第23話

「あの、ごめんね。」

 カイ王子の腕の中で、大統領はぽつりと呟いた。

「なんであやまんの?」

「あっ・・・あんまり、喜ばせてやれないから。王子の言う通り、あ、あ・・・、あたし、アラサー処女だから、ほんとに、ごめ」

 これ以上どう言い訳したらいいのだろう。覚悟を決めたとしても、素直に身を委ねるには抵抗があった。

 カイ王子は片眉を上げて呆れたように笑う。

「アラサー処女がテクニシャンだったら引くわ、普通。」

「でも、身体も全然、その・・・、スタイル良くないし。」

「じゃあ、良くなるように明日からちゃんと食べような。俺はこのままでも好きだけど。あんたが改善したいと思うなら協力を惜しみません。」

 やはり自分は貧相なのかと思える台詞が耳元で囁かれる。俺のメシうまいでしょ?などと軽口を叩いて。

 手慣れた様子で事をすすめていくカイ王子は、やがて思い切ったように呟いた。

「ごめんねシルビア、ごめんね。痛いよね。・・・許してね。」

 優しく宥めるように慰めるように言葉をかける。

「あたしも、ごめんなさい・・・。きっと、」

「きっと?」

「処女なんか、気持ちよくないよね。楽しめないよね。ごめんね。」

 シルビアは申し訳なさそうに、切れ切れの息遣いの中謝罪した。

「シルビア・・・。」

 カイ王子が金の瞳を細めて、どこか悲しそうに眉を寄せる。

 いつも、いつも、シルビアはそうやって相手の事を思いやる。自分が辛い時でさえも。

 自分の事は二の次で、他人の事ばかりを気にかけて。

 こんな時でさえ。自分が痛い思いをしている時でさえ。

 そんな女は、カイ王子の周囲には一人もいなかったのだ。



 母王妃は、外国の貴族の末裔なのだそうだ。それが誇りか何か知らないが、嫁いできた時から我儘で勝手な人だったらしい。

 国王だった父が早くに病で亡くなったのは、王妃のために心労が重なったからかと噂されたほど。気ままに城を抜け出して旅行に出かけたり公務をさぼったりするのは当たり前で、王家に迷惑をかけるような馬鹿な真似をしでかした事もある。どこかの軍属のお偉いさんに喧嘩を売ったり、外交官相手に無理を強いたり。その度に、父も祖父も苦労してとりなして来たのだ。

 しかも本人に悪気はない。そして、経済観念も無い。

「あ、あれってやっちゃいけないことだったんだ。ごめんね。」

「どうしても生でオリンピックって言うのを見てみたかったのよ。もうしないから。」

 注意されても叱られても懲りずに、またやらかす。反省して無い訳ではないのだ。してはいけない事の意味が、よくわかっていないのだろうと思う。これで王妃と言えるのだろうか。

 普通の平民ならば、少々懲りない人だ、で済むのだが。

 幼い頃から、振り回される父と祖父を見てきて、母ははた迷惑な人なのだと把握していた。

 そして、国王だった父が亡くなり、カイ王子がある程度成長した後、そのお鉢は息子に回ってきた。

 仮にも王族なので、彼女が母親らしく子供の面倒を見て世話をすることが出来ないのは、言うまでもない。王妃に母親らしさが欠落している点はそれだけではなかった。彼女の都合で王子は友達と遊ぶ約束を反故にされ、場合によってはその付き合いを否定された。幼い頃は着せ替え人形にもされていた。

 そして、姉アデライードは母王妃よりもさらに勝手だった。

 カイ王子をいじめるわ、勝手に持ち物は漁るわ、酷い時には暴力を振るう。王子はフェミニストたれ、と教育されていた手前、逆らうことも出来なかった。

 母王妃や姉王女が国にいるときには、留学先から故郷へ戻ることを渋っていた。

 留学先でも、女性には余りいい思い出は無い。

 育ちも見た目もいいカイ王子はとてもモテたけれど、彼に近寄る女性は皆、カイ王子自身ではなく王子である事実を重要視していた。

 初めてできた彼女も、カイ王子が小さな島国の出であることを知ると不満だったらしく、もっと大きな国の出身の王族がいいと言って去っていった。

 つくづく女と言うのは勝手な生き物だという事実が、王子の心に根差したのは当然だろう。

 今回、姉が帰国して勝手にシルビアに会いに行ったのも、何か理由があったのではないかと心配になる。そもそも式に間に合わなかったというのに、何の用事があるというのだ。まさか空港建設を進言しにきたわけでもあるまい。

 母が、姉が、外国へ滞在すると聞いた時には、どれだけ安堵し、肩を撫でおろした事か。




「気にしないでいいから。アラサーだとか処女だとかそんなことどうでもいいから。」

 何度も、シルビアの顔に唇を優しく添えながら。

「どうしても気になるなら、こう、思って。・・・俺は、あんたの初めてがもらえて嬉しいよ。俺の方が初めてでなくて申し訳なく思う。本当だよ。」

「サッシャ、殿下」

 苦痛に歪む茶色の眉の辺りを、軽く舌で舐める。柔らかい。

「その代わりにあんたを気持ちよくする方法をたくさん知ってる。仕事済んだら真っ直ぐ俺の所に戻ってこいよ。俺は働かない代わりにあんたを可愛がって、癒して、優しくする。あんたの手の届かないところに手を伸ばして、あんたをフォローする。」

 その方法をどこでどうやって覚えたのかは追及してもらいたくない過去だ。色事の殆どは外国の留学先で知り、色事以外の大半は、母王妃や姉王女に仕込まれたものであることが腹立たしい。けれど、役に立っているのも確かだった。

「殿下は優しい人ですね・・・。」

 シルビアの目尻から、とうとう涙が零れる。それは痛いからではない。

 可愛がってくれて、癒してくれる、優しくしてくれる。自分の至らぬ部分を埋めてくれる。その言葉の力強さに、安堵の余りに、思わずこぼれた涙だった。

「ごめん、やっぱ泣くほど痛い?」

 気遣う王子の言葉が嬉しくて、小さく首を横に振る。



 情事の後の疲労感に眠ってしまいそうになるのを、どうにか堪える。

「服、着られる?着せようか。」

「着られます。大丈夫。」

 強がって起き上がり、王子の差し出した自分のスウェットに袖を通した。

 王子は、ベストは着たままで、シャツのボタンを全部はずしていた。ウエストのベルトも緩めたまま、パンツのボタンとジッパーも開いていて、下着が僅かに覗いている。うっすら割れている腹筋が異様なくらいにセクシーだった。片手で携帯を操作している。

 シルビアは出来るだけ彼の方を見ないようにして、衣服を身に付ける。事後の気恥ずかしさもあるし、済んだ後の王子の姿が余りに色っぽくて真っ直ぐに見ていられない。

 イケメンは始める時も終わった時もカッコイイのだな、と思い知った。勿論、最中も凄かったが。

「ちょっと、待っててシルビア。今、届けさせたから。」

「・・・何を?」

「あんたに明日着せたいもの。」

「・・・服?」

「うん。明日はあんたのデビューだろ。俺の手で着飾ってやりたかったけど、それは出来ないからせめて俺の選んだ服を着て欲しいんだ。」

 そう言ってシルビアの緑の瞳を見つめる。

 王子の表情はひどく真剣だった。口元に笑いを浮かべてはいるが、彼がまじめに言っているのはわかる。

「わかった。貴方の選んだ服を着て、明日、頑張るわ。」

 きっぱりとそういい切ると、精一杯笑ってみせる。

 自信なんて無い。いつだってシルビアはいっぱいいっぱいだ。不安も緊張も怖さも全部懐に抱えたまま。

「・・・よかった。愛してるよシルビア。あんたは国民に選ばれた正当な大統領で、王子の俺に愛される素晴らしい女だ。自信持ってな。」

 額と両頬に軽くキスをして立ち上がる。

 届けさせたと言う荷物を取りに、玄関へ向かうのだろう。歩きながら服装を整える後姿を、うっとりと眺めてしまう。

 疲れで今にも意識が飛んでしまいそうだったが、その一方で、溢れそうなほど幸福な気持ちを味わっていた。

 腰や股間の鈍い痛みは確かに辛いけれど、動けない程ではない。

 優しくされて、大事に愛されたことが、信じられないほど嬉しくて、現実味が無い。

 ひょっとしたら、一生処女のままかもしれないとさえ思っていたのだ。男性に抱かれる感触を知らないまま、生涯を終えるかもしれない、と、結構本気で思っていた。それでも、もういいかと思っていた。

 もうそんな気持ちには戻れない。こんなにも幸せな気持ちになることを知ってしまっては、知らなかった頃には戻れない。

 形式だけの婚姻なのだと、自分い言いきかせていた頃には、戻れないのだ。






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