第3話

 式場のスタッフが手に抱えきれないほどの真っ赤な薔薇を持ってシルビアの傍まで歩み寄ってきた。

「カイ王子殿下より、お届け物です。」

 若い女性スタッフが興奮を隠しきれないような口調で告げると、新婦にそれを手渡した。

 窒息しそうなほどの、強いバラの香り。それに咽そうになりながらもその美しさに見惚れる。

 深紅のバラはシルビアの憧れの花だ。まだ実の母親が存命だった頃、ディーターは祝い事の度に妻へ赤いバラを送っていた。誕生日、出産祝い、結婚記念日。給料日、なんて時もあった。仲のいい両親の元で育ったシルビアの幼い時代、今とは比較にならないほどに幸せだった思い出を象徴する。

 自分も何か事有る度に赤いバラを送ってくれるような人と一緒になりたいと、漠然と考えたものだった。

 純粋に嬉しいと感じた一方で、送り主の顔を思い浮かべてその浮き立った感情がさっと冷えた。

「・・・ブスって言ったお詫びとかかしら。」

「だから、それも本人に聞けばいいでしょう。私に聞かれても困りますよ。」

 それもそうだ。エルの言う事はもっともだった。 

 王子の真意を測りかねて首を捻っているうちに、スタッフが再び花束を受け取って保管場所へ移動するよう告げる。

 気を利かせたスタイリストが、花束から一輪だけ抜き取って茎を短く切り、シルビアの髪に挿した。

「大変お似合いでございますよ。」

 用意されたウェディングドレスも、手袋もベールも髪を飾る造花も全て白で統一されたシルビアの姿に、一点だけ紅い点が咲いた。

 エルンストが手鏡を持って来て新婦に手渡す。

 右耳の上に添えられた赤い花に軽くてをやって、冷たくもやわらかい花びらに触れる。

「そう?似合う?」

「いいんじゃないですか。」

 似合うのならば、まあいいか。王子の真意なぞどうでも。花には罪は無いのだし。

 


 この国で一番大きな聖堂のある結婚式場を貸し切って行われる、国を挙げての結婚式には、多くに人が詰め掛けた。

 王室の方々は勿論、新政府の要職に就くおじさんやおばさんの険しい顔が礼服に包まれて続いていく。見知った顔ばかりで、昨年の大統領選挙に置いてさんざん世話になった人たちだった。初めての大統領選ということで、人口の少ないこの小さな国ながら、投票率が7割という素晴らしい結果に終わった。革命家の父を持つシルビアが当選したのは、本人にとって未だに解せない現実のままであるが。

 王室の方からも立候補する話が出たのだが、大統領選に出馬すると鉱山の権利を失うと知って、王族からの出馬は皆無。

 シルビアに対抗したのは、ディーターと共に革命を押し進めたバスティアン・ホイヤーだ。弁護士の彼はシルビアの父親よりもはるかに高学歴のエリートで、欧州の大学に留学していたこともある。

 その彼が、本来ならば実父であるディーターが座るべき新婦の身内席に座り、目を細めて嬉しそうにシルビアを見つめていた。細めのリボンタイがお洒落だ。

「シルビア、とっても綺麗じゃないか!おめでとう。」

 ダンディーで男前で穏やかなバスティアンは、選挙でこそ争ったけれどもシルビアにとっては尊敬できる大人の男性だ。

「ありがとうバスト小父様。今日は来てくれてありがとうございます。」

 そんな男性に祝福の言葉をかけられて、自然に笑顔がこぼれる。ブス呼ばわりの新郎との婚礼を思うと心中は複雑だったが。

 新婦は、式が始まる直前に、身内に顔を見せておこうかと会場へ足を運んだ。

 バスティアンの周囲に座る友人たちも、愛想良く笑って祝福してくれた。高校の友人の一人であるアガタが、身を乗り出してシルビアの手を握る。

「すっごいわ~シルビア。ファーストレディでしかもシンデレラじゃないの。もう、皆びっくりよ?」

 ピッタリと身体のラインがわかるセクシーなドレスの彼女は、にやっと笑ってウィンクをした。

「一番びっくりしてるのはあたし自身なんだけどね。」

 眉根を寄せて複雑な心境を語るシルビア。

 アガタの隣りで、同じく高校時代の友人のハンナが噛みしめるように呟く。

「仲間内で一番の行き遅れとか言われてたのに、本当、人生何が起こるかわかんないわね。」

「行き遅れとか、この場で言う!?」

 思わず声を荒げるシルビアに頓着することも無く、

「万年処女、とか。」

 平気で言ってしまうのは、長い付き合いの友人だからだ。

「だからさ、普通新婦の目の前で言わないでしょ、そういう事。」

 目の前にバスティアンというインテリなおじさまもいるのだから、口を慎んでもらいたい。

「まあ、とにかくおめでと!もう王子様には会ったの?」

「ああ~・・・それについては、コメントを差し控えさせていただきます。」

 言いながらため息が出てしまう。

「何よそれ。やっぱ近くで見てもイケメンだった?」

「ああ、うん、多分?」

「はっきりしないわねぇ?式の後落ち着いたら、絶対聞かせてよね!」

 聞かせられるようなことはなにもありません。ブスって言われただけですから。

「シルビア、この結婚は確かに政略結婚だけど、だからと言って不幸なわけじゃないと思うよ。私もディーターも、君の幸せを祈っているからね。」

 聞くに堪えない暴言の友人たちに比べ、バスト小父様のお言葉の、なんと麗しいことか。

「はい。ありがとうございます。・・・向こうの列席者の方のあいさつ回りへ行ってきますね。」

「私も行こうか?」

「エルがいるんで、大丈夫です。また後で、小父様。」

 笑顔で手を振ってくれるバスティアンと友人たちと別れた。

 政治家はあいさつ回りが基本だ。作り笑いであろうとも、しっかりと笑顔を作って向かわなくては。

 バスティアンは単細胞な父を陰で支えてくれていた陰の功労者だった。また、その深い知識で政治や法律について多くの助言もしてくれていた。ディーターとバスティアンはさながら現在のシルビアとエルンストのように、支え合う間柄だったはずだ。ディーターが国を出る時、バスティアンはどうして父を止めてくれなかったのだろう、と疑問に思うことがある。

 あいさつをしながら会場をまわって一息つく。慣れない衣装で出歩くので、普段よりもくたびれてしまう。

「疲れました?少し散歩でもしますか。」

「うん、そうだね。ああ~、始まる前からぐったりだ。」

 友人の顔を見たからか、ふと思い出す。5人の弟妹達はどうしているだろう。

 一番上の弟がやっと今年二十一歳になった。一番下の妹が十二歳だ。結婚式用の礼服を着せてもらい、この聖堂へ連れて来てもらう事になっているのだが、まだ到着したと言う連絡はない。

 聖堂で挙式を行い、その後大統領就任式となる。

 順番は逆じゃないのかという意見も多数出たが、王室側が先に挙式をしなければ就任式をしないとごねたため、そうなった。

 シルビアにとっては、順番などどうでもいい。どうせ結婚したからと言って休みになるわけでもない。すぐに王子様と一緒に暮らすわけでもない。大統領に就任したからと言って何が変わるわけでもない。しいて言うなら、書類にするサインの場所くらいのものである。

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