第4話
式場の広い庭園へエルと共に足を踏み入れた。
基本的に気候は温暖で寒暖の差が少ないこの国では、平均的にいつでも花が咲き乱れていて、ガーデニングにはもってこいだ。
きっと腕のいい庭師が常に手入れを怠らないだろうと思われる、整えられたバラ園や花壇が美しい。緑のアーチの下をくぐるのはアラサーの女子であっても心ときめくものだ。
背後でエルの話し声が聞こえる。今日は一日シルビアの携帯電話も秘書に預けっぱなしだから、彼も大変だ。
「え、なんですか?」
珍しく焦った声を立てたエルの様子が気になって振り返る。
「外に出るなって?何か危険でも?・・・は?」
通話の相手と大声で話す彼の様子に、何かあったのだろうか心配になった。
聖堂側の出入り口から複数の足音。先ほどシルビアとエルンストがのんびり散歩しようと通った従業員用の出入り口から、黒服のものものしい風情の男たちが駆け出して来る。
その影に交じって、白い礼服の姿も見えた。
「シルビア!外は危険だ、すぐに中へ入れ!」
血相を変えた王子が叫んだ。
またもやここにいるはずのない王子が出現し、その事にも驚く。そして、その剣幕にもびっくりしてシルビアは目を瞠った。
危険とはなんだろう?
エルンストと顔を見合わせ、とりあえず戻ろうと足を聖堂側へ向けた瞬間。
鼓膜が破れるような爆音と静止していられない程の風圧が背中を襲ったのだ。
何が起こったのかわからないままのシルビアは、とっさに吹っ飛ばされた自分を抱き止めてくれたのがカイ王子だと気づいて一層目を剥く。
「王子!無事ですか!」
ガードマンたちが騒いでいる声が聞こえる。その中にエルが自分を呼ぶ声も混じっていたので少し安堵する。
何とも言えない変な匂い。爆発物の匂いだろうか。それが庭園の中を漂っている。爆発の風圧はすぐに消えたが、庭園の被害は甚大だ。手入れの行き届いた花壇も緑のアーチも、跡形もなく黒焦げである。
「大丈夫だ。シルビアも無事だ。・・・怪我ないか?新婦さん。」
後半の言葉は、ガードマン達にではなく、シルビアに向けた気遣いだ。
「え、ええ・・・多分、怪我はしてないけど。」
「なら、よかった。」
金色の目が細くなり、弧を描く。嬉しそうに笑うカイ王子は、自身の上に乗ったままのシルビアの身体をぎゅっと抱きしめた。
心からシルビアの無事を喜んでいるかのように、その腕の力は優しい。
ほんの数時間前ブス呼ばわりしてきた相手とは思えない態度に、困惑するばかりだ。
救急車のサイレンが聞こえても、エルやガードマンが傍へ寄って来ても、どういうわけか、新郎は中々新婦を離そうとしなかった。
王宮があるのはもちろん知っていたが、シルビアが内部へ入ったことは一度も無い。
王室を廃止してこの場所を観光名所にしたらどうか、という声も出ていた美しい外観を持つ白亜の城。今の所、王政は廃止になることになったが王室は存続が決まっているため、残念ながらその案は通らない。
シルビアの工場の窓から見えるその美しい建物は、近くにありながら触れることの許されない禁忌。あるいは見えるけれど現実味のない幻影のようなもので、自分達庶民とは何の関係も無いものだと思っていた。
工場の騒音をよそにそこはいつも美しいたたずまいで、幼い頃に読んだ御伽噺の主役たちが住まう夢の場所なのだと思わせる。
泥や誇りに汚れたウェディングドレスのまま、シルビアはその一室に運び込まれ、場違い感が大きすぎるあまりいたたまれない。
同じ室内で待機しているエルンストも所在なさそうに目を泳がせていた。
もっとも彼が目を泳がせる理由は、この部屋が自分達と余りにそぐわない場違い感からだけではない。
ここへシルビアを運び込んだのは、カイ王子だ。そして、そのままずっとここにいる。広く豪勢な客間にしつらえた大きなソファの上でゆったりと座る彼は、如何にもこの場所に相応しく優雅に振る舞っているが、その膝の上に乗せられているシルビアの方はどうにも居心地が悪くてたまらない。
「・・・あの、大丈夫ですので降ろして欲しいんですが。」
「ブスの言う事は聞かない主義なんだ。朝よりは大分マシになったのにな。・・・可愛くなったら降ろしてやる。」
新婦の言うことなどどこ吹く風で、明後日の方を見ているカイ王子は、そんな返事しかよこさない。
「意味わからないんですけど。」
「あんた俺の妻になるんだろ?妻ならブスより可愛い方がいいに決まってる。」
「・・・朝っからそう、ブスブスと人の気に障る言葉を平気で連呼しないで貰いたいんですけど。」
温厚なシルビアもそろそろブチ切れそうである。エルがいて、またドアのそばには王子のガードが二人も待機しているから切れないでいるけれども。
式場に爆発物があることをいち早く気づいて知らせに来てくれたことには感謝しているし、助けてくれたことも有り難いとは思っている。
しかし、その後はずっとこの調子で、王子に抱っこされたままだ。
あんなことが有ったのだから被害状況を確認して事後処理にあたったり警察の事情聴取に出たり色々やらなくてはいけないことがたくさんある。この事件で延期になった挙式や就任式の件も、話し合わなくてはならない。観光名所でのんびり抱っこされている場合ではないのだ。
「兄弟たちが無事かどうかの確認もしたいし、あたしが無事だってことも知らせたいのに。」
解放を要求してさんざん抗議を重ねたのだが、快い返事は未だに貰えず。
両手でしっかりと抑え込まれているシルビアはごそごそと身を捩るが、やはり降ろしては貰えなさそうだ。
異性に、それも5歳も年下の若造に抱っこされるなど考えたくない羞恥だ。本気で暴れれば降りられるのはわかっているが、それをするのはなんとなく気が引けた。
これから夫になる相手なのだから最初だけでも猫を被っておくべきだと言うこともあるし。
なんとなく庇われているような気がして少しばかり嬉しくもあった。若造のくせにカッコイイではないか、と見直したところだったのだ。
なのに、またもブスの連呼である。相手に悪い、と思う気持ちが一気に引いた。
そろそろ本気で開放して貰わないと色々と困るのだ。腕ずくでも逃げ出そうと両手で王子の膝を押さえつける。
「そんなにここから出たいのか?シルビア。」
膝の上に新婦を乗せてしっかりと押さえつけていた王子は、再び金色の目線をシルビアに合わせる。
「出してもらわなくては困ります。」
「つれないな。」
「こんだけ何度もブスいわれりゃつれなくもなりますがな。」
そんなやりとりを、いったい何度繰り返したのか、もう数える気力も無かった。
「だって可愛くないから。」
可愛くないだのブスだの言う割に、王子はシルビアを離してくれない。いやなら離れてくれればいいだろうに。
「そういうあんたも可愛くないわい。絶対離婚しちゃる。」
そう呟くと、初めて王子がまじまじとシルビアの顔を覗き込んできた。
むかっ腹が立つのできつくにらみ返してやる。イケメン王子だからってなんでも許されるわけではないんだぞ、と啖呵切ってやりたい。
すると、王子はおもむろに顔を近づけ、音がするほど派手にキスした。
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