おともだち 1


 僕は今、頭を抱えている。


 友人の自宅へ赴いたら、何故か本人ではなく最近接点を持ち始めた謎の少女が、彼の衣服を身に纏って現れたのだ。何を言っているか分からないと思うが、僕もこの状況が全くもって理解できていない。

 アポロが右手を骨折したというので、料理も大変そうだと思って弁当を買って、どうせなら少し遊んでから帰ろうかな──なんて考えていた数分前の自分は実に呑気だった。


「とりあえず、上がれば」

「ぁ、はい。…………えっ?」


 お互いが固まったまま気まずい雰囲気が続くかと思いきや、まるで意に介していない様子の少女は、そのまま僕を家の中に上げてくれた。……いやここアポロの家なんだけどな。

 二階建ての一軒家であるアポロ宅だが、彼から聞いていた通り両親の姿はない。海外赴任という話は本当だったようだ。

 それはいい。問題はそこじゃない。


「どうぞ」

「……ど、どうも」


 リビングのソファに腰かけると、コクがお茶の入ったコップをテーブルの上に置いてくれた。

 しかしそれに手を伸ばすことはなく、僕は彼女が何かしでかさないか不安になり、ずっと目で追ってしまっている。

 コクは自分の分のお茶も用意すると、テーブルを挟んだ正面の座椅子にちょこんと座った。慣れているような仕草に見えるけど、彼女はどれくらいこの家の事を知っているのだろうか。

 ……いやいや、それよりも先に聞かなきゃいけないことがあるだろ。


「あの、アポロはどこに」

「今はいない」


 居ないって、もしかしてあの状態で出かけたのか……? 買い物なら手伝うし、なんなら放課後に行けばそのまま付き添ったのに。片手で大丈夫かな。


「きみはどうしてこの家に? ……もしかして、アポロと同棲してたり……」

「出ていけというのなら、すぐにでも出ていく」

「追い出すなんてまさか。……その、ごめん」


 つい邪推してしまった。余計な考えは捨てて、正確な現在の状況を聞き出さないと。


「余裕が無いときは、このアジトを使用していいと、協力者からは聞いている」

「アジトって……ていうか、もしかして合鍵を持たされてるのか」

「カギ、ってこれ?」


 少女がズボンのポケットから、ジャラっと音を立てて鍵を取り出した。

 驚くべきことに、それは合鍵ではなくアポロが普段使いしているカギそのものであった。


「あのバカ……まさか鍵かけずに家を出たのか……」

「少し違う。入れ替わりだったから、鍵とアジトの防衛を、私が任されている」

「い、入れ替わり?」


 そうなるとアポロの状況判断能力が早すぎることになる。

 出かける直前にコクがこの家にやってきて、そのまま彼女に留守を任せて外出したということだ。大丈夫かあいつ。

 ……分からない。そういう判断ができる程、この子を信用しているってことなのか。


「いつも着ている服は、洗濯とクリーニングに出している。他の衣服がないので、協力者の部屋着らしきものを拝借した」

「……それなら、せめて上着を着てくれないか」

「なぜ?」

「逆に何で気づかないの……」


 この家に来た時から指摘しようとしていたのだが、服の首元がゆるいせいでコクの肩が見えているのだ。

 というか肩はおろか、危うく胸元まで見えそうになってしまっている。どうしてよりにもよって、アポロが使い倒しているヨレヨレのTシャツを選んだんだ。

 それにズボンだってあれゴムが伸びきってるやつだし、ずり落ちたらヤバイ。流石にもう少し自分に合ったものを選んでほしい。


「コク、そこの椅子にかかってるパーカーを使ってくれ」

「必要なこと?」

「早くして」

「はい」


 なんとか見ないようにはしているものの、この状況が続くと目のやり場に困ってまともに応対ができない。コクが聞き分けの良いタイプでよかった。

 改めてパーカーを羽織ったコクと正面から対峙する。

 前々から質問したかった事が山積みなのだ。このままでは帰れない。


「……まず、君が何者なのかを教えてくれ」

「面接みたい」

「……ごめん、かなり険しい顔になってたね」


 確かに威圧するような雰囲気を出してしまっていたかもしれない。これは良くないな。

 僕はお茶を一口飲み、一度咳払いをしてから彼女に向き直った。

 彼女は既に僕を知っているようだが、改めて考えるとこっちから自己紹介をしたことはなかった。礼儀として、まずは自分からだろう。


「僕の名前はレッカ・ファイア。魔法学園の二年生で、市民のヒーロー部に所属している。普段は普通の学生として生活しているけど、必要とあらば悪とも戦う魔法使いだ。……って、こんな感じで教えてくれると助かるかな」


 手本を見せてから発言権をコクに渡すと、彼女は数秒ほど下を向いて逡巡したのち、顔を上げて僕を見つめた。


「コードネーム:漆黒。とある科学者の研究によって誕生した。所属組織は無い。活動目的は──」


 一拍置いて、再び口を開いた。


「あなたの戦いを終わらせること」

「ぼ、僕の……?」


 一回で理解することが出来ず、無意味に復唱してしまった。

 漆黒と名乗った彼女の目的とは、僕──つまりレッカ・ファイアの戦いを終わらせること……らしい。

 いやだめだ、全然分かんない。どういう意味だ。


「……僕を倒す、ってことか?」

「敵対するつもりはない。ただ、レッカがもう戦わなくてもいいようにする……という目的のために動いている」

「それは誰の指示だ」

「誰でもない。私の意思」


 コクはいつもの調子で、しかし確実にきっぱりと言い切った。

 それを見ただけでこの言葉は間違いなく彼女自身のモノであり、そこに嘘は無いと本能で理解できてしまった。


 ……頭が痛くなってきた。

 どうして彼女は、僕を戦わせたくないんだ。自分の記憶を辿ってみても、真夜中に邂逅したあの日以前に、この少女と関わりを持った出来事など存在しない。

 何のために自分を戦わせたくないのかが、まるで見当がつかない。


 僕が戦いをやめて喜ぶのは、現在敵対しているあの悪の組織や、犯罪に手を染める悪い魔法使いたちだけだろう。

 むしろ彼らの仲間だと言ってくれた方が納得できるというものだ。

 それなのに敵対するつもりはない、ときた。もう思考をやめたくなってくる。


「なんでキミは僕を知っているんだ? 悪いけど僕自身はキミの事なんて一つも知らないし、何の覚えも無い」

「…………」

「現状きみに何を言われたところで、僕はヒーロー部としての戦いをやめるつもりはないよ」

「…………私は、知っている」


 まるで人形の様な、美しくもあり無機質でもある、不動の表情が僅かに揺らいだ。


「ずっと前から、あなたを知っている」

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