第11話
翌朝には6時にエルンストが起こしに来てくれた。どうにか起床したシルビアはシャワーを借りてスーツに着替える。寝不足が続いていた割には、そして普段と違う寝床だったと言うのに、素晴らしい目覚めの良さに感動を覚え、昨夜の、王子のマッサージの凄さを思い知らされた。とても体が軽いのだ。
王子が届けてくれたアマ〇ンのマークの入った箱に昨日のドレスやアクセサリー、化粧品類を大事に詰めた。化粧を落として寝た覚えはないが、朝起きてみると肌が妙にすっきりしていて、鏡を見れば確かにメイクが落とされている。色々と地味になっている自分の素顔を鏡越しに見ながら何度も首を傾げた。
「おはようございます。シルビア、入りますよ。」
ノックの音と共に、声が聞こえてシルビアはすぐに鍵を開ける。
エルンストがサンドイッチとコーヒーの朝食を持って部屋に入ってきた。
「一時間後には迎えの車が来ます。そしたら官邸へ送ってもらって、新しい閣僚との顔合わせですね。」
ミックスサンドを摘まんでいるシルビアに、本日のスケジュールを語り始める秘書は、軽く栗色の頭を掻いた。
それを聞いて彼女が顔色を無くす。
「・・・しまった、まだ原稿チェックも終わってない。会議の準備もしてないんだったよ。」
「原稿チェックは車の中でも間に合うでしょう。会議の準備は官邸の方でやっておいてくれるそうです。シルビアは挨拶だけ考えておけばいいですよ。そういうのは得意でしょう?」
落ち着いた様子で秘書が答えた。
「まあ、即興で何か適当にスピーチするのは割とイケる方だけど、そんなんでいいの?」
「記者が入るわけじゃないんで、適当でかまいません。」
なるほど、と頷いてサンドイッチをコーヒーで流しこんだ。
エルンストは父親の秘書をずっとやっていたし、その前は前政府議会の議長の書記官もやったことがある経験豊富な男だ。
すらっと細い体つきで、生真面目そうな地味な顔立ち。年齢は確か、41歳だった気がする。
その彼が言う事には絶対の信頼を置いている。というか、彼に頼らなければ、シルビアは何一つ出来ないのだ。そんなベテランの彼でさえ、今回の爆破事件には動揺があると見えるのは、長い付き合いのシルビアだからわかることだ。
その後の警察の調査でも、まだ犯人像はまったくつかめていないそうで、事件性が有るものなのか唯の事故なのかさえ、疑わしいままである。
とは言え、場所とタイミングを考えれば、結婚式と就任式の妨害工作だと考えるのが妥当な線だ。
この政略結婚と大統領就任を認めたくない人間がこの国のどこかにいると言う事になる。
王宮の玄関まで警察車両が迎えに来てくれた。
今日になって初めて顔を合わせた執事や、召使だと言う年配の女性に見送られて出かけようとした時、欠伸をしながら部屋から出てきたカイ王子が顔を見せる。
彼は昨夜のガウン姿のままだったので、妙に艶めかしい。そう思ってしまう自分がいやらしい気がして、シルビアは自分の手を自分でつねる。
「いってらっしゃいシルビア。またね。」
「はい。またお会いしましょう、王子殿下。」
ひらひらと手を振って気軽い挨拶をする王子に、シルビアは頭を下げてその場を辞した。
昨夜のことは覚えていない。恐らくはあのあと王子のマッサージが余りに気持ちよくて眠ってしまったのだろうと思う。高貴な人の目の前で居眠りをしてしまった情けない自分が恥ずかしかったけれど、人前で恥かしがるのは王子にも失礼だ。何もなかったかのようにクールに去るのが礼儀だろう。
警察車両に乗り込んで王宮を去るシルビアを見送った王子が、目配せをした。
白い乗用車が王宮のガレージから走ってきて、たった今走り去った警察車両の後を追う。運転席には、黒服のガードマンの姿があった。
「殿下、朝食のご用意が。」
召使の女性が、事務的に告げる。
「うん、わかった。」
素っ気なく答えた後、すぐに年配の執事が近寄ってきて耳打ちした。
「殿下、アクアランツ保険の方がお見えです。」
「応接室へ通して。」
もう一度大きく欠伸をすると、カイ王子は自室へ戻って行った。
大統領官邸へ出向くと新しい閣僚たちが待っていた。
新体制なので新しいのだが、顔触れは見慣れたものである。エルンストをはじめとして、昨年の選挙以来ずっと世話になりっぱなしの人々だ。ホイヤー弁護士の姿も見える。
選挙の時のことは、今思い出しても笑ってしまうくらいに怒涛の日々だった。
父親の代わりに町工場を切り盛りしていたシルビアは、その父親がいなくなったしまったその日から、急に演説会だの討論会だのに強引に引っ張り出されるようになり、知らないうちに選挙に立候補する届けが出されていたのである。はじめは与えられた原稿を読むだけだった彼女は、それが間に合わなくなった場合に限って即興で演説を行い、意外な事に、それが元の原稿よりも評判になってしまった。
はめられたんじゃないか、と気づいた時にはもう全てが遅くて、何もかもが決定していたのである。
これからの予定を説明してくれるバスティアン・ホイヤー弁護士の方を見ながら、ささやかなため息をつく。なんで国民の皆さんは、この人を選んでくれなかったのだろうか、と。
バスティアンの方がシルビアなどよりはるかに大統領に相応しい。
経験もあるしエリートだしインテリだし男前だし。
ただ、彼は王政廃止を一番に唱えた人であり、レアメタル鉱山の権利の全て王室から剥奪すべきだと主張した人だった。
主張した政策のうちはっきりと対立した内容はこれだけである。後の政策はどれも似たり寄ったりだ。当然と言えば当然だった。シルビアの政策や主張は全て父親のディーターのそれであり、ディーターに政策の元となる知識を与えたのは殆どがバスティアンなのだから。
しかも、選挙で敗れたからと言ってその後対立するでもなく、すぐにシルビアに傾倒してくれた。新しい大統領の元で役に立ちたいと言ってくれたのだ。素人同然のシルビアにとってこんな有り難い話はなかった。
懐の大きなバスティアンの事を、シルビアは親しみを込めてバスト小父様と呼ぶ。
それに対して彼の方は、まるで自分の娘に対するかのように優しく接してくれるのだった。
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