第22話



 顔を上げたカイ王子は、思いつめた表情でシルビアの方を見ている。

 それは、いつもの彼とは少し違っていた。シルビアを尊重していても飄々としてどこか人を食ったような態度の、いつもの彼ではなかった。

 なんちゃってね、とか言ってケロッとするんじゃないかと疑ったシルビアは、一向にそうならない王子の顔を食い入るように見つめ返す。

「俺の事好きになれない?」

「す、好きよ。殿下はイケメンだし格好いいし。口は悪いけど、優しいわ。」

「本当?」

「う、うん・・・。」

「じゃあ、俺に会いたかった?」

「も、もちろんよ?」

「それなら」

 ぐっと王子の手が伸びて、シルビアの手を引っ張る。

「でも、でもね。・・・サッシャ王子、笑わないで聞いて。あたしは王子に相応しい女じゃないし、大統領としても立派なもんじゃないわ。だからね、あたし自信が無いのよ。サッシャ王子に、殿下に好きになってもらえるような女になれる自信がないの。だからね、怖いのよ。」

「怖い?俺が?」

「そうじゃなくて。・・・勿論、セックスするのが怖いわけでもないわよ?そうじゃなくてね、これ以上殿下をがっかりさせるのが嫌なのよ。それが怖いの。しちゃって、その後、カッコイイ殿下の事をますます好きになっちゃうだろうと思う。だから余計に」

 多少の嘘は混じっているが、シルビアの本音である。

 これ以上彼に失望されるのが怖いのだ。

 相手を喜ばせることのできないシルビアに、王子が失望する。そんな様子は見せないだろうとわかっていても、それは辛い。

 あんなにも綺麗な人たちの中で生きている王子だ。あんなにも豪勢な人たちの中で動く人なのだ。自分がいかにつまらない女なのか、わかっているだろう。それでも、王子はシルビアに親切だった。政略結婚であろうとも、口は悪くても、王子はとても誠実だったから。

 失望させたくない。がっかりさせたくない。させるくらいならば、これ以上近づかない方がいいだろうと。

 明日の就任式に対するプレッシャーで、他人に会いたくなくなっている小さい自分の事など、これ以上知らないで欲しいのだ。

 本当は全ての事にいっぱいいっぱいで、今にも溢れだしそうになっているシルビアを、知らないでいて貰いたい。

 つまりは失望している王子を見て自分が傷つきたくない、だけの話だけれど。

 言葉を尽くして自分の気持ちを述べるシルビアを見て、王子は少し落ち着いたらしい。ゆっくりと、優しくシルビアの両手を握る。

「・・・そう言えば、まだ言ってなかった。」

「な、なに?」

「大好きだ、シルビア。だから、俺と結婚して。」

「いまさら!?いまごろ!?」

 それは遅すぎるプロポーズ。そもそも本人の意志かどうかもあやしい求婚。

 なのに、王子の表情は本気だった。

「イエス以外の返事は無いって知ってる。あんたは俺と結婚するしかないのわかってる。でもね、俺は、あんたと結婚したかったんだよ・・・。」

 優しくシルビアの両手の甲に唇を寄せる。

 そして、また、あのキスをシルビアの唇へ落とすのだ。



 もう寝室とかどうでも良くなった。

 さすがに廊下は憚れるから、以前一緒に夕食を食べたリビングへ足を向ける。確かソファーの一つくらいはあったはずだ。

 ぐったりして、立っていることも出来ないシルビアを起き上がらせて、肩を貸す。振りをして抱き上げると、力の入らない両手で抵抗された。なにがそんなにいやなんだ。今までに関係したことのある女は皆、この抱っこを喜んだと言うのに。

 抵抗されるのが面倒なのでもう一度キスすると、諦めたらしく、一切の抵抗を止める。ひいはあと上がっている息が苦しそうだった。

 明るいままのリビングへ足を運んで、奥のソファへ倒れ込む。手編みと思われるレースのカバーがかかったそこは、二人分の体重に悲鳴をあげた。

 腰が立たないから立ち上がれないのだろう、這って逃げようと手を伸ばすが、それも簡単に引き止める。

 また、キスをする。もう、いい加減に慣れたらどうなんだと思うくらいだが、その度にそれは深くなっていって、その快感までもが増していくようで、彼女を行動不能に陥らせる。

「・・・うう、う・・・ぷ、ぅう」

「可愛い、シルビア。そんなに俺のキス気持ちいい?ここまで反応する人、・・・正直、初めてだ。」

 王子の言葉に大きなショックを受けて緑の目を見開く。でも、またすぐにとろんと焦点が合わなくなり、閉じられた。

 その恍惚の表情を、満足そうに見下ろしたカイ王子が、また口を開く。

「俺あんたのことずっと好きだったの。あんたは覚えてないだろうけど、随分昔にあんたの職場を訪ねたことが有ってね、そんときに、あんた、俺に夕飯ご馳走してくれたんだ。それがポトフだったんだよ。あんたの弟妹はまだ、ほんとに小さくてさ・・・あんたのお母さんは入院してて、ここにいなかったんだ。」

「・・・ご、めん、覚えてない。」

 譫言のようにやっと答えるシルビア。

「当時はさ、・・・ていうか今もだけど、俺って勝手な母親と姉貴にしょっちゅう振り回されてて、それがいやで外国に逃げた。大人しくしてりゃいい気になりやがって、女って生き物は増長しやがると思ってたからさ。・・・で、留学先でも、やっぱ女の子相手にそんな感じで、いい思い出がなかったんだ。だからさ、あんたみたいな女と会って本当にびっくりしたよ。あんたは本当にいい人で、優しくて、通りすがりの学生の俺に対しても、凄く親切で。こういう女って本当にいるんだなって初めて思った。」

「あたしみたいな女、そこら中に転がってるわ。本当よ?」

「知ってる。ちゃんと世の中をよく見てみればあんたみたいな女が大多数だった。ていうか、だからこの国はどうにか回ってるんだよな。俺の身内の方が少数派なんだろうよ。・・・でも、俺が好きになったのはあんただけだった。シルビアはお人好しな女の多いこの国の中でも群を抜いてお人好しだってな。」

「褒めてないよね。」

 シルビアの返しは自嘲を含めた声だった。

「そう言うなよ。・・・俺の母親があんたの親父との事を告げた時、もう運命だって思った。俺とあんたはもう、一緒になる宿命なんだよって。一度は諦めたのに、あんたの影がまた俺の前でチラついてさ、もう、離さない。」

 きゅ、とシルビアの頭を両手で抱きしめて、言った。

「ねぇお人好しのシルビア。父親の後始末も弟妹の面倒も皆その身に引き受けちゃうくらい、バカみたいなシルビア。もう、そのバカついでに、俺の事ももう、運命だと悟って引き受けちゃってよ。・・・その代わり、俺は他の誰もしてやれなかったことをあんたにして上げる。」

 スウェットの裾から硬い手が入ってきて、素肌に触れた。わずかに痙攣するが優しい手つきにやがて痙攣は鎮められていく。マッサージしてくれた手つきを思い出すと、自然に落ち着くのだ。この手は自分をほぐしてくれた手だ。

「シルビア、大好きだよ。」

 スウェットを捲られ外気に触れた乳房に頬ずりをする王子の顔は、いつものように整っていて、全然いやらしくなかった。

 だから、どこか正気を失いそうになる自分を叱咤して、シルビアは言った。

「ひ・・・きうける。皆まとめて、面倒見ちゃうわよ。だから心配しないで。こんなことしなくっていいのよ。あたしのことなんて構わずに、好きに、生きればいいの。サッシャ王子。だから、気にしないでいいから。」

 すっかり篭絡されてしまったシルビアは、もう抵抗する力はない。もともと、王子が嫌だったわけじゃないし、がっかりされたくなかっただけなのだ。

 心の隅の方で、少しだけ思ってしまった。

 彼の姉のように、学友のように。

 あんな風に若くて綺麗だったら。誰にも胸を張って言える大きな夢があれば。今とは違う自分になっていただろうか。こんなにも優しい王子に対して真正面から向き合う気持ちになれたのだろうか。

 でもそれは現実には有り得ない『もしも』であって、シルビアの心にその答えはない。有り得ない『もしも』に、答えはいらないのだ。 

 王子はまた眉根を寄せて、困ったように笑う。

「それは優しいとは言わないんだよ、シルビア。ただの生殺しだ。」

「えっ」

「ここまでしといてお預けなんて、もう絶対有り得ない。あんたのこと欲しいって言ってギンギンになった男に、待てを命ずる残酷さ、わかる?」

「残酷・・・?」

「それにね、自信が無いのなら。俺が自信を付けて上げる。あんたは十分に、一国の王子が欲しがるようないい女だから。」

 貧相な胸に顔を埋めて、また頬ずりする。王子の髪が肌を擦ってくすぐったい。

 やがてその唇が肌の上を滑って、優しい手がゆっくりと薄い胸を触った。他人に触れられたことのないそこに、初めて触れたのが彼でよかったと思えてしまう。  

 まるでほぐすように、それでいて少しずつ官能を呼び覚ますように、カイ王子の手がシルビアの身体を揺らす。

「サッシャ王子」

「ん」

 ソファの上の、王子の膝の上で。

 一糸纏わぬ裸にされたシルビアは恥ずかしそうに何度もその身を捩りながら。

「ありがとう。そう言ってくれて嬉しい。」

 掠れた声で、感謝を述べた。




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