第8話

 言われた通り、スタイリストに案内されてテラスに向かう。そこには既に王子が椅子に腰を下ろしてぼんやりと外を眺めている姿があった。

 王宮のテラスにわざわざ用意されたテーブル。遠く水平線を臨む景色の良い場所だ。ロマンチックと言う他無い、舞台設定だ。

 外の照明の照り返しで、明かりが無くても十分に明るいテーブルに白い皿と、一輪の紅バラが飾ってある。

 それを見て思い出す。そう言えば、式の前にバラを送ってもらったお礼も言っていなかった。あんなにたくさんもらったのに、花束はどうなってしまったのだろうか。跡形もなく燃えて焦げてしまったか、バラバラに散ってしまったか。

 その点については花にも王子にもいささか悪いなと思うシルビアである。

「お、いいじゃん!さっすが俺のセンスだ、綺麗だな、大統領閣下。」

 その王子本人は、機嫌良さそうにこちらを見てそう言ってくれた。自画自賛だとしても、そこに水をさすつもりはない。

「ありがとうございます。あとで領収書を頂けたらお金を渡しますから。」

「いいよ、俺、婚約指輪すらあげてないんだし。これくらい。」

 それは、政略結婚て奴だから。決めたのも、王子のおじいちゃんとシルビアの父ちゃんだし。そこには当人同士の意思は一ミリも入ってなかったわけで。

 だから王子が何もしないのは当然である。求めるつもりもない。ないけれど。それでも。

「赤いバラの花束、ありがとうございました。嬉しかったです。」

 テーブルを挟んで王子の向かいに腰を下ろす。勿論、自分で椅子を引いて。

 王子はシルビアを見つめて、満足そうに笑った。

 黒のスーツを着ている王子は、その黒髪のせいもあってか昼間よりも大人っぽい。

「そうしてると、ブスじゃないな。綺麗だ。」

 さらっと出た褒め言葉に、シルビアが目を剥いた。

「あ、ありがとう・・・。」

 聞き取れないような声で、礼を言うとそっと目を上げる。

 モデルみたいなイケメン王子は、うっとりする程格好いい。姿勢を正してこちらをまっすぐ見据える姿は育ちのいい王家の子そのものだ。黒スーツで、ネクタイをしていない襟元を少しだけ寛げているのがなんとも色っぽかった。そう意識した途端に、シルビアの顔が真っ赤になる。立ち上がれなくなるほど、長くて強烈なキスを思い出したからだ。

「失礼いたします。」

 給仕が食前酒を運んできた。その場で今夜のメニューを丁寧に説明してくれる。

 二人きりで、フレンチのフルコースを頂く。

 ドレスアップして、雰囲気のいいテラスで、イケメン王子と。

 本来ならば今頃は、弟妹たちのために実家で鶏のから揚げでもあげているはずだったのに。そう思うと弟妹たちに少しだけ罪悪感が疼いた。

 でも、一度くらいこういうのがあっても罰は当たらないかもしれない。

 赤ワインを注がれたグラスを合わせて乾杯する。キラキラと輝く金色の瞳が、シルビアを見て弧を描く。形のいい唇が赤い液体を含んで、一層セクシーになった。

 男女一対一での関係に免疫がないシルビアだから、目の前の王子の様子を見るだけでなんだか苦しいくらいだ。

 恋愛感情はなかったけれど、これだけイケメンだと今だけ好きになってしまいそうだ。自分がアラサーの色気のないブスだとわかっていても。

 盛り上がってしまいそうなアラサー女子の気持ちを、知ってか知らずか。

「・・・で、シルビアは当然、処女なんだよな?」

 うっとりと相手を見ていたシルビアは、口を付けたワインを吹き出しそうになった。


 客用の寝室を借りて、備え付けの小さなデスクに書類を並べ、PC電源を繋ぐと、ネット環境も申し分無いようだ。携帯を脇に置いて、書類を眺めながら画面を読み始めたシルビアは、誰かが室内へ入ってきた足音に気付いた。

 気付いたけれど振り返らずに、仕事を続行する。

「ねぇ、二時間って言っておいたよ。もうおしまいにしてシルビア。」

 そう言って背後から、ノートPCの蓋を強引に閉じたのはカイ王子だ。

「ああっまだ読み終わってないのに!何すんですかっ。」

 王子は、焦ってすぐにPCを起ち上げ直そうする大統領閣下の指を握る。

 確かに夕食後に二時間だけと王子は言い渡しておいた。その時間は過ぎているけれど、仕事が何もかも予定通りに進むわけがない。

「殿下、でもこれは今日中に見ておかなくてはならないのです。」

 眉根を寄せて反抗するように王子を睨み付けた。握られた手を振り解こうと手首を振るが、離れない。

「初夜だって言うのに無粋な事言わないでよ。さ、こっちきて。ピロートークと行こう。」

 寝室なのでデスクのすぐわきにベッドがある。

 王子はそこに閣下を導こうとして握った両手を引っ張った。

 思い通りにさせるものかと、抵抗するシルビア。出来るだけ王子の方を見ないように視線をそらしながら。

 直視すると駄目だ。若い男が目の前でこんな格好でベッドに誘うとか、目の毒耳の毒以外の何ものでもない。それがイケメンであればなおさらだ。

 黒いガウンだけを着ているように見える王子は、足元もサンダルだ。入浴後だからなのか、黒髪がまだ濡れているのがまたいけない。

 初夜だ初夜だというけれど、その予定はなかったはず。

 式の後はパレードをして、そのまま披露宴に突入する。披露宴の後は王子もシルビアも自宅へ戻って休むことになっていた。王子の方は知らないが、正式に就任となった大統領は初日から仕事がある。閣僚たちと顔合わせをして打ち合わせに入らなければならない。

 爆破事件が起こったために、パレードや披露宴はなくなったが、明日の予定は変わらず、朝から官邸へ行かなくてはならない。

「明日のためにもやっておかなくてはならないことがあるんです。申し訳ありませんが、今夜は別室でお休みください、殿下。」

 彼が履いている赤いサンダルに視線を置いたままそう言った。

「明日からどうせまた実家に戻る気なんだろ、シルビア。じゃあ、今夜しか一緒にいられないじゃん。次はいつになるかまだ決まってないのに。」

 ベッドに腰を下ろした王子が、握っているてを何度かニギニギして、不貞腐れたような声を出す。

 シルビアの緑色の眼が丸くなる。

 なんとなくその言葉と声を聞いて少し嬉しいと感じてしまった。王子は、シルビアを一緒に居たいと思ってくれているらしい。

「王子・・・。」

「サッシャ、て呼んで。俺、ミドルネームの方が気に入ってるんだ。普段はカイ王子でもいいけど、二人でいるときはそっちで。」

「サッシャ殿下」

「殿下はつけなくていい。・・・ていうか、いい加減俺の顔をみてくんない?話をする時は相手の眼を見て話しましょうって、小学校で教わんなかった?」

「教わりました、けど。」

 恥ずかしくて見られない。

 なんなんだろう、これ。なんだか、凄く甘い雰囲気ではないか。両手なんか繋いじゃって(握られて)、ミドルネームで呼べとか言われて。

 照れくさくて、恥ずかしくて、どうしていいかわからない。

 いい年こいてと思うが、そういうことに免疫のないシルビアは、本当にどうしていいかわからないのだ。



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