第2話

 シルビアの国は大洋に浮かぶ小さな島国に過ぎない。欧州からそれほど遠くないと言う土地柄にも関わらず、二度の世界大戦中もほぼ無視されていたと言うくらいに知名度は底辺で国力も無かった。小さな国土に僅かな民が暮らす平和なこの国に革命が起きてからまだ十数年。それと言うのも、近代化した世界産業に必要不可欠なレアメタルの鉱脈がこの国で見つかったからである。それまでは、国連にも加盟していない、小さな小さな箱舟のような国だった。

 レアメタル産業により巨万の富を得たのはもともとこの国にいた王族だ。一応、気持ち程度に議会というものも存在していたのだが、経済格差によって王族の生活と庶民との生活がかけ離れ、やがて、王族だけが地下資源による富を独占することが許せない庶民の代表が革命を起こしたのだった。

 その労働党の代表だったのがシルビアの実父であるディーター・エンダースである。元はしがない町工場の工場長だったのだが、気が付いたら周囲に持ち上げられ、調子がいいものだからそれに乗っかって、反乱を起こした張本人になっていた、らしい。

 まあ、それはいい。ディーターらの起こした革命は成功し、しかも大きな戦争になることもなく、犠牲は最小限で済んだ。なぜなら、王室の方が反乱を鎮める条件として大統領制を敷くよう提案してきたからだ。

 王政を維持したままの大統領制を敷き、王室は政治からは退陣することを約束した。

 その代わりに、王族が所持しているレアメタル産業の半分は、そのまま王室のみで管理することを要求してきた。

「きったね~っ自分らだけ美味しい思いしてきたくせに、まだそれにしがみつくつもりなのかよ。」

 その頃のシルビアは父親の代理で町工場の業務をこなしていて、そのニュースを聞いていて思わず口汚く罵った。

 しかしディーターは言うのだ。

 確かに王室は甘い汁をさんざん啜ってきた。しかし、今までなんだかんだ言ってもこの小さな国を守ってきたのは王族なのである。その功績に置いて、彼らの生活を保障する程度の権利は与えるべきである、と。

 親父にしては随分とご立派な事を言うなぁ、と感心したのがいけなかった。

 そんなことをディーターが口にしていることがおかしい、と思うべきだったのだ。

 この国初の大統領が決定するかというその大事な時期に、シルビアの父親は、この国の王妃にたらし込まれていたのだった。

 先ごろ亡くなった王の未亡人は、このまま身一つで国を追われることを恐れてディーターに近づき、篭絡してしまったのだろうと思われる。

 勿論、王妃は若く美人だ。国民の誰もが知っている王の二人目の奥さんは、現代のシンデレラとかなんとか言われてその美貌と共に話題になったものだ。

 あげく、革命も家族も置いて海の向こうの大国へ亡命された日には。

「え、なんであたし?」

 と思わず父親の秘書だったエルに聞き返してしまったくらい予想外の事態に転がって行った。父親のいた町工場で働いていたシルビアの身に、父親の責任の全てが振りかかってきたのだ。父親の町工場を引き継いでどうにか操業させていたシルビアは、政治活動へ引っ張り出され、気が付けばあれよあれよと言う間もなく、新しい大統領候補として宣伝されて後には引けなくなった。

 父親のやっていたことは知っていたし、利益の全てを独占し続ける王室が許せない気持ちが有ったので、革命運動には賛成だった。

 だから一家の大黒柱という責務を放棄して政治活動する父親の代わりに、幼い弟妹を育て、彼の代わりに工場で働いていたのだ。ちなみにシルビアの学歴は高卒である。

 シルビアの母親は一番下の妹を産んだ翌年に亡くなった。それ以来彼女はエンダース家のお母さんだったのだが、ディーターが革命家と呼ばれるようになってからは、父親も兼任となった。当然過ぎるなりゆきに、文句を言う間もない。

 やがて大統領制となるにあたって、王室の方から政略結婚の申し出があった。

 ディーターが王妃に骨抜きにされたらしいことは、この時に気が付いたのだが、それならそれでいいではないかと。王妃と大統領の結婚なんて、中々いいじゃないか、とシルビアも賛成したのだ。男やもめも長かったディーターにとって、そう悪い話ではない。子供同士は多少ぎくしゃくするが、そこはそれである。それに、どうせ王族の王子様王女様なんぞが、われら庶民と仲良くするはずはない。そこは最初から諦めている。

 そう思ったから賛成していたのに、王室と婚姻を結ぶのがシルビアとなってしまったのは、ディーターと王妃様が手に手を取って亡命してしまったからに他ならない。

 革命も終わったんだし、新体制になるんだから逃げなくてもいいだろうにと思うのだが、王妃様はとても用心深いのか、ディーター一人を人質に取っただけでは安心できないと見えて逃げ出してしまった。

 しかも、レアメタルの鉱山の権利だけはきちんと王室に残して行ったのだ。なんとまあ、したたかであることか。

 そんな王妃の息子であるカイ王子が、素直で可愛い天使のようなお坊ちゃまであるはずがなかった。

 初対面の新婦に面と向かっていきなりのブス呼ばわりである。

 王子で無かったらひっぱたくところだ。

 スタイリストの女性が苦笑しながらウェディングドレスの裾を直している。

 ぷりぷり怒っている花嫁と言うのも珍しいだろうに、さすがにプロは動じないな、と感心してしまった。

 ドレスに皺が寄らないよう慎重に椅子へ腰を下ろすと、エルンストがタブレット片手に近くへ寄ってくる。

「今、よろしいですか?」

 年配のスタイリストに、秘書官が尋ねる。

「大丈夫ですよ。」

 彼女が優しくそう答えると、エルがシルビアの方を向く。

「眠くないですか?」

 徹夜明けを心配する従兄弟に、大統領候補はにやりと口角を上げて見せた。

「眠かったけど覚めた。あの若造に対する怒りでばっちり目覚めた。」

 初対面でブスと言われた恨みは忘れない。

 そりゃ美女でないことくらいは自覚している。イケメンで有名な王子様から見ればブスかもしれない。それにしたって言っていい事と悪い事があるはずだ。

 初対面の、それも、これから結婚式を挙げる新婦に向かって言っていい言葉ではないことくらいわかりそうなもんじゃないか。

 髪をセットして貰っている間に、秘書官が陳情書を読み上げた。

「ダンデレア鉱山での産出量についての情報開示がないとのクレームに、一部の労働団体が」

「あそこ思ったより埋蔵量が無かったって話。データは技師のアマンドが持ってるから流してやって。」

 立て板に水式に答える新婦は、スタイリストに促されて緑の瞳を明後日の方へ向けて前髪をセットされている。彼女の返答をそのままタブレットに入力したエルンストは、次の陳情を読み上げる。

「先日起こったファレノ港での船舶事故について説明責任が」

「港湾警察が調べてくれてるけど、まだ直接原因までわかってないらしいの。調べ上がるまでは待たせておいて。」

 やりとりを繰り返す二人の間に式場のスタッフから声がかかった。

「ただいま、新郎様より深紅のバラの花束が届きました。」

「あー、そう。エル、お礼状出しておいて頂戴。」

 先ほどと同じ調子で答えるシルビアに、エルが顔をしかめる。

「直接お礼言えばいいじゃないですか。」

「・・・ん?」

 ふと気がつくと、新婦控室に、甘い香りが広がった。

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