第33話

 白いオープンカーは王宮の裏門から入った。

 二人きりで挙式した後に親しい人間の祝福を受け、白い車でその場を去る。まるでどこかの典型的な新婚さんみたいで気恥ずかしいけれども、これも王子が考えてくれた演出なのだろう。照れることなく受け入れるべきだ。彼は、式が挙げられなかったことをとても負い目のように感じていたようだったから。

 ドレスの裾を両手でたくし上げて車から降りると、王子がそっと手を差し伸べた。

「覚悟はいいかな、花嫁さん。」

「・・・どういう意味ですか。」

 カイ王子の部屋に入るのに覚悟が必要と言うのはどういう意味なのだろうか。アデラ王女の言っていたこともなんだか気になる。助かるとか、見込んだとか、どういう意味なのだろうか。

 広いエントランスは以前にも来たことが有る。パンを焼くのが趣味だという執事の姿が見えた。

 それを通り過ぎ、滞在した客室の廊下を過ぎ、さらに廊下を奥へと歩いていくと、重厚な扉が正面に座している空間へ出た。これは、初めて見る場所だ。

 思わずカイ王子の顔を見上げると、彼は上着のポケットから携帯を取り出して操作する。

 低い音を立てて重厚な扉がゆっくりと奥へ開いた。緻密な彫刻が施されたそれは、音から察するに見かけほど重いものでは無いようだ。

「ここ、入ったことない。」

「ここからは王室のプライベート空間だからな。」

 大理石に見える巨大な柱を繋ぐ白い壁、その一定間隔に並ぶドアには、入り口にあった重厚な扉の彫刻に似た刻印が見える。

 カイ王子が歩く音が、広い廊下に響いた。

 豪華な内装と思える王室の空間は、とても静かで、ひどく殺風景に見えた。

 シルビアが滞在した方の王宮の方がもっと装飾が賑やかだ。まるで、こちらに人気がないみたいに思える。それについて尋ねようと思ったシルビアは、王子が一つのドアの前で足を止めたことに気付く。

 カイ王子は携帯の画面をドアの刻印部分にかざした。

 開錠される鈍い音が聞こえて、僅かにドアが揺れる。

「・・・どうぞ。」

 右手で示されたドアの向こうへ、シルビアは恐る恐る足を踏み入れた。

 暗かった室内が、少しずつ点灯していく照明に照らされ、その様子が目に入る。そして、彼女の緑色の眼が大きく見開かれた。

 部屋そのものは結構な広さだろうに、足の踏み場が見つからない。床の上に積み上げられている多くの段ボールの箱には、アマ〇ンの文字が印刷されたものがほとんどだ。どうにか場所を見つけて踏み出した足元に、水色の絨毯の色を見つけ、床の色をはじめて認識する。テラスへ通じていると思われる大きな窓が、半分以上箱で覆われ明かりが取れていない。

 呆れ顔で振り返ったシルビアから目を泳がせている王子は、後ろ手で静かにドアを閉めた。

 どんなに散らかっていても自分の部屋だからか迷いなく進んだ彼が、奥の方のクローゼットを開いて婚礼衣装を着替え始める。その素速い事に少し驚いた。

 彼の方へ少しずつ歩み寄ろうとするが、慣れないヒールやウェディングドレスに気を使って中々進めないでいると、あっという間に白いシャツとダメージジーンズに着替えた王子が、寄ってくる。

「そんな顔するだろうって思ってはいたんだけどね。」

 珍しくも決まり悪そうにしているカイ王子が、進むのをためらうシルビアの手を引いた。

「メイドさんとかいたじゃない。片付けしてくれないの?」

「執事もメイドも表用。王家が雇っているわけじゃないよ。彼らはあくまで来客や行事のためにいる存在なの。公務員なのさ。俺らは王室とは言っても名ばかりでね、実際は普通の家と生活水準は変わらないの。ただ、外交面であんまりにも庶民的じゃマズイからそれっぽく見せてるだけで、実際はエンダース家とそれほど違わないんだよ。」

「え・・・?]

 シルビアはなんとも言えない表情でカイ王子を見る。

 幼い頃から、はたまた成長した後にも、家の窓から工場の窓から見える立派な王宮の姿は、国内唯一の資産家である象徴とも言えたのだ。幼心には白馬の王子様やお姫様に憧れ、成長した暁には嫉妬、あるいは羨望の対象として、遠目から眺め続けた王室なのである。

 それが、実際は、シルビアの家庭と変わらない、と言われ、狼狽した。 

「この実態はほとんど知られてない。これ、発表したら俺んとこなんか誰も嫁に来ないんじゃないかな。」

 カイ王子が自嘲するように笑って続けた。

「鉱山の利益で凄く儲けてるって思われているけど、実際の所を言うとね、鉱山の利益を得るようになったからこそ、王室の財政は苦しくなった。・・・確かにレアメタルは輸出用の資源として大きな収入になるけど、それ以上に経費が掛かるんだ。経費が掛かる理由の一つは、採掘後精製して工業用に利用できるようにしなくてはならないこと。そして、もう一つはこれを狙うハイエナから身を守ることに莫大な資金がかかる。」

 そろそろと狭苦しい部屋の奥へ進み、段ボールの山で見えなかった彼の書斎と思われる場所に辿り着く。

 ノートPCが二台とファイルの山が置かれたシステムデスクの周囲は、本棚が圧迫するように配置されていて、今にも倒れてきそうだった。

 カイ王子が見る?と一冊のファイルを手に取ってシルビアに手渡す。

 それを開いたシルビアは数字の羅列を目と指先で追いながら、王子の口にすることが事実であると理解する。

 財務白書と銘打った内容を読めば読むほど、王室の会計状況が悪化の一途を辿っているのがわかった。鉱山を発見する以前の方が、王室ははるかに豊かだっただろう。税収入と鉱山からの利益は、経費の殆どでなくなってしまっている。

「案外高く売れるもんだから、盗掘のために不法侵入する犯罪が増えるし、王室内でも独占を望んで無茶をする奴が出るしで、安全管理の費用は跳ね上がる。それほどに高価で取引されるのか、と言えばそうなんだけども、最近はリサイクルも進んでいるので以前ほどの需要も高くなくなってきた。王室に鉱山の権利を半分残してもらったのは、むしろこれから鉱山を管理する民間への手本とするためだ。それに、いずれにせよ地下資源は枯渇する時が来る。その時新たな産業をこの小さな国にどうやって呼び込むのか考えてもらいたかった。」

 デスクの前にある椅子に腰を下ろした彼は、低く小さな息をついた。

 そして、肘をつき、軽く髪をかき上げる。

「こんなにも逼迫した状態だっつーのに、姉上はあの通りの浪費家だし。しかも、犯罪心理学を学びたいからとか言って国に帰ってこないし。母親も元はいいとこのお嬢だもんだから、まったく理解しやがんねぇし。親父はとっとと死んじまうし。・・・アルフレート陛下と俺が、どうにか無い知恵を振り絞ってやっていってる。俺も昔は王子なのになんでこんな面倒な事せにゃならんのだーって反抗した時期もあったんだけど、あんたも同じだったろ。」

 シルビアがファイルから顔を上げる。

「あんただってなんで自分がこんなことって思ってただろ?なあ大統領閣下。」

「今も思ってるけど。」

「だよな?」

 なんとも情けない顔で笑うカイ王子は、それでもやっぱりイケメンだった。

 シルビアは、鉱山の発見後に育てられたカイ王子だから、さぞや贅沢をして成長しているのだろうと勝手に想像していた。

 しかし、実態はむしろ逆で、王室の財務状況が厳しくなってから養育された王子は、その飄々とした見た目とは裏腹に、とてもつもなく苦労性だったらしい。

 なんだ。

 王子だけれど、彼はシルビアと同じだった。

 不本意な自分の立場に反発したくても出来ないまま、なんだかんだ受け入れてきた。もう、それでいいや、と思って。逆らうのも面倒で、逃げることも出来なくて。

 雲の上の人だと考えていたのが、おかしく思える。シルビアと王子は、実は案外似ているのではないか。

「・・・でも、いっぱい女の子泣かせてきたのは違うと思うわ。」

「泣かせてねーし!向こうから勝手に寄ってきただけだし。俺がそんなに条件のいい王子じゃないってわかると大概の女は離れていったよ。懲りずに執着したのは、あのエヴェリーン・オックスって女だけだ。あの女だって、この実態を知れば絶対に裸足で逃げ出すに決まってる!何度か説明したんだが納得しなかったんだよ。」

 王子が、彼女のファイルを持つ手を掴んで引く。

 膝の上に座らせて、腰に手を回しシルビアのウエストの上で両手を組む。  

「過去の事はかんべんしてよ奥さん。・・・二度と、他の女になんか手出ししないからさ。」

「・・・あたしは逃げ出さないって思った?」

「うん。あんたは俺を引き受けてくれるって約束したもん。あんたは約束破らない。」

 そう言って懐くようにシルビアの髪に頬ずりする。

 まあ、正直騙された感はある。

 王子だと言われれば、金持ちでいいとこの坊ちゃまであるに決まっている、という偏見は間違いなくあったからだ。

 帳簿やら財務白書やらをちらっと覗いただけでも、アルフレート陛下とカイ王子がお金の工面にも苦労していたことを察することが出来た。税収入の大部分を王室が持って行ってしまっているにも関わらずである。

 大統領であるシルビアは、これからはそんな王室の面倒も見ていかなくてはならないのだ。

 どうしてシルビアとの結婚を王室が望んでいたのか今日こそわかった。そうでもしなくては、王室は立ち行かなくなる。新政府からの援助を受けなければ、とてもじゃないが王室は、その面目を保つことは難しい。

 だが、王子は言ったではないか。

 王室の独身の男ならば誰でも良かったのに、カイ王子は自ら望んだのだと。シルビアと結婚したいのは、彼の意志だと。

「サッシャ王子、あたしのこと好き?」

「好きだよ。そう言っただろ?シルビアのこと愛してる。だから絶対俺と結婚出来るようにって陛下に頼んだ。」

 躊躇いのない答えに、満足だ。

 ヒモ志望の王子であろうと、構わない。全部まとめて面倒見てしまおう。

 とりあえずこの部屋の片付けもやらなくては。勿論、王子にも手伝わせ、これからは自分でやる様に指導してやる。

「王子、この部屋せっかく広いのにこれじゃ台無しだわ。掃除しましょう?あたし手伝うから。これじゃ何がどこにあるのかさっぱりわからないわ。」

「大丈夫大丈夫。俺自身はちゃんとわかってる。」

「片付けない奴は大抵そう言うのよ!駄目でしょう。」

「大丈夫だってば。」

 王子は立ち上がると同時にそのままシルビアを抱き上げる。

「ちゃんとベッドまで運んでやるから。・・・な?今日はいっぱいしてもいいだろ。あー、ウェディングドレス着た奥さんとスるのって興奮するなぁ。」

「ばっ・・・!AVみたいなこと言わないでよっ!」

「へぇ、シルビアAV見るんだ。意外。ねぇ、どんなのが好き?」

「見ないわよっ!そうじゃなくって・・・!ねぇ、ちょっとおろして、先に片付けを」

 にやにやと笑って段ボールの道を進んでいく王子に、赤くなったシルビアが反論する。

 抱き上げられた彼女が暴れたので、箱の山が一つ崩れた。そのせいかはわからないが、元来た道に引き返せなくなる。

「オフの時くらいお片付けなんてやめようぜ。な、閣下。」

 それ以上大統領閣下が暴れないよう、キスで口を封じてしまう。

 シルビアは、やっぱり王子のキスには弱い。腕の中では反抗して拒絶することも出来ない。

 まだ日も高いのに、とか。せっかくのドレスが駄目になる、とか。さっきはあんなに抵抗したのに、とか。色々考えることも出来なくなる。

 そう思いながらも、考えられなくなることが心地いい。

 たった今知った王室の内情の事とか、鉱山のこれからのこととか、色々考えを回らせなくていいのだ。

 ただただカイ王子に癒して貰ってもいい時間がやってくる。

 今日の式に駆け付けてくれた親しい人たちの顔が一瞬頭に浮かんでは、消えた。

 明日からはまた、頑張るから。王子が働かなくても済むように。みんなの期待に応えられるように。バルト小父様の分までしっかりはげむから。

 ブスにならないよう、今だけは、休ませてください。

 入室した時には一体どこにあるのか見当もつかなかった大きなベッドに下ろされ、隣に身体を横たえる王子の身体に身を凭せ掛ける。

 顔中にキスを落として、ゆっくりとドレスを脱がせる彼に小さく呟いた。

「休みの日は、この部屋を片付けましょうね。」

 カイ王子はそれには答えず、再びシルビアの口にキスをする。





 シルビア・エンダースはその後二回大統領選で当選したが、出産と育児のため、二度目の任期の途中で辞職した。

 やがてその二年後再び再選を果たし、夫であるカイ王子が率先して子供の世話をしてくれたと評判になったらしい。

 シルビアの父であるディーター・エンダースが故郷へ戻って来た後も、シルビアはそのまま政治畑で活躍し、弟のカシミールに代替わりするまで第一線で働き続けた。

 王子は生涯特定の仕事に就くことなく、妻に献身した若い夫としてさらに有名になった。

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