第28話

 就任式が終わった後のことだ。

 警察署に拘留されたバスティアンに会うために、シルビアは補佐官と共に夜半になってから車で王宮を出た。

 夕食を取る時間もなく着替えさえ出来ないままだ。それでもいいから、出来るだけ早く会いに行きたいと言った。

「どうしても会いたいんですか。貴方を殺そうとした男ですよ?」

 補佐官の運転をしている横顔は、いつものように平静だ。口調に不快さが滲んではいたが。

「うん・・・。まあ、そうなんだけど。」

 大統領は両手で胸を押さえる。

 生まれて初めて他人の殺意を自分で経験し、全身が凍るような思いだった。それも、あんなふうに淡々と、人を殺そうとすることが出来るのだと思うと、本当に恐ろしい。一時的な感情の昂ぶりなどで起こる事件とはまるで違う。

 彼に殺意があったのは、シルビアを憎んでいるとか嫌いだとかそんなことではなかった。むしろ好意的だったはずではないか。その優しげな表面の裏で、シルビアを邪魔な駒だと考え、排除するために平静なままで殺人を犯す。

 バスティアンに撃たれた場所はまさに心臓の部分で、普通ならばまず助かることは無かっただろう。至近距離とは言え、随分と射撃の腕がいいらしい。

 濃紺のワンピースには弾痕が穿たれていた。指を突っ込めば三本は軽くいける。演説の最中に気付いた人もいただろうに、誰も尋ねなかったのが不思議でならない。あんなに小うるさい記者がいたと言うのに。

 そして、そのワンピースの下には防弾服。

 硬い防弾服の感触が指先に触れる。服の上に、着弾の跡はしっかりと残っていた。そして、防弾服の下の肌にもはっきりとその跡が内出血という形で残っている。

 就任式の前日の晩に、カイ王子から送られた洋服は、清楚で堅そうなイメージのワンピースとその下に着こんでも違和感のない防弾服。

 就任式の前夜。二人が結ばれたあの日の夜、王子が着て欲しいと選んだものだ。

「何があるかわからないから、これを着て演壇に立って。狙撃など有り得ないように完璧な警備を敷くけれど、用心には用心を重ねて、身を守って、シルビア。」

 無事を祈るような思いで選んでくれたのだろう。

 きっと最大限、彼に考えうる防御方法は、ここまでだったのかもしれない。

「頭を狙われたらどうしようもないと思うんだけど。」

 少しだけ自嘲気味にそう答えつつも、シルビアは王子の心遣いが嬉しかった。

「確かにね。ただ、生きている人間の頭部って、意外と動くんだよ。スピーチしてる時のあんたって結構アクティブ。自分では気付かないだろうけどね。だから確実に当てることを狙うなら大概、身体ボディ。俺が思うに、生きて動いている人間の頭を撃ち抜けるって相当なプロだと思うけど、シルビアを狙うのはそういう相手じゃないはずだ。」

 確信を持った言い方だ。

 王子は犯人に心当たりが有る、どころか目星がついている。

 そう思ったら尋ねずにはいられない。

「殿下は、・・・犯人に心当たりがあるの・・・?」

 王子はその疑問には何も答えなかった。 

 何も感じさせないような、冷静な表情をその端正な顔に浮かべて。

 今思えば、あのポーカーフェイスが表していたのは、その後にバスティアンの裏切りを知るかもしれないシルビアへの同情だったのかもしれない。 

 今ならばわかる。何故王子があの時教えてくれなかったのか。

 シルビアが頼り慕う数少ない大人の一人だったバスティアン・ホイヤー。ディーターの代わりにと、父親のように可愛がってくれていた。知らないことわからないこと、なんでも、そして何度でも教えてくれたし、選挙で争った時でさえ、彼はシルビアに対してとても温厚で優しかった。まあよもやシルビアが当選するとは思いもしなかったからだろうけれど。

 選挙後も、彼はシルビアに協力的だったし、至らない大統領を支える大事な柱の一つだったのだ。

 本当は、こんなはずではなかったのだと思う。どこで間違ってしまったのか、シルビアにはわからない。どこでボタンを駆け違えてしまったのか。

 そうまで王室を排除したかった理由も、エンダース親子を葬ろうとした決意も、わからない。

「だからこそ、知らなくちゃいけないの。」

 もしかしたら嫌な事を知ることになるだろう。知りたくなかったことを知ることになるかもしれない。未熟な自分では想像も出来ないような理由かもしれない。

 王子は、シルビアがバスティアンに会いに行くと聞いて、彼に付いているガードマンを付けてくれた。

 最後まで反対したエルンストは、結局道中の車の運転をしてくれている。

 なんだかんだ言ってもシルビアの希望に沿ってくれたことに深く感謝した。



 三人の警官が立ち合い、また背後に補佐官を従えたシルビアと面会所で対面したバスティアンは、僅かに疲労の色が見えた。

 病院に運ばれてから意識を取り戻したシルビアの証言により、バスティアンの犯行が知らされ、彼の衣服の硝煙反応が調べられたのは自明の理だ。

「小父様・・・。」

 強張った顔のまま声をかけた大統領に、容疑者となったバスティアンが苦笑した。

「私を笑いに来たのかね。」

「違います。何故、こんなことをなすったのかと理由を聞きたくて。」

「ディーターも君も私の考えを理解することは不可能だよ。」

 犯罪者となってしまったバスティアンは、彼の言葉に耳を傾けようとするシルビアの声を、にべもなく拒絶する。

「・・・バスト小父様は、ずっとあたしや父さんを支えてくれた方じゃないですか。意見の相違はあったとしても、言葉を尽くして議論を戦わせるべきだった。こんなの、弁護士である叔父様らしくありません。爆破や暗殺なんて。」

「君はおめでたいよ。・・・その後ろにいる君の従兄弟の正体も知らず、ここまで来たのだろう。」

 思わず背後を振り返る。

 いつものように平然としたエルンストがそこに佇んでいるだけだ。

「エルが、なんだっていうんですか?」

「いいかねシルビア。君は現実を何も知らない。君が婚姻を結んだ王家がどんなものかも、君の夫となった王子がどんな男なのかも。いずれ私が正しかったのだと分かる時が来るだろう。」

 取り付く島もないような弁護士の言葉に、シルビアはため息をつく。

 そんな人ではなかった。

 職業柄もあり、バスティアンは相手の言葉をよく聞く人だった。どんなに拙い意見であろうとも、一度は耳を傾けてくれる。

 ちょっとダンディで、穏やかで優しい、エリート然としたバスティアン・ホイヤーは、シルビアの良き理解者だったのだ。

 けれども、今、シルビアの目の前にいる男は、違っている。

 頑なに対話を拒否し、聞く耳を持たない。

 シルビアは、悲しかった。さびしかった。

「小父様、貴方があたしや父の事をどう思っていたのかはもう問いません。こんなことになった理由も。・・・でも、貴方はあたしにとても優しかった。何度も貴方には助けられたし、迷った時には正しい道を教えてもらった。ありがとうございました。その恩返しが出来ないことがとても残念です。」

 シルビアの知っているバスティアンだったら、わけを話してくれる。きっとシルビアにも理解できる理由を言ってくれると思っていた。少しは期待していた。

 だが、減刑を求めて何かを言い募ることもせず、大統領の言葉にも答えてくれなかったバスティアンは、警官に連れ去られて行く。

 容疑者のいなくなった小さな面談室で、シルビアは少しだけ泣いた。



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