや、まったく何もない日だったと言うと語弊がある。
確かに特殊なイベントならわりとあったんだが、この俺に関しては本当に何一つ発生しなかったのだ。
……結局途中で怖気づいて、ボール鬼には参加しないでベンチにいたから、当たり前っちゃ当たり前なのだが。
今回の球技大会で学園モノの主人公みたいなトラブルに見舞われたのはレッカの方だ。
「もうっ! もうもう! レッカ様のおたんこなす! あんぽんたん! 今後はもっと足元に気をつけてくださいまし!!」
「ご、ごめん。本当に申し訳ない……」
「レッカ先輩……久しぶりの学園のイベントで張り切るのは分かりますけど」
「面目ない……この通り……」
「お姉ちゃん、大丈夫だった?」
「ふふふ、ラッキースケベをするレッカを見て安心する日が来るとは思わなかったわ」
「カゼコちゃんは強いね……」
校庭の隅っこで正座させられているレッカが、カゼコの言ったように自らが『ラッキースケベ』を働いた女子たちから詰問を受けている。かわいそう。
今日のれっちゃんは主人公体質ここに極まれりって感じで、もはや故意にやってると思わせるレベルのトラブルを引き起こしていた。
つまづいて相手の胸に飛び込むなど序の口。
次から次へといろんな女子(というかほぼヒーロー部)を巻き込んでいき、一番最後のヒカリに対してはセクハラで訴訟を起こされてもおかしくないレベルのラッキースケベを働いてしまっていた。南無。
ぶっちゃけ一年以上一緒に過ごしていて尚且つ好意を持っているヒカリだったから、なんとか正座からのお説教で許されているだけで、もしも他の女子だったらいくられっちゃんとはいえお巡りさんの出番は免れなかった事だろう。
「……ぁ、あたしっ、ファイア君にボール当てられちゃった……!」
「えっマジ? どんな感じ?」
「めっちゃ優しかった! ぽんっ、って感じ!」
「いいなぁ~。他の男子もあの紳士的なボールさばきを見習えって感じだよね」
しかし、流石は世界を救ったヒーローとでも言うべきか、ヒーロー部外の一部の女子からは好意的な解釈もされていたらしい。
彼女たちからすればレッカは同じ学園に通ってるアイドルみたいなモンだし、実際イケメンだという事も相まってファンは増える一方だ。
今回のヒカリの様な度を超えたセクハラをしない限り、あの状態は終わらないだろう。
俺が植物状態から回復し、そのあと間近に迫っていた修学旅行も終わらせた後は、気後れするものが無くなったおかげかメディア露出が露骨に増えていた。それらも認知度の向上に一役買っているのかもしれない。
テレビに出たり雑誌の取材などを受ける理由は、ヒーロー部の活動資金の調達や、自分たちの存在をアピールすることで発生する悪に対しての牽制などでしかないようだが、必要最低限の事をこなしているというレッカの考えとは裏腹に、彼自身の扱いはもはや国民的アイドルのようなナニかへと変貌してしまっているようだ。そろそろドラマの主題歌とか歌わされそう。
「お、オレ別のクラスだから初めてアイスを間近で見たんだけど……て、テレビよりずっと──」
「みなまで言うな、分かってる。ちなみにオレはウィンド姉妹推し。甲乙つけがたいので二人とも」
「ハァ、お前ら……普通はグリントだろ。ボールの片付けを手伝っただけであの満面の笑みだぞ? あの金髪お嬢さま絶対オレのこと好きだろ……」
「やばい。センパイたちがヒーロー部に釘付けで、テントの片付け手伝ってくれねぇんだけど」
「……ちなみにお前は誰推し?」
「えっ。いや……べ、別に僕は誰とかないし」
「嘘つけ、ずっとノイズの方見てるじゃん」
「はぁ!? 別に好きじゃねーし!!」
「照れ方が小学生すぎる……」
──と、無論ヒーロー部で活躍しているのはレッカだけではない。
忍者ゆえに目立つことを割と避けている音無ですらあのレベルなのだからお察しだ。
普段はこれほど露骨ではないのだが、マンモス校である魔法学園の全校生徒が一堂に会するイベントということもあってか、ヒーロー部は今日一日中ずっと好奇の眼差しにさらされている。お疲れ様です。
「あ、あたしファイア君に写真頼んできてもいいかな?」
「行ってきな! ウチも行く!」
「お、一年生で写真撮るみたいだぞ。それにノイズの隣が空いてる」
「……っ!」
「行ってこい! オレも行く!」
微笑ましい光景だ。
にしても、こうして他人に認知されるヒーロー部を目の当たりにすると、彼らがいかに雲の上の存在なのかを、改めて実感させられてしまう。
特にあの不完全魔王を討伐した時の映像は世界中に拡散されているから、国外での認知度も含めたらハリウッド俳優と肩を並べるくらいの人気者だ。ヤバいですね。
「……あのぉー、そこのセンパイ」
「んっ」
前の方から重そうなダンボールを抱えた女子が、ベンチで休んでいる俺に声を掛けてきた。
「センパイって、俺?」
「そーっす、ジャージの色が青だから二年生っすよね?」
ふぃー、と言いながら縦に積まれた二つにダンボールをドサっと置く女子。
先輩呼びの口ぶりからも察せるが、体操着のジャージの色も赤なので彼女は一年生、つまり後輩だ。
ちなみに三年生の学年色は緑。
あっちには明らかに初期から想定されていた許容サイズを大幅に超過するほどの大きなお胸をお持ちの我らがライ・エレクトロ生徒会長さまが、そんな緑色のお山を揺らして周囲の目線を(無意識に)奪いながら、テントの部品が入ったダンボールをえっさほいさと運んでいる。
前のダンボールを見ると、中身は同様だった。確かに重そうだ。
「お名前なんて言うんすか」
「……あぁ、キィでいいよ。悪い、手伝う」
「あざす~。めちゃ重いんでお気をつけになさって」
重い腰をベンチから起こしてダンボールを持ち上げると、やはりそこそこ重量があった。
目の前にいる亜麻色の髪の少女はとてもではないが筋肉があるようには見えないし、彼女には荷が重い代物だ。二つとも俺が持っていこう。
「こっちも俺が持つよ」
「わっわっ。手持ち無沙汰はヤバめ……あっ、じゃああたしはこれ持ってきます」
「……」
「カラーコーン」
とても軽そう。
「……おう」
「はわわ。では二つ」
「別に一個でもいいけど……」
両手に赤色の大きなカラーコーンを装着した後輩と共に、校庭の器具庫の方へと向かっていく。
ここからだと割と距離があるし、彼女の荷物を二つとも預かったのは正解だったようだ。
「両手にカラーコーン装備してたらロボットみたいっすね」
「ドリル武器っぽいな」
「どどどどっ、びーっ」
「先端からビーム出るタイプか……」
初対面にしてはノリが軽い……というか不思議っ娘っぽい雰囲気を纏った後輩と一緒に歩いていると、いつの間にか荷物を運び終わっていた。
周囲を見渡すと球技大会の片付けは概ね終わっているようで、校庭に残った生徒たちは祭りの様にワチャワチャしている。
彼らがなかなか解散しない理由の一端はヒーロー部にもあるようだ。レッカなんか正座したまま囲まれている。
「キィ先輩、さっきもそうでしたけど……もしかしてヒーロー部のファン?」
「えっ?」
アイツらの事を注視し過ぎていたせいかもしれない。
他人からだとそう見えるのか、いまさっきの俺。
「……まぁ、そんな感じ」
「ほぇー。パリピっすね」
「キミ流行に敏感なヤツのこと全員そう呼んでんの?」
なんだか割と図太い神経をしている彼女の言葉からも分かる通り、俺こと『アポロ・キィ』だけが、ヒーロー部の一員としては全くと言ってもいいほど認知されていない。
そもそも世界を救う映像に映っていたのはあの七人だけなのだから当然だ。あの時の俺はそのすぐそばで、コクの姿で警視監と戦っていた。
「サイン貰ったりとかしないんすか」
「同じ学園の生徒にサイン求めるの恥ずかしくない……?」
とはいえ、遠目に見えるヒーロー部たちはサイン代わりといった雰囲気で一緒に写真を取られまくっていた。俺がおかしかったのかもしれない。
世界を救ったヒーロー部は、一人の少年と六人の少女──それが世間一般での認識である。
俺をヒーロー部のメンバーだと知っているのは、俺が入部してから衣月を連れて旅に出る前までの二ヵ月の間に、ちょっとしたお悩み解決をヒーロー部に依頼してきた数人の生徒やペット探しを手伝ったおじいさんくらいだろう。
それだって『あれ? もう一人いなかったっけ?』とかいう次元の話だ。
アポロ・キィという名前を憶えている人間などほとんどいない。
マユは俺を『皆が羨む主人公』と言っていたが、それは俺と他の人間の関係性を正確に把握していたから出た言葉であって、周囲からの評価はその限りじゃない。
確かにここ最近も変わらず学園ではレッカとよくつるんでいたものの、レッカ自体が誰にでも優しいヤツという認識なので、俺は彼に構ってもらっているモブAとしか見られていないのだ。
二人きりだった修学旅行も基本は人気の無い場所を巡っていたし、そもそも学園側で用意されたイベントが多かったため二人きりの時間はあまり多くなかった。
学園ではレッカ以外のヒーロー部とはあまり絡んでないし、もし話をしていたとしても他の生徒たちからの目は『有名人と話してる一般人』程度に過ぎない。どうあっても俺個人には興味が示されないシステムが完成しているのだ。
相も変わらず、アポロ・キィは誰でもない。
「きみはサイン欲しくないのか」
「あたし? ……んー、あたしは別にいいかな。オトちゃんからいつでも貰えるし」
オトちゃん、とは。
「オトナシ・ノイズちゃん。あたし
「……そうなんだ」
知らんかった。アイツ従姉妹いたのか。
言われてみてもあんまり音無とは似てない。従姉妹だから当然か。
「申し遅れました、
「いいよ、俺も未発展地域の出身だから、その間違い分かる」
「あら奇遇。ではフルネームをどうぞ」
「紀依太陽……あっ、紀依が苗字な。アポロは太陽って書くんだ」
「キラキラ!」
「俺もそう思う」
どうやらバカにされてるワケじゃなさそうだ。キラキラネームの人初めてみた、って感じの驚きの表情だった。良い子や。でも他の人にはその反応しちゃダメだよ。
荷物運びを手伝ってその後にわざわざ自己紹介をする、などという妙な流れを体験したわけだが、向こうでもみくちゃにされているヒーロー部に比べたら楽な方だろう。一人に名前を覚えてもらっただけでも幸運だ。
「ほんじゃ、また」
「ん」
琴音はわりとあっさり別れを告げてどこかへ行ってしまったが、音無の親戚という事もあってかなり印象には残った。また会ったら挨拶くらいはしたいものだ。
「……とりあえず荷物まとめて帰るか」
そう呟き、器具庫の前から離れていった。
明日からは寮生活ではなく現在両親が住まいにしている賃貸の方から通学することになっている。
母親からは『そろそろ帰ってきてもいいんじゃないか』とのことだった。
悪の組織の残党はいなくなり、もう何ヵ月も襲撃されていないことを踏まえて、学園の保護下でなくても生活していいだろうという判断だ。
事前に大きな荷物は送ってもらってあるから、あとは簡単な手荷物だけ運べばお引越し完了である。
それにしても──
「ファイア君いっしょに写真撮って! ウチも正座するから!」
「えぇっ!?」
「あのっ、ウィンドさん、記念にいいかな?」
「えと、あたしはいいけど、お姉ちゃんが……」
「コラそこの男子ー! 妹を勝手に撮るなー!」
「……のっ、ノイズ。そのっ、えと」
「頑張れ!」
「いいっい、いい一緒に写真、とってくれ……!」
「あ、うん。……キミもしかして、この前プールの掃除を手伝ってくれたタナカくん?」
「ウェッ!? おっ、オレのこと覚えて……ヒュっ……!」
「しっかりしろ! 過呼吸になるな!」
……まだまだ忙しそうだ。声はかけないでおこう。
人気者は大変だな──なんて考えると、ふと気づいたことがあった。
ああして懇願しなくても、ヒーロー部とは自然な流れで一緒に写真を撮れるような関係のはずなのに、冷静になって振り返ってみると。
「……あいつらと写真、とったこと無いな」
大勢の人たちに囲まれた彼らを一瞥して、俺はぼやいた。
いつの間にか、正面から『写真をとってくれ』だなんて事を頼める他の生徒たちが、少しだけ羨ましく思えてしまっていたのだ。
彼らの邪魔ばかりしている俺には、きっとそんなことは言えないだろうから。
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