第10話

 ベッドの上は既にベッドメイクされていて、夕方まで寝ていたシルビアの形跡は完全に消えている。

 その上に仰向けで寝かされて、上から押し倒されている状態に、頭のどこかがキンキンと痛んだ。混乱の極みである。

「・・・シルビア」

 低く囁くように呼ばれて、ざわっと肌が粟立つ。胸の鼓動は全力疾走したかのように喧しい。

 何をどうしていいかわからない。緊張の余りに顔が強張った。

 そんな彼女に、余裕綽々と言った笑顔を見せた王子は、同じように低い声で呟く。

「うつ伏せになって。」

「へっ!?」

「早く」

 両手で肩を捕まれ、ひっくり返される。

「ぎゃっ・・・!なんで、・・・え?」

 毛布の上に顎が乗る。何をされるのかと不安になり顔を上げるが、頭の上から押さえつけられた。

 両腕を引っ張られて、身体の両脇にピタリと付けられる。浮いた膝や足首を揃えて乗せられ、パンプスが丁寧に脱がされた。

 王子が背中の上に乗って来る。けれども、少しも重さを感じないのは重心を乗せていないからだろう。

「呼吸してシルビア。顔は余り上げないままで。ゆっくりでいいからね。」  

「え、あ、うん?」

 言われるままゆっくり呼吸を始める。

 すると、緊張の余り強張っていた顔も体も、少し緩んだ気がした。

 おもむろに、大きな手が首の後ろを柔らかく押した。思いのほか強い力だけれど、痛くない。むしろ、心地いい。

 ゆっくりと押しては離れ、また押して来る動きは、徐々に血流を促していくのが感じられた。

「う・・・ふぅ・・・」

 思わず声が洩れる。

 信じがたいが、カイ王子の手がシルビアの背中を揉み解してくれている。

 凝っていた肩が、腰が、首の周りが、ゆるゆると解れていく。温かくて適度に硬い手がたまらなく気持ちいい。

「凄い硬くなってんな。そんなに緊張しなくってもいいんだぜ。・・・俺を意識してくれてんのか?」

 浮き立ったような声で言うカイ王子。

「そりゃ」

 当然だろう。相手は五歳も年下で王族で、しかも王子なのだ。

 男性経験のないアラサー女子にとって、緊張しないで接するにはハードルの高すぎる相手ではないか。

 さんざんあんなキスをしておいて。

 気楽にリラックスなんかしていられるわけがない。

 そうでなくたって、結婚式なんて一生に何度も体験するものではない。就任式だってそうだ。さらには爆破事件とくれば、緊張の連続である。逆に、相手の王子が緊張していないことが不思議でならなかった。

「そっか、そっか。可愛いなぁ。シルビア。」

 優しく朗らかな声でそう言われて、赤面しつつも、悪い気はしない。

 可愛いだの綺麗だの言われるのはいつぶりだろうか。

 最初こそブスだと言ってきて最低と思われた王子だが、ここに来て労わってくれている言動は、自分の中で随分と株を上げた。

 短い言葉で交わす会話中も、彼の手は休むことなく動いている。それが気持ちよくてたまらない。その快感は彼がくれた強烈なキスとは違った種類の快感だが、むしろこちらのほうがシルビアにとっては馴染み易いものだ。

 その証拠に、もううつらうつらと、船を漕ぎ始める。睡眠不足も手伝って、瞼をあけていられない。

 眠ったら失礼ではないか、あるいは眠って意識のないうちになにか起こるかもしれない、と思い起こす。駄目だと思って意識を保とうとするが、もう出来ない。



 熟睡してしまったシルビアは、つついても叩いても目覚めなかった。

 毛布に横顔を突っ伏したまま深い眠りについた大統領閣下の身体を、そっと仰向けに治してやる。それでも彼女は起きない。安堵のため息をついてからその体勢を楽になるよう変え、関節部分が柔らかく曲がり、背筋が無理なく伸びるよう整えてやった。

 カイ王子はベッドから降りてデスク脇に置かれた大きな紙の箱を開いた。彼が朝アマ〇ンで注文した衣類や化粧道具が入っているその中から、拭き取るクレンジングを見つけ出し、蓋を開けて用意する。もう一度ベッドに戻ってシルビアを起こさぬよう、細心の注意を払いながら彼女の顔を拭い始めた。

 それが済むと、両手をシルビアの背中へ回して、下着の金具を慎重にはずす。寄せて上げて締め付けていた下着をはずし、苦しそうだった胸が緩んだ。透けて見える小さな果実にちらっと眼を落してからさっと下着を抜き取ると、僅かにシルビアが呻く。それでも彼女は起きない。 

 ベッドの足元に畳まれたもう一枚の毛布を広げてシルビアの身体にかける。

 よく眠っている彼女の額に、軽くちゅっと唇を触れてから、王子は静かに客用の寝室を後にした。


 


 部屋の外に出ると、廊下の壁に背を付けて立っていたガードマンが王子の姿を認めて歩み寄って来る。

「殿下、今日の招待客の中で先日の船舶事故に関係する人名を当たった所、数名出ました。」

 その報告に、王子はすかさず尋ねる。

「その中に、バスティアン・ホイヤー弁護士の名前はあるか?」

 ガードマンが一瞬息を飲む。サングラスの向こうで、目を瞠っているのだろう。 

「はい。事故のあった船舶に乗り合わせていた乗客の一人です。もっとも、他の数名も皆あの船の乗客でした。結婚式のために海路でこの国に戻ってきた招待客だったのでしょう。・・・ただ」

「ただ?」

「調べたところ、バスティアン・ホイヤーの荷物の数が合わなかったという報告があります。本人が大丈夫と了承していたので、保険会社と船舶会社のほうでは何も保障を行わなかったそうなのですが。報告書と実際の荷物の数が合わないことはままあることですけど、普通はクレームをつけるものですよね。」

 形のいい眉根を寄せて、王子は小さく唸った。

「引き続き弁護士の様子を監視してくれないか。」

「わかりました。」

 ガードマンはそのまま廊下を去って行った。

 もう一人のガードマンは、そのまま廊下で王子の指示を待っている。

「あんたは、このままここで待機。シルビアを守っていてくれ。」

 黒服のガードマンは黙って頷く。

 それを見届けると、王子は王宮内の、自分の部屋へ歩いて行った。



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