バカ・覚醒 3


 口に出そうとしたその瞬間、眩暈がした。


「ぁ」


 思わず膝をつく。ほんの少しだが、身体の制御が利かなかった。

 額に手を当ててみれば、指がべっとりと紅く染まっている。

 音無に包帯を巻いてもらっていたはずなのだが、怪人に殴られた額の傷が開いてしまったらしい。


「コクッ!」

「…………」


 レッカがこちらに駆け寄ろうとしたが、俺が咄嗟に手を前に出したことで、彼は驚いて静止した。

 近づくな、という意思は伝わったようだ。

 


 何だろう。

 これはなんだろうか。


「……れっちゃん」

「っ! ぽ、ポッキーなのか……?」


 怪人に殺されかけたからか?

 頭をブン殴られておかしくなってしまったのか?

 分からない。

 自分の思考が理解できない。

 ただ、これだけは本能で感じ取ることができた。



 俺は今、これ以上ないほどに──高揚している。



「私、は」


 間違いなく、この状況を嬉々として喜んでいる。

 自分の嘘で、他人の勘違いで、友人の心が痛みを負ってしまったというのに。 

 まるで嘘のように”まだバレていないことが”信じられず、僅かながら口角が釣り上がってしまう。


「は、ハハ。痛い。いたいな。奇麗な顔なのに、ホントもったいない。傷がついて、血も出てきちゃった」

「ぽ……ポッキー……?」


 どうしてだよ。もうバレていいだろ。

 こんだけ状況証拠が残っていて、何でこんな設定の齟齬が発生するんだ。本当に信じられねぇよ。

 言え。

 さっさと口にしろ。

 全部嘘でしたって言葉に出せ。

 

 そうしたい、俺は心から秘密を打ち明けたい、間違いなくそう思っている。

 レッカに全部話して、あいつを安心させたい。

 お前が救おうとしている少女なんか、初めから存在しないのだと教えてやりたい。

 男の姿を見せて、これからはずっと一緒だと──



 ──あぁ、ダメだ。お前は誰だ?



 俺の中に何かがいる。

 これまでずっと押さえつけてきた感情の源が溢れ出している。

 良心と友情を侵食し、木っ端微塵に喰い荒らしていく。


 俺の中に潜む俺が。

 陰に隠れていたその姿が露になってしまう。


 震える。

 からだが。

 赤く染まった指先が。

 心が、心臓が。

 脳が震える。


 まだ続けられる。

 この場でウソを口にすれば、漆黒という少女が存在し続けられる。

 良心を捨てて親友を騙せば俺はまだ物語の中心にいられる。


 裏切れ。

 裏切れ。

 裏切れ。

 裏切れ。


「うっ……うぅっぁ……!」

「アポロ!?」


 ふざけるな。どこまで親友をコケにすれば気が済むんだ。彼を想うなら、そんな下らない事など今すぐにやめろ。


 それは奇麗事だ。

 俺は何回も彼を騙し、裏切ってきた。

 いまさら親友ぶってレッカの元に戻ることなど、許されるわけがない。


 いや、それでも──



 あぁ、あぁ、いろいろな思考が頭をよぎった。

 きっとそれらはすべて本当の感情だ。

 しかし折り合いをつけるための時間稼ぎでしかないことも、また事実だった。



 最後に俺の頭に残ったのは、たった一つだけだ。


「……レッカ」


 俺はコクという存在を諦められない。


「悪いけど」


 本当の自分が、俺の中の本能がそう叫んでいる。


 卑劣で、最低で、人の心を弄ぶ、所詮は黒幕でも何でもない、弱い小悪党でしかないクズな自分を何度戒めても、俺を俺たらしめる揺るぎない信念が間違った方向へ歩を進ませる。


 レッカの反応を楽しみたいんじゃない。

 もはやコレを続けることが楽しいのか辛いのかも分からない。

 ただ、俺は自分を誤魔化せない。


「アポロを返すことはできない」

「──ッ!」


 

 レッカがすべての真実を知って俺を断罪するその日まで、俺は絶対に隠しヒロインごっこを──やめない!



「……どうしても、なのか……」

「そう。約束だから」


 うわははは!

 わ、やっ、やべー! やっちゃった……!

 もうここまできたら思わせぶりな言葉を言って、コクという少女の存在を確立させるしかない!


「大切な友人だと言ってくれて、嬉しかった。私もレッカのこと、本当は嫌いじゃない」

「コク……」


 あぁ……俺ってやっぱバカだな。クソマヌケ野郎だ。

 もはや人間を辞めている。道徳を捨て去り、友情を踏みにじってしまった。


 俺たち二人の状況は、両親の時とは比べ物にならないほど、進んではいけないルートに舵を切ってしまっている。

 父さんには常に母さんという理解者がそばにいた。全ての事情を知っていて、尚且ついつも止めようとしてくれるストッパーが。

 

 だが、俺にはそんなもの存在しない。

 俺の中に秘めた感情を理解している者は、この世のどこにも、誰一人としていやしない。

 母のおかげで正義に目覚めた父とは違い、俺は親友を前にして悪に堕ちてしまった。

 誰にも内なる感情を打ち明けることはなく、遂にここまで来てしまったのだ。


 自分の中に眠っていた猛獣は──もはや俺の意思では止められない。

 美少女ごっこをやめられない。

 こうなったらバレるその日まで全力で隠しヒロインをやってやると、信念に深く刻み込まれてしまった。


「でも、アポロは渡せない。私たちは離れられない」


 やっぱり俺は主人公なんかじゃなかった。

 衣月という守るべきヒロインと、音無という頼れるバディと共に過ごしても何も変わらなかった。


 主人公になれるかもしれない状況に身を置いてもなお、少女の救済を建前にこれまでの嘘を正当化させるような事はできなかったんだ。

 偽りの継続を望み、その先にある全ての罪の断罪を求めた。


「言い訳はしない」


 あぁ、言い訳はしない。俺は悪人だ。だから偽善者ぶっていまさらヒーローに戻ろうとだなんて考えない。

 世界なら救ってやる。

 組織の目を掻い潜り、責任をもって衣月を沖縄まで送り届けよう。

 だが、美少女ごっこはやめない。

 俺はレッカのヴィランであり続ける。


「私にはアポロが必要。……だから、レッカには返さない」

「おまえ……っ!」


 だから攻略してくれ。


「どうしても親友を取り返したいのなら」


 頼む、レッカ。

 お願いだ、親友。



「アポロを選ぶのなら、私を殺して」



 厄介な設定を抱えた、このめちゃくちゃに攻略手順が面倒くさいヒロインと化した俺を止められるのは、ただ一人。

 深刻そうな顔をしておいて、その実嘘がバレないどころか逆に奇跡レベルで隠しヒロインとなる土台が積み重ねられて、もう親友を揶揄う事をやめられないバカの事を救えるのは、お前だけなんだ。

 どうか、俺を止めてくれ。


 ……なんかここまでシリアスっぽく語ってたけどつまり──うおおおぉぉ謎の美少女ごっこやめらんないぜぇえええええ!!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る