第31話
カイ王子が目に見えて落ち込んだ。今のシルビアの台詞が相当堪えたらしい。
シルビア自身も言ってからしまったと後悔したが、もう遅い。思わず口をついて出てしまったのだ。
「あ、や、嘘だから!そんなことないから!王子は凄く上手だし、今日はちょっと気が乗らないだけなの!うん、本当に。」
慌てて弁解するが効き目はない。王子は明らかに顔色を変えたままだ。
そんなことを言うつもりはなかったのだ。王子を傷つける気は無かった。ただ、今は、王子と接するのが辛かっただけなのだ。特に、性的な意味で触れることが嫌だった。
だって、ドレスの着付けが上手いのも、キスが上手なのも、女性の扱いが手慣れているのも。
それだけたくさんの女性とつきあってきたからだろう。
そんなことはわかっていたはずだ。こんなイケメン王子が女性と遊んでいないはずがない。そういう事も含めて、彼を引き受けるつもりだった。
嫉妬と言うのはきっと、それがリアルに目に見えてくるから膨らんで大きくなる。ただ漠然と、遊び人だったのだろうな、となんとなく思うだけならば、平気だったのだ。
そういう過去があるからこそ、現在のスマートな王子が存在する。垢抜けて洗練された男前に成長しているのだと、頭では理解できる。
けれど実際に彼と関係があったと言う女性から話を聞いてしまえば、途端に湧いた嫉妬が頭ではなく感情に直結してしまった。
今日は何度も自分に言い聞かせてきたのだ。
シルビアは彼よりも5歳も年上で、大統領で、ものの分かった女性でなくてはならない。
過去に恋人が一人や二人いたことが有るくらいでいちいち臍を曲げてはいられない。大きな器であるところを見せなくてはいけないのだ。
せっかく自分のために作ってくれた時間を、楽しく過ごさなくてはいけない。余計な心配をかけて、大切な時間を無駄にしてはいけない。
そう呪文のように言い聞かせて、ここまで来たのに。
先夜、シルビアの携帯にかかってきたエヴェリーン・オックスと名乗る女の言葉が、細く高い声が、妙に思い出されて。
「カイ王子は自分とも関係があった。」
「特定の女性に入れ込むことが無いように、たくさんの女性経験を積んでいる。」
他にも色々吹き込まれたが、他の事は忘れてしまった。
あのセレブ美女と関係があった、と思うと、なんとなく引け目を感じてしまう。たくさんの女性経験を積んでいるなどと言われれば、もう裸足で逃げ出したい。
そんな王子に、一体どうやって向かっていったらいいのかわからなくなってしまう。
撃たれた場所の、その奥の方が、ぎゅっと絞られるような苦痛。その苦痛が、今までとは違う行動をさせるのだ。
だが、相手の過去を知ったからと言って、今までと同じように接することが出来ないなんて、大人ではない。
「二週間で、何があったのか知らないけど。嫌いになったのか、俺の事。」
「違う、違います。嫌いじゃないです。」
「キスするのも嫌って、そういう事だろ。」
「違うんだってば、その、うまく言えないけど、その」
「神父の前でだけしかしたくないんだろ。」
「違うってば。王子のキスは凄いよ?き・・・、気持ちいいです。それは本当。ただ」
「さっき、したくないって言った。気が乗らないって言った。」
「それは、その、言葉の綾で」
「ちょー傷ついた。ひどいシルビア。俺、女に打たれたの初めてだ。」
しつこくゴネる王子は、まるで小さな子供のようだ。
「ご、ごめんなさい。痛かったね、ごめん。」
「本当に悪いと思ってる?反省してる?」
王子が、頬に手を当てながら、じろりとこちらを見る。
とりなすように両手を振りながら頷く。
「じゃあ、言って。俺にすっげー気持ちよくしてって言って。そんで、シルビアの方から俺にキスして。」
「え、ええー!」
「王子の俺の事傷つけた。打った。世が世ながら命だって危うい所だぞ。そのくらいで許してやるんだ、寛大だろ。」
彼の言う事は間違っていない。確かに世が世なら王族を傷つけた平民の罪は重かった事だろう。
しかし、王政が廃止された今となってはそれは余りにも時代錯誤な話である。
「早く、してよ。」
「う」
「早く」
挑発するような金色の眼。黒い前髪が眉にかかって、鬱陶しそうにそれを指で払う。紅い唇は少し開いていて、綺麗な歯並びが覗いている。その口に、触れろ、と命じるのだ。
彫りの深い立体的な顔を凝視するが、やっぱり見ていられなかった。
視線を落とし俯いてしまい、どうしても、王子の言う通りには出来そうもない。
その整った顔で、どれだけの女性を口説いてきたのだろう。赤い唇は、あの金髪美女に触れたのだろうか。きっとそうに違いない。
「・・・ごめん。ちょっと、今は出来そうに、ない。」
そう言うしかなかった。
嫉妬でいっぱいになっている今のシルビアには、とてもじゃないが以前のような気持で王子に接することは出来ない。
下手に強がったり嘘をついたりすると余計に事態が悪化する。それは、先ほどの失言でよくわかった。あんなにも王子を凹ませてしまったのだ。
「折角、こんな素敵な式をセッティングしてくれたのに、ごめんなさい。嬉しいのよ、本当に嬉しいの。二週間ぶりに会えたのだって凄く嬉しいわ。・・・ただ、今はどうしても素直にそう言えない。嫌いになったりなんかしてないわ。ちゃんと、好きよ。・・・でも、だからこそ」
「シルビア?」
王子の両手がシルビアの両頬を挟む。その手が濡れる。
「どうしたの、なんで泣くの?・・・何があった?どんな小さなことでもいいから、俺に話して。」
「つ、つまんない、ことなのよ。こんなこと気にするなんて、あたし、貴方よりもずっと年上なのに、おかしいのよ。」
「うん、いいよ。おかしくても、つまんなくてもいい。教えて?」
情緒不安定な年上の妻を、そっと腕の中に抱き込む。
こんなはずではなかったのに。
喜んでもらいたかった。シルビアの喜ぶ顔が見たかった。それなのに、キスを拒まれるなんて夢にも思わなかったし、こんな風に泣かれるのも予想外だ。
「昨夜、ゆう、べ、携帯に電話がかかってきて。・・・いたずら電話とか、そういうの一切かからないようにエルが管理してくれてるから知らない人のはずはないと思って、警戒しないで出ちゃったの。そしたら、その、貴方の学友だったっていうエヴェリーン・オックスさんからで」
ぴくりとカイ王子の眉が動く。
「その、彼女が貴方と過去に恋人の関係だったとか、その、他にも、たくさんの女性と関係があったとか、そういうこと言われて。・・・そんなのしょうがないって、わかってるんだけど、わかってたんだけど、みっともないことに、動揺してしまいました。ごめんなさい、サッシャ王子が悪いわけじゃないのは、重々承知の上なのよ。王子があたしと結婚する前に誰とどんなふうに付き合おうと、あたしがどうこう言える立場なんかじゃないってわかってるんだけど・・・」
「シルビア。電話が着たことエルンストには話した?」
「え、ええ。だって、エヴェリーンさんは一応重要参考人でしょう。まだ見つかってないんだから、手掛かりになるかなって思って昨夜の内に」
「そう、よろしい。ベストな対応です。優等生だな大統領閣下。」
頭の上の方を撫でる王子は、それからその顎を彼女の頭の上に乗せる。
「エルの事だから、今頃はもうエヴェリーンの居所を掴んでるのかもしれない。だから今日ここにあんたを出してこられたのかな。」
諭すように言って聞かせるように、王子はそのままシルビアの頭の上で喋った。
「あのね、シルビア。確かに俺はあの女とも寝た事あるし、他の女とも関係したことあるよ。・・・でも、俺はあんたがいい。あんたが忘れられなかったんだって言っただろ?あんたが王室をどう思ってるかは知らないけど、多分思い描いているの様なのとは、多分違うと思うんだな。王子の俺が育ちのいいお坊ちゃまじゃないことはあんたももうわかるだろうし、王室がそのイメージで固めているようなもんじゃないってのは、いずれあんたもわかると思うよ。」
王子の顎の下で、何故かくすくすとシルビアが笑いだす。
「・・・うん、確かにサッシャ王子はイメージと違う所が多いわ。見た目はともかく、思ってたよりセレブっぽくない。お皿は洗うし、料理はするし。誘ってくれたランチはサンドイッチだったしね。」
「それでも最初のディナーくらいはそれっぽく演出しただろ?」
「衣装をアマ〇ンで注文するってのが、意外だった。」
「そうそう。安くて速くて助かってる。」
「防弾服ももしかしてアマ〇ン?」
「その上のワンピースもね。」
彼女の笑い声に合わせて、王子もまた笑って喉仏を震わせる。
やっとまともに笑ってくれた。
「もしよかったら、式の後俺の部屋に来る?」
シルビアが思わず顔を上げる。
そう言えば、王宮には何度か滞在したが、王子の私室には行った事がない。
というか、王族の私生活に関わる部分には一切立ち入らなかった。大広間も、客室も、エントランスも、全て王宮に置ける政治的かつ外交的な場所ばかりだ。
「俺、家族以外の女を部屋に入れたこと一度も無いよ。これは本当。執事も証言してくれると思う。」
その好奇心そそられる提案に、シルビアは頷いた。
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