第30話



 良く晴れて気持ちのいい日になった。ちょうど、カイ王子に初めて会った日のようだ。

 彼曰く、あの日が初対面ではないそうだが、シルビア自身がその当時の事をすっかり忘れてしまっている。だから、いきなりブスと言われ爆破事件に遭遇したあの日こそが、初対面である。

 午前中いっぱいまで仕事をし、昼過ぎから王子の寄越した迎えの車に乗った。

 ガードマンの運転する、黒塗りの高級車の中で化粧を直す。その姿をバックミラーで見たガードマンは思わずうっすら笑ってしまった。王室を守護して長いと言うベテランの彼から見れば、大統領がデートのためにメイクを直す様子が微笑ましいのだろう。悩ましくため息をつくのもまた、恋する乙女ゆえだろうか。

「どこへ向かっているの?」

 照れ隠しもあって、口を動かす。

「すぐにわかりますよ。もう間もなく到着します。」

 シルビアの問いに穏やかに答えたのも道理だ。フロントガラスに、青い色が見え隠れする。海を見下ろす教会が、その行く手に現れた。

 真昼の陽光を受けキラキラと輝く波が美しい。教会から見える海は、今の時間とても凪いでいて、穏やかだった。

 教会の庭先に駐車した車から降りようとすると、勝手にドアが開く。

 外を見上げれば、白い礼服を着たイケメン王子が立っている。二週間ぶりに見るその顔は、相も変わらず端正だ。

「早く降りろよ奥さん。準備しようぜ。」

 手を差し伸べられ、素直にその手を取ると肩に手を回される。

「サッシャ王子。久しぶりね。準備って、何?」

 今日の予定は、予め知らされていない。彼がどんなサプライズを用意しているのか気になった。

「何って、決まってんだろ。式のだよ。」

「式?」

「従兄弟の補佐官から何も聞いていないのか?」

「入念に化粧しとけとは言われたわよ。」

「・・・ああ、まあ、今日はスタイリスト呼べなかったからな。まあいいや、早く中に入って着替えてよ奥さん。」

 促されるまま教会の中へ連れて行かれる。

 場所が教会で、白い礼服の王子が出迎えてくれたとなれば、おおよそ見当はついた。

「そっか・・・結婚式してくれるのね。ありがとう、サッシャ王子。」

「喜んでくれる?」

 新婦控室と張り紙されたドアを開ける王子に、大きく頷く。

 中へ入ると、あの日に着たウェディングドレスがそのままハンガーにかけられていた。汚れも落とされている。王子がクリーニングを頼んでくれたのだろう。 

 脇机には小さなブーケが用意され、白い手袋が添えられている。

「一人じゃ着られないと思うから、俺が手伝う。こっちのケースに脱いだものを入れてってくれ。」

「殿下が手伝いを?」

 王子殿下自ら着付けをしてくれると言うのだろうか。身分の割には様々な雑務をこなす事を知っているが、まさかこんなことまで出来るとは驚きだ。

「恥かしがることはないだろ?この間俺シルビアのハダカ全部見ちゃったもん。」

「別に恥ずかしがってません。殿下に手伝いをさせるなんてなんか、悪くて。」

 スタイリストが呼べなかったから仕方がないのだろうが、それにしても王子自ら着付けを手伝うなんて、あまり聞いたことがない。

「何言っちゃってんの、俺上手いよ。母上だの姉上だののドレスさんざ着付けてきたからね、お手のもんよ?」

「そうなんだ。」

 スーツの上着を脱いでケースに入れたシルビアが苦笑いを見せる。

「・・・シルビア?もしかして疲れてるの。」

「ううん、大丈夫よ。」

「なんか変だよ。」

 感の鋭い王子が、何かを感じ取っているようだ。

「緊張しているだけよ。まさか本当に式を挙げてくれるなんて思わなかったから。」

 その言葉は嘘ではない。挙式は予想外の事だったし、緊張しているのも確かだ。その理由が彼の想像するものと違っているとしても。

「約束したじゃん。」

「そうだったわね。」

 ブラウスのボタンをはずし、スカートのホックをはずす。全く躊躇なくスーツを脱いでいく。

 促されるまま素直に行動しているのに、何故か王子は首を傾げていた。 

「なんか、あんたやっぱ変だよ。・・・なんかあったの。」

 シルビアはこんなふうに淡々と王子の前で服を脱げるような女だっただろうか。

 素直過ぎることが、逆におかしいとしか思えない。

 ストッキングと下着だけという姿になった彼女は困ったように笑う。まとめた髪を直して、首を横に振った。

 ウェディングドレスに手足を通して、着付けていく。 背中や肩、胸元を丁寧に合わせながら。左胸の辺りを直している時、一瞬だけ王子の視線が止まった。

 銃弾を受けた時の痣が生々しく残る場所に触れぬよう、そろそろと布を動かす。

 カイ王子と同様に、この痣であの日を連想するのはシルビアも同じだ。

 就任式の日の事が思い出される。防弾服を着ていたとはいえ、至近距離からの射撃を受けたのだ。衝撃と痛みの余り、シルビアはその場で昏倒した。気付いた時には病院の処置室にいて、病院長の心配そうな顔と補佐官の蒼白な顔がこちらを覗き込んでいた。   

「中々治らないね。」

 王子は敢えて明るく言いながら、ウェディングドレスの着付けを仕上げる。

「しょうがないわ。時間かかるって医師も言ってたもの。」

 三歩ほど下がって、自分が着付けた花嫁の姿を眺めた。

「上出来だ。さすが、俺。」

「ありがとうございます、殿下。」

 素直に礼を言って、軽く頭を下げたシルビアに再び彼は近寄った。

「キスしてもいい?」

 目を丸くして、唐突に言い出した王子の方を思わず振り返る。

「再会してからハグもしてないよ。」

 その言い方はどこか甘えるようで。そんな年下王子の物言いは嫌いではなかったはずだ。

「そうだったかしら。思い出せないわ。・・・でも、どうせするなら、神父の前でした方が」

 言葉が途中で途切れる。

 あのキスだ、と思った途端にシルビアの手が抵抗を示し、王子の身体を叩いた。離れようと身体を引いて動くが、王子も付いてきてしまう。

 ぴしゃりと音がしてやっとカイ王子が離れた。

 打たれた頬を片手で押さえて、悔しそうにシルビアを睨む。

「ごめんなさい、あたし」

 無意識にそうしてしまった事に自分で驚き、シルビアは慌てて謝罪した。

「どうして嫌がるの。夫が妻にキスして何がおかしい?」

「神父の前でって、言おうとしたの。」

「なんで今は駄目なのさ。どうして嫌がるの、なんで?あんなに気持ちよさそうだったのに・・・!」

 抵抗など夢にも思わなかった。

 彼女は王子のキスが大好きですぐに蕩けてしまい、立ち上がれなくなるほど陶酔してしまうはずなのに。それなのに拒まれるなんて、嘘としか思えない。

 真っ赤になったシルビアは、それ以上何も答えずに口を結ぶ。何も言うことは無い、とでもいう風に。

「シルビア、一体どうしたって言うの。たった二週間会わなかっただけで、俺の事忘れちゃったのか?就任式の前の夜に、あんなに」

「それ以上口にしないでよ!!恥ずかしい!」

 思わず言い返した彼女の反応を見て、ほんの少し、安堵する。

「と、とにかく、早く準備終えちゃいましょ。お式するんだもの。そのために時間取ってくれたんだから、行こうよ。」

「キスする時間くらいあるよ。」

「何言ってるの。嫌よ、さっさと行きましょう。」

「なんでさ!今日のシルビア、なんかおかしいよ?」

 追及され、言葉に詰まる大統領閣下。

 少しの間黙っていたが、やがて意を決したようにシルビアは口を開いた。

「したくないから。するのは、神父の前だけでいいもの。」


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