番外編 大統領と王子のやばい生活
ブリーフケース一つを手に、ボートから警備隊の船へ乗り移る。波が高くて揺れが怖かったが、迎えの船の方から手を伸ばしてくれたのでどうにか上がれた。
「お帰りなさいませ、大統領閣下。」
一際大きな手が、シルビアの腰を掴む。滑り落ちないように。
「ありがとう、ただいま。貴方は、漁協の人かしら?」
「はい。フローリアン・レーナーと申します。」
甲板まで登ったシルビアは、漁協の大きな青年に支えられながらもう一度軍艦の方へ身体を向ける。
離れていくボートに両手を振りながら感謝を述べた。
「・・・っつ、痛い、舌噛んだ。」
揺れがダイレクトに身体に伝わる。空母のような大きな船では微塵も感じなかった荒れた海の様子が、肌で感じられた。
凄まじいスピードで遠ざかっていく軍艦を見送ってから、その場に腰を下ろす。激しい海風が顔面に吹き付けて、目を開けているのも辛い。
空は晴れているが、雲の流れがとても速い。
「閣下、どうぞ中へ。小さなキャビンですが、風はしのげます。」
「そうね、そうしましょう。ありがとう、レーナー君。」
「フローリアンで結構です。」
そう言うと、彼は手にしていたブリーフケースを持ち、もう片方の手でシルビアの腰を支えながら歩き出す。
よく日に焼けた、大柄な青年だ。年頃はカイ王子と変わらないくらいだろうか。立派な体格に思わず見とれてしまった。
カイ王子も決して華奢ではないが、どちらかと言えば細いほうだ。
「親父、閣下は無事だ。無線で王家の方へ連絡を頼む。」
警備隊の船を操縦しているのは、青年と同じくらい日焼けした壮年の男だ。黒髪の半分は白くなっている。シルビアみたいな細い眼は真っ青だった。
「閣下、よくぞご無事で。すぐに陸地へお送りいたしますのでしばしの御辛抱を。」
心強い言葉に頷く。
ふと、気付いた。いつまで自分は青年に腰を抱えられているのだろう。
「ありがとう、君。もう大丈夫だから放して。」
フローリアンを見上げてそう言うと、彼は首を横に振った。
「今日は高波です。危ないから到着するまでこのままお支え致します。お嫌かもしれませんが、今しばらくお許しください。」
「いやじゃないけども、大丈夫よ?あたしだって船には慣れているわ。」
「通常、この天候では船舶は海へ出ません。普段の船とは違いますから。」
頑なに譲らないので、面倒くさくなったシルビアは黙って言うままに腰を抱かれてキャビンに座っていた。
「俺、カイ王子の幼馴染なんです。閣下のお話も時々伺っていますよ。」
「あらまあ、そうなの。世話をかけているわね。」
狭いベンチに身を縮めるようにくっついて座る。キャビンが小さいのでどうしてもそうなってしまうのだ。
フローリアンの大きな腕の中に収まってしまうシルビアは随分と小柄に思える。メディアで目にする大統領は、とてもそんな風に思えないほど堂々としているが、実際に目にするとこんなものなのだ。
船旅で乱れた茶色の髪をしきりに気にして何度も直している。ベージュのスーツの上に黄色のライフジャケットを付けた彼女は細い眼を一層細くして笑った。
海面を反射する光を映す緑の瞳が細くなる度に、なんだか温かい気持ちになる。痩せた体に添えた手に力を込めた。
「なんだか、その言い方王子の姉か母親のようだ。」
「そうね。保護者みたいなもんだと思ってるわ。」
「とても仲がいいそうで。」
「喧嘩する程会わないもの。」
そう言って笑った瞬間、船が大きく揺れる。キャビンのベンチからシルビアが滑り落ちた。
彼女を抱えるようにしながら、フローリアンが彼女の身体を支え、転倒しないようにしっかりと固定する。
一瞬だけどきりとする。王子と同世代の異性がこんなに近くに寄ることなど滅多に無いシルビアは、わけもなく高鳴ってしまった胸をなでおろした。
「大丈夫ですか?」
「ええ。大丈夫よ。ありがとうフローリアン、さすがに漁師は立派な体格だわね。頼りになるわ。」
照れを隠すようにわざと口数を増やす。
まるでそれを見抜いたかのように、フローリアンが大らかに笑った。
「閣下もこうして近くで見ると普通の可愛い女性なんですね。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。取って食いやしません。ここじゃ危ないですし。」
「・・・あら、緊張してたかしら。」
お世辞でも可愛い等と言われると意識してしまう。まったく、王子も王子ならその友人も友人だ。天然のタラシと来た。
なんとなくマズイと思えてフローリアンから離れようと身を捩るが、こんな大柄な男に押さえつけられていては身動きできない。
キャビンのすぐ前方に面している操縦席に、彼の父親がいるが、こちらを向く気配もない。
「そんなに警戒しなくても大丈夫。俺は何もしませんよ、ただ閣下の身を守るだけです。今日はかなり揺れますから。」
「警戒なんて」
しているが、そうと悟られるのは嫌だった。まるで自意識過剰な女みたいだ。
王子の友人を意識するなんておかしな話だ。弟みたいなものじゃないか。なんどもそう自分にそう言い聞かせ、自分の年の離れた弟達を思い浮かべる。
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