第21話
大統領就任式は王宮で行う事になった。
式の前日まで場所と時間が発表されなかったのは、挙式の日のような事件を起こさないための措置だ。この措置にどの程度効力があるのかはわからないが、挙式の時は一月前から発表されていたので、犯人とてゆっくり準備が出来ただろうと思われる。
自宅で、就任演説の原稿を何度も読み返しているシルビアの携帯が鳴った。
「こんばんは奥さん。元気?」
「殿下。こんばんは。」
最後に二人で会ってから一週間ほど経っていた。官邸の駐車場で、一緒にサンドイッチを摘まんで以来だ。
あの日、彼の姉王女とセレブ美女がやってきて官邸の執務室をかきまわして行った。その後、王宮に連絡して貰って、約束も無しに尋ねてこないようにと王女に約束させたのだ。
「今日も、一人なの?」
「ええ。エルも二時間ほど前に帰ったわ。・・・王子、暇なの?お茶でもしに来る?」
夫婦とは思えない会話だと、自覚して、ふと苦笑する。
「いいのかい?明日いよいよ就任式だってのに。」
王子殿下の優しい気遣いが嬉しい。そして、それ以上に、会いたいと思ってくれたことが嬉しかった。
「少しは気分転換してもいいかなって思って。」
「じゃあ、お言葉に甘えて。・・・玄関の鍵、開けて?」
思わず携帯電話を見てしまう。
王子はどうやらシルビアの自宅の前まで来てから電話をくれたらしい。
明日のためにも早めに就寝するように言いつけて補佐官は早めに帰って行った。その助言に従い、シルビアは早々に入浴を済ませ、ベッドに入る準備をしていたのだ。
スッピンを見られることに抵抗があるが、今更感もある。すでに、王宮に泊めて貰った時に見られている事だし。
着ているルームウェアもごく普通のスウェットだ。この格好を王子に見られると言うのはかなりの勇気がいる。たとえブスであろうとも、カチッとしたスーツを着て化粧した自分の方がまだマシな気がする。
気がするが、何故か、それもどうでもいい気がするのだ。
今更、どう着飾ろうがどこをいじろうが塗りたくろうが変わらない。
アラサーの、美人でも何でもない、ただの庶民の娘であることは変わらない。
「・・・あの、あたし、もう寝られるような恰好なんだけど。構わないかしら?」
そう答えると、僅かに時間を置いてから王子の応えがあった。
「あんたがいいって言うのなら、俺はいい。」
「そう?じゃあ、開けるわ。ちょっと待ってて。」
玄関へ出て鍵を開ける。
王子の向こうに、通りで彼の乗ってきたと思われる車の影が見えた。運転席に影があるのは、彼のガードマンが運転してきたと言う事だろうか。
「こんばんは、シルビア。お招きに預かりまして。・・・来ちゃった。」
王子の、なんだか少し照れたような様子なのがおかしい。何かあったのだろうか。
「来ちゃったって・・・、はあ、まあ、どうぞ。相変わらずの家だけど、コーヒーでもいれるわ。」
カイ王子は白いシャツに黒のベストをひっかけていた。遊びにでも行っていたのだろうか、今日もくだけた格好だ。艶消しの皮パンツが小さな音を立てる。
「本当に寝る所だったんだ?」
彼女の格好を見再度納得したかのように言う。
「うん、寝る前にもう一回だけ原稿読んでおこうとして・・・って、サッシャ王子!?」
鍵をかけた途端に王子が抱きついてきたので、すっとんきょうな声を上げてしまう。
「どうしたの、どうしたの王子!?」
狼狽の余り声が大きくなってしまった。
そんなシルビアに対して、カイ王子の方は蕩けそうに言う。
「いやー、そんな準備万端で待っててくれたなんて嬉しい。エロい下着でなくても許す。そのうち着せるけど、今日の所はスウェットも可。寝室はどこ?お姫様抱っこしてやろうか?」
相手の悦に入った声を聞いて真っ赤になったシルビアは、大慌てで自分に絡みついてきた王子の両手を引き剥がそうとした。
「ち、違っ、本当の本当に就寝前だったんだってばっ!!スるつもりとかそんなわけないでしょーが!!」
そんなつもりがあるのならば、無駄とわかっていても化粧くらいしていただろう。いくらなんでも、スウェット姿のわけがない。エロい下着などはないが、さすがにこの格好は有り得ない。
「またまたぁ。お風呂も済んでるんでしょう、石鹸のいい匂いする。スーツじゃないシルビアも有りだ。で、寝室は?」
にやにやと笑っておかしなことを口にする。
そもそもアラサー処女なんかに欲情するはずがない。
こんなイケメン王子が、シルビアみたいな冴えない女に。影武者とか言われたような女に。男慣れすらしていない、相手に悦びを与えることも出来ない自分にそんなことは有り得ない。
「しないったら!」
渾身の力を振り絞って、年若い王子を無理やり突き飛ばす。
カイ王子が、突き飛ばされて廊下の壁にぶつかった。狭い家なので、じゃれる余裕すらも無いらしい。
「い、て・・・!」
「あ、ごめん。・・・大丈夫?」
言葉だけは心配そうにそう告げたが、シルビアの腰は完全に引けていた。
「大丈夫じゃない。すげー、痛い。」
壁に背を付けたまま、王子は俯いて低い声で答える。
「ごめんなさい、でも、あんまりカイ王子がふざけているから・・・」
「ふざけてねーし。」
「カイ王子」
「サッシャって呼べって言ったのに。」
「ごめんなさい」
なんだか申し訳なくなり、屈み込んで王子の様子をうかがう。
「・・・なんで?」
納得いかないと言っているように、シルビアの手をつかむ。
「なんで駄目なの。俺とシルビアはもう結婚したんだ。届けも出してある。・・・式は、してやれなかったけど、でも、俺はあんたのこと奥さんだと思ってるよ。まだ俺の事好きになれない?俺をガキだと思ってる?」
「ガキだなんて、そんなこと」
思っていないし思えない。思えたらどんなに楽かと思うくらいに。本音では彼に惹かれている。けれどそれを表に出せない自分も確かにいるのだ。
「確かに、まだちゃんと顔を合わせてから一か月も経ってない。でも、だからこそ、少しでも早く近づきたい。セックスだけが深く知り合う方法だとは言わないよ。でも、思うように会えないし一緒に住めない。だったら俺、他にどうやってあんたを慰めたらいいのかわからない。」
「・・・えっ」
「一緒にランチ食った日、嫌な思いさせちまってごめんな。あんたはきっと何も言わないだろうってわかってたけど、あの女があんたに対して何を言ったのかは大体想像がつく。何かフォローにいかなくちゃって思ってたんだが、アデラ姉上が面倒かけやがって・・・今日になっちゃった。」
あれから王子から連絡がずっとこなかった。それに不満を持った覚えはない。王子が自分に構う時間がないことくらい弁えていた。シルビアだって忙しいので、こちらから連絡も出来ない。携帯は補佐官に預けっぱなしだ。
「シルビアは俺に会いたいって、思わなかった?」
その問いは、とても切ない声だった。
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