第32話



  高らかに教会の鐘が鳴り響いた。

 小さな聖堂でシルビアとカイ王子が神の前で永遠の愛を誓う。傍でそれを見届けるのはこの教会の年老いた神父のみだった。

 いつもと違う、軽いキスを新婦の唇に落とした新郎はエスコートしながらゆっくりと聖堂の外へ出る。

 午後の陽光が降りしきる中開いた両開きのドアの向こうには、礼服を着た親しい人たちの姿があった。

「おめでとう、シルビア。王子様!」

「おめでとう!大統領閣下!」

 白いベールの下で緑の目を瞠った新婦が周囲を何度も見回す。

 ライスシャワーと花びらの吹雪を受けながら二人の行き先に立っていたのは、シルビアの5人の弟妹。それに、数少ない友人アガタとハンナだ。

 アデライード王女がその向こうに立っていて、そして、しばらくぶりに見る懐かしい顔がいる。

「父さん!ディーター!!」

「母上。御祖父様。」

 大事な夫もそっちのけで、シルビアは実父の元へ駆け寄った。

「父さん、父さん・・・!」

 一年以上も会っていなかった実父が表情を綻ばせて両手を広げる。

 合衆国に行ってしまったはずではなかったのか。何故今日ここにいるのか、その理由は気になるけど、それよりなによりも、久しぶりに会えて嬉しい。

「シルビア。とっても綺麗だ。素晴らしい花嫁さんだぞ。この目で見ることは出来ないかと思っていたのに、嬉しいぞ。」

 自分と同じ茶色の髪、自分と同じ緑色の瞳。少し日に焼けただろうか、血色のいい顔でディーターは娘を優しく抱き寄せた。

 父親との抱擁を済ませると、彼の背後に立っているやたらと色っぽい年配の女性の方へ目をやる。

 オクタヴィア・ノラ・シャッヘンベルグ王妃は、カイ王子の母親だ。とても似ているので一目でわかった。艶のある長い黒髪を左肩の上に垂らしてまとめている。化粧は濃いが、元々整った顔立ちなので一層美女っぷりが引き立っていた。

 反対側には、アルフレート陛下もいた。そして、彼らの背後には、黒服のガードマンが三人立っている。

「はじめまして、オクタヴィア様。シルビア・エンダースです。」

 シルビアは改まったように姿勢を正した。父親と駆け落ちしたことは知っていたのだが、直接会うのは初めてなのである。

「はじめまして。サッシャをよろしくね。大統領閣下。」 

 義理の母となる王妃様と緊張しつつ握手を交わした。

 落ち着いた様子の王妃は、穏やかそうに微笑んでシルビアを見つめる。

「ディーターにそっくりだわ。息子たちもよく似てると思ったけど、貴方本当に似てる。」

「そうですね、よく言われます。弟妹より似てるって。」

 軽く礼をして少し下がると、次は友人と弟妹に取り囲まれた。それぞれに祝福を述べてくれるので、シルビアはそれに応えながら、横目で王子の方を見る。

 遠く離れたと思っていた父を、家に寄りつかなくなった弟妹を。そして忙しいはずの国王陛下に、王妃様まで。今日の、この僅かな時間のために呼び寄せてくれたのだろうか。

 挙式は、勿論新郎新婦二人のために行うものだけれど、それを近しい人たちに知ってもらうためのものでもある。祝福してもらうための時間でもある。

「姉さんよかったね。おめでとう。」

「よかったなシルビア。玉の輿だぞ。」

 弟妹達の声がこんなにも近く聞こえて、なんだか泣きそうだ。最近は家に返ってこない兄弟たちの声は、社交辞令には聞こえない。自分のためにわざわざ国境をまたいできてくれたのだ。一番年長のボニファーツと、一番下のビアンカの目は真っ赤になっている。

「大学を卒業したら、俺が工場を継ぐからな。心配しないでいいんだぜ。」

「俺も卒業したら姉さんの手伝いをするよ。きっとだ。エルンストの後釜は俺だからね!」

「来年になったら交換留学期間は終わる。そしたらこっちに戻って来るし。」

 心強い弟たちの言葉だった。

「だから、王子様と幸せにな。」

 にやっと笑った弟の台詞に思わず赤面する。

 白い手袋のまま、片手で拳骨を作って弟の頭をぐりぐりと小突いた。

「ナマ言ってんじゃないわよ。そんなセリフ10年早いわ。」

 小突きながらも、本当は嬉しいのだ。妹たちが、カイ王子のルックスの良さにきゃあきゃあ言っているのさえ嬉しくてくすぐったい。お義兄さまって呼んでいいですか、とかなんとか言って遠巻きにしつつじりじり近寄っていく様子が面白かった。年若い自分の夫が、それに対して訳知り顔でニコニコ笑って、勿論さ、とか応えているのが、まるでアイドルか何かのようだ。 

 父のディーターは、数年は帰国しないだろうと思っていた。亡命という名目で外国へ出た父だから、滅多な事では帰れないだろうと。

 カイ王子は、シルビアが手渡したブーケを取り合っているアガタとハンナに、魂を抜かれるような笑顔で応対している。ああいう技はどうやって身に付けているのだろうかと、つくづく感心するのだ。

 きっと手間だったろうに。お金もかかっただろうに。この場にいる全員を呼び寄せるため、随分と王子は骨を折ってくれたに違いない。だが、そんな苦労は露ほども感じさせず、そつなく客に応対する彼の姿に頭が下がる。

 馬鹿みたいに嫉妬していた自分が恥ずかしかった。

 王子の過去にどんな女性がいようとも、彼は自分のためにこんなにも尽くしてくれるではないか。

「今日、サッシャの部屋を見に来るんですってね、大統領閣下。」

 アデラ王女が気怠げに言った。

「はい。王子が許可を下さったので。」

「それは助かるわ。ついでにウチの中全部見ていくといいわよ~。」

「それは、恐れ多いことで」

「いーのいーの。サッシャが見込んだくらいだもの、閣下は相当な働き者なんでしょ。嬉しいわ~。助かっちゃう。私は貴方のお父様とうちのママを今夜の船便で連れて帰るんで。後はよろしく。」

「は、はあ・・・」

「あ、後、空港の設置、早急によろしくね。」

 付け足しみたいにとんでもない要望を言う。

「善処、します。」

 唐突にクラクションの音が聞こえた。

 教会の出口から庭先に続く歩道にいた新郎新婦は、思わずそちらの方を見る。

 白いオープンカーがそこに静かに停車し、運転席からシルビアの補佐官が降りてきた。礼服を着たエルンストが嬉しそうに微笑む。

「おめでとうございます、殿下。閣下。どうぞ、お幸せに。」

「エル・・・!ありがとう!」

 大統領は補佐官に柔らかく抱き着いて礼を述べる。

 エルンストは、軽く両手でハグしてくれて、それから軽くトントンとシルビアの肩を叩いた。

「エヴェリーン・オックスを捕らえました。任意同行で今警察署に。安心して、休暇をお楽しみください。」

「あんたの従兄弟は優秀だな、シルビア。・・・でも、もう離れろ。」

「ほら、シルビア。王子が妬きますからもう放して。」

 もう一度肩を叩いて離れるよう促す。

 実の父親よりも長いハグをした後に、シルビアはエルンストの両手を握った。

「ありがと、エル。これからも、ずっとよろしくね。貴方はあたしの家族も同然だからね。王子がなんて言ったって、ずっとずっと傍に居てね!」

 呆れたような顔の補佐官は、柔らかく彼女の手を握り返し、大きくため息をついた。

「当たり前です。貴方は私がいなくては何も出来ない方でしょう。また明日の午後にお迎えに上がりますから。ゆっくり休んで英気を養ってくださいね。・・・さ、殿下お車の方へ。」

「あいよ。ほら、行くよシルビア。」

 補佐官から引き剥がすように、新婦を車に乗せる。

 新郎新婦を乗せた白いオープンカーは、王宮への道へ入った。その姿が見えなくなるまで、エルンストも、他の招待客たちも見送っていた。

「サッシャの部屋に行きたいなんて、もの好きねぇ・・・。」

 オクタヴィア王妃の小さな呟きはディーターにだけ聞こえたが、彼はそれについて何も言わない。


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