番外編 大統領と王子の甘い生活
いつものことながら天気がいい。今日も素晴らしい快晴に恵まれ、いたくご機嫌なカイ王子は甲板に寝そべって青い空を見上げた。
王子が乗っているのだからさぞや豪勢な客船かクルーザーかと思いきや、規則正しいエンジン音の聞こえるそれは、やや大きめの漁船である。
「カーイ、かかってるぞ!」
「お、いけね。」
船主の声に慌てて飛び起きた彼が、船縁に固定してある釣り竿に目を移す。
「ひいてる。逃げられるんなよ。」
「おー、やったるぜ。」
竿を手元に持って来て糸を回しつつ、いなす。中々に重いので、大物かもしれないと期待に胸を膨らませる。
穏やかとは言え、波に揺られながら重い竿を固定するのは力仕事だ。王子の秀でた額に汗が光り、腕に欠陥が浮き出た。
「取り込み用意しておくから、気張れよ、王子様。」
そう言って日に焼けた顔でにやりと笑う。王子よりも頭一つ分背が高く、筋骨隆々と言っていい身体は汚れた作業服に包まれていた。王子のようなイケメンとは違うが、男性的で精悍な容貌は、商店街の小母ちゃん達に王子よりも好かれるタイプだろう。
フローリアンはこの船のオーナーであり、数少ないカイ王子の友人だ。この道10年の漁師でもある。
「がああっ、駄目だ、切られたっ」
反動で床に腰を落とした王子が悔し気に竿を叩く。
滑る床に足を取られつつもしっかりと踏ん張り、最後まで辛抱したのだが釣り糸の方が先にヘタってしまったらしい。
「・・・残念だな。」
言葉ほど気落ちした様子を見せない漁師が、竿の糸を回収する。
汗に濡れた額を拭ったカイ王子は、歯を食いしばって空を仰いだ。
「うーん・・・、シルビアに美味い魚食わせてやりたかったのに。」
「まあまあ。俺が獲ったので良ければ持って行けよ。今朝水揚げしたばかりだから、十分美味いぜ?」
「俺の手で釣り上げたかったの。今夜視察から帰って来るって言うから、久しぶりに手料理の一つもだな・・・。」
「大統領閣下は今夜の便で戻られるのか。」
「その予定だけど」
友人が険しい顔で水平線の方を睨んでいる。
「・・・今夜あたりから、海は荒れるぞ。もしかしたら船は欠航になるかもしれん。」
波も静かに凪いでいる現在の状態からはとても予想がつかない言葉に、カイ王子が眉根を寄せる。
「えー?マジかよ。お前が言うのって天気予報より正確だからな。・・・もう丸一週間戻ってこないんだぜ。いー加減待ちくたびれたよ俺は。」
「仲がいいんだな。羨ましい。俺はテレビとかで見るだけだからよく知らんが、優しそうな女性だよな。」
皮肉とも思えない、本気の口調で言う船主の言葉に、カイ王子は少し照れたように笑う。
「お前も早く嫁を貰えばいいだろ。実は俺よりモテるの、知ってんぞ。」
そんな友人を、漁師のフローリアンは微笑ましく思っていた。
フローリアン・レーナーの家は代々の漁師で、王室とも所縁の深い家系だ。漁協の組合長も何度か務め、水産物を王室に献上する家柄でもあった。陸へ水揚げされたものは魚介ばかりではなく、時には遭難者であったりあやしい器物だったりと様々なのだが、あらゆる海のトラブルを王室へ相談する窓口の役目を果たしている。
そのため、王子とも長い付き合いで、留学先から戻ってくればまず親よりもフローリアンと顔を合わせるような仲だった。
海外へ視察へ出かけた大統領閣下は、年下の夫に手料理のリクエストをして旅立って行った。彼女を驚かせてやりたいと思って友人に船を出してくれるよう頼んだのはいいが、そう簡単に夕食のおかずは釣れてくれない。釣果ゼロという情けない結果で密かに落ち込んだ。
海に囲まれた小さなこの島国では王族と言えども、船とは無関係で生きていけない。王子は慣れた様子で漁港に帰ってきた友人の船から陸地へと跳び下りた。
それを黒服のガードマンが出迎える。ライフジャケットを脱いで友人に手渡し、ガードマンに軽く手を上げた王子は、ゆっくりと近くの市場へ足を向けた。
「殿下、ほら。」
まだ船の上にいる友人が、桟橋に乗せた白い発泡スチロールの箱を顎で示した。
「おおう、サンキュー、フローリアン。」
軽く礼を述べた王子に、漁師の男はやはり軽く手を振って応じる。
新鮮な魚を友人から譲ってもらったカイ・サッシャ・シャッヘンベルグ王子は、借りた竿を片付けつつ魚市場の様子をぼんやりと眺めた。規模の小さな市場とは言え、昼近いこの時間になっても活気がある。それに少し安心しつつ小さく息をついた。その様子を伝えてやりたい相手は今いないのだ。
日中は携帯を秘書に預けっぱなしにしているシルビアなので、夜しか彼女とは連絡が取れない。
視界の端に、男っぷりの良い漁師の友人を見ながら再び空を見上げる。異国の地にいる彼女の空とつながっていることを祈って。
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