私は先輩の 1


 たくさんの敵が襲ってきた森での一幕が過ぎ、少し時間が経った後に先輩は合流してくれた。


 何やらあの人は笑顔になっていて、まるでずっと抱えていた悩みが吹っ飛んだかのような、晴れ晴れとした表情だった。

 あの森にはヒーロー部の皆さんも足を踏み入れていたと聞く。もしかしたら先輩は、あの時私たちがいない場所で、レッカ先輩との蟠りを解消する事が出来たのかもしれない。

 秘密を話したのかどうかは分からないけれど、あの二人がまた友人同士に戻ってくれたのなら、それ以上に嬉しいことはない。私も気が楽になるというものだ。


 あれから数日が経過して。

 敵と遭遇しないために迂回などを繰り返している影響で、まだ中部地方をうろついている状態だが、旅はいたって良好だ。


 確実に前には進んでいるし、私たちの仲も深まりつつある。

 衣月ちゃんは相変わらず不思議な立ち振る舞いだが、確実に私たちには気を許していて、機械方面では非常に頼りになる。

 キィ先輩は以前にも増して、何だか一皮むけたようだった。

 改めてヒーロー部に入部したあの時の、ライ先輩たちの頼もしさを思い出したくらいだ。

 三人という少数規模ではあるものの、私たちは間違いなく、ヒーロー部に負けず劣らずの『チーム』として成長しつつあった。私はそれが素直に嬉しい。

 


「……衣月ちゃん、すっかり夢の中ッスね」

「スヤスヤでワロタ」

「あれ、先輩もしかして壊れちゃいました?」


 とあるボロアパートの一室。

 現在時刻は既に深夜を回っており、衣月は布団を敷いた奥の部屋で眠っている。

 私はリュックの荷物整理。

 先輩は珍しく男の姿で、ペンダントのメンテナンスをしていた。


「いやぁ、ホントに衣月はえらい子だよ。どんな場所でも寝てくれるのは正直いってクソありがたい」

「枕が変わるだけで眠れない子もいますからね。衣月ちゃんは山小屋みたいなとこでも平気ですし、サバイバル適正の高さで言えば先輩より凄いっすよ。鍛えれば忍者にだってなれるかも」

「忍者キャラが渋滞しちゃうからダメ」

「それは誰目線なんすか……」


 呆れながらペットボトルの水を渡すと、先輩は待ってましたと言わんばかりに、すごい勢いで水を飲み干してしまった。喉が渇いてたのなら言ってくれればいいのに。

 なんだか最近、先輩の気持ちを察して私が先回りして行動していることが多いような気がする。バディってこういうものなのかもしれない。


「でも、音無だって十分凄ぇよ。年頃の女の子がこんな危なっかしくて敵だらけの旅を、文句言わずに付いてこれてるんだから」

「それを言うなら先輩もでしょ。少なくとも一年間戦ってたヒーロー部の皆さんと違って、先輩は二ヵ月一緒に居ただけでほぼ一般人じゃないですか。十七歳の高校生ができるような生活じゃないっすよコレ」

「無敵なので」

「……男の子ってホント、変な意地ばっか張りますよね。馬鹿なんだから」


 ……そんなおバカと一緒に居て、笑ってしまっているのはどこの誰なんだか。

 レッカ先輩とだって、こんな近い状態で自然に接したことはない。

 ヒーロー部にいた頃と違って二人きりの状況が多いせいもあるんだろうけど、随分と先輩の言動にも慣らされてしまった。

 少なくともこの人は私にとって、ヒーロー部のメンバーとはまた別の、特別な存在になりつつある。それを日々実感している。

 ……私ってチョロいのかな?


「なぁ、音無」

「はい?」


 作業をやめた先輩が、座ったままこっちに体を向けた。

 いつもの脱力した雰囲気だ。おおかた明日進むルートの相談だろう。

 こうやってすぐに思いつく辺り、やはり先輩との生活に、慣れ過ぎてしまっているかもしれない。ヒーロー部のときと違って、基本的にいつもピンチなせいだろうか。飲み込みが早くなる。



「そろそろヒーロー部に戻ってもいいんじゃないか?」



 ──しかしその発言だけは予測できなかった。


「…………な、なに言ってんすか~もう。あはは」


 思わず動揺してしまう。

 先輩があんまりにも何でもないように言ってきたから。

 忍者がこんな事じゃいけない。切り返さないと。


「やだなぁ、まったく。先輩が一人で旅を続けられるわけないでしょ? ウチがいないとダメなんスから」

「そうかもしれんが。でも森でレッカと会ったときに分かったんだよ。ヒーロー部のメンバーは、お前が思っている以上にお前のことを心配してるって」

「っ……」


 どうしよう。ヤバいかもしれない。

 これはどう見ても、先輩が私を説得しにかかっている。

 いつも通りな普通の表情をしているけれど、その瞳にはどこか本気の意思が宿っているように感じられた。

 

「そ、それを言うなら先輩だってそうじゃないスか。レッカ先輩にはめっちゃ心配されてますし。なんか仲直りはしたみたいッスけど──」

「いや? 俺は仲直りをしたんじゃなくて、レッカを裏切ったんだ」

「…………えっ」


 何気ない先輩の言葉。

 私は思わず言葉を失った。

 なんて返せばいいのかすぐに出てこない。

 どうしよう、焦っている。


 先輩はあのレッカさんと凄く仲がいい友人だ。

 はたから見ても親友同士だという事はなんとなく察しが付く。

 ヒーロー部ゆえに複雑な事情を抱えているレッカ先輩の方から、彼に何かを秘密にすることはあっても、先輩からレッカさんを裏切る事はないと思っていた。


 むしろ誤解されたくないと、すぐにでも真実を話したい相手だと考えていた。

 それは私の勘違いだったのだろうか。


「もう俺は戻れないんだよ。ただ隠し事をするんじゃなくて、明確にレッカを──友情を裏切っちまった」


 何かを諦めてしまったような、乾いた笑いと共にそう呟く先輩。

 

「今やっていることは、確かに正義の行いかもしれない。悪い奴らに追われている少女を守り抜けば、ひいては世界を救うことになる。それを言い訳にすればこれまでの嘘だって『仕方のない事だった』と正当化できるんだろう」


 そんな、笑っているのに悲しい顔を、私は知っている。

 ずっと前から見覚えのある……一番見たくない表情だった。


「でも違うんだ。背負ってる事情なんか関係ない。俺は明確に許されない、超えちゃならない一線を越えたんだ。衣月のことを含めても、両親のことや環境のせいじゃなくて、どうしたって……裏切った俺が悪いんだよ」

「……せん、ぱい」


 私がいつも、鏡の前に立つたびに見る顔。

 先祖代々続く家系で忍者スパイとして教育され、数えきれないほどの人たちを裏切ってきた、この私自身がしてきた表情だ。

 

 諦めたように──力なく笑う顔。


「音無。お前にはそうなってほしくない。取り返しのつかない事なんかホントはやるべきじゃないんだ。俺は……お前だけには、普通の日常ってやつを無くさないで欲しいと思ってる」


 それでも私を気遣って、無理に笑顔を作っている。

 彼のそんな姿は見ていられないほどに痛々しい。私は先輩を直視できない。

 なぜ突然こんなことを言い出したのだろうか、先輩は。



 いや、分かっている。


 私だって鈍感じゃない。むしろ物事に対しては機敏に反応するタイプの役割で、ここまでヒーロー部で活躍してきたんだ。

 先輩はレッカさんを裏切ったと言っていた。


 それはつまり、これから先は彼と敵対しながら旅を続けるということだ。

 レッカさんの敵はつまるところヒーロー部の敵。

 そんな裏切者の敵と行動を共にしていれば、私自身もそちらに取り込まれたと認識され、オトナシ・ノイズはヒーロー部の一員ではなく敵の一人としてカウントされることになってしまうだろう。

 

「な。頼むよ、音無」


 先輩はそれを危惧したんだ。

 だから私をヒーロー部の仲間のままでいさせるために、こんな下手な説得までしている。

 これ以上は巻き込めないという、先輩なりの誠意なんだろう。

 旅を始めた時と今とでは明らかに状況が違う。ただ秘密を隠していたあの時より、レッカさんを裏切った現在の方が圧倒的に立場が悪い。

 

 先輩がしているのは自己犠牲だ。

 私の為の自己犠牲。

 他人の為の自己犠牲。

 レッカさんがいつもやるような──私の嫌いな”自己犠牲”。


「っ……」

「……音無? あの、なんで俺の手なんか握って……」


 思わず彼の手を掴んだ。

 座ったまま俯いて、正面にいる彼の片手を、私の両手で捕まえた。


「ウチは……」


 今ここで先輩を離したら駄目な気がした。

 彼が遠くへ消えてしまう予感がした。

 このまま彼に流されてしまったら──先輩は自ら一人になってしまう気がしたから。


「私は……先輩の、こと……」


 咄嗟の判断というより、反射的な反応だった。

 彼に向けてどんな言葉を送ればいいのか、未だに見当がついていない。

 どうしよう、どうしよう。

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