第24話

 翌朝、早々とエルンストが迎えに来る。

 予定とは違う服装のシルビアを見て目を丸くするが、王子に贈られた服なのだと説明すれば、彼は納得したように頷いた。

 白いブラウスに黒のパンツスーツの予定だったが、王子が用意したのはワンピースだった。襟元に飾りのレースがついた、紺色のAラインのワンピース。硬い印象のカッチリしたそれは、痩せ型のシルビアの身体をややゆったり目に見せている。膝まで丈のあるそれには、左側にスリットが入っていた。

 いつもよりもグラマラスに見える彼女を見て、エルンストは訳知り顔で、頷く。

「とてもお似合いですよ。・・・さ、行きましょう。」

 彼が納得してくれたのならば、それで充分だ。

「うん、ありがとう。よし行こう。今日も、よろしくねエル。」

 就任式が行われる王宮へ、車で向かう。警備の人間が一人車内に同乗しており、軽く会釈して見せた。

 すぐ後ろにもう一台、白い乗用車が停まっている。王室が付けてくれているガードマンの車だと、エルが教えてくれた。王子の手はずだと知って、妙に安堵する。

 ずっと前からそうやって、足りない警備の穴を、彼が埋めてくれていたのだ。心の中で何度も感謝を述べながら、車に乗り込む。



 王宮の大広間にはすでに報道陣と閣僚、それに議会の代議士たちがつめかけて居る。庭園の一部を駐車場にして貸出し、そこもすでに車でいっぱいだ。シルビアを乗せたエルの運転する乗用車は王宮の裏側に入り、従業員用の駐車スペースに入る。ガードの車もその後を追う。

 執事用と地面に書かれたスペースへ車を止めると、ガードがすぐに車から降りて、シルビアの車のドアを開いた。周囲を警戒しているのが分かる。裏側には報道陣も来客も来ないよう規制しているので、人影はない。

「どうぞ、シルビア様。アルフレート陛下も準備していらっしゃいます。」

 黒服のガードが低い声で告げると、頷いた彼女はブリーフケース一つ手に、さっと助手席からおりた。

 エルンスト、ガードの二人を連れ、そのまま王宮内の従業員入り口から中へ入る。

 大統領控室というプレートが貼られた部屋まで、駆け足で廊下を過ぎていく。補佐官が、各省庁の大臣補佐が、それぞれ挨拶をしてくれた。笑顔でそれに応えながら、エルと共に控室へ飛び込む。

「無事に到着しましたね。・・・軽く身支度を直してください。間もなく就任式が始まります。」

「うん。いよいよだ。頑張るわね。」

 少しばかり気負っているようでもあるが、それでもシルビアは笑顔を浮かべていた。緊張しないはずはないのだが、それでも笑う元気があることに、エルンストは安心する。

「エルは他の補佐官ともう一度打ち合わせ?」

「はい。少しの間席をはずします。廊下に警備員を立たせていますから、誰が来ても必ず彼を同席させてくださいね。」

 用心深くなった補佐官の言葉に、シルビアはもう一度頷く。

 彼が慌てたように部屋を出て行くと、外の喧騒をよそに、一人の控室は驚くほど静かだ。小会議室だろうかと思わせる小さな控室には、気持ちばかりの小さな鏡が置いてあった。会議用のテーブルと椅子が並べられ、シルビアはその上にブリーフケースを乗せ、椅子に腰を下ろす。小さな鏡で、自分の顔を見直し、化粧が崩れていないかをチェックする。

 ケースから原稿を取り出し読み直していると、ノックの音が聞こえた。

「はい。誰?」

「おはようシルビア。昨夜はよく眠れたかい?」

 その落ち着いた声は、バスティアン・ホイヤー弁護士だった。今日は副大統領で議会議長に就任することが決まっている。

「バスト小父様!おはようございます。」

 警備員と共に顔を出した弁護士は、濃いグレーのスーツ姿である。ダークブラウンの髪に少しだけ白いものが混じり始めた初老の議長は、晴れやかに笑ってシルビアの両手を握った。

「やっと今日を迎えることが出来たね。私も嬉しいよ。緊張していないかい?」

 ぎゅっと強く握り返して、笑顔で返す。

 大きな窓から入る光を浴びて、眩しそうだ。

「してますよ、勿論。・・・でも、ジタバタしても仕方ないですから。」

 椅子に座ったシルビアの傍らに立つバスティアンは、ちらっとだけ付いてきた警備員の方へ目をやった。そして、おもむろに手で隠すようにして、シルビアの耳元に、

「ちょっと、話があるんだが・・・君の父上の事で。人払い出来ないかね。」

 こっそりと内緒話でもするように囁いた。

 父ディーターの事と言われると、思わず両眉を上げてしまうシルビアだ。 

 異国に駆け落ちしているはずの父が、何かしでかしたのだろうか。その責任を問われて、弁護士の元に相談してきたのだろうか。

「父が、何か・・・?」

 心配そうに尋ねる彼女の顔は、大統領というよりも父親を思う娘のものだ。

「うん、誰にでも言えることではないのでね。」

 仕方なくシルビアは警備員に目配せをする。彼は少し躊躇ったが、やがて軽く会釈して外へ出て行った。

 バスティアンの目の高さに合わせようと、シルビアも立ち上がる。

「父が何かしでかしましたか?」

「うん、実はね。・・・彼は、逃げるように駆け落ちして外国へ逃げ出してしまっただろう?」

「ああ、はい。その節は誠に皆様にご迷惑を。さぞや混乱や誤解を招いたことでしょうに。その事については国民の皆様にも謝罪しませんと。」

「どうして彼は外国へ行ってしまったのだろうと、疑問に思っただろう?君や家族を残して、唐突に。」

 父が亡命したのは随分前の話である。どうして今そんな話をするのだろう、と疑問に思いながらも、丁寧に答えた。

「はあ、まあ。そうですね。でも、王妃様の強い要望だったと言う話ですし。うちの父は鼻の下が長い男ですから、あのお綺麗な方に頼まれては嫌とはいえなかったのではー。」

 情けなく苦笑いして、父親の逃げ出した理由を述べる。その事はバスティアンも知っている事だろうと思っていたのだが。

 何もかも押し付けて逃げ出した親父とは違い、シルビアが尊敬するダンディーなイケオジは、利き手を懐に入れながら軽く息を吸った。

「彼はね、命を狙われていたのだよ。身の危険を感じて、亡命することにしたのさ。」

「・・・え?」

 緑の目を見開いて、副大統領の方を見る。

 大統領の代理までもこなす権利を持つバスティアンの右手には拳銃が握られ、シルビアの方へ向けられていた。

「小父様・・・?」

 眉根を寄せて困ったように笑った彼は、安全装置をゆっくりとはずす。

「ディーターの頃よりもはるかに警備が厳しくなってしまってね。結局今日も持ち込めたのはこの銃一つだけだった。挙式の日に失敗したのは痛かったなぁ。新政府に王室の協力をさせたくは無かったのに、あのクソ王子がどうしても君と結婚すると言って聞かなかったものだから、こんな面倒なことになってしまった。以前の君だったら、人知れず暗殺することなど実に容易かったのになぁ。」

 シルビアは緑色の目を剥いて動揺する。

 震える声で出てきた言葉は、

「まさか、父の命を狙っていたと言うのは、バスト小父様なの・・・?」

 想像もしなかったし、予想もしていなかったものだった。

「折角革命を成し遂げたと言うのに、あのお人好しは鉱山の権利を半分も王家に残すと言うんだ。王室の力を完全に排除しろと言ったのに、ディーターはとうとう首を縦に振らなかった。そして、君も結局は王子と結婚することを承諾してしまったね。全く、どうして君があの選挙で勝ってしまったのか、未だに謎だよシルビア。君が立候補などしなければ、そして大統領選で大人しく敗北していてくれれば、私が君に縁談の一つくらい持って来てあげたのに。・・・君を殺さなくてはならない事態にならなくて済んだのに。・・・ああ、動かない方がいいよ?君がそのブリーフケースに入れている携帯電話に触れようものならば、すぐにでもこの引き金を引く。」

 まるで、歌うように。

 彼がシルビアの父親を、そしてシルビアを狙う理由を宣言する。

 バスティアンが言っていることは脅しには思えなかった。彼の立場を考えれば当然のことだ。脅迫だけで済むような内容ではない。

「あ・・・あたしに、どうしろと?」

 震える声で、尋ねた。

 バスティアンは我が意を得たり、とでも言うように片手でパチンと指を鳴らした。

「ディーターのように亡命かな。嫌ならこの場で何者かに暗殺、とでもしようか。間もなくエヴェリーンがこの部屋の窓を壊すことになってる。どこの誰とも知らぬ殺し屋に、新しい大統領は暗殺され、若い命を散らす・・・なんてドラマチックだろう。安心したまえ、君の書いた就任演説の原稿は参考にさせてもらうよ。無駄にはならない。何故か君のスピーチは不思議と人気があるからね。」

 エヴェリーン?

 どこかで聞いたような名前だった。だが、今はそれどころではない。

 凍り付いたように動けなくなったシルビアは、言葉が出ない。

「どうするね?・・・速やかに結論を。時間が無いのだ。」

 副大統領が答えを迫るその瞬間に、ブリーフケースの中の携帯が鳴った。



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