番外編 大統領と王子の嫉妬深い生活
身を硬くしつつブリーフケースを胸に抱きしめていると、操縦席から怒鳴るような声が聞こえてきた。
「もうすぐ着きますよーっしっかりつかまっててくださいね!」
その知らせに心から安堵する。
漁協の青年は、何故か心臓に悪すぎる。王子の友人なのだからいい人なのだろうが、王子と同じで心臓に悪い。
なんだか、出会ったばかりの頃の王子を思い出すのだ。
自分はこんなに若い男に弱かっただろうか、と。思わず自問自答した。
フローリアンに抱っこ状態で船から桟橋の降ろされる。恥ずかしいのと、怖いのとで具合が悪くなりそうだ。
陸地で両手を腰に当てて立っている人影が見える。潮風に煽られる黒髪に、サングラスをかけたカイ王子の姿だった。なんとなく仁王立ちしているように思えるのは、シルビアの方に負い目があるからだろうか。
別に負い目などは何もない。自分はただ故郷に戻って来ただけなのだから、後ろめたいことなどない。
「シルビア!」
桟橋まで寄ってきて、漁師の彼から受け取る様に、シルビアの手を取った。
「サッシャ」
久しぶりに会う夫を、眩しそうに見上げる。いつ見てもイケメンだ。トキメキと安堵が同時に胸に宿る。
「海が荒れてたろう?酔わなかったか?」
気遣う言葉は相変わらず優しかった。嬉しくて思わず顔がほころぶ。
「大丈夫よ。迎えに来てくれてありがとう。アルフレート陛下から聞いてたの?」
「ああ。エルンストが、今日は王宮に連れて帰っていいって許可してくれた。車を回してあるから、行こう。」
唯一の荷物であるブリーフケースを脇に抱え、シルビアの肩を抱いた王子が友人を振り返る。
「守ってくれてありがとうな、フローリアン。」
「・・・閣下はお前の事『サッシャ』と呼ぶんだな。」
漁師の青年が感じ入る様にしみじみと呟いた。
「ああ。だって、シルビアは俺の家族だから。」
さっと身を引いたフローリアンは会釈をして、大統領に頭を下げる。
「お気をつけて、大統領閣下。」
「お世話になりましたね。これからも王子の事よろしく、フローリアン。」
ガードマンの運転する車に乗って去っていった夫婦を見送っていると、背後に船から降りてきた彼の父親が寄ってきた。
「なんかお偉いさんには見えないような、普通の娘っ子だったな。」
「んー。・・・でも、カイが『サッシャ』と呼ばせているんだから本気なんだろ。ちょっかいかけなくてよかったわ。」
「お前、人妻の大統領に粉かける気だったのか。呆れた女好きだな。」
「思ってたよりちょっと可愛かったから。それにあのカイ王子が惚れ込んだ女なんて、興味出ちゃうだろ。」
「やれやれ、俺も陛下みたいにそろそろ嫁の顔を見て安心したいんだがねぇ。」
漁協の代表として海上警備隊にも属しているフローリアンの父親は、中々身を固めようとしない長男に呆れている。
王宮に着くなり、王子は車からシルビアを引っ張り出す。
「ちょ、ちょっと待って。ライフジャケットはずしてから」
「そんなのいいから、早く降りて。」
「なんで怒ってるのよぉっ」
カイ王子は、車内で一言も口をきいてくれなかった。運転手がいる手前、何も言えなかったシルビアは不安でいっぱいだ。
港の桟橋では機嫌よく迎えてくれたのに、車に乗り込んだ途端にむっつりと黙った若い夫はこちらを見ようともしない。仕方がないのでシルビアも黙っていたのだが、本当はなんで怒っているのか追及したくてたまらなかった。
「ゲストの部屋、使う。用意できてるよな。」
パンを焼くのが趣味の老執事に、早口で言うと、執事が黙って頷いた。
玄関を抜けエントランスから速足で引っ張られて行く。
「王子、王子ってば!サッシャ!速いわよ、待って。」
客を滞在させるための部屋は、以前にも使ったことが有る。ちょっとしたホテルみたいな室内へ入ると、カイ王子は後ろ手でドアを閉めた。
余りの早足に、シルビアの息が切れてしまった。肩で呼吸する彼女を、カイ王子がぐっと抱き寄せる。
「なっ・・・」
「フローリアンに何されてんだよ。あいつ俺よりも遊んでるんだぞ、簡単に触られるなんて情けないぜ大統領閣下。」
シルビアの茶色の髪に顔を埋めて、囁くように言う。
その声は怒りを堪えているかのようにしゃがれていて、その事に少し狼狽した。そして、やっぱりそうか、と納得もしたのだ。
「潮の匂いがする・・・、くそ、なんか悔しい、納得いかねぇ。船ン中でもずっとくっついてたんだろ。」
「し、仕方無いでしょ、波が高くて立ってられなかったんだから。」
「陛下から連絡を貰った時には、自分に船舶免許がない事を心底呪ったね。今年中に絶対取ってやる。」
「サッシャ王子・・・」
「ああ、もう。やきもちなんざ妬いたの初めてだよ。こんな嫌な気持ちなんだな、嫉妬するって・・・本当、情けねぇ」
王子の目の前で他の男に抱っこされて船を下りるなんて、マズイと思ったのだ。それは、理屈でも何でもなく、直感的にそう感じた。けれども、フローリアンは放してくれなかったのだ。船の中でも何度か、大丈夫だから放せと頼んだのだが、危険だからの一言で切り捨てられた。ひょっとしたらフローリアンはわざと王子の目の前でそうしたのかもしれない。
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