第9話
結局押し切られて、ベッドサイドで王子の隣りに座った。隣りならば、正面から見なくて済むからまだマシな気がする。
「さっきも聞いたけどさ。処女なんでしょシルビアって。」
「さっきも言いましたが、そういうことを面と向かって聞くのはどうかと思います。サッシャ王子。」
「だって気になるし。」
「・・・どうでもいいじゃないですか。アラサー女の経験値なんて、この年で独身なんだから推して知るべしでしょ。どうしてそんなこと気になるんです。・・・その、あたしと貴方は形式上の結婚なんだから、本当の夫婦にならなくてもいいんですよ?」
そう前もって聞いている。
王室が新体制においても悪い扱いを受けないように。そして、新体制の方でも王室への歩み寄りがあるという証明の一つとしての、政略結婚だ。
何度も何度もしつこくエルンストにその意義を説明された。
シルビアは嫌だったのだ。今更結婚などしたくなかった。結婚に夢を持つ程若くもないし、アラサー女を貰わなくてはならない王子の方だって気の毒だし。
それに、結婚なんかすればますます面倒なことになる。
今だって父親の代わりにこれだけ面倒な事を引き受けねばならなくなった。母親が死んでからはずっと母親代わりで弟妹の世話をし続けたのだ。政略結婚でなくて普通の結婚であっても、家庭を持って家族の面倒を見続けるのはもう勘弁してほしかった。新しい夫のため、生まれる子供のために、またも自分をすり減らして生きていかなくてはならない。もう、自分を縛るのは仕事だけにしてもらいたい。それがシルビアの本音だった。この年まで独身である本当の理由は、その辺りにあるのかもしれない。
「本当に、そう思ってるわけ。」
王子の声は、なんとなく不機嫌そうだ。
「そう聞きましたよ。でなければ、引き受けなかったと思いますし。王子だってそうでしょう?断れないから引き受けたんでしょう?」
「俺には拒否権があった。王族は他にもいるから、俺でなくちゃいけない理由はない。」
じゃあ断ればよかったのに、と心の中で呟いてから、少しだけ胸が痛くなった。
断られたら、赤いバラの花束も、テラスの食事も、・・・ぶったおれるようなキスもなかったのだ。
「そう、大統領選であんたが当選した時から、新体制側の人間はどうしても結婚するのはあんたじゃなくちゃならなかった。幸い独身で、ギリ、適齢期内だし?」
「ギリで悪うござんした。」
「でも王族で独身の男は俺以外にもいる。無茶を言えばじいさんだって独身だからその資格はある。他にも、俺の従兄弟とか、叔父とかには独身の王族は何人かいるからな。」
いっそアルフレート陛下だったらよかったかもしれない。陛下の細君は亡くなって15年程経つから、現在の王妃は彼の嫁で、その嫁は王妃なのにシルビアの父親と駆け落ちした。齢70を超えるおじいちゃん陛下が相手だったら、こんなにも緊張しなくて済んだだろうし、きっと初夜なんぞ有り得ない話だっただろう。
「でも、俺が結婚するってじいさんに言った。シルビアを貰うのは俺って、そう言った。」
「なんであたしと?」
ずっと尋ねたかった疑問だ。
断れなかったとしても、王子は逃げ出すことは出来ただろうと思う。何か理由を付けて外国へ逃げてしまえばいい。彼の母親がそうしたように、国外逃亡してしまえば、シルビアとの結婚など無かった事に出来る。
というか、そもそも彼の母親とシルビアの父親が逃げ出さなければシルビアが大統領選に出ることも無かったし、そうすれば父親のディーターが大統領になって王子の母親と政略結婚すれば済んだ話だったのだ。何故国外逃亡したのか、全く持って謎である。王妃が身の危険を感じていたというのはわかるが、実際に王族がその身を危険に晒されたのは、今日の結婚式前の爆破が初めての事だ。好きな女くらい自国にいながら守ってやれないと判断したのか、そんな父親が情けないと言うか理解しがたい。
にっと笑って、王子は楽しそうに答えた。
「だってあんた働き者じゃん。よく働く嫁を貰えば、俺は楽が出来るからさー。俺は働きたくないんだよね。王政も無くなった事だし、ここはひとつ、多少年増でも俺に楽をさせてくれそうな女がいいなって思ってね。」
「は、はああぁ!?」
「まあ大統領の亭主としてやらなくちゃいけないことは最低限やるけど、あとは好きにさせてね?」
「まさかのヒモ志望の王子とか、有り得ないんだけどっ!」
思わず顔を上げて王子の顔を見てしまう。
すると、目の前に端正な顔があった。ぶつかりそうなほど近い。
そのまま触れてくる唇。触れた瞬間には、両手で顔を捕まれていた。
王子の、腰が砕けるような長いキスが始まった。容赦なく舌が捻じ込まれて、口内をまさぐられ、息が上がる。何も考えられなくなって、キスに溺れていく。
どのぐらい長い間キスしていたのかわからない。
けれども終わった時には、やっぱりシルビアは体のどこにも力が入らなくて、崩れるようにベッドに横になった。
「・・・ヒモ王子なんか、嫌よ。」
やっと、そう一言告げる。
覆いかぶさるように顔を近づける王子に向かって。
でも、その顔はもう、強烈なキスに蕩けていて。陶酔したぼんやりした表情だ。潤んだ緑の瞳は空ろで、スタイリストが綺麗に引いてくれた口紅も落ちていた。
「そう言うなよ。・・・こうやってあんたを癒してやるからさ。すっげ気持ちよさそうだな?」
その金の瞳が部屋の灯りを受けて妖しく光る。年下だと言うのに、どうしてこうも妖艶に見えるのだろう。
「気持ちよくなんか・・・」
「気持ちいいさ。だって今のあんた凄く綺麗で可愛い。・・・そんな顔するのは、気持ちいいからに決まってるだろ?」
「ブスって言った癖に。」
「徹夜明けでくたびれまくってる女のどこが綺麗だって言うんだよ。・・・そんなんブスだろ。そんな状態でちゃんとした仕事なんざ出来やしないし、どんな美女だとしても目の下にクマを作ってる女なんかブスだ。」
きっぱりと言い切って再び唇を重ねてくる。
そうなればもう気持ちよくなってしまって、なんの疑問もわかない。いや、湧いてもどうでもよくなってしまう。
ファーストキスの思い出さえないシルビアにとっては、王子とのキスが最初と言ってもいい。もしかしたら本当に最初なのかもしれない、覚えていないので。
働きたくないので妻に働かせたいと言っているくせに、疲れた女は駄目だと言う矛盾。働いていれば疲労するのが当たり前なのに。おかしいじゃないか、と尋ねる気も失せてしまう。一体この王子は何を考えているのだろう。父親のディーター以上に、理解不能だ。
何を考えているのかわからない、ヒモ志望の王子と、本当に結婚してしまっていいのだろうかと思うけれど。
何故か、自分を抱きしめる手は心地よくて。その唇は蕩けそうなほどで。
自分はアラサーの年上だという負い目さえも、忘れてしまう。好き合って結婚するわけでもないという事も。明日の会議の準備が終わっていないという事も、これからどうしたらいいのかと言う事も全部。
忘れてしまえるほど。
王子はひどく優しく、力強く抱きしめてくれるのだ。
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