第25話
シルビアはその音に反応し、思わず手を動かした。
「時間切れのようだね。」
バスティアンが引き金を引く。余り大きくはない発射音と同時に、シルビアはその場に倒れた。無意識だったのだろう、両手が胸を押さえている。悲鳴さえ洩れなかった。
その彼女から、副大統領を拝命予定だったバスティアンは、床にうつ伏せに横たわった彼女に近寄ろうとした。
次の瞬間には、控室のガラス窓が盛大に破壊され、甲高い音が響き渡る。
その向こうから現れた若い女が姿を見せた。
「・・・!本当に殺っちゃったの!?」
床に倒れている大統領の姿を見て、彼女は思わず叫ぶ。
「声が大きいぞ、黙れ!」
エヴェリーン・オックスが両手で口元を押さえる。大統領を訪ねて来た時とは打って変わった地味なスーツ姿になった彼女が外から中へ入ってきた。彼女の背後には、ハンマーを手にした背の高い男が立っていた。窓を割ったのはあの男だろう。
「仕方がなかった。生死の確認をする時間がもう無い。すぐに着替えを、上着だけでいい。急いで逃げろ。足がつかないようにな。」
「わかってるわよ!」
計画では、エヴェリーン本人がわざわざここへ足を運ぶ必要はなかった。彼女が連れている男が控室を破壊して大統領を襲った風を装えばいい。外部から破壊した形跡が必要だから手間をかけて頼んだまでだ。
外部から見知らぬ暴漢に襲われ、大統領は命を落とし、その後を副大統領であるバスティアンが継ぐ。最初は一時的な処置だが、後日に再度選挙を行ってもいい。そのときには必ず彼は当選する自信がある。
エヴェリーン本人がここに来たがったのは、もう一度大統領の姿を見たかったからだという。恋敵が、余程気になるらしい。
騒ぎを聞きつけたのか廊下側のドアがけたたましく叩かれた。鍵をかけているのですぐには開けない。開けるまでは警備員が入ってこないが、大した時間は稼げない。
大声で助けを呼ぶバスティアンは、テーブルや椅子を派手に倒した。倒した椅子の傍らにうつ伏せに倒れ、銃を手放し上着を脱ぐ。
エヴェリーンは脱いだバスティアンの上着に銃を包んで再び窓から走り出て行った。男と彼女がその場から消えたと同時に、警備員がドアを蹴破る。
「どうしました!副大統領!・・・!!大統領閣下・・・!」
「シルビア!!」
補佐官も同時に入室してきて、倒れているシルビアに駆け寄った。
警備員は、同じく床に倒れているバスティアンに駆け寄り安否を尋ねる。
「すぐに救急車を・・・!閣下が、撃たれました!」
「閣下が!?一体誰に!?」
細かなガラス片をそっと払い、彼女を抱き上げる。
「わかりません、窓から黒い服を着た男が乱入してきて、シルビアを」
「副大統領にお怪我は!」
「驚いて腰を抜かしただけです。シルビアを、早く、医者に」
意識のない大統領を抱えたエルンストがもう二人の補佐官に挟まれるようにしながら慌てて控室を出て行く。それに追いすがる様に、バスティアンは声をかけた。
「就任式は、・・・どうなりますか!?」
「・・・今の時点では返答しかねます。貴方も、すぐに手当てを受けて下さい。追って伝達を。」
早口に言い切ったエルンストは、振り返ることも無くそのまま大統領を抱えてその場を去った。廊下でシルビアの身体を担架の上に乗せているらしい声が聞こえ、人が集まってきているのがわかる。
警備員に肩を借りながらようやく立ち上がったバスティアンは、不安そうな表情をしながらゆっくりと王宮内の救護室へ歩いて行った。
大統領が撃たれたという情報は王宮内を瞬く間に駆け抜け、あっと言う間に報道陣に知られることになってしまった。報道規制をする前に知られてしまったのは、どこからか密告する人間がいたからだろうか。
シルビア・エンダース大統領は意識不明で病院に運ばれたと、号外が首都で配られる。小さな国ではあっても、こんなニュースが騒がれないはずがない。
しかし、就任式の中止という知らせはないままだ。昼過ぎまでの発表を待つようにと知らされているのみである。
入院している総合病院の窓口には、シルビアの友人や身内が詰めかけて、そして彼女の支持者の代表である村の自治会長やら農協の職員までもが押し掛けた。彼らの対応に手間取る補佐官たちは、彼女の容体について口止めされているらしく何も言えないでいる。
「ザイツェンガーさんっシルビアは、シルビアが撃たれたって本当なのっ!」
「生きてるんでしょ!?ちょっと怪我をしたくらいなんでしょう!?」
「犯人は逃走中って、どんな奴なんだ!」
国民に交じって記者までもが病院内へ押し込もうとしているところへ、王室の車が到着する。
「アデライード様だ」
「王女殿下」
「帰国してたのか」
サーモンピンクのスーツを着た王女が優雅に車を降り、ガードマンで両脇を固めて病院の入口へ歩いてきた。
人々は思わず彼女のために道を開ける。
王政が廃止されるとは言っても、国民に浸透している王家への畏敬はまだまだ健在なのだ。
大騒ぎになった病院の玄関で、王女は静かに踵を返し、その一挙手一投足を見守る記者や詰めかけたシルビアの支持者たちを振り返る。
「どうぞ皆様、お静かに。」
ざわついたその場所が僅かに静かになる瞬間を狙ったように、その赤い唇を開いた。
「皆さんが大統領閣下の事を心配して下さることはよくわかりました。しかし、これでは病院側に大きな迷惑となります。それは閣下にとっても本意ではない。また、このように皆さんが大袈裟に騒ぎ立てて浮足立つことこそが、この度の犯人の狙いかもしれません。・・・就任式の遅延は仕方のない事ですが、例え代理を立てることになっても中止にすることは有り得ません。この場にて、アデライード・テレサ・シャッヘンベルグが宣言いたします。就任式は本日夕方の4時より、王宮の大広間にて行う。それまで一切の質問詮索を禁じます。記者の方々も午後4時までは全ての報道活動を禁じます。解禁となるまで、大人しくなさい。なお、この宣言は、アルフレート陛下及び警察庁長官も任意のものです。これを破ったものには罰則が科せられます。」
高く通る声音で一息に言い切った王女は、小さく一礼をする。
「さあ皆さん、解散してください。殿下の仰る通り、ここにいてはご迷惑ですから。さあ。」
補佐官が王女の言葉に力を得て、もう一度高らかに指示の声を飛ばした。
すると、集まっていた人々や記者も、散り散りとその場を去り始める。
まさに王女の言葉は鶴の一声だった。
数分後、その場に残っていたのは、王女と補佐官、そしてシルビアの身内である5人の弟妹だけである。
「・・・ふぅうう。こういうの、本当はすっごく苦手なのよ。」
困ったように眉を下げてエルンストの顔を見る王女は、肩を落とした。
「ありがとうございました。殿下のお陰で、どうにかこの場をおさめられた。感謝いたします。」
「しょうがないわよ、不肖の弟の頼みですもの。普段いいようにこき使ってる分、いざと言うときくらいは役に立ってあげないとね。それに、今回はどうやらわたしにも非があったみたいだし。・・・あら、そっちのお嬢さんたちは、どうして残ってるの。」
エンダース家の弟妹達が立ち去らない事に気が付いて、王女が目を丸くする。
「・・・罰なら受けます。だから、シルビアに、会わせて。」
「姉さんは大丈夫ですよね?」
「死んでたりしないよね?」
「そんなに重症なのですか!俺達と会えない程に!?」
「牢屋に入ってもいいから、シルビアの様子を教えてください!」
口々に姉を案ずる言葉を叫ぶ兄妹は、確かに、どことなくシルビアに似ている。というか、若い弟たちは父親であるディーター・エンダースによく似ていた。
「シルビアの姉弟・・・?それぞれ留学先に戻っているんじゃなかったの?小さい妹の方は父親のディーターの元へ行ってるんじゃ・・・なんで今ここにいるの。サッシャからはそう聞いてたんだけど。」
補佐官の方をもう一度振り返った王女に、エルンストは苦笑して答える。
「・・・そんな薄情な人は、エンダース家には一人もいないんです。」
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