番外編 大統領と王子の厳しい生活

 その翌日も、まだ波は高いままで船便の欠航が疑われていた。

 早朝からチェックアウトを済ませて船に乗る準備をしていたシルビアとエルンスト、それに御付きのガードマンは、船舶会社からの連絡を首を長くして待っている。

 大西洋を横断しようとかそういう無茶を言っているのではない。欧州の西端の港からシルビアの小さな国までの距離は、地中海の欧州と北アフリカを行き来するのと変わらない距離だった。ただ、内海と外海という差が大きいのだ。

 ホテルの支配人がエルンストの元へ電話の受話器を持って歩み寄くのが見えた。やはり船は出ないのだろうか。

 無意識に腕を組んだまま立ち上がり、ホテルのロビーをうろうろと歩き回るシルビア。彼女にしては珍しく、少々苛立っているようだった。

 ロビーには他の客の姿はない。早朝過ぎるためだろう、人気がなかった。

 雨はやんでいるがまだ風は強いようだ。ホテルの庭の木々が激しく動いている。エントランスへ続くタクシープールに、巨大な軍用車が入ってきたのが見えた。

 思わず、緑色の瞳が見開く。ホテルの庭に軍用車など場違い感甚だしい。こんな天気でなければ美しく手入れされた花壇が見える庭先に迷彩色をカラーリングされた巨大な軍用車が入ってくるなど、テロか巨大災害でも起こったのかと思ってしまう。

 ホテルの従業員たちもシルビアと同じように考えたのだろう、ドアボーイや、フロントの従業員が顔色を変えている。口に出さないのは躾の行き届いている証拠か。

 特殊ナンバーを張り付けた車体から、制服姿の男が二人下りてきて、エントランスへ入って来る。

 肩や首の辺りがキラキラしている所を見ると、勲章がいっぱいついているのだろう、階級の高い軍人だ。制服の種類で、海軍だとわかる。

 残念ながらシルビアの国家には軍隊が存在しない。海の秩序は漁協組合出資の海上警備隊がいるだけである。大きい国は違うな、と羨望の眼差しで見てしまった。

 フロントにいる補佐官と支配人の元へ歩み寄った彼らは、ふとシルビアの方を見た。エルンストもこちらを見ている。

「シルビア。貴方一人でしたら、軍艦に乗せて送って下さると。」

「へっ!?あたし!?」

「早く王子に会いたいのでしょう?これでまた一日潰れたらさらに仕事が溜まる。貴方だけでも一足お先に帰国なさい。アルフレート陛下の方へ繋ぎをつけて警備隊で迎えてもらえるよう手を打ちます。」

「えっ・・・で、でも」

 補佐官の指示に、狼狽の余り上手く返答できない。

 確かにシルビアの国が小さいとは言え大統領だ。場合によっては彼女のために異国の軍が動くこともあろう。

 しかし、それは余程の非常時のことだ。通常、大使館さえ置いていない国の大統領をそこまで大切に扱う事はない。

「無理して席を空けて頂きましたので、貴方一人です。我々はご一緒できません。でも、空母の中でこちらの方々の庇護のもと、危険など有り得ないでしょう。お一人でも帰れますね?」

 二人の海軍の男性は優雅に帽子を取って敬礼した。

「お任せください。必ず大統領閣下を無事にお連れ致します。」




 我が従兄弟ながら末恐ろしいというか底知れないと言うか、とにかく驚いた。一体どんなコネを持っていればよその国の海軍大佐クラスを動かせるのだろうか。

 極秘任務中なので艦名は伏せてくれと言われたので、特に問うつもりはない。ないが、恐らくは名前を聞けば自分も知っているような有名で大きな船であることはわかる。

 高い波が寄せてもさほど揺れを感じることがない。まして艦長室に滞在させてもらっていればなおさらだ。

「閣下、まもなく海域を離脱します。ボートを下ろしますので、警備隊に拾ってもらってください。」

「は、はい。」

「お気をつけて。」

「あの、エルンストとは一体」

「昔の知り合いです。さあ、早く降りないと、離脱してしまいますから。」

 補佐官よりもやや年かさに見える軍服姿の御仁は、にこやかにそう言った。それ以上の追及はするな、と言外に滲ませて。

 若い水兵たちがシルビアの手を取り、ボートへ促す。

「あのっありがとうございました!」

 甲板へ下りていく大統領に、艦長室から手を振ってくれた。

 若いセーラー服姿にどぎまぎしながらも、どうにかボートに乗り移ったシルビアは、もう一度巨大な軍艦を振り返る。もはや、艦長室など見えない。

 海の方へ眼を向けると、もうすぐそばまで自国の警備隊の船が迎えに来ていた。


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