第18話
それから三日後に、官邸で忙しく働くシルビアの元へカイ王子がやって来た。
「こんにちは奥さん。よかったら俺とランチでもどうかな。」
建てられてからまだ半年ほどの大統領官邸は、まだどこか新しい雰囲気がある。それを楽しむように周囲を眺めている王子が、補佐官に案内されてきたのだ。
「エル、一時間ばかり、抜けてもいいかしら?」
「いいでしょう。あ、電話は持っててくださいね。」
隣りのデスクで同様に書類に向かっているエルンスト補佐官が、机の引き出しから彼女の携帯電話を取り出して放った。それを片手でキャッチして、上着の内ポケットにしまう。
「ランチって言っても、遠くには出られないんだけど。」
「駐車場の東屋でいいよ。今日も天気がいいから、ピクニック日和だ。」
立ち上がった大統領が執務室内にいる他の補佐官二人に、許可を求めるように軽く会釈をすると、いずれも笑顔で手を振ってくれた。異様にニヤついていた感は否めない。
王子を隣りに歩き出す。廊下へ出ると、警備員がさっと敬礼する。
「ちょっと駐車場まで出てくるわね。」
「お供いたします。」
濃紺の警備服を着た、王子よりも若い警備員が強張った顔でぴしりと告げた。
「お願い。」
三メートルほど間を空けてついてくる彼を気にしないようにしながら、王子とシルビアはそのまま官邸を出て、隣接する駐車場へ歩く。
駐車場のロータリーには、小さな東屋が立てられていた。送迎の車を待つ人用に作られたそこのベンチに二人は腰を下ろし、小さく息をつく。すると、駐車場から誰かがこちらへ走ってくるのが見えた。
王宮にいた執事の人だ。手に藤のバスケットを手にしていた。
「殿下、閣下、お待たせいたしました。」
「ありがとう。」
受け取って蓋を開けると、三角形のサンドイッチが行儀よく並んでいる。それを挟むように紅茶のペットボトルが入れられていた。
手渡すなりそそくさをその場を去って、駐車場の車の中へ消えてしまう。
チェックシャツに面のパンツ姿のカイ王子は、一般の大学生のようにしか見えない。隣に座るシルビアがぴちっとスーツを着ているので、弁当を届けに来た弟、と言った風情だった。
「警備が付いたんで、ちょっとだけ安心したよ。」
少し離れた場所で二人を見守っている若い警備員を一瞥して、ほっとしたように言う。
「ああ、彼の事。うん、エルが予算を付けますって強行したからね。警備って言ってもアルバイトなんだけど。」
「人目がないよりはずっといい。」
「・・・ふふ、そうね。少なくとも、大統領就任後初めて出来た仕事は、僅かばかりでも失業率を下げた事かしら。」
それを聞いて楽しそうに笑う王子につられたように、シルビアも笑う。
辿り着いた東屋に、二人で並んで腰を下ろした。
駐車場とは言え昼休みには車の出入りもほとんどなく、静かなものだ。
「失業率の低さを変えるには、産業を新しく設けるしかないだろう。」
「だから王室から強引にレアメタル鉱山を半分もぎとったわけよ。・・・ごめんなさいね、カイ王子。」
「何が?」
「わたしと婚姻を結んだことで、貴方は鉱山を管理する権利を失った。収入の道を絶たれたも同然だものね。・・・まあ、だからと言って食うに困るってことはないでしょうけど。」
申し訳なさそうに謝罪する大統領に、王子は鷹揚に手を振った。
「いいのいいの。俺はシルビアにぶらさがって生きてくから。俺の分まで働いてね、奥さん。」
にやにやと笑って前回と同じような事を言う王子に対し、シルビアの方は申し訳ないような気持になる。
好きでなった大統領ではないが、この若僧を食わせて行かなくてはならないのだから、しっかりしなくては。
あらたに増えてしまった扶養家族について、今更、そのことについての感慨はない。5人も6人もおんなじだ。弟が一人増えたと思えばいい。
サンドイッチを口に運びながら、そんなことを考えている。
「なあ、シルビア。就任式が終わったらさ、1日くらい俺と遊ばねぇ?事件からこっちずっと官邸に詰めてるだろ。デートくらいしようよ。」
「デート」
これほど仕事に生きるアラサー女に縁遠い言葉があろうか。
「そ、デート。どこか行きたいとことか、やりたいこととかあったら教えてよ。俺がプロデュースしちゃう。」
仕事はしたくないけれど、デートプランのプロデュースはしたいと言う事か。なんだか可笑しくて小さく笑ってしまった。
「うーん・・・やりたいこと、ねぇ。・・・なんだろう。」
思わず考え込んでしまう。
結婚は愚か彼氏さえ出来た事のないシルビアだ。リクエストを尋ねられても、逆に困ってしまう。ましてや年若い青年であるカイ王子と過ごすのに、的確な答えなど持たなかった。
「ちょっと思いつかないわ。お任せで。」
「じゃあさ、普段やりたくてもやれないこととかって、ない?」
「んー・・・、昼寝?外でゆっくり昼寝するとか。昼間っからちょっとお酒飲んじゃう、とか。」
我ながら発想がオッサンだなぁと思うが、仕方がない。
だが、彼の方はそうは解釈しなかったようだ。
「大統領閣下はアオカンがお好み?」
金色の瞳を丸くして、ちょっと意外、とでも言うような顔をするではないか。
「違うわよっ!そうじゃなくって、本当に眠りたいのよ。ゆっくり日向ぼっこしながら転寝でもしたいなって。」
「冗談だって、そんなに怒るなよ。」
からかわれていることにようやく気付いて、シルビアはなんだか呆れてしまった。若い子には敵わない。
「あ、そうだわ。殿下のポトフ食べたい。凄く美味しかったもの。」
「よし、任せとけ。」
「そう言えば、殿下はマッサージもじょうず・・・、いや、それはいいわ。それはナシ。デートでしてもらう事じゃないわよね。ごめんなさい、色気のない意見で。」
デートでしてもらう事らしくない、というよりも。
マッサージをされた後、自分がまた眠ってしまうような気がして怖い。デートでまで寝てしまったら、余りにも王子に申し訳なかった。
「どっか行きたいとことか、ないの?」
「・・・それは、ある。」
「どこ?」
「鉱山の中。一度も見たことない。国を揺るがす原因になったってのに、あたしはまだ現場を見た事ないのよね。父さんは見に行った事あるらしいけど、落盤事故があってろくろく見られなかったって。」
「・・・現場は、案外危ないかもよ。でっかい重機も使うし。埃っぽいしね。」
王子の長い指が、サンドイッチではなく眉間の辺りを摘まむ。
「まあいいわよ。それこそデートっぽい場所じゃない気がするし。」
「だな。」
少しだけ表情を曇らせた王子は、気を取り直すように姿勢を正して座り直した。
大統領のリクエストが気に入らなかったのだろうか。まあ、確かに、色気のありそうなデートコースではない。
「そのうちには、結婚式と初夜のやり直しもしてぇな。」
「無理しなくていいです。」
「どうして?結婚式って女子の夢とかじゃないの?」
「アラサーはもう女子とは数えないわよ。」
それに、初夜は女子の夢ではない、とシルビアは思う。
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