第19話


 やたらめったら初夜だと口にする王子が恨めしい。アラサー処女ともなれば、そんなんぞっとするに決まっている。

 はっきりとは公言していないが(普通しないだろうが)、あれだけ突っ込んでくるのだから、シルビアが処女なのは見当ついているだろうに。

 32歳の処女なんて需要は無い。誰も喜ばないことはわかっている。

 老いた身体なのに受け入れにくいなんて最悪だ。せめて練れている技の一つでもあればまだ勇気をもって臨めるだろうに。

 あれほどサバサバした様子の王子だから、面と向かって失望した様子を見せることは無いだろうけれど、それだけにシルビアは凹む。

「・・・あのキスだけで十分だなぁ。」

 体に力が入らなくなるほどの強烈なキスをかまされた日。驚愕と共に、王子の私生活が垣間見えてしまった気になる。あれは相当遊んでいる。経験豊富な遊び人なのは間違いない。そんな相手にアラサー処女が太刀打ちできるわけがないだろう。

 なんとか理由を付けて、初夜を回避できないだろうか、と考える。

 結婚は形式だけでいいと言う話だったのだから、どうしてもしなくちゃいけないと言う事ではないはずだ。

 忙しいことを理由に今まではずっと避けて通ってきた。かと言って向こうが前向きに望んでいることを、永遠に逃げ切れる事でもない。

 ヒモ志望だが、けして話の分からない男ではないのは、この短い期間つきあっただけでもわかる。

 要は、ヤらずに済むもっともらしい理由があればいいのだ。

 しかしそれが思いつかない。

「・・・うーん、いっそ診断書なんかを出したらどうだろ。マズイか・・・」

 体質に問題があるので出来ません的な診断書を医者に偽造して貰ったら、と考えたが、そんなものが万一にも流出した危険性を思うと断念するしかない。

 大統領が体に問題があるというスキャンダルもどうかと思うし、それが偽造だったらもっとマズイ。さらには、その原因が王子との初夜回避のためなんてことになったらえらい事である。

「さっきから何をブツブツと言ってるんですか。」

 呆れたような補佐官の声ではっと我に返った。

 白けた目でこちらを見るエルンストは、執務机の前で仁王立ちして、決裁を待つ文書を指差す。

「全く、王子とのランチから戻って来てからずっとその調子で上の空ですね。困りますよ。」

 補佐官の厳しい指摘に耳が痛い。

「ごめん。ちゃんとやります。」

 慌てて視線を書類へ向けたシルビアの耳に、外交担当補佐官と経済対策担当補佐官の、笑いを含んだ声が聞こえた。

「いいじゃないの。シルビアは新婚なんだもの。少しくらい浮き立っても仕方ないわ。」

「そうそう。政略結婚だってさ、仲がいいのに越したことは無いよ。ちょっとぐらい見逃してやりなよエルンストさん。」

「甘やかさないで下さい。」

 三人の補佐官の言葉に、シルビアは立つ瀬も無い。

 新婚だの仲良しだの言われて照れているのも確かだが、それに眉をしかめているエルにあわす顔が無いのも確かだった。

 そこへ、ノックの音が聞こえた。

「はい、どうぞ。」

 エルンストが答えると、地味な執務室の出入り口から入って来たとは思えないような、キラキラしい外見の女性が姿を現す。

 そこだけが別世界のような、迫力満点の美女が二人。

 品のいい香水の香る二人は、しゃれっけのないシルビアにでさえ知っているセレブ御用達のブランド服を身に付け、派手な化粧とアクセサリーでその身を飾っていた。

「こちらに大統領閣下がいらっしゃると聞いておたずねしたのですが、いらっしゃいます?」

 美女の一人、黒髪をボブカットにした方の女性がそう言って室内を見回す。

「いらっしゃらないみたいよ、アデラ。」

 もう一人は長く波打つ金髪の美女だ。鈴の音のような軽やかで高い声だった。

 いや、いますけど、と補佐官三人及び大統領本人が心の中でそう突っ込んだが、何故だか声に出せない。

「そんなはずはないわ。だってさっき弟がここにいるって教えてくれたんだもの。隠れてるのかしら?」

 部屋中を見回して大統領の姿を探す二人の美女だが、どうやら彼女らの目にシルビアはどうしても映らないらしい。地味だからだろうか。

「閣下ならば、そちらにおいでですが。何の御用ですか?」

 エルンストが小さく咳払いをした挙句にそう述べて、視線でシルビアの方を指す。

 セレブ美女が補佐官の方を見てから、示された視線の先にいるシルビアを見た。

「・・・初めまして、ですよね。失礼ですが、どちらさまでしょう?お会いする予定は入ってなかったかと思うのですが。」

 上から下までじろじろと見る失礼な視線をものともせず、大統領は穏やかに言った。人の良さそうな笑顔を浮かべているが、こめかみ辺りに浮かぶ青筋にエルンストだけが気付いている。 

「まあ。貴方がシルビア・エンダース?」

「はい。貴方は?」

 黒髪の方の女性が、にっと口角を上げて笑った。その笑い、どこかで見たことが有る気がする。

「お初にお目にかかりますわ。アデライード・テレサ・シャッヘンベルグよ。この度は結婚及び大統領就任おめでとう。不肖の弟を引き受けてくれたそうで嬉しいわ。」

 彼女らの背後まで近寄ってきたエルンストが、そっと付け足す。

「・・・カイ王子の姉上様ですね。いつ頃お戻りに?」 

「うん、さっき。船旅疲れたわ。ねぇ、大統領閣下、早いとこ航空機が発着できる大きな空港作って下さらないかしら?今あるのって旅客機用の空港じゃないでしょう?民間機の許可がおりないの、不便だわぁ、なんとかして。」

 初対面でいきなりどういうおねだりだ、と言う言葉を飲み込んだ。

「・・・申し訳ございません。民間機用の航空の建設も構想はあるのですが、目下の所、予算にそこまでの余力がありません。」

「ああん、冷たい事言わないで。貴方と私の仲じゃないの。」

 初対面でどんな仲だと言うのだ。口には出さず、もう一度飲み込む。


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