第12話

 祖父の執務室へノックも無しに入っていくと、パイプを咥えているアルフレート陛下が王子の方を見た。

「おはようサッシャ。大統領閣下は無事に出発されたか?」

 しゃがれた声でそう言って、皺だらけの目元をさらに皺を増やして笑う。

 元は豊かな黒髪だったのだろうが、白髪が増えてすっかり灰色に変わってしまった王の頭髪に、若い女の子が櫛を入れている。若いと言うか幼いのではなかろうか。明らかに自国の人間ではないことを示している肌の色が、健康的な艶を放って眩しいくらいだ。縮れた髪に黒い肌の少女は、11、12歳だろうか。

「まぁた拾ってきたんですね。」

「いいではないか。こんなに素直で可愛いんじゃから。よしよし、アビーちゃんは厨房でおやつでも食べておいで。また用が出来たら呼ぶからのう。ハブアブレイクじゃ。グッドガールじゃ。」

 ぱっと嬉しそうに笑った彼女は、アルフレート陛下のほっぺにちゅっとキスをした。ピンク色のワンピースの裾を翻して、たった今王子の入ってきた出入り口から軽い足取りで出て行く。

 王子は、うはうはと鼻の下を伸ばして笑っている祖父に歩み寄り、呆れたようなため息をついた。

「英語が理解できるのなら、それなりの土地へ出してやれそうですね。」

 ため息をついた割に王子の声音は優しい。

「頭のいい、覚えの早い子じゃから問題なかろうと思う。・・・難民船から逃れて浜にうち上げられとったのを、漁師が見つけての。」

 陛下の表情は不幸な身の上の幼い子に同情しているようで、それでいて、まだ見ぬ未来への思いを馳せている。

「そうでしたか。」

 王子は軽く相槌を打った。

 国土を海で囲まれたこの国では、時に外洋からの招かざる客がそんなふうに打ち寄せられてくることがある。

 時には難破した船だったり、海賊船に襲われた挙句逃げ出した避難用ボートであったり、先ほどの少女のように着の身着のままの人間だったりする。国民性として、また漁師の性として、遭難者等の困った人を助けずにはおれないためか、そうやって漁師が拾ったものについて王宮へ知らせが来る。それは昔から続く伝統のようなもので、現在も変わっていない。万が一にも、国際手配された凶悪犯罪者だったり、あるいは事故に巻き込まれたどこぞの国の重要人物だったり、重要機密だったりしたら、大事だからだ。外交問題へ発展しそうな面倒事になる前に、王家の方で手を打ってくれる。

 革命が起こった国とは言え、未だ王家と国民との絆は深い。王政を廃止することに対して少なからぬ反対意見もでた。特に、王家の直轄地では、国民の絶大な支持を得ている王室に対して新体制の対応が悪いと非難の声が上がっている。

「姉上から連絡はありましたか?」

「式には間に合わんが、一度は帰国すると言うておったな。アデライードに頼み事でもあるのか?」

「いや、いいんですけどね。姉上には母上のお守りをしていて頂ければそれで。」

「息子のお前にそんなことを言われてようとは、あれも夢にも思うまいよ。閣下の親父殿が付いているだけでは不安か。」

「今、ディーター・エンダースに戻られては面倒なんですよ。」

「そうじゃのー。閣下の身を守ろうと躍起になっているお前にとってはのー。」

 王妃と革命家ディーター・エンダースが逃亡した先は広大な大陸の某合衆国であり、そこには王子の姉に当たるアデライード王女がいる。大学の研究員として働いているのだ。王妃はそれを頼って行ったのだった。

「なにせ、新体制には警備しようって気がないですからね。気を使いますよ。なんだってあんなに無防備なのか理解に苦しむ。小さい国とは言ったって、一国の元首なのに。」

 新体制の大統領閣下は庶民の出だ。だからかどうかは知らないが、保身という言葉を知らないし、護身と言う言葉も知らないようにしか思えない。

 あんなもやしみたいな秘書を一人そばに置いているだけで、その身の安全が保たれると思っているのだろうか。

 だから王子自ら指示して、自分に付けているガードマンを彼女に付けた。自分の配偶者となれば、彼女を守る大義名分となり得るからだ。

「しかも、式当日だって言うのに、実家に帰って家族の夕ご飯をつくらなきゃ、とか。当たり前みたいに言ってるんですよ。あのちっさい頭におが屑でも詰めてんですかね。」

「彼女の家族は保護したんじゃろ?」

「当たり前じゃないですか。なんかあったらどうすんです。」

「じゃあなんで会わせてやらんのじゃ。」

「シルビアをあんなくたびれるまでこき使った家族になんか会わせたくない。」

「おまえ、なぁ・・・。」

 国王陛下は長くため息を吐く。

 王子の主張はもっともなようでいて、えらく屈折している。

 大体において、シルビアと結婚したいからという理由で、彼女を大統領にしてしまえばいいという発想にでたことには、もはや異常ささえ感じたくらいだ。

「おじいちゃん、孫の育て方間違えたかのぉ。」

 白くなった長いひげをひっぱりつつ、アルフレート陛下は呟いた。



 カイ王子が初めてシルビアを見たのは、革命の年からすぐだったから、かれこれ十年程前になる。

 革命とは言っても、欧州で起こった歴史的なアレとは随分違って穏便なもので、王国だったこの国を民主的な議会政治へと変革することに、国民の意思を問うた選挙と投票が行われたのだった。これによって、国民が議会政治へ動くことを選択したのだった。

 欧州の全寮制私立高校に留学していた王子が帰国したのは、そんな風に国が騒がしくなっていたためだった。

 留学先をはじめ、多くの国が議会政治を行っている欧州で学んでいた王子にとっては、その流れはまあ妥当と思えた。むしろ遅いくらいだと。

 だがその一方で、彼の国ほど国民と王室が近い関係であると言うのも非常に珍しいケースだと言う事も思い知った。

 だから、出来ればこの先どう言う成り行きとなっても、出来れば事を大きくすることなく国の変革が行われて、少しずつ先進国の後を追いかけられるような国になって行けばいいなと、若いながら自国の行く末を考えていたのだ。

 各地を回って漁師や農民、そして市民に、取材し親身になってその話を聞いて回ったのだろう、彼らの主張を必死に訴えていたディーター・エンダース。彼の主張は合理的で簡単だった。欧州の議会政治を見本に置いているから実にわかりやすい。彼も留学していた人間なのかと興味を覚え、調査していくと、実際には、彼は自国から一歩も出た事のない男だった。

 町工場の工場長だったいわゆるたたき上げ。人情に厚く心優しい下町の住民の一人に過ぎず、どうして彼があんな演説をするのかが不思議だったから彼の私生活に関心持った。

 ディーターの町工場を覗いてみた。

 王子だと知れるとご時世的に面倒だったので、学生の見学と称して足を踏み入れたのだ。一時期は倒産間際まで追い込まれたという工場が持ち直したという評判を聞いていた。

 工場の従業員はわずか50人足らずといった所で、機械を作成する工房のようだった。産業機械を受注した企業に合わせて一つ一つ作る生産する会社だ。小さいながら、海外からも受注の来る高度な技術を持つ工場だった。

 自分の国にもこんな工場があったのか、と興味深く思っていると、その工場を切り盛りしていたのはまだ若い女性の社員だったのだ。

 それが、シルビア・エンダーズで、ディーターの娘だった。

 

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